病院アポイント変更して、誘われて行くことにした。安いし。
オペラはイタリアなどラテン系が一番好みだが。
今日は雨もあり、散歩中止で、腰痛は鍼も加わり改善方向。
フィガロ映像でも見ての勉強のはずだが、アンナ ネットブレコの映像録画長時間ビットレ-ト修正でDVDがまだ、使えない。
待ってる時間でUTUBEでまた、コンサ-トを見てしまった。マルトンとジャコミニのコンサ-トから写真アップ。UTUBEでアップされた素材が鮮明だと拡大で結構楽しめる。
オペラはイタリアなどラテン系が一番好みだが。
今日は雨もあり、散歩中止で、腰痛は鍼も加わり改善方向。
フィガロ映像でも見ての勉強のはずだが、アンナ ネットブレコの映像録画長時間ビットレ-ト修正でDVDがまだ、使えない。
待ってる時間でUTUBEでまた、コンサ-トを見てしまった。マルトンとジャコミニのコンサ-トから写真アップ。UTUBEでアップされた素材が鮮明だと拡大で結構楽しめる。
二期会はさまよえるオランダ人を上演したりで最近はかなり頑張っているとの事だけど…、もっとも蝶々とフィガロではおおいに違うのだろうけど近頃、評判の亜門の演出も見てみたいと思う。
演劇系統からオペラに入った演出家のオペラをみると・・誤解を恐れず一言で言うと「説明のしすぎ」を感じることが多い。
演劇が言葉や動作で説明するのに対しオペラは歌や演奏で理解できるものだと思う。
そのあたりがあの有名なキース・オーナーの演出にも感じるのが時折、鼻持ちなら無いというかウンザリすることがある。
しかし、演劇系統からの演出は総じて斬新なアイディアや工夫が見られるのでそれはそれで面白いとおもうけど、結局はオーソドックスな衣装と演出のメトロポリタン・オペラに安心感を感じるのはそれが基本だからなのだろうか?
マルトンは言うまでも無いが茅ヶ崎芸術協会所属の友人の誘いで箱物会館でなんとツーランドットを見たがあれはどこのオペラ座の公演だったか忘れた。
多分、ハンガリーだったかもしれないが舞台は少し寂しいもののマルトンが真剣に高音出して歌っていたのを思い出す。
マルトンの一人舞台という感じだった。
そのときもかなり大柄な上、やや太っていたので若く絶世の美人との設定であるツーランドット姫をイメージするのは困難を覚えたものだ。
しかし最近はツーランドット役も細身の美人歌手が輩出しているからいまや、声だけ良けらばタイトルロールを張るという時代は終焉したということだろう。
ビジュアルな社会ではビデオカメラのアップにも耐えうる姿態と顔を持っていないと人気は出ないということか。
多分