ラ・ベルマが演じるラシーヌ「フェードル」に<私>が途方もない興奮を感じたのはもはや数年前の話。ところが今やラ・ベルマ「が」演じる「フェードル」と聞かされても何一つ価値を感じない。それは<私>が或る意味で成長したのかそれとも鈍感になったのか、あるいは何か別の理由からか。なるほどかつて<私>は確かにラ・ヴェルマの熱烈な信者だった。しかしいつまでもそうだとは限らない。戦前戦中の日本で日本人以外の外国人を含め大日本帝国の信者だった人々が、戦後もなお大日本帝国主義者だとは限らないように。<私>の場合、リビドー備給は、エルスチールの絵画を知って以降、現代絵画へ移動していた。そのぶんラ・ベルマへ注がれていたリビドー備給は撤収され、もはやラ・ベルマは無価値なものを意味する名の一つへ下落してしまっている。
少なくとも、というより、<私>をかつてのラ・ベルマに集中的に熱狂させたものはその「技術だけ」に過ぎなかったのかもしれない、と疑うことさえできる地点まで下落していた。逆に数年前は本当のラ・ベルマの実力を知らなかったがゆえにその「技術だけ」が<私>を熱狂させ技術的魅力の中へのみ巻き込んでいたのかもしれず、今度こそ本当の実力に出会えることになるのかもしれない。しかし今度はどちらでもない。<私>が成長したとかラ・ベルマの演技力が衰えたとか、そんなことは実はどちらでもなく、そもそも根本的次元からしてそういう話では全然ないのだ、ということがわかってくる。そこでプルーストは書いているのだが、今度のラ・ベルマ演じる「フェードル」は、<私>にとって「第二の作品」として出現したからである。そういういきさつになった理由として、「演劇の天才という抽象的で間違った先入観と関係づけようとしなかっただけ」のことで、始めて見る前に「大きな期待をいだきすぎたからだと思い至った」。
「ただ今回は、その印象を、演劇の天才という抽象的で間違った先入観と関係づけようとしなかっただけで、それゆえ演劇の天才とはほかでもないこれだと悟ることができたのである。いまや私は、はじめてラ・ベルマを聴いていたときに歓びを感じなかったのは、かつてシャンゼリゼでジルベルトに再会したときと同じで、出かけるときに大きな期待をいだきすぎたからだと思い至った」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.110」岩波文庫 二〇一三年)
ではなぜ同じ演目「フェードル」であるにもかかわらず今度はまるで違った「作品」として浮上したのか。「演劇の天才という抽象的で間違った先入観」を排除し、失われた期待感を持ったまま「頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに」見てしまったからである。プルーストのいう「間違った先入観」を<排除するために必要なこと>は、ニーチェのいう「忘却」に等しい。エルスチールが画家として持っていた貴重な感性の一つもまた「忘却の力」というべきものだった。重要なのは<身体>なのだ。
「ほかでもないエルスチールの努力は、ものごとを頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに提示するところにあった。画家はこのような遠近法の法則のいくつかを明るみに出したが、それが当時はるかに衝撃的なことだったのは、芸術がそれをはじめてあらわにしたからである。川の場合には途中の流れが曲がりくねっているせいで、湾の場合には両側の断崖がごく近くに迫っているせいで、平原や山地のなかに四方八方どこにも出口のない湖がうがたれたように見える。灼熱の夏の日にバルベックで描かれた画では、海の奥まった箇所がバラ色の花崗岩の岩壁にとり囲まれているため、そこはまだ海ではなく、海はもっと先から始まるように見える。それでも大海原がつづいていると感じられるのは、そこに何羽ものカモメが飛んでいるからで、見たところ岩としか思えないうえを旋回しているが、じつはそうでなく、潮の湿り気を胸の奥まで吸いこんでいるのだ。この同じ画からは、ほかにもいくつか遠近法の法則をひき出すことができた。たとえば、巨大な断崖の下の青い鏡のような海面にいくつも浮かぶ白い帆はチョウが眠っているように見え、それがガリヴァーの小人の世界のように可愛いとか、深い影と蒼白い光のコントラストが認められるとかである。写真のせいで陳腐となったこのような影のたゆたいも、エルスチールがとくに関心を抱いたもので、かつて蜃気楼というほかない光景を好んで描いたことがあった。そのなかで塔を備えた城館は、てっぺんに延びる塔と下方に延びる逆さの塔の効果で完全な円環をなす城館のように見えるが、それは晴天の異例に澄みきった大気が水に映る影にまで石の堅さと輝きを付与したからか、それとも朝霞が石のほうを影と同じにかすませたからであろう。同じように、海のむこうに並ぶ木立の背後にはもうひとつべつの海が広がり、夕陽にバラ色に染まっているが、じつはそれは空であった。射しこんできた光は、まるで新しい固体の束をつくりだしたかのように、影のなかの船体よりも奥にひっこんだもうひとつの船体に当たってそれを際立たせ、物質的には平らだが朝の海の光の加減で粉々になった表面に、クリスタルの階段のようなまだら模様をつけている。街なかの橋の下をぬって流れる川にしても、特別な視点から描かれているために、完全にとぎれとぎれになり、こちらでは湖のように広がっていたかと思うと、あちらでは糸のように細くなり、またべつの箇所では、街の人たちが夕涼みにやってくる丘が割って入るために途切れたように見える。この混乱した街のリズム全体を保証しているのは、いくつかの鐘楼の辿るびくともしない垂直の線だけである。それらの鐘楼は上にそびえ立つというより、むしろおのれの下に、凱旋行進で拍子をきざむ糸に吊るした重りのように、押しつぶされてずたずたになった川に沿って、靄のなかに折り重なっていっそう判然としない家並の総体を釣り下げているようだった。また、断崖のうえや山のなかで、自然のなかの半ば人間のものというべき道が、川や大海原の場合と同じように眺望の具合で途切れることがあった。山の稜線や滝のしぶきや海などが、道をずっと辿ることを妨げ、歩む人には見えている道が私たちには見えなくなるのだ」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.424~427」岩波文庫 二〇一二年)
プルーストは「われわれがなにかを感じる世界と、考えたり名づけたりする世界はべつであ」るという。両者のあいだには「埋めること」が不可能な「隔たり」がある。
「われわれがなにかを感じる世界と、考えたり名づけたりする世界はべつであり、この両者を対応させることはできるが、両者の隔たりを埋めることはできない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.112」岩波文庫 二〇一三年)
もともと人間は呆れるほど怠惰に出来ていて、何かを思考し始める前には生きるために必要最低限の力を流動させているばかりだ。なるべく「風習・制度」に合わせて安全に生きていけるよう徹底的に経済的に出来ていると言うこともできる。そこで「風習・制度」というものは一体なんなのか。ニーチェはいう。
「風習とはしかし行為と評価の《慣習的な》方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理もまったくない。そして生活が慣習によって規定されることが少なければ少ないだけ、それだけ一層倫理の範囲は小さくなる。自由な人間はあらゆる点で自分に依存し、慣習に依存しないことを《望む》から、非倫理的である。人類のすべての原始的な状態にあっては、『悪い』ということは、『個人的』、『自由な』、『勝手な』、『慣れていない』、『予測がつかない』、『測りがたい』というほどのことを意味している。そのような状態の尺度でいつも測られるので、ある行為が、慣習が命令するからでは《なくて》、別な動機(たとえば個人的な利益のために)、それどころか、かつてその慣習を基礎づけていたまさにその動機自身からなされるときですら、その行為は非倫理的と呼ばれ、その行為をする者からさえそう感じられる。なぜなら、その行為は慣習に対する服従から行なわれたのではないからである。慣習とは何か?それは、われわれにとって《利益になるもの》を命令するからではなくて、《命令する》という理由のためにわれわれが服従する、高度の権威のことである」(ニーチェ「曙光・九・P.25」ちくま学芸文庫 一九九三年)
「風習・習慣」に従っている限り、どこまでも怠惰でいることができる。人間とは本来的にそういう動物なのだ。自分自身の身の廻りに何か甚大な影響を及ぼす事柄が差し迫ってこない限り積極的に「思考する」ということをまるで<しない>動物。ドゥルーズはそのような状態にある人間の態度を指して「受動的総合という至福」と呼んでいる。
「快感とは、〔おのれのイマージュで〕満たすひとつの観照によってもたらされる感動であり、この観照それ自身のうちに、弛緩《と》縮約の事例が縮約されているのである。受動的総合という至福が存在するのだ」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第二章・P.209」河出文庫 二〇〇七年)
ところが昨今の日本で起きた身近な例を取り上げるとすれば「東日本大震災」に伴って生じた「福島原発事故」の時のように、通例なら夏休みの宿題一つした覚えのない人々まで思考し動いたではなかったか。「何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」。ドゥルーズがいうのはそういうことだ。
「思考するということはひとつの能力の自然的な〔生まれつきの〕働きであること、この能力は良き本性〔自然〕と良き意志をもっていること、こうしたことは、《事実においては》理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりはむしろ、何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第三章・P.354」河出文庫 二〇〇七年)
従ってこうある。
「世界のなかには、思考せよと強制する何ものかが存在する。この何ものかは、基本的な《出会い》の対象であって、再認の対象ではない。ーーー出会いの対象は、所与ではなく、所与がそれによって与えられる当のものである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.372~373」河出文庫 二〇〇七年)
そこでプルーストは、思考するきっかけがどのように与えられたかを語っている。次の演目でラ・ベルマが「フェードル」ではなく新作を演じたその瞬間。
「おまけにこの役は、フェードルの役と並んで、いつの日かラ・ベルマの名演リストに入るだろう。この役がそれ自体であらゆる文学的価値を備えているからというわけではない。ラ・ベルマのこの役の演技が『フェードル』を演じたときと同じほど絶品だったからである。そこで私は、作家の原作といえどもこの悲劇女優にとっては演技の傑作を創造するための素材にすぎず、それ自体はほとんどどうでもいい存在だということを理解した」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.114」岩波文庫 二〇一三年)
<私>はラシーヌあるいはラシーヌの別の作品、またまったく別の作者の作品についても、「絶品だ」とか「駄作に過ぎない」とか、そういう観点に立った来歴や評論など微塵も論じていない。プルーストは「フェードル」に関して「ラ・ベルマ、ラ・ベルマ、ラ・ベルマ」と連発して書き込んでおり、逆に作者ラシーヌについては高い尊敬の念を示してはいながら、その一方でほとんど何一つ語っていないに等しい。とともにシナリオあるいはストーリーを構成する言語について「それ自体はほとんどどうでもいい存在だ」と述べる。「心もとない存在」だといもいえる。
「ニーチェにとって問題は、善と悪がそれじたい何であるかではなく、自身を指示するため《アガトス》、他者を指示するため《デイロス》と言うとき、だれが指示されているか、というよりはむしろ、《だれが語っているのか》、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説(ディスクール)を《する》者、より深い意味において、言葉(パロール)を《保持する》者のなかにおいてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いにたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーーー語の意味ではなく、その謎めいた心もとない存在だ、と述べることによって答え、みずからの答えを繰り返すことを止めようとはしない。ーーーマラルメは、言説(ディスクール)がそれ自体で綴られていくような<書物>の純粋な儀式のなかに、執行者としてしかもはや姿を見せようとは望まぬほど、おのれ固有の言語(ランガージュ)から自分自身をたえず抹殺しつづけたのである」(フーコー「言葉と物・第九章・P.324~325」新潮社 一九七四年)
かといって言語を世界から消去することなど決してできない。原作不在では無意味に帰してしまう。言語は必要なのだ。それも「パルマコン」=「医薬/毒薬」として。その証拠として上げるのが「偉大な画家エルスチール」が目指し習得してもいた方法。こうある。
「私がバルベックで知り合った偉大な画家エルスチールが、一枚の画ではなんの変哲もない校舎を、もう一枚ではそれ自体が傑作である大聖堂をモチーフに選びながら、優劣のつけがたい二点の画に仕上げるのと軌を一にする」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.114~115」岩波文庫 二〇一三年)
このようなケースは<或る価値体系>を持つ画家が<別の価値体系>を持つ画家とが同じ題材を描いた作品の場合に顕著に見られることがある。例えばミレー「種まく人」と、ミレー「種まく人」を描いたゴッホ「種まく人」。前者では<或る価値体系>が、後者では<別の価値体系>が絵画となって出現している。またゴッホ「ひまわり」とシーレ「ひまわり」など類例には事欠かない。
これは技術(テクニック)に関する議論ではまるでない。観念論的な意味での議論でもないし唯物論的な意味でも全然ない。芸術が技術(テクニック)論や観念論/唯物論などの枠組みの中で語れるものならもうとっくの昔に語っているだろう。例えばプラトン的な意味でならすでに出てきている。
「ラ・ベルマの声は、どんな隅々までも繊細なしなやかさを備え、まるで偉大なヴァイオリン奏者の楽器のようだ。人がそんなヴァイオリン奏者について美しい音をもっていると言うとき、褒めたたえようとしているのは物理的特性ではなく、卓越した魂なのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.108」岩波文庫 二〇一三年)
というふうに「真・善・美」としての「ラ・ベルマの声」=「卓越した魂」という等式ができ上がる。だからといってこの等式を絶対のものとして全人類に「要請・強制」することはできない。カントはいう。
「趣味判断において要請されるところのものは、概念を介しない適意に関して与えられる《普遍的賛成》にほかならない、従ってまた或る種の判断ーーー換言すれば、同時にすべての人に妥当すると見なされ得るような美学的判断の《可能》にほかならない、ということである。趣味判断そのものはすべての人の同意を《要請》するわけにいかない(このことをなし得るのは、理由を挙示し得る論理的ー全称的判断だけだからである)、ただこの同意を趣味判断の規則に従う事例としてすべての人に《要求》するだけである、そしてこのような事例に関しては、判断の確証を概念に求めるのではなくて、他のすべての人達の賛同に期待するのである。それだから普遍的賛成は一個の理念にほかならない」(カント「判断力批判・上・第一部・第一篇・第一章・P.93~94」岩波文庫 一九六四年)
<理念>の多数による<賛同>を待つばかりでしかない。なんと心細い話ではないだろうか。かといって、軍事力に依存する。これまた何と輪をかけて愚かな話ではないだろうか。<貨幣>が<貨幣>であるのは現在<貨幣>として使われているというだけでなく今後もほぼ間違いなく<貨幣>として使われていくに<違いない>と見越されているからである。実際、金属と交換されるより紙幣で間に合う場合がほとんどであり、紙幣もまた順次、電子化されているにもかかわらず何一つ不自由なく世界中を飛び回っていて、電子化された記号操作一つで、キャッシュレスで、まるで問題ない状態ではなかろうか。逆に金属と交換できるから、という理由は法的規定が多数の<賛同>によって支えられた<理念>に過ぎないようになっていく一方であり、金属との交換の側こそ今や本当だろうかと一度は鑑定されなくてはならないのが実状なのでは?
貨幣でいえば「円・ドル・ユーロ・元」などが多く用いられている。ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」に置き換えて述べると「円ゲーム・ドルゲーム・ユーロゲーム・元ゲーム」などと変換可能だ。
「次のようなことはどうだろう。第二節の例にあった『石板!』という叫びは文章なのだろうか、それとも単語なのだろうか。ーーー単語であるとするなら、それはわれわれの日常言語の中で同じように発音される語と同じ意味をもっているのではない。なぜなら、第二節ではそれはまさに叫び声なのであるから。しかし、文章であるとしても、それはわれわれの言語における『石版!』という省略文ではない。ーーー最初の問いに関するかぎり、『石板!』は単語だとも言えるし、また文章だとも言える。おそらく『くずれた文章』というのがあたっている(ひとがくずれた修辞的誇張について語るように)。しかも、それはわれわれの<省略>文ですらある。ーーーだが、それは『石板をもってこい!』という文章を短縮した形にすぎないのであって、このような文章は第二節の例の中にはないのである。ーーーしかし、逆に、『石板をもってこい!』という文章が『石版!』という文の《ひきのばし》であると言っては、なぜいけないのだろうか。ーーーそれは、『石板!』と叫ぶひとが、実は『石板をもってこい!』ということをいみしているからだ。ーーーそれでは、『石板!』と《言い》ながら《そのようなこと》〔『石版をもってこい!』ということ〕《をいみしている》というのは、いったいどういうことなのか。心の中では短縮されていない文章を自分に言いきかせているということなのか。それに、なぜわたくしは、誰かが『石板!』という叫びでいみしていたことを言いあらわすのに、当の表現を別の表現へ翻訳しなくてはいけないのか。また、双方が同じことを意味しているとするなら、ーーーなぜわたくしは『かれが<石版!>と言っているなら<石板!>ということをいみしているのだ』と言ってはいけないのか。あるいはまた、あなたが『石板をもってこい』といいうことをいみすることができるのなら、なぜあなたは『石板!』ということをいみすることができてはいけないのだろうか。ーーーでも、『石板!』と叫ぶときには、《かれがわたくしに石板をもってくる》ことをわたくしは欲しているのだ。ーーーたしかにその通り。しかし、<そうしたことを欲する>ということは、自分の言う文章とはちがう文章を何らかの形で考えている、ということなのだろうか。
ーーーしかし、いま、あるひとが『石板 を もってこい!』と言うとすると、いまや、このひとは、この表現を、《一つの》長い単語、すなわち『石板!』という一語に対応する長い単語によって、いみしえたかのようにみえる。ーーーすると、ひとは、この表現を、あるときには一語で、またあるときは四語でいみすることができるのか。通常、ひとはこうした表現をどのように考えているのか。ーーー思うに、われわれは、たとえば『石板 を 《渡して》 くれ』『石板 を 《かれ》 の ところ へ もって いけ』『石板 を 《二枚》 もって こい』等々、別の文章との対比において、つまり、われわれの命令語をちがったしかたで結合させている文章との対比において、右の表現を用いるときに、これを《四》語から成る一つの文章だと考える、と言いたいくなるのではあるまいか。ーーーしかし、一つの文章を他の文章との対比において用いるということは、どういうことなのか。その際、何かそうした別の文章が念頭に浮んでくるということなのか。では、それらすべてが念頭に浮かぶのか。その一つの文章をいっている《あいだに》そうなるのか、それともその前にか、あるいは後にか。ーーーどれもちがう!たとえそのような説明にわれわれがいくばくかの魅力を感ずるとしても、実際に何が起っているのかをちょっと考えてみさえすれば、そのような説明が誤っていることが見てとれる。われわれは、自分たちが右のような命令文を他の文章との対比において用いるのは、《自分たちの言語》がそのような他の文章の可能性を含んでいるからだ、と言う。われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人は、誰かが『石板をもってこい!』という命令を下すのをたびたび聞いたとしても、この音声系列全体が一語であって、自分の言語では何か『建材』といった語に相当するらしい、と考えるかもしれない。そのとき、かれ自身がこの命令を下したとすると、かれはそれをたぶん違ったふうに発音するだろうし、また、われわれは、あの人の発音は変だ、あれが一語だと思っている、などと言うであろう。ーーーしかし、このことゆえに、かれがこの命令を発するときには、何かまた別のことがかれの心の中で起っているのではないか、ーーーかれがその文章を《一つの》単語として把握していることに対応する何かが。ーーーこれと似たこと、あるいはまた何かちがったことが、かれの心の中で起っているのかもしれない。では、きみがそのような命令を下すとき、きみの心の中では何が起っているのか。それを発音している《あいだに》、これが四語から成っていることが意識されているのだろうか。もちろん、きみはこの言語ーーーその中には、すでに述べたような別の文章も含まれているーーーに《熟達》しているのだが、しかし、この熟達ということが、その文章を発音しているあいだに《起こっている》ことなのだろうか。ーーーむろんわたくしは、別様に把握した文章を外国人がおそらく別様に発音するであろうこと、を認めている。しかし、われわれが誤った把握と呼ぶものは、《必ずしも》、命令の発音に付随した〔それとは別の〕何ごとかのうちに生ずるわけではない。
ーーー文章が『省略形』であるのは、それを発音するときに、何かわれわれの考えていることが除外されるからではなくて、それがーーーわれわれの文法の一定の範例に比べてーーー短縮されているからである。ーーーここでひとは、もちろん、『おまえは、短縮された文章と短縮されていない文章とが、同じ意義をもっていることを認めているではないか。それなら、それらはどのような意義をもっているのか。いったい、そうした意義に対して、一つの言語表現がないのか』といった異議がありえよう。ーーーしかし、文章の同じ意義とは、それらの同じ《適用》にあるのではないか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・十九・二〇」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.26~29』大修館書店 一九七六年)
この文章で述べられているように「同じ《適用》」可能な言語圏に属する人々の集合をまとめて「言語ゲーム」という。このような条件を満たす範囲に従ってそれぞれ「円ゲーム・ドルゲーム・ユーロゲーム・元ゲーム」などが出現できるわけであって、金属と交換できるから<貨幣>なのだとは必ずしも限らず、むしろ<流通する>から、<流通すればするほど>、それこそ《が》<貨幣>に《なる》のだ。マルクスの時代はなるほどまだまだ金属との交換が世界中で幅を利かせていたためマルクス「資本論」では金属との交換可能性が重視されてはいる。その意味でマルクスは自分が発見したことを自分自身ですべて理解していたわけではないと言える。ところが今のネット社会だと金属との交換は認められていてもかつてほど重視されることはもはやない。世界的金融恐慌安定剤としての「円」がもはやその位置を加速的に失いつつあるように、世界的金融恐慌安定剤としての「円」は重視されていない。精神医学の分野で古典的統合失調症安定剤としての「クロルプロマジン」が現代的統合失調症安定剤「オランザピン」へと置き換えられているように、古典的統合失調症安定剤としての「クロルプロマジン」は統合失調症安定剤としての位置を加速的に失いつつある。むしろクロルプロマジンは他剤との合剤「ベゲタミン(商品名)」として薬物乱用のための遊びに使われたりしている。
ニーチェのいう「風習・習慣」、ウィトゲンシュタインのいう「《適用》」、マルクスのいう「流通」。そしてまた生きており活動中の人間の身体にとって「血液」が「血液」であるのは化学式として固定されているからではまるでなく逆に化学式としては同じでも固定されることなく常に体内を「流動・循環」しているからこそ「血液」なのだ。これらは紛れもなくどれも同じことを別々の立場から言っているという事情。東大入試などという馬鹿げた次元の問題には決して出ないほど身近な「常識」として押さえておこう。といっても東大入試を揶揄しているわけではまったくなく、入試に出ないがゆえに義務教育過程の始めからあらかじめ外されており、外されているがゆえにいつも発生する社会性の欠如を憂慮する立場からいうのである。
実際、つい昨日の報道で、日本の一部銀行が始めた「トラック=銀行窓口」という移動型ATMの出現を見た。車=シニフィアン(意味するもの・銀行窓口)/シニフィエ(意味されるもの・銀行業務)ということができる。そこではすぐさま金と交換されるわけにはいかないが逆に紙幣との交換なら幾らでも可能だ。ATM機能だとわざわざどこかの金鉱から金を掘り出しにいかなくてもその場ですぐさま換金可能ではないだろうか。移動は「車」で行われる。そこで思い出した。
「君たちはこうしたものが思想だと知ってはいるが、しかし君たちの思想は君たちの体験ではなくて、他の人々の体験の反響なのである。一台の車が通りすぎるとき、君たちの部屋が震動するようなものだ。だが私はその車のなかに坐っているのであり、そしてしばしば私はその車自身なのである」(ニーチェ「生成の無垢・上・一〇六九・P.555」ちくま学芸文庫 一九九四年)
さてこれからプルーストがじわじわ描いていく<暴露>過程は、ゲルマント夫人の神話化の延長の果てということもできるし、もっと延長されればされるほど今度は逆に脱神話化(解体)の領域へ入っていくことがある、という逆説にほかならない。
BGM1
BGM2
BGM3
少なくとも、というより、<私>をかつてのラ・ベルマに集中的に熱狂させたものはその「技術だけ」に過ぎなかったのかもしれない、と疑うことさえできる地点まで下落していた。逆に数年前は本当のラ・ベルマの実力を知らなかったがゆえにその「技術だけ」が<私>を熱狂させ技術的魅力の中へのみ巻き込んでいたのかもしれず、今度こそ本当の実力に出会えることになるのかもしれない。しかし今度はどちらでもない。<私>が成長したとかラ・ベルマの演技力が衰えたとか、そんなことは実はどちらでもなく、そもそも根本的次元からしてそういう話では全然ないのだ、ということがわかってくる。そこでプルーストは書いているのだが、今度のラ・ベルマ演じる「フェードル」は、<私>にとって「第二の作品」として出現したからである。そういういきさつになった理由として、「演劇の天才という抽象的で間違った先入観と関係づけようとしなかっただけ」のことで、始めて見る前に「大きな期待をいだきすぎたからだと思い至った」。
「ただ今回は、その印象を、演劇の天才という抽象的で間違った先入観と関係づけようとしなかっただけで、それゆえ演劇の天才とはほかでもないこれだと悟ることができたのである。いまや私は、はじめてラ・ベルマを聴いていたときに歓びを感じなかったのは、かつてシャンゼリゼでジルベルトに再会したときと同じで、出かけるときに大きな期待をいだきすぎたからだと思い至った」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.110」岩波文庫 二〇一三年)
ではなぜ同じ演目「フェードル」であるにもかかわらず今度はまるで違った「作品」として浮上したのか。「演劇の天才という抽象的で間違った先入観」を排除し、失われた期待感を持ったまま「頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに」見てしまったからである。プルーストのいう「間違った先入観」を<排除するために必要なこと>は、ニーチェのいう「忘却」に等しい。エルスチールが画家として持っていた貴重な感性の一つもまた「忘却の力」というべきものだった。重要なのは<身体>なのだ。
「ほかでもないエルスチールの努力は、ものごとを頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに提示するところにあった。画家はこのような遠近法の法則のいくつかを明るみに出したが、それが当時はるかに衝撃的なことだったのは、芸術がそれをはじめてあらわにしたからである。川の場合には途中の流れが曲がりくねっているせいで、湾の場合には両側の断崖がごく近くに迫っているせいで、平原や山地のなかに四方八方どこにも出口のない湖がうがたれたように見える。灼熱の夏の日にバルベックで描かれた画では、海の奥まった箇所がバラ色の花崗岩の岩壁にとり囲まれているため、そこはまだ海ではなく、海はもっと先から始まるように見える。それでも大海原がつづいていると感じられるのは、そこに何羽ものカモメが飛んでいるからで、見たところ岩としか思えないうえを旋回しているが、じつはそうでなく、潮の湿り気を胸の奥まで吸いこんでいるのだ。この同じ画からは、ほかにもいくつか遠近法の法則をひき出すことができた。たとえば、巨大な断崖の下の青い鏡のような海面にいくつも浮かぶ白い帆はチョウが眠っているように見え、それがガリヴァーの小人の世界のように可愛いとか、深い影と蒼白い光のコントラストが認められるとかである。写真のせいで陳腐となったこのような影のたゆたいも、エルスチールがとくに関心を抱いたもので、かつて蜃気楼というほかない光景を好んで描いたことがあった。そのなかで塔を備えた城館は、てっぺんに延びる塔と下方に延びる逆さの塔の効果で完全な円環をなす城館のように見えるが、それは晴天の異例に澄みきった大気が水に映る影にまで石の堅さと輝きを付与したからか、それとも朝霞が石のほうを影と同じにかすませたからであろう。同じように、海のむこうに並ぶ木立の背後にはもうひとつべつの海が広がり、夕陽にバラ色に染まっているが、じつはそれは空であった。射しこんできた光は、まるで新しい固体の束をつくりだしたかのように、影のなかの船体よりも奥にひっこんだもうひとつの船体に当たってそれを際立たせ、物質的には平らだが朝の海の光の加減で粉々になった表面に、クリスタルの階段のようなまだら模様をつけている。街なかの橋の下をぬって流れる川にしても、特別な視点から描かれているために、完全にとぎれとぎれになり、こちらでは湖のように広がっていたかと思うと、あちらでは糸のように細くなり、またべつの箇所では、街の人たちが夕涼みにやってくる丘が割って入るために途切れたように見える。この混乱した街のリズム全体を保証しているのは、いくつかの鐘楼の辿るびくともしない垂直の線だけである。それらの鐘楼は上にそびえ立つというより、むしろおのれの下に、凱旋行進で拍子をきざむ糸に吊るした重りのように、押しつぶされてずたずたになった川に沿って、靄のなかに折り重なっていっそう判然としない家並の総体を釣り下げているようだった。また、断崖のうえや山のなかで、自然のなかの半ば人間のものというべき道が、川や大海原の場合と同じように眺望の具合で途切れることがあった。山の稜線や滝のしぶきや海などが、道をずっと辿ることを妨げ、歩む人には見えている道が私たちには見えなくなるのだ」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.424~427」岩波文庫 二〇一二年)
プルーストは「われわれがなにかを感じる世界と、考えたり名づけたりする世界はべつであ」るという。両者のあいだには「埋めること」が不可能な「隔たり」がある。
「われわれがなにかを感じる世界と、考えたり名づけたりする世界はべつであり、この両者を対応させることはできるが、両者の隔たりを埋めることはできない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.112」岩波文庫 二〇一三年)
もともと人間は呆れるほど怠惰に出来ていて、何かを思考し始める前には生きるために必要最低限の力を流動させているばかりだ。なるべく「風習・制度」に合わせて安全に生きていけるよう徹底的に経済的に出来ていると言うこともできる。そこで「風習・制度」というものは一体なんなのか。ニーチェはいう。
「風習とはしかし行為と評価の《慣習的な》方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理もまったくない。そして生活が慣習によって規定されることが少なければ少ないだけ、それだけ一層倫理の範囲は小さくなる。自由な人間はあらゆる点で自分に依存し、慣習に依存しないことを《望む》から、非倫理的である。人類のすべての原始的な状態にあっては、『悪い』ということは、『個人的』、『自由な』、『勝手な』、『慣れていない』、『予測がつかない』、『測りがたい』というほどのことを意味している。そのような状態の尺度でいつも測られるので、ある行為が、慣習が命令するからでは《なくて》、別な動機(たとえば個人的な利益のために)、それどころか、かつてその慣習を基礎づけていたまさにその動機自身からなされるときですら、その行為は非倫理的と呼ばれ、その行為をする者からさえそう感じられる。なぜなら、その行為は慣習に対する服従から行なわれたのではないからである。慣習とは何か?それは、われわれにとって《利益になるもの》を命令するからではなくて、《命令する》という理由のためにわれわれが服従する、高度の権威のことである」(ニーチェ「曙光・九・P.25」ちくま学芸文庫 一九九三年)
「風習・習慣」に従っている限り、どこまでも怠惰でいることができる。人間とは本来的にそういう動物なのだ。自分自身の身の廻りに何か甚大な影響を及ぼす事柄が差し迫ってこない限り積極的に「思考する」ということをまるで<しない>動物。ドゥルーズはそのような状態にある人間の態度を指して「受動的総合という至福」と呼んでいる。
「快感とは、〔おのれのイマージュで〕満たすひとつの観照によってもたらされる感動であり、この観照それ自身のうちに、弛緩《と》縮約の事例が縮約されているのである。受動的総合という至福が存在するのだ」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第二章・P.209」河出文庫 二〇〇七年)
ところが昨今の日本で起きた身近な例を取り上げるとすれば「東日本大震災」に伴って生じた「福島原発事故」の時のように、通例なら夏休みの宿題一つした覚えのない人々まで思考し動いたではなかったか。「何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」。ドゥルーズがいうのはそういうことだ。
「思考するということはひとつの能力の自然的な〔生まれつきの〕働きであること、この能力は良き本性〔自然〕と良き意志をもっていること、こうしたことは、《事実においては》理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりはむしろ、何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第三章・P.354」河出文庫 二〇〇七年)
従ってこうある。
「世界のなかには、思考せよと強制する何ものかが存在する。この何ものかは、基本的な《出会い》の対象であって、再認の対象ではない。ーーー出会いの対象は、所与ではなく、所与がそれによって与えられる当のものである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.372~373」河出文庫 二〇〇七年)
そこでプルーストは、思考するきっかけがどのように与えられたかを語っている。次の演目でラ・ベルマが「フェードル」ではなく新作を演じたその瞬間。
「おまけにこの役は、フェードルの役と並んで、いつの日かラ・ベルマの名演リストに入るだろう。この役がそれ自体であらゆる文学的価値を備えているからというわけではない。ラ・ベルマのこの役の演技が『フェードル』を演じたときと同じほど絶品だったからである。そこで私は、作家の原作といえどもこの悲劇女優にとっては演技の傑作を創造するための素材にすぎず、それ自体はほとんどどうでもいい存在だということを理解した」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.114」岩波文庫 二〇一三年)
<私>はラシーヌあるいはラシーヌの別の作品、またまったく別の作者の作品についても、「絶品だ」とか「駄作に過ぎない」とか、そういう観点に立った来歴や評論など微塵も論じていない。プルーストは「フェードル」に関して「ラ・ベルマ、ラ・ベルマ、ラ・ベルマ」と連発して書き込んでおり、逆に作者ラシーヌについては高い尊敬の念を示してはいながら、その一方でほとんど何一つ語っていないに等しい。とともにシナリオあるいはストーリーを構成する言語について「それ自体はほとんどどうでもいい存在だ」と述べる。「心もとない存在」だといもいえる。
「ニーチェにとって問題は、善と悪がそれじたい何であるかではなく、自身を指示するため《アガトス》、他者を指示するため《デイロス》と言うとき、だれが指示されているか、というよりはむしろ、《だれが語っているのか》、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説(ディスクール)を《する》者、より深い意味において、言葉(パロール)を《保持する》者のなかにおいてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いにたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーーー語の意味ではなく、その謎めいた心もとない存在だ、と述べることによって答え、みずからの答えを繰り返すことを止めようとはしない。ーーーマラルメは、言説(ディスクール)がそれ自体で綴られていくような<書物>の純粋な儀式のなかに、執行者としてしかもはや姿を見せようとは望まぬほど、おのれ固有の言語(ランガージュ)から自分自身をたえず抹殺しつづけたのである」(フーコー「言葉と物・第九章・P.324~325」新潮社 一九七四年)
かといって言語を世界から消去することなど決してできない。原作不在では無意味に帰してしまう。言語は必要なのだ。それも「パルマコン」=「医薬/毒薬」として。その証拠として上げるのが「偉大な画家エルスチール」が目指し習得してもいた方法。こうある。
「私がバルベックで知り合った偉大な画家エルスチールが、一枚の画ではなんの変哲もない校舎を、もう一枚ではそれ自体が傑作である大聖堂をモチーフに選びながら、優劣のつけがたい二点の画に仕上げるのと軌を一にする」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.114~115」岩波文庫 二〇一三年)
このようなケースは<或る価値体系>を持つ画家が<別の価値体系>を持つ画家とが同じ題材を描いた作品の場合に顕著に見られることがある。例えばミレー「種まく人」と、ミレー「種まく人」を描いたゴッホ「種まく人」。前者では<或る価値体系>が、後者では<別の価値体系>が絵画となって出現している。またゴッホ「ひまわり」とシーレ「ひまわり」など類例には事欠かない。
これは技術(テクニック)に関する議論ではまるでない。観念論的な意味での議論でもないし唯物論的な意味でも全然ない。芸術が技術(テクニック)論や観念論/唯物論などの枠組みの中で語れるものならもうとっくの昔に語っているだろう。例えばプラトン的な意味でならすでに出てきている。
「ラ・ベルマの声は、どんな隅々までも繊細なしなやかさを備え、まるで偉大なヴァイオリン奏者の楽器のようだ。人がそんなヴァイオリン奏者について美しい音をもっていると言うとき、褒めたたえようとしているのは物理的特性ではなく、卓越した魂なのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.108」岩波文庫 二〇一三年)
というふうに「真・善・美」としての「ラ・ベルマの声」=「卓越した魂」という等式ができ上がる。だからといってこの等式を絶対のものとして全人類に「要請・強制」することはできない。カントはいう。
「趣味判断において要請されるところのものは、概念を介しない適意に関して与えられる《普遍的賛成》にほかならない、従ってまた或る種の判断ーーー換言すれば、同時にすべての人に妥当すると見なされ得るような美学的判断の《可能》にほかならない、ということである。趣味判断そのものはすべての人の同意を《要請》するわけにいかない(このことをなし得るのは、理由を挙示し得る論理的ー全称的判断だけだからである)、ただこの同意を趣味判断の規則に従う事例としてすべての人に《要求》するだけである、そしてこのような事例に関しては、判断の確証を概念に求めるのではなくて、他のすべての人達の賛同に期待するのである。それだから普遍的賛成は一個の理念にほかならない」(カント「判断力批判・上・第一部・第一篇・第一章・P.93~94」岩波文庫 一九六四年)
<理念>の多数による<賛同>を待つばかりでしかない。なんと心細い話ではないだろうか。かといって、軍事力に依存する。これまた何と輪をかけて愚かな話ではないだろうか。<貨幣>が<貨幣>であるのは現在<貨幣>として使われているというだけでなく今後もほぼ間違いなく<貨幣>として使われていくに<違いない>と見越されているからである。実際、金属と交換されるより紙幣で間に合う場合がほとんどであり、紙幣もまた順次、電子化されているにもかかわらず何一つ不自由なく世界中を飛び回っていて、電子化された記号操作一つで、キャッシュレスで、まるで問題ない状態ではなかろうか。逆に金属と交換できるから、という理由は法的規定が多数の<賛同>によって支えられた<理念>に過ぎないようになっていく一方であり、金属との交換の側こそ今や本当だろうかと一度は鑑定されなくてはならないのが実状なのでは?
貨幣でいえば「円・ドル・ユーロ・元」などが多く用いられている。ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」に置き換えて述べると「円ゲーム・ドルゲーム・ユーロゲーム・元ゲーム」などと変換可能だ。
「次のようなことはどうだろう。第二節の例にあった『石板!』という叫びは文章なのだろうか、それとも単語なのだろうか。ーーー単語であるとするなら、それはわれわれの日常言語の中で同じように発音される語と同じ意味をもっているのではない。なぜなら、第二節ではそれはまさに叫び声なのであるから。しかし、文章であるとしても、それはわれわれの言語における『石版!』という省略文ではない。ーーー最初の問いに関するかぎり、『石板!』は単語だとも言えるし、また文章だとも言える。おそらく『くずれた文章』というのがあたっている(ひとがくずれた修辞的誇張について語るように)。しかも、それはわれわれの<省略>文ですらある。ーーーだが、それは『石板をもってこい!』という文章を短縮した形にすぎないのであって、このような文章は第二節の例の中にはないのである。ーーーしかし、逆に、『石板をもってこい!』という文章が『石版!』という文の《ひきのばし》であると言っては、なぜいけないのだろうか。ーーーそれは、『石板!』と叫ぶひとが、実は『石板をもってこい!』ということをいみしているからだ。ーーーそれでは、『石板!』と《言い》ながら《そのようなこと》〔『石版をもってこい!』ということ〕《をいみしている》というのは、いったいどういうことなのか。心の中では短縮されていない文章を自分に言いきかせているということなのか。それに、なぜわたくしは、誰かが『石板!』という叫びでいみしていたことを言いあらわすのに、当の表現を別の表現へ翻訳しなくてはいけないのか。また、双方が同じことを意味しているとするなら、ーーーなぜわたくしは『かれが<石版!>と言っているなら<石板!>ということをいみしているのだ』と言ってはいけないのか。あるいはまた、あなたが『石板をもってこい』といいうことをいみすることができるのなら、なぜあなたは『石板!』ということをいみすることができてはいけないのだろうか。ーーーでも、『石板!』と叫ぶときには、《かれがわたくしに石板をもってくる》ことをわたくしは欲しているのだ。ーーーたしかにその通り。しかし、<そうしたことを欲する>ということは、自分の言う文章とはちがう文章を何らかの形で考えている、ということなのだろうか。
ーーーしかし、いま、あるひとが『石板 を もってこい!』と言うとすると、いまや、このひとは、この表現を、《一つの》長い単語、すなわち『石板!』という一語に対応する長い単語によって、いみしえたかのようにみえる。ーーーすると、ひとは、この表現を、あるときには一語で、またあるときは四語でいみすることができるのか。通常、ひとはこうした表現をどのように考えているのか。ーーー思うに、われわれは、たとえば『石板 を 《渡して》 くれ』『石板 を 《かれ》 の ところ へ もって いけ』『石板 を 《二枚》 もって こい』等々、別の文章との対比において、つまり、われわれの命令語をちがったしかたで結合させている文章との対比において、右の表現を用いるときに、これを《四》語から成る一つの文章だと考える、と言いたいくなるのではあるまいか。ーーーしかし、一つの文章を他の文章との対比において用いるということは、どういうことなのか。その際、何かそうした別の文章が念頭に浮んでくるということなのか。では、それらすべてが念頭に浮かぶのか。その一つの文章をいっている《あいだに》そうなるのか、それともその前にか、あるいは後にか。ーーーどれもちがう!たとえそのような説明にわれわれがいくばくかの魅力を感ずるとしても、実際に何が起っているのかをちょっと考えてみさえすれば、そのような説明が誤っていることが見てとれる。われわれは、自分たちが右のような命令文を他の文章との対比において用いるのは、《自分たちの言語》がそのような他の文章の可能性を含んでいるからだ、と言う。われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人は、誰かが『石板をもってこい!』という命令を下すのをたびたび聞いたとしても、この音声系列全体が一語であって、自分の言語では何か『建材』といった語に相当するらしい、と考えるかもしれない。そのとき、かれ自身がこの命令を下したとすると、かれはそれをたぶん違ったふうに発音するだろうし、また、われわれは、あの人の発音は変だ、あれが一語だと思っている、などと言うであろう。ーーーしかし、このことゆえに、かれがこの命令を発するときには、何かまた別のことがかれの心の中で起っているのではないか、ーーーかれがその文章を《一つの》単語として把握していることに対応する何かが。ーーーこれと似たこと、あるいはまた何かちがったことが、かれの心の中で起っているのかもしれない。では、きみがそのような命令を下すとき、きみの心の中では何が起っているのか。それを発音している《あいだに》、これが四語から成っていることが意識されているのだろうか。もちろん、きみはこの言語ーーーその中には、すでに述べたような別の文章も含まれているーーーに《熟達》しているのだが、しかし、この熟達ということが、その文章を発音しているあいだに《起こっている》ことなのだろうか。ーーーむろんわたくしは、別様に把握した文章を外国人がおそらく別様に発音するであろうこと、を認めている。しかし、われわれが誤った把握と呼ぶものは、《必ずしも》、命令の発音に付随した〔それとは別の〕何ごとかのうちに生ずるわけではない。
ーーー文章が『省略形』であるのは、それを発音するときに、何かわれわれの考えていることが除外されるからではなくて、それがーーーわれわれの文法の一定の範例に比べてーーー短縮されているからである。ーーーここでひとは、もちろん、『おまえは、短縮された文章と短縮されていない文章とが、同じ意義をもっていることを認めているではないか。それなら、それらはどのような意義をもっているのか。いったい、そうした意義に対して、一つの言語表現がないのか』といった異議がありえよう。ーーーしかし、文章の同じ意義とは、それらの同じ《適用》にあるのではないか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・十九・二〇」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.26~29』大修館書店 一九七六年)
この文章で述べられているように「同じ《適用》」可能な言語圏に属する人々の集合をまとめて「言語ゲーム」という。このような条件を満たす範囲に従ってそれぞれ「円ゲーム・ドルゲーム・ユーロゲーム・元ゲーム」などが出現できるわけであって、金属と交換できるから<貨幣>なのだとは必ずしも限らず、むしろ<流通する>から、<流通すればするほど>、それこそ《が》<貨幣>に《なる》のだ。マルクスの時代はなるほどまだまだ金属との交換が世界中で幅を利かせていたためマルクス「資本論」では金属との交換可能性が重視されてはいる。その意味でマルクスは自分が発見したことを自分自身ですべて理解していたわけではないと言える。ところが今のネット社会だと金属との交換は認められていてもかつてほど重視されることはもはやない。世界的金融恐慌安定剤としての「円」がもはやその位置を加速的に失いつつあるように、世界的金融恐慌安定剤としての「円」は重視されていない。精神医学の分野で古典的統合失調症安定剤としての「クロルプロマジン」が現代的統合失調症安定剤「オランザピン」へと置き換えられているように、古典的統合失調症安定剤としての「クロルプロマジン」は統合失調症安定剤としての位置を加速的に失いつつある。むしろクロルプロマジンは他剤との合剤「ベゲタミン(商品名)」として薬物乱用のための遊びに使われたりしている。
ニーチェのいう「風習・習慣」、ウィトゲンシュタインのいう「《適用》」、マルクスのいう「流通」。そしてまた生きており活動中の人間の身体にとって「血液」が「血液」であるのは化学式として固定されているからではまるでなく逆に化学式としては同じでも固定されることなく常に体内を「流動・循環」しているからこそ「血液」なのだ。これらは紛れもなくどれも同じことを別々の立場から言っているという事情。東大入試などという馬鹿げた次元の問題には決して出ないほど身近な「常識」として押さえておこう。といっても東大入試を揶揄しているわけではまったくなく、入試に出ないがゆえに義務教育過程の始めからあらかじめ外されており、外されているがゆえにいつも発生する社会性の欠如を憂慮する立場からいうのである。
実際、つい昨日の報道で、日本の一部銀行が始めた「トラック=銀行窓口」という移動型ATMの出現を見た。車=シニフィアン(意味するもの・銀行窓口)/シニフィエ(意味されるもの・銀行業務)ということができる。そこではすぐさま金と交換されるわけにはいかないが逆に紙幣との交換なら幾らでも可能だ。ATM機能だとわざわざどこかの金鉱から金を掘り出しにいかなくてもその場ですぐさま換金可能ではないだろうか。移動は「車」で行われる。そこで思い出した。
「君たちはこうしたものが思想だと知ってはいるが、しかし君たちの思想は君たちの体験ではなくて、他の人々の体験の反響なのである。一台の車が通りすぎるとき、君たちの部屋が震動するようなものだ。だが私はその車のなかに坐っているのであり、そしてしばしば私はその車自身なのである」(ニーチェ「生成の無垢・上・一〇六九・P.555」ちくま学芸文庫 一九九四年)
さてこれからプルーストがじわじわ描いていく<暴露>過程は、ゲルマント夫人の神話化の延長の果てということもできるし、もっと延長されればされるほど今度は逆に脱神話化(解体)の領域へ入っていくことがある、という逆説にほかならない。
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