白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・複合的相続としての「サン=ルーの語彙や話しかた」

2022年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム
サン=ルー(ロベール)はゲルマント公爵夫人の甥であると同時にドンシエール駐屯地の軍人(下士官)でもある。上流貴族階級であるにもかかわらずニーチェとプルードンを愛読する社会主義者を自任する知識人であり、そのため他の学生たちと一緒だと言葉遣いや<身振り>に珍妙で異質な部分がたびたび出現する。以前引いた。例えばこんなふうに。

「本人が貴族だったからこそ、身なりのよくない思い上がった若い学生たちとの交際を求めたこのような精神活動のうちに、社会主義への憧れのうちに、そんな学生たちには欠けているほんとうに純粋で無私なところが存在したのである。無知で利己的な階級(カースト)の後継者を自認していたサン=ルーは、貴族というおのが出自にを学生たちに赦してもらおうと大真面目に努力していたが、それとは裏腹に学生たちはむしろ貴族の出自に魅惑され、冷淡で無礼ともいえる態度を装いながらサン=ルーを追い求めた」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.217~218」岩波文庫 二〇一二年)

ニーチェのいう「良心の疚(やま)しさ」に過剰なほど取り憑かれている。従って次のような変貌を見せる。サン=ルーが見れば「赤面」せざるを得ないほどの失態を演じてしまった友人自身は自分の失態に気づかないけれども、その失態を見てしまったサン=ルーの側は、後で友人が自分の失態に気づいて「赤面」することを恐れるがゆえ、いかにも不自然な<身振り>を演じてしまう。とともに「自分があやまちを犯したかのごとくロベールのほうが赤面する」。

「頭のいい友人のだれかが社交上の失態を演じてみっともない羽目におちいるたびにサン=ルーは、自分のほうはそんなことを気にしなくても、友人のほうがそのみっともなさに気づいたら赤面するにちがいないと察し、相手の感情を傷つけるのではないかと怖れてぎこちなくなる。すると自分があやまちを犯したかのごとくロベールのほうが赤面する」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.219」岩波文庫 二〇一二年)

そんなサン=ルーに会いに<私>はドンシエールを訪れた。宿を探そうと思っていたところ、サン=ルーは「フランドル・ホテル」を推薦する。<私>の趣味に合わせて考えてくれたらしい。その時のサン=ルーの言葉遣いがこの箇所でもまたサン=ルーの性格を読者に伝えている。だがしかし、それだけのことでは到底済まされない。もっと桁外れに重要な問いが書き込まれている。

サン=ルーはいう。「あれならまずまず<歴史的な古い屋敷>に<なる>だろう」。プルーストにとってそんなことはどうでもいい。問題なのは「話しことばも、書きことばと同様、ときどきこのように語の意味を変え、表現を洗練させる必要を感じるものらしい」という言語自体の「整形外科」的変容である。「サン=ルーは、なにかにつけてこの<なる>という語を<ーーーのように見える>のかわりに使っていた」というサン=ルーの癖の述べているかのように見せかけて、その実プルーストは、文法<という>制度をしばしば解体してみせる。文法というものはあくまで在る一定の時代を画する「制度」に過ぎず、シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの・内容)との乖離があまりにも激しくなると、ある時点で切断されるとともにたちまち別の文法へ置き換えられるばかりか、実際に切断可能であり置き換えられもしてきた歴史的事実をさらりと<暴露>する。

「『そうじゃなくて、フランドル・ホテルにしたらどうだろう十八世紀のちょっとした古い館で、昔のタピスリーもいくつかあるんだ。あれならまずまず<歴史的な古い屋敷>に<なる>だろう』。サン=ルーは、なにかにつけてこの<なる>という語を<ーーーのように見える>のかわりに使っていた。話しことばも、書きことばと同様、ときどきこのように語の意味を変え、表現を洗練させる必要を感じるものらしい」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.154」岩波文庫 二〇一三年)

また次の箇所も重要だろう。

「ジャーナリストたちが自分で使っている『優雅な表現』がいかなる文学流派に由来するものかまでは承知していないのと同じで、サン=ルーの語彙や話しかたは、じつのところ三人の異なる審美家の模倣から成り立っていて、ひとりたりとも面識はないその三人のことばづかいが間接的にサン=ルーに教えこまれていたのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.154~155」岩波文庫 二〇一三年)

初歩的な言葉遣いというものはほとんど無意識的な学習という日常生活の中で身につくものだが、それは生まれ育ってきた過程で大きな影響を与えられた何人かの人物の<身振り・言語>が複合・合体した化合物に等しい。言語的文法的(制度的)相続という過程で生じている事態であって、その意味で重要なのは、相続した人間の思考方法もともに相続される点である。次のように。

「《良心の中味》。ーーーわれわれの良心の中味は、幼少時代のわれわれに、われわれのかつて尊敬しあるいは恐れた人びとが理由なく規則的に《要求》したものの一切である。したがってこの良心からあの義務の感情(「これを私はなさねばならない、これをやめねばならない」という)がひき起されたのであるが、しかしこの感情は、《なぜ》私はなさねばならぬのか?を問わない。ーーーしたがって、或ることが『ーーーだから』とか『なぜーーー』という理由づけや理由の詮索とともになされる場合にはすべて、人間は良心《なしに》行動するわけである。しかしだからこそまだ良心に反してではない。ーーーさまざまな権威に対する信仰が良心の源泉である。したがって良心は人間の胸中の神の声ではなく、人間の内部にいる何人かの人間の声である」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・五二・P.315~316」ちくま学芸文庫 一九九四年)

ところが<私>はフランドル・ホテル目当てにドンシエールへやって来たわけではなく、古い館の美術鑑賞が狙いでもないのでその部屋の装飾には興味が湧かない。それを察したサン=ルーは<私>の示したぎこちない「辛さ」を理解するのに「私のじっと見つめるまなざしで理解した」。

「しかしサン=ルーほどの芸術家ではない私にとって、すてきな住まいがもたらしてくれる歓びなど、うわべだけのほとんど無きに等しい要素で、きざしはじめた不安を鎮めてはくれない。この不安は、かつてコンブレーで母がお寝みを言いに来てくれなかったときにいだいた不安や、バルベックに着いた日に防虫剤の臭(にお)いのする天井の高い部屋で感じた不安と同じように辛いものだった。そのことをサン=ルーは、私のじっと見つめるまなざしで理解した」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.155」岩波文庫 二〇一三年)

この時の<私>の「まなざし」は口の動きで発語する言葉ではない。けれどもその「まなざし」の意味は確実にサン=ルーに伝わった。なぜなら「まなざし」が一時的に<言語>の役割を演じたのではなく、そもそも「まなざし」は<言語>だからである。というのはこうだ。

「それどころか世界は、われわれにとって、またもや『無限な』ものとなった、ーーー世界は《無限の解釈を内に含む》という可能性を、われわれとしては退けることができないというそのかぎりは」(ニーチェ「悦ばしき知識・第五書・三七四・P.442~443」ちくま学芸文庫 一九九三年)

今のネット社会でいうと、「報道」というものは、あたかもアルベルチーヌの無限の系列のように、いつもどこかで《無限の解釈》を伴いながら増殖しつつ発生することをやめることはもうまるでないに違いない。

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