白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・プルーストにおける制度化崩壊<異なる記憶からの借用>

2022年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム
ドンシエールの兵営にあるサン=ルーの部屋に移った<私>。朝早く窓から見える景色はのどかな田園風景だ。プルーストはその風景を「お隣の女性ともいうべき」と書き込む。霧がかっている。サン=ルーの部屋と同じ高台の丘陵地帯にあるためその丘は「未知の女」に見える。ところがそれが「習慣」になると、言い換えれば「制度化」されると、まだ霧に曇って視界不良であるにもかかわらずあたかもバルベックの田舎の風景を見ているのと同様手に取るように見える。もはや「未知の女」ではなく、懐かしさはあるものの「ただの女」でしかなくなる。とともにコンブレーで「マドレーヌ」だったものがドンシエールでは「ココア」に置き換えられている点に注目したい。

「霧氷の幕ごしに透けて見える丘は未知の女というべきか、はじめて私を見つめるこの女に、私の目は釘づけになった。ところがやがて兵営にやって来るのが習慣になってしまうと、丘がそこにあるという意識は、たとえ丘を見ていなくても、バルベックのホテルやパリのわが家など、不在の人や死んだ人のようにもはやそれが存在すると信じていなくても想いうかべられるものより、はるかに現実味を帯びる結果、その丘の形は、たとえそうとは気づかずとも、私がドンシエールで受けたきわめて些細な印象を背景につねに浮かびあがるようになり、まずは手はじめに、その朝、サン=ルーの従卒がこの快適な部屋でつくってくれたココアから私が受けたあたたかく心地よい印象を背景に浮かびあがった」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.173」岩波文庫 二〇一三年)

とはいえ「マドレーヌ」を観念連合の起源として位置づけるステレオタイプ(常套句)・ドグマ(独断)はもういい加減によそう。神話に過ぎないことをいつまでも偽り続けるのは詐欺に等しい。むしろ逆に観念連合が成り立つ条件はなぜなのかが問われねばならない。ウィトゲンシュタインから二箇所。

(1)「名ざすということは、一つの語と一つの対象との《奇妙な》結合であるように見える。ーーーかくして、哲学者が、名と名ざされるものとの関係《そのもの》を取り出そうとして、眼前のある対象を凝視しつつ、なんべんもある名をくり返し、あるいはまた『これ』という語をくり返すとき、ある奇妙な結合が実際に生じてくる」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・三八」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.46』大修館書店 一九七六年)

(2)「『ノートゥングには鋭い刃がある』という文章は、ノートゥングがすでに打ち砕かれている場合でも意義をもつ、とわれわれは言った。すると、そうなっているのは、この言語ゲームにおいては、一つの名が、その担い手を欠いている場合でも慣用されているからである。しかし、われわれは、名(すなわち、われわれが確かに『名』とも呼ぶであろうような記号)を伴った一つの言語ゲームを考え、その中では、名が担い手の存在している場合にだけ慣用され、したがって、直示の身振りを伴った直示的な代名詞によって《常に》置きかえられうる、というふうに考えることができよう」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・四四」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.50』大修館書店 一九七六年)

またしかしフロイトが述べたことはすべてまったくの神話かといえば、おそらく確実に、そして同時に、そうではないとも言われねばならない。プルーストが「失われた時を求めて」を執筆していた頃「ヒステリー患者」は特に上流階級の女性に多かった。貴婦人たちはただ単に子供を生産するための機械として機能すればそれでよかったわけで、女性たちの性的欲望は満足を得られることなく見捨てられ、<力=欲望>は社交界での情報収集装置としての機能へ置き換えられた。そのため上流階級社交界に属するヒステリー患者が多く研究する機会を得ることができたのは確かだろう。第二次世界大戦後、「ヒステリー」という用語は徐々に使用されなくなり今は「心身症」と呼ばれる。精神的症状が内的に身体の病気へ変換されて出現する。しかしプルーストがフロイトにヒントを得てそう書き込んだわけではなく、フロイト「夢判断」が出版された一九〇〇年当時、フロイトだけでなくプルーストの周囲にその種の症状を呈する上流階級の女性が多発していたためプルーストの記述がフロイトをはじめとする精神病理学者たちの記述と偶然にも奇妙な一致を示したのは事実だ。従って「マドレーヌ=コンブレー」、「ココア=ドンシエール」、として接続されたのも無理はない。しかしウィトゲンシュタインがいうように「ノートゥングがすでに打ち砕かれている場合でも」同一の言語ゲームの中では「『ノートゥングには鋭い刃がある』という文章はーーー意義をもつ」。なぜならそもそも<諸断片>でしかない無数の素材がばらばらに散在しており、それらがフロイト自身の欲望の<ストーリー>に従って立ちどころに再創造された<モザイク>こそフロイトのいう観念連合だからである。

「その部屋は、丘を眺めるための視覚の中心をなすように思われたのである(その丘を眺める以外のことをしたり、丘を散歩したりしようと考えるのは、そこに垂れこめる例の霧のために不可能だったからだ)。この霧は丘の形を湿らせたばかりか、ココアの味をはじめ当時の私がいただいた一連の想念のすべてに結びつき、たとえ霧のことなどまったく考えていなくても、当時の私のあらゆる想念を湿らせた。色褪せることのない純金の輝きが私のバルベックの印象と結びついたり、すぐそばに黒っぽい砂岩の外階段が存在することで私のコンブレーの印象がなにやら灰色濃淡画(グリザイユ)めいたものになったりしたのと軌をを一(いつ)にする」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.173~174」岩波文庫 二〇一三年)

だが<私>は二日経っただけでサン=ルーに紹介された恐ろしく古典的なホテルで宿泊することになる。古典的なホテルは「習慣・制度」として同一化されておらず、正面玄関に見えない文字ででかでかと「拒否」と書き込まれて見えるに違いないからである。恐怖の対象でしかなかった。

「ホテルでは否応なく悲しみを味わうことになるのは目に見えていた。その悲しみは、私が生まれてこのかた、すべての新しい部屋が、といういことはすべての部屋が、私のために発散する、いわば吸ってはいけない芳香だった。ふだん住んでいる部屋では、私はそこにいないも同然で、私の思考はべつのところにいて身がわりに『習慣』を部屋に送りこんでいるにすぎない。ところが新しい土地では、私ほど敏感ではないこの『習慣』という女中に身のまわりの世話をさせることができず、私ひとりが先に到着して『自我』をさまざまなものと接触させるほかないのだ」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.174~175」岩波文庫 二〇一三年)

しかし案に相違して居心地がいいのである。ポー「アッシャー家の崩壊」の舞台を思わせる十八世紀以来使われた痕跡のない<断片>ばかりで構成された「亡霊じみた」館。絢爛豪華だったに違いない禍々(まがまが)しい素材の数々。ゆえにその夜に見た夢は「ふだん私の眠りが利用する記憶とはまるで異なる記憶から借用してきたものとなった」。

「私はベッドに入った。ところが掛け布団やベッドの小円柱や小さな暖炉が存在するせいで、私の注意力はパリにいるときと違って格段に高まり、いつもの平凡な夢想の流れに身を任せることができない。さらに、そんな注意力の特殊な状態が眠りをつつみこみ、眠りに作用をおよぼし、眠りを想い出のあれこれと対等に結びつけるから、この最初の夜、私の夢に出てきたもろもろのイメージは、ふだん私の眠りが利用する記憶とはまるで異なる記憶から借用してきたものとなった」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.180」岩波文庫 二〇一三年)

人間が夢を見る時、その夢を構成する素材は比較的近い過去、その日の日中に見たものなら大抵なんでも利用されるとフロイトはいう。そしてそもそも夢には「助詞がない」。睡眠中の人間の脳内では社会的文法が崩壊しているか少なくとも弛緩している。そこで脳機能は「助詞抜き」でなおかつ記憶に新しい或る言葉や或る断片ばかりの素材を用いて夢を実現させて見せる。さらにニーチェはいう。

「われわれはみな夢の中ではこの未開人に等しい、粗雑な再認や誤った同一視が夢の中でわれわれの犯す粗雑な推理のもとである。それでわれわれは夢をありありと眼前に浮べてみると、こんなにも多くの愚かさを自分の中にかくしているのかというわけで、われながらおどろく。ーーー夢の表象の実在性を無条件に信じるということを前提にすると、あらゆる夢の表象の完全な明瞭さは、幻覚が異常にしばしばあって時には共同体全体・民族全体を同時に襲った昔の人類の諸状態を、われわれにふたたび思い出させる。したがって、眠りや夢の中でわれわれは昔の人間の課業をもう一度経験する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・十二・P.36」ちくま学芸文庫 一九九四年)

なお昨日発生した福島県地震について。滋賀県で揺れは感じられなかったけれども報道を見てふと思い出した。

「Xアルバム3表 1950年代後半〜1960年代前半」『フランシス・ベーコン(バリー・ジュール・コレクションによる)・P.60』(求龍堂 二〇二一年)

絵画である。顔の上半分が匿名化された絵画。いずれ述べたいとおもう。

BGM1

BGM2

BGM3