白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・<再創造>というエルスチールの方法

2022年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム
プルーストは「思春期」について「完全な固定化が生じる以前の時期」と規定している。この場合「固定化」されるのは人々の身振り(輪郭・表情・言葉遣い・抑揚・テンポなど)全般でありそれらすべての「制度化」を意味する。この時期を過ぎればもう人間の顔というものは気の毒なものでしかないという主旨のことを述べている。一概に共通するわけではないけれども、例えば女性なら、「人生の格闘で硬化した顔は永久に闘う者の顔になったり惚(ほう)けた顔に」、「ある顔はーーー夫の言いなりになる妻の不断の服従心によってーーー女の顔というより兵士の顔に」、「母親として毎日子供のために甘受してきた犠牲が彫り刻まれて使徒の顔に」、「長年にわたる試練と波乱をへて老練な船乗りの顔に」、というようにである。また性別を逆にすれば結果も逆になる。

しかしプルーストが提出している問いはそのようなステレオタイプの列挙ではなく、ステレオタイプを解体するために導入される「動因<としての>海」だ。そこでは「たえまない再創造」が行われている。プルーストは「失われた時」ではなく「失われた時を求めて」長々とさまよったのであって、「求めて」いるうちに、求めれば求めるほどかえって記憶の「たえまない再創造」に出くわすことになった。

「ところが思春期というものはそんな完全な固定化が生じる以前の時期で、それゆえに人は若い娘たちのそばにいると、たえず変化して不安定な対立にまきこまれるさまざまな形を目の当たりにして、若返る想いがするのだ。そんな対立は、海を前にした人が見つめる自然の基本要素のたえまない再創造を想わせる」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.562」岩波文庫 二〇一二年)

では「たえまない再創造」を可能にする条件とは何か。プルーストは自分でさっさと書いてしまっている。

「というのもわれわれが愛や嫉妬と思っているものは、連続して分割できない同じひとつの情念ではないからである。それは無数の継起する愛や、無数の相異なる嫉妬から成り立っており、そのひとつひとつは束の間のものでありながら、絶えまなく無数にあらわれるがゆえに連続してみるという印象を与え、単一のものと錯覚されるのだ」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.401」岩波文庫 二〇一一年)

ここで「単一のものと錯覚される」とあるが、どうしてそのような錯覚に陥るのか。ニーチェはいう。

「『統一』として意識されるにいたるすべてのものは、すでにおそろしく複合化している。私たちはつねに《統一の見せかけ》をもつにすぎない」(ニーチェ「権力への意志・下・四八九・P.33」ちくま学芸文庫 一九九三年)

ところで人々は、相手は誰でも構わないのだが、或る人に始めて出会った時の印象を覚えているだろうか。覚えているとすればどんなふうにだろうか。プルーストはこう述べる。

「恋の初めには、その終わりのときと同じで、われわれは恋の対象にのみ執着するのではなく、恋の発端となる愛したいという欲望は(恋の終わりではそれが残してくれる想い出が)、置き換え可能なさまざまな魅力ーーーときには単に自然や食い道楽や住まいの魅力ーーーを宿す地帯を心地よくさまよい、たがいに調和のとれたどの魅力のそばにあっても恋心は違和感を覚えない。そもそも娘たちを前にした私は、習慣のせいで無防備になるせいで無感動になる以前のこととて、娘たちを見る能力を備えていた。つまり、娘たちを前にするたびに心底から驚く能力を備えていたのである。そんなふうに驚く一因は、たしかに出会うたびに相手が新たな面を見せるところにある。しかしひとりひとりがいくら驚くほど多様でその顔や身体の輪郭がいくら豊かであっても、相手のそばを離れたとたん、ものを単純化するわれわれの恣意的な記憶のなかにそんな輪郭はごくわずかしか見出せなくなる」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.582」岩波文庫 二〇一二年)

記憶として最も印象深く残る部分対象だけが過剰な強度の備給を受けて刻印されるというわけだ。だから今は両者とも唯一無二の友人同士であっても最初に出会った時の印象はほとんどのケースで異なっているだろう。一方は他方をバレー・ボールの球だと記憶し、他方は一方をバスケット・ボールの球だと記憶し、そこへ第三者が滑り込んできて両方の球を足で蹴り上げ頭で向きを変えた瞬間、それら同じ球が今度はサッカー・ボールへ変化するようなものだ。もっとも、どの球にしてもア・プリオリにバレー・ボールだったりバスケット・ボールだったりサッカー・ボールだったりするわけではない。それらがどのような場面で適応されるかによってそれぞれの社会的位置が決定される。またルールという規定が入ってくるともっと複雑になり、野球ならデッド・ボールと呼ばれたりする。そして人間がどのボールよりも最も強烈に記憶しているのはほかでもないデッド・ボール(あるいは記録のかかった死球)だろうか。そうとも言えない。ミラー・ボールだったりゴルフ・ボールだったりサラダ・ボールだったりする。

そんなふうに記憶に残る印象が各人各様で様々異なるのは当然としても逆に世間一般では多少なりとも文字通り<一般的なもの>へ還元されてしまう。ニーチェは(1)で繊細な部分が消去され「形式化」される危険を指摘している。

(1)「私たちは推定上の、《出来事の絶対的流動》を見てとるに足るほど《繊細》ではない、言いかえれば、《持続するもの》は私たちの総括し平板化する粗雑な諸機関によって現存するにすぎず、そういったものは実は何ひとつとして現存しないのだ、と。樹木はあらゆる瞬間ごとに何か《新しいもの》である。〔樹木の〕《形式》といったものが私たちによって主張されるのは、私たちが最も微細な絶対的運動を知覚することができないからである」(ニーチェ「生成の無垢・下・七三・P.53~54」ちくま学芸文庫 一九九四年)

とはいえ、<一般的な形式>へ還元されず、特異的差異的な部分が特徴として記憶されるような場合、今度はその<特異的差異的な部分>がその人物を指し示す記号として刻印される。それは大変珍しい特徴に思えるのでその人物を指し示す記号として機能するばかりか、やがて<特異的差異的な部分>=<その人物>という等価性が発生し、次第に<その人物>の側へ浸透し尽くし、とうとう<その人物>は消え失せてしまう。記憶に残されるのは或る種の<特異的差異的な部分>のみだ。すると(2)のように、必要なのはもはや<特異的差異的な部分>だけであって、人物は二次的三次的なレベルへ下落する。

(2)「ローマ人やエトルリア人は、天空を、固定した数学的な線で以て切断し、このような具合に限界づけられた空間を神殿と見立てて、その中へ神を封じ込めたのだが、それと同じように、すべての民族は、このように数学的に分割された概念の天空を、自分の上にもっているのであって、今や真理の要求ということを、あらゆる概念の神は《その》領域のうちにのみ求められるものだというふうに、理解しているのである」(ニーチェ「哲学者に関する著作のための準備草案」『哲学者の書・P.356~357』ちくま学芸文庫 一九九四年)

こうしたアナロジー(類似・類推)に基づく記憶の暴力は、(3)でスピノザがいうように身体感覚・感受性として打刻され保存される。

(3)「もし精神がかつて同時に二つの感情に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つに刺激される場合、他の一つにも刺激されるであろう。ーーーもし人間身体がかつて同時に二つの物体から刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合、ただちに他の一つをも想起するであろう。ところが精神の表象は、外部の物体の本性よりも我々の身体の感情を《より》多く示している。ゆえにもし身体、したがってまた精神はかつて二つの感情に刺激されたとしたら、あとでその中の一つに刺激される場合他の一つにも刺激されるであろう」(スピノザ「エチカ・第三部・定理十四・P.183~184」岩波文庫 一九五一年)

そしてプルーストはこう述べる。

「われわれの記憶は、心を捉えたひとつの特徴のみを選んでそれだけをとり出して誇張し、背が高いと思えた女から途轍もなくのっぽの女の習作をつくりだし、バラ色とブロンドに見えた女から『バラ色と金色のハーモニー』をつくりだすが、実際にその女が改めてそばにあらわれると、忘れていた他のあらゆる美点がさきの記憶のなかの特徴と釣り合いをとろうとし、複雑に混じりあって押し寄せ、背の高さを縮めたりバラ色をぼかしたり、われわれがひたすら求めてきたものの代わりにべつのさまざまな特徴を据えつける。そのとき、そんな特徴が最初に注目したものであることは想い出すのに、それに再会することがあろうとはなぜ夢にも想わなかったのかは自分でも解せないのだ。記憶のなかにはクジャクがいて、それを出迎えているつもりだったのに、ボタンに出会うようなものである。こうした避けようのない驚きはこのひとつにはとどまらない。というのもそれと並ぶもうひとつの驚き、もはや様式化された想い出と現実との違いから生じる驚きではなく、この前に会った人と今日べつの角度から新たな面を見せてくれる人との違いから生じる驚きが存在するからである。人間の顔は、オリエントの神々の系譜をあらわす神の顔のように、ひとつの顔のさまざまな面に多くの顔が並置されているため、いちどきに全部を見ることができないのだ」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.582~583」岩波文庫 二〇一二年)

前半部分で書かれている現象がなぜ生じるかは(1)(2)(3)で述べた。とはいえ、プルーストは「いちどきに全部を見ることができない」と述べている。だからといって「いちどきに全部を見ることができなくてはならない」と言いたがっているわけではまるでない。逆である。実をいうとプルーストはこの箇所でもまた自分自身の作品制作方法について語っている。思い出そう。エルスチールのアトリエで<私>が見た風景画はどんな風景画だっただろうか。

「街なかの橋の下をぬって流れる川にしても、特別な視点から描かれているために、完全にとぎれとぎれになり、こちらでは湖のように広がっていたかと思うと、あちらでは糸のように細くなり、またべつの箇所では、街の人たちが夕涼みにやってくる丘が割って入るために途切れたように見える。この混乱した街のリズム全体を保証しているのは、いくつかの鐘楼の辿るびくともしない垂直の線だけである。それらの鐘楼は上にそびえ立つというより、むしろおのれの下に、凱旋行進で拍子をきざむ糸に吊るした重りのように、押しつぶされてずたずたになった川に沿って、靄のなかに折り重なっていっそう判然としない家並の総体を釣り下げているようだった。また、断崖のうえや山のなかで、自然のなかの半ば人間のものというべき道が、川や大海原の場合と同じように眺望の具合で途切れることがあった。山の稜線や滝のしぶきや海などが、道をずっと辿ることを妨げ、歩む人には見えている道が私たちには見えなくなるのだ」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.426~427」岩波文庫 二〇一二年)

ここでもプルーストが言っているのは、「完全にとぎれとぎれ」、「押しつぶされてずたずた」、「折り重なっていっそう判然としない」、「見えている道が私たちには見えなくなる」、というありふれた事実であり、それがそのまま夢や記憶にも妥当するという錯覚のようで錯覚でない遠近法的現実以外の何ものでもない。

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