白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・バルベックの大海原と共振する<私>の身体

2022年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム
季節は変わる。バルベックの滞在客はすうっと波が引くように日常生活へ戻っていき出した。だが支配人はいつも同じ態度を取っていなくてはならない。「個人的に立派な身なりをすること」を忘れない。すると「活気のないシーズンにホテルに感じられる窮乏を一時的なものに見せようと」することはできる。実際にそう振る舞う支配人の姿は「君主の亡霊かと思われた」にせよ、グランドホテルが「自分の宮殿だった」ことに変わりはない。一年中「活気」があるようなリゾート地というものが世界にどれくらいあるのかわからないけれども、支配人の「立派な身なり」は遥か何百年前かはわからないが、ともかく、そこにあったかもしれない「宮殿」の「君主」としての風格の相続人を表象するものでなければならなかった。そして支配人が相続したのは「君主」ではないものの少なくとも「君主の亡霊」ではある。

「支配人は、凍えるように寒くて戸口にもはやひとりのボーイも立っていないサロンがつづく廊下を大股に行ったり来たりしていたが、新調のフロックコートを着込み、その生気のない顔をまるで地顔の一にたいして化粧を三の割合で混ぜたように見えるほど入念に床屋に手入れをさせ、ネクタイもしょっちゅう替えていた(こんなおしゃれも暖房をつけたり従業員を残したりするのに比べると安あがりで、慈善事業に一万フランを送ることはもはやできなくても、電報を届けてくれる配達人に百スーのチップをやって、まだ楽々と気前のよさを見せることができるのと似ている)。そんな支配人のすがたは、まるで何もないところを巡回しているように感じられ、個人的に立派な身なりをすることで、この活気のないシーズンにホテルに感じられる窮乏を一時的なものに見せようとしているふうでもあり、かつては自分の宮殿だった廃墟に出没する君主の亡霊かと思われた」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.650~651」岩波文庫 二〇一二年)

次のようにいうこともできる。

「はじめてわれわれを見る知らない人の眼には、われわれが自分自身でそうであると考えているものとは全く違って見えることを、われわれはあまりにも忘れやすい。印象を決めるのはたいてい目につく個々の物以上の何物でもない。そこで全く柔和で公正な人が単に大きな鼻髭をたくわえているだけなら、彼はいわばその蔭に、しかも安らかに座っていることができる。ーーー普通の人の眼は、彼を大きな鼻髭の《付属物》と見る。つまり、軍隊的な、怒りっぽい、事情によっては乱暴な性格と見る。ーーーそしてこれに応じて彼の前で振舞うのである」(ニーチェ「曙光・三八一・P.339~340」ちくま学芸文庫 一九九三年)

一方、<私>はバルベック滞在について大いに不満がある。娘たちの一団との遭遇がもたらした無数の可能性に関しもはや何らの保障も持ち得ない平々凡々たる身分の一青年に過ぎなくなったからだ。もっと吸収すべきものがあるに違いない、是非再びバルベックを訪れない限りこの欲望は加速的に増殖していくばかりだ。「滞在があまりにも短すぎた気がした」と<私>は思う。「友人たちからの封書に書かれるべき宛名は」コンブレーであってはならず「バルベック」でなければならない。そして「その名を見ると、窓の外は野原や街路ではなく大海原であること、眠る前にまるで小舟のようにわが睡眠を委ねる潮騒を私は夜の眠りに落ちたのちも聞いていることが想起され」る。さらに<私>はバルベックで経験した「大海原と一体になる」。海と身体との相互浸透。「知らず知らずのうちに海の魅力がどういうものであるかは私の肉体のなかに浸透しているにちがいない」と書かれているが、この場合、必ずしも脳が記憶するというより、「私の肉体」が「海」へ、また「海」が「私の肉体」へ、どれくらいの割合で浸透し合ったのか<位置決定不可能>な状態でありながら、しかし不可分なものとして合体したといえる。

「要するに私にはバルベックから得たものがほとんどなかったのであり、それゆえまたバルベックに戻って来たいという欲望がいっそう募ることになった。滞在があまりにも短すぎた気がしたのである。それは私の友人たちの意見ではなかったらしく、そのままずっと住みつくつもりなのかと訊ねてきた。その友人たちからの封書に書かれるべき宛名はバルベックであり、その名を見ると、窓の外は野原や街路ではなく大海原であること、眠る前にまるで小舟のようにわが睡眠を委ねる潮騒を私は夜の眠りに落ちたのちも聞いていることが想起され、これほどまで大海原と一体になると、睡眠中にも復唱している学課のように、知らず知らずのうちに海の魅力がどういうものであるかは私の肉体のなかに浸透しているにちがいないと想いこんだ」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.653~654」岩波文庫 二〇一二年)

また最初はずいぶん馴染みにくかった部屋。しかし秋になり陽の光の移動もすっかり馴染んだものになって記憶されている。そしてそれを思い出す想像力は<時間を凝縮させる>想像力である。「私はふたたびベッドに横になってじっと動かず、朝の時間が勧めてくれる遊びや水浴や散歩の楽しみをすべて一時(いちどき)に想像力だけで味わう」というふうに。この想像力が喚起する作用についてプルーストは「その歓びに激しく高鳴る私の心臓」は「じっとその場で盛んに回転することでしか勢いを発散できない機械とそっくりだった」と述べる。浜辺に行かなくても「じっとその場で盛んに回転すること」ができる「機械」と等価のものとして両者を取り扱っている。断片的記憶を加工する想像力はその場にいながらにして「盛んに回転する-機械」だというわけだ。かつての現在と今の現在とを凝縮して出現させるすることができる。なるほどマシンのように思える。

「さらに窓の反対側の一部だけ光の当たった窓には黄金色の円筒がなんの支えもなしに垂直に置かれ、それがゆっくり横に移動するさまは、砂漠でヘブライ人たちを先導した光の柱を想わせた。私はふたたびベッドに横になってじっと動かず、朝の時間が勧めてくれる遊びや水浴や散歩の楽しみをすべて一時(いちどき)に想像力だけで味わうほかなく、その歓びに激しく高鳴る私の心臓は、じっとその場で盛んに回転することでしか勢いを発散できない機械とそっくりだった」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.655」岩波文庫 二〇一二年)

リゾート地はそれぞれその年その年の寿命を持つ。この夏のバルベックは終わった。もっとも、<私>にとっては今後の始まりだが。フランソワーズが「むき出しになった夏の日」を部屋の中へ入れた時、それはまるで「太古の光」として何千年もの時間を飛び越えて死から醒まされたかのように出現したものだった。

「そしてフランソワーズが明かりとりの窓につけたピンをはずし、あてがった布をとりのぞき、カーテンを引くと、むき出しになった夏の日は死んでしまった太古の光のように思えて、まるで私たちの老女中が、数千年も前の贅を尽くしたミイラをつつむ布を注意ぶかくひとつずつはがし、金の衣のなかの馨しいすがたをあらわにしたかと思われた」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.657」岩波文庫 二〇一二年)

陽の光というものは、その加減次第で部屋も装飾も人物も飛び越せない時間を飛び越させ、現在と古代とを置き換えたり混合させて見せるのだ。或るモザイクがさらに何重にも多層化されてやまなくなるのである。

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