ヴェネツィアへの憧れを口にする<私>。カルパッチョやヴェロネーゼといった画家が活躍した時代(十五世紀後半〜十六世紀後半)のヴェネツィアの風景画が<私>の頭にはある。十九世紀末から二十世紀初頭にかけての風景とはまるで異なる部分が大いにありはするものの、エルスチールはカルパッチョの連作「聖女ウルスラ伝」を例に上げてその特色を述べる。その説明は<私>が始めてエルスチール家を訪れた時に聞かされたエルスチール自身の技法とほとんど違わない。その意味でエルスチールの言葉はカルパッチョの技法を語りつつ同時にプルーストの創作方法を語る構造を取っている。「祝宴も一部は海上で」。「仮設橋で岸につながれ」。「船はほとんど水陸両用かと思え」。「ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があり」。「どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で」。など、接続と切断、再接続、さらに海と陸との境界線について<位置決定不可能性>というテーマが盛り込まれている。境界線といっても海辺と砂浜のような境界線ではなく、あたかも日本の首都東京のような都市の中を縦横無尽に水路が張り巡らされ分岐し合流し、しばしば「仮設橋」が架けられて接続されるような極めて今日的なリゾーム状ネットワークを思い起こしてみよう。
「『なにしろその画家たちが制作をした町が町だけに、描かれた祝宴も一部は海上でくり広げられましたからね。ただし当時の帆船の美しさは、多くの場合、その重々しく複雑な造りにありました。こちらで見られるような水上槍競技もありましたが、ふつうはカルパッチョが<聖女ウルスラ伝>で描いたようになんらかの使節団の歓迎行事として開催されたものでした。どの船もどっしりと巨大な御殿を想わせる建造物で、深紅のサテンとペルシャの絨毯とにおおわれた仮設橋で岸につながれていて、船のうえでは婦人たちがサクランボ色のブロケード織りや緑色のダマスク織りの衣装を身にまとい、すぐそばの極彩色の大理石を嵌めこんだバルコニーから身を乗り出して眺めているべつの婦人たちが真珠やギピュールレースを縫いつけ白のスリットを入れた黒い袖のドレスを着ているときには、船はほとんど水陸両用かと思えて、ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があります。どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかないありさまです』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.544~545」岩波文庫 二〇一二年)
ちなみにエルスチールは「個人的には」という条件付きながら、カルパッチョやヴェロネーゼが活躍した時代より「現代のモード」の側が好みだという。なかでもヨットのシンプルさを上げる。というのも時代錯誤な大建造物のようではなく、巨大な艦船のようでもなく、何より海の色に映えるというところに美点があるという芸術思想の持主だからだ。またヨットに乗る婦人たちの衣装にもこだわりを見せる。日傘や帽子についても語るが、注目したいのは次の「軽くて白い無地の衣装」。どんな意味で受け取ればいいのだろうか。
「『優雅なのは、コットンやリネン、ローン、ペキンシルク、キャンバス地などの、軽くて白い無地の衣装で、そこに陽が当たると、紺碧の海を背景に白い帆と同様のまばゆい白になります』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.548~549」岩波文庫 二〇一二年)
エルスチールでなくても「そこに陽が当たると、紺碧の海を背景に白い帆と同様のまばゆい白になります」と言うことはできるし、他に質問してみても大半の芸術家はおそらくそう言うに違いない。しかし大切なのはエルスチールがその前に「コットンやリネン、ローン、ペキンシルク、キャンバス地など」と幾つかの素材を具体的に上げていることなのではと思う。ただ単に「白い」衣装というだけなら今やごまんとある。しかしネット通販の主流化にともない、さらに実際の店舗数の激減にともない、「コットンやリネン、ローン、ペキンシルク、キャンバス地など」の中から自分はどれを選べばよいのか、手に取ってみてみる機会がすっかり失われてしまい、<素材と人間との歴史的関係>についてさっぱりわからなくなってきたことと、素材に気を配るのは何か手間のかかる悪いことででもあるかのような風潮が蔓延しつつあること、さらに素材自体について知らない人間すら増殖してきたという人間感覚不在状態の日常化という問題を投げかけている。時間が取れないためネット通販はとても便利である。決して反対ではない。しかし意味不明な人間感覚不在状態の世界的大規模化にともない、その商品を受け取って、商品の側に人間の身体を合わせる方法が加速しているのは奇妙な話ではないかと思うのである。
エルスチールのいう「軽くて白い無地の衣装」の中には素材の多数性だけでなく微妙に異なる色彩の多様性という意味が含まれている。人間の場合もそうだ。ニーチェはいう。
「《愛と二元性》ーーーいったい愛とは、もうひとりの人がわれわれとは違った仕方で、また反対の仕方で生き、働き、感じていることを理解し、また、それを喜ぶこと以外の何であろうか?愛がこうした対立のあいだを喜びの感情によって架橋せんがためには、愛はこの対立を除去しても、また否定してもならない。ーーー自愛すらも、一個の人格のなかには、混じがたい二元性(あるいは多元性)を前提として含む」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・七五・P.67」ちくま学芸文庫 一九九四年)
なお、商品の側に人間の身体を合わせることへの疑問・批判として有名なものに、ホルクハイマー=アドルノが戦前(一九三六年)のベルリン五輪で華々しく宣伝された「マッチョ主義」を取り上げてこう述べた文章がある。
「彼らは身体を、動く機械、組み立てられた部品とみなし、肉体を、骸骨を包むクッションとみなす。彼らは身体やその部分を、すでに自分から切り離されているかのように取り扱う。ユダヤの故知は、人間を寸法で測ることへのためらいを教えている。なぜなら『死者はーーー棺桶に合せてーーー測られる』からだ。ところが、それこそ身体の操作者たちがよろこびとする事なのだ。彼らは、それと気づくことなく、棺桶作りの目つきで他人を測っている」(ホルクハイマー=アドルノ「啓蒙の弁証法・6・手記と草案・P.486」岩波文庫 二〇〇七年)
とはいえエンターテイメントや自己完結的美学、健康維持、筋肉フェチとしての「ボディビル」がいけないとはまったく思わない。そうではなく個人的な趣味嗜好とはまるで別のところで<国家の象徴>として行われる国旗掲揚・国家斉唱を伴う鋼鉄にも等しい<身体の誇示>がどれほど問題含みかと問うのである。そして例えばニーチェ「道徳の系譜」を見ると、そういうところにルサンチマン(劣等感・復讐欲望)に燃える暴力主義者は集まりたがる傾向があり、なおかつそのような傾向を狡猾に利用するのが国家であると徹底的に批判している。
さて今度はプルーストの文章がエルスチールの絵画について語る形式へ変わる。「レ・クルーニエ」の「断崖」を描いたもの。ただし「レ・クルーニエ」は架空の地名であり、モデルとしてはエトルタやトルーヴィルの海岸だろうと言われている(「エトルタの断崖」はモネの連作が有名。プルースト自身、かなり気に入っていたらしい)。次の箇所。
「なるほどそれはバラ色の巨大なアーチの連なりに見えた。とはいえ猛暑の日に描かれたからか、熱気のせいで岩壁は粉々になって蒸発したように感じられ、海の水も熱気に吸い取られたみたいにガス状に画面の端から端まで広がっている。光のせいで現実が破壊されるかと思えるこんな日には、現実はほの暗く透明な女体を想わせる生きものに凝集され、光とは対照的にその生きものがいっそう身近ななまなましい生命感を醸し出す。それがさまざまな影である。大部分の影はかんかん照りの沖をのがれ、冷気に飢えて陽の当たらない岩のすそに避難している。ほかの影たちも、イルカのように水上をゆっくり泳ぎながら遊覧中の小舟の脇にとりつき、淡い色の水面に艶(つや)のある青い肢体をうかべて舟体の幅を広げているように見える。ことによるとそんな影から伝わる冷気への渇望ゆえにこの日の熱気がきわめて強く感じられ、レ・クルーニエを知らないのはなんて残念でしょう、と私は大声を挙げたのかもしれない。アルベルチーヌとアンドレは、私もそこに何度も行ったはずだと請け合った。いずれにしても私は、そうとは知らず、いつの日かその光景にこれほどの美への渇望をそそられるとは想いも寄らずに出かけていたのであり、その美は私がこれまでバルベックの断崖で求めてきたほかでもない自然の美しさではなく、むしろ建築のような美しさだった。とりわけ私は、そもそも嵐の王国を見るためにやって来たのに、ヴィルパリジ夫人との散歩でもたいてい木々のあいだから遠くの絵のような海をかいま見るだけで、水をたたえる生命が大量の水を投げ出す現実の大海原はけっして見たことがなく、かりに不動の大海原を見るのなら冬の埋葬衣のような霧に覆われるすがたを見たいと考えていたから、今やこんな実在の重みも色彩も喪失して白っぽい蒸気にすぎなくなった海を夢みるとは想いも寄らなかった。しかしエルスチールは、暑さにぐったりしたような小舟に乗って夢みる人たちと同様にこの海の魔法のごとき魅惑をきわめて深く賞味した結果、感じとれないほどのかすかな引き潮とか幸せな一刻の鼓動とかまで画布の上に引き寄せて定着することができたのである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.552~553」岩波文庫 二〇一二年)
前半は読んで字の如く印象派の画風を単純に論じたに過ぎない。ところが半ばで「アルベルチーヌとアンドレは、私もそこに何度も行ったはずだと請け合った。いずれにしても私は、そうとは知らず、いつの日かその光景にこれほどの美への渇望をそそられるとは想いも寄らずに出かけていた」とある。<私>は何度か実際に足を運んで自分の目で見ていたにもかかわらず、それと気づかなかったという文章。そこで或る種の驚きと共感を込めて出会うのはほかでもない読者だ。
プルーストは何を言いたがっているのだろう。見ようによってはそう見えるということではない。プロとアマチュアの違いでもない。技術論とはまるで違う。技術論が問題だとすればアルベルチーヌやアンドレにわかったものが<私>にはわからないという分裂は発生しない。だから「プロかアマか」でもない。見方を変えるとか角度を変えるとかいった問題でもない。それなら何度か訪れたうちの一度くらいは<私>の記憶に残っていても何らおかしくないはずだからである。ところがエルスチールの絵画が<私>の眼前で演じた役割はまるで次元の違うものだと言わねばならない。社会的立場と社会的習慣とが無意識のうちに瞬時かつ強制的にもたらす「制度化」の作用が、見る人々の視界に映る光景を<一般的なもの>に組み立ててしまうため、他の立場に立っているエルスチールのようには決して見えないという事態が発生しているがゆえの必然なのだ。しかし絵画や音楽においては全然そうとは限らない。というか、<本当にそうか、こうでもあるのでないか?>という問いとして芸術は出現する。
<私>にはわからなかったけれども、しかし芸術家ではなく、ただ単なる娘たちの系列に属するに過ぎないアルベルチーヌやアンドレにはなぜわかったのか。アルベルチーヌやアンドレが新興ブルジョワ階級の娘たちだからだろうか。そんなことは理由にならない。今なお世界のあちこちで、巨大多国籍企業に属する多くの女性たちはわかったようでその実わかっていないことを平気で口にしている。だからプルーストは社交界のことを名指しで「虚無の王国」と言うほかなかったわけでもある。それを口真似している民衆はもっと酷いと言えるかもしれないが。では、何がどう違うのか。言い換えれば、なぜ音楽家や画家は、「そこだけを取り出す」、という作業に没頭するのか。美術館には「取り出された」部分だけがわざわざ輪郭を際立たせるかのように截然と切り取られて展示されているのか。断崖ならどこにでもあるし、どこの断崖を描いても絵画は絵画であろう。にもかかわらずエルスチールの描く断崖は<私>の感受性を瞬時に変化させた。<私>が何度か訪れて見ているのに見えていなかった<私>の知らない光景を<私>に教えた。なおアルベルチーヌやアンドレの場合、エルスチールのように見ることができたわけは「思春期」という特権的時期にバルベックを通過したからである。逆にいえば、毎年のようにバルベックの海辺を訪れていた時期と思春期とが重なったがゆえ娘たちの思春期の特権化が生じたと言える。ほとんどの場合、思春期にはしょっちゅう「風習・習慣」が外れてしまい「制度」から解き放たれることがある。特に当時のリゾート地ではそうだ。<私>も同年代の思春期に「娘たちの一団」と出会ったわけだが、しかし健康問題のため自由奔放に動き回る環境を奪われていたことと性的横断性が<ない>という精神的条件に取り憑かれていたことが後々まで大いに影響する。
見えているのにそれを言い表す語彙がない、あるいは聞こえているのにそれを言い表す適切な言葉が見当たらない、さらに或る地点での精神的振動が別の地点で共振するような場合、人間は何をするか。音楽や絵画、文学、映画などへ変換して伝達しようと欲望する。その編集作業に注目してみよう。するとそれは「接続、切断、別のものとの再接続、移動、置き換え」などを特徴とする点で、極めて「夢・記憶・差異」といった反復するものの回帰というテーマを急接近させずにおかない。
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「『なにしろその画家たちが制作をした町が町だけに、描かれた祝宴も一部は海上でくり広げられましたからね。ただし当時の帆船の美しさは、多くの場合、その重々しく複雑な造りにありました。こちらで見られるような水上槍競技もありましたが、ふつうはカルパッチョが<聖女ウルスラ伝>で描いたようになんらかの使節団の歓迎行事として開催されたものでした。どの船もどっしりと巨大な御殿を想わせる建造物で、深紅のサテンとペルシャの絨毯とにおおわれた仮設橋で岸につながれていて、船のうえでは婦人たちがサクランボ色のブロケード織りや緑色のダマスク織りの衣装を身にまとい、すぐそばの極彩色の大理石を嵌めこんだバルコニーから身を乗り出して眺めているべつの婦人たちが真珠やギピュールレースを縫いつけ白のスリットを入れた黒い袖のドレスを着ているときには、船はほとんど水陸両用かと思えて、ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があります。どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかないありさまです』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.544~545」岩波文庫 二〇一二年)
ちなみにエルスチールは「個人的には」という条件付きながら、カルパッチョやヴェロネーゼが活躍した時代より「現代のモード」の側が好みだという。なかでもヨットのシンプルさを上げる。というのも時代錯誤な大建造物のようではなく、巨大な艦船のようでもなく、何より海の色に映えるというところに美点があるという芸術思想の持主だからだ。またヨットに乗る婦人たちの衣装にもこだわりを見せる。日傘や帽子についても語るが、注目したいのは次の「軽くて白い無地の衣装」。どんな意味で受け取ればいいのだろうか。
「『優雅なのは、コットンやリネン、ローン、ペキンシルク、キャンバス地などの、軽くて白い無地の衣装で、そこに陽が当たると、紺碧の海を背景に白い帆と同様のまばゆい白になります』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.548~549」岩波文庫 二〇一二年)
エルスチールでなくても「そこに陽が当たると、紺碧の海を背景に白い帆と同様のまばゆい白になります」と言うことはできるし、他に質問してみても大半の芸術家はおそらくそう言うに違いない。しかし大切なのはエルスチールがその前に「コットンやリネン、ローン、ペキンシルク、キャンバス地など」と幾つかの素材を具体的に上げていることなのではと思う。ただ単に「白い」衣装というだけなら今やごまんとある。しかしネット通販の主流化にともない、さらに実際の店舗数の激減にともない、「コットンやリネン、ローン、ペキンシルク、キャンバス地など」の中から自分はどれを選べばよいのか、手に取ってみてみる機会がすっかり失われてしまい、<素材と人間との歴史的関係>についてさっぱりわからなくなってきたことと、素材に気を配るのは何か手間のかかる悪いことででもあるかのような風潮が蔓延しつつあること、さらに素材自体について知らない人間すら増殖してきたという人間感覚不在状態の日常化という問題を投げかけている。時間が取れないためネット通販はとても便利である。決して反対ではない。しかし意味不明な人間感覚不在状態の世界的大規模化にともない、その商品を受け取って、商品の側に人間の身体を合わせる方法が加速しているのは奇妙な話ではないかと思うのである。
エルスチールのいう「軽くて白い無地の衣装」の中には素材の多数性だけでなく微妙に異なる色彩の多様性という意味が含まれている。人間の場合もそうだ。ニーチェはいう。
「《愛と二元性》ーーーいったい愛とは、もうひとりの人がわれわれとは違った仕方で、また反対の仕方で生き、働き、感じていることを理解し、また、それを喜ぶこと以外の何であろうか?愛がこうした対立のあいだを喜びの感情によって架橋せんがためには、愛はこの対立を除去しても、また否定してもならない。ーーー自愛すらも、一個の人格のなかには、混じがたい二元性(あるいは多元性)を前提として含む」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・七五・P.67」ちくま学芸文庫 一九九四年)
なお、商品の側に人間の身体を合わせることへの疑問・批判として有名なものに、ホルクハイマー=アドルノが戦前(一九三六年)のベルリン五輪で華々しく宣伝された「マッチョ主義」を取り上げてこう述べた文章がある。
「彼らは身体を、動く機械、組み立てられた部品とみなし、肉体を、骸骨を包むクッションとみなす。彼らは身体やその部分を、すでに自分から切り離されているかのように取り扱う。ユダヤの故知は、人間を寸法で測ることへのためらいを教えている。なぜなら『死者はーーー棺桶に合せてーーー測られる』からだ。ところが、それこそ身体の操作者たちがよろこびとする事なのだ。彼らは、それと気づくことなく、棺桶作りの目つきで他人を測っている」(ホルクハイマー=アドルノ「啓蒙の弁証法・6・手記と草案・P.486」岩波文庫 二〇〇七年)
とはいえエンターテイメントや自己完結的美学、健康維持、筋肉フェチとしての「ボディビル」がいけないとはまったく思わない。そうではなく個人的な趣味嗜好とはまるで別のところで<国家の象徴>として行われる国旗掲揚・国家斉唱を伴う鋼鉄にも等しい<身体の誇示>がどれほど問題含みかと問うのである。そして例えばニーチェ「道徳の系譜」を見ると、そういうところにルサンチマン(劣等感・復讐欲望)に燃える暴力主義者は集まりたがる傾向があり、なおかつそのような傾向を狡猾に利用するのが国家であると徹底的に批判している。
さて今度はプルーストの文章がエルスチールの絵画について語る形式へ変わる。「レ・クルーニエ」の「断崖」を描いたもの。ただし「レ・クルーニエ」は架空の地名であり、モデルとしてはエトルタやトルーヴィルの海岸だろうと言われている(「エトルタの断崖」はモネの連作が有名。プルースト自身、かなり気に入っていたらしい)。次の箇所。
「なるほどそれはバラ色の巨大なアーチの連なりに見えた。とはいえ猛暑の日に描かれたからか、熱気のせいで岩壁は粉々になって蒸発したように感じられ、海の水も熱気に吸い取られたみたいにガス状に画面の端から端まで広がっている。光のせいで現実が破壊されるかと思えるこんな日には、現実はほの暗く透明な女体を想わせる生きものに凝集され、光とは対照的にその生きものがいっそう身近ななまなましい生命感を醸し出す。それがさまざまな影である。大部分の影はかんかん照りの沖をのがれ、冷気に飢えて陽の当たらない岩のすそに避難している。ほかの影たちも、イルカのように水上をゆっくり泳ぎながら遊覧中の小舟の脇にとりつき、淡い色の水面に艶(つや)のある青い肢体をうかべて舟体の幅を広げているように見える。ことによるとそんな影から伝わる冷気への渇望ゆえにこの日の熱気がきわめて強く感じられ、レ・クルーニエを知らないのはなんて残念でしょう、と私は大声を挙げたのかもしれない。アルベルチーヌとアンドレは、私もそこに何度も行ったはずだと請け合った。いずれにしても私は、そうとは知らず、いつの日かその光景にこれほどの美への渇望をそそられるとは想いも寄らずに出かけていたのであり、その美は私がこれまでバルベックの断崖で求めてきたほかでもない自然の美しさではなく、むしろ建築のような美しさだった。とりわけ私は、そもそも嵐の王国を見るためにやって来たのに、ヴィルパリジ夫人との散歩でもたいてい木々のあいだから遠くの絵のような海をかいま見るだけで、水をたたえる生命が大量の水を投げ出す現実の大海原はけっして見たことがなく、かりに不動の大海原を見るのなら冬の埋葬衣のような霧に覆われるすがたを見たいと考えていたから、今やこんな実在の重みも色彩も喪失して白っぽい蒸気にすぎなくなった海を夢みるとは想いも寄らなかった。しかしエルスチールは、暑さにぐったりしたような小舟に乗って夢みる人たちと同様にこの海の魔法のごとき魅惑をきわめて深く賞味した結果、感じとれないほどのかすかな引き潮とか幸せな一刻の鼓動とかまで画布の上に引き寄せて定着することができたのである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.552~553」岩波文庫 二〇一二年)
前半は読んで字の如く印象派の画風を単純に論じたに過ぎない。ところが半ばで「アルベルチーヌとアンドレは、私もそこに何度も行ったはずだと請け合った。いずれにしても私は、そうとは知らず、いつの日かその光景にこれほどの美への渇望をそそられるとは想いも寄らずに出かけていた」とある。<私>は何度か実際に足を運んで自分の目で見ていたにもかかわらず、それと気づかなかったという文章。そこで或る種の驚きと共感を込めて出会うのはほかでもない読者だ。
プルーストは何を言いたがっているのだろう。見ようによってはそう見えるということではない。プロとアマチュアの違いでもない。技術論とはまるで違う。技術論が問題だとすればアルベルチーヌやアンドレにわかったものが<私>にはわからないという分裂は発生しない。だから「プロかアマか」でもない。見方を変えるとか角度を変えるとかいった問題でもない。それなら何度か訪れたうちの一度くらいは<私>の記憶に残っていても何らおかしくないはずだからである。ところがエルスチールの絵画が<私>の眼前で演じた役割はまるで次元の違うものだと言わねばならない。社会的立場と社会的習慣とが無意識のうちに瞬時かつ強制的にもたらす「制度化」の作用が、見る人々の視界に映る光景を<一般的なもの>に組み立ててしまうため、他の立場に立っているエルスチールのようには決して見えないという事態が発生しているがゆえの必然なのだ。しかし絵画や音楽においては全然そうとは限らない。というか、<本当にそうか、こうでもあるのでないか?>という問いとして芸術は出現する。
<私>にはわからなかったけれども、しかし芸術家ではなく、ただ単なる娘たちの系列に属するに過ぎないアルベルチーヌやアンドレにはなぜわかったのか。アルベルチーヌやアンドレが新興ブルジョワ階級の娘たちだからだろうか。そんなことは理由にならない。今なお世界のあちこちで、巨大多国籍企業に属する多くの女性たちはわかったようでその実わかっていないことを平気で口にしている。だからプルーストは社交界のことを名指しで「虚無の王国」と言うほかなかったわけでもある。それを口真似している民衆はもっと酷いと言えるかもしれないが。では、何がどう違うのか。言い換えれば、なぜ音楽家や画家は、「そこだけを取り出す」、という作業に没頭するのか。美術館には「取り出された」部分だけがわざわざ輪郭を際立たせるかのように截然と切り取られて展示されているのか。断崖ならどこにでもあるし、どこの断崖を描いても絵画は絵画であろう。にもかかわらずエルスチールの描く断崖は<私>の感受性を瞬時に変化させた。<私>が何度か訪れて見ているのに見えていなかった<私>の知らない光景を<私>に教えた。なおアルベルチーヌやアンドレの場合、エルスチールのように見ることができたわけは「思春期」という特権的時期にバルベックを通過したからである。逆にいえば、毎年のようにバルベックの海辺を訪れていた時期と思春期とが重なったがゆえ娘たちの思春期の特権化が生じたと言える。ほとんどの場合、思春期にはしょっちゅう「風習・習慣」が外れてしまい「制度」から解き放たれることがある。特に当時のリゾート地ではそうだ。<私>も同年代の思春期に「娘たちの一団」と出会ったわけだが、しかし健康問題のため自由奔放に動き回る環境を奪われていたことと性的横断性が<ない>という精神的条件に取り憑かれていたことが後々まで大いに影響する。
見えているのにそれを言い表す語彙がない、あるいは聞こえているのにそれを言い表す適切な言葉が見当たらない、さらに或る地点での精神的振動が別の地点で共振するような場合、人間は何をするか。音楽や絵画、文学、映画などへ変換して伝達しようと欲望する。その編集作業に注目してみよう。するとそれは「接続、切断、別のものとの再接続、移動、置き換え」などを特徴とする点で、極めて「夢・記憶・差異」といった反復するものの回帰というテーマを急接近させずにおかない。
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