白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・ゲルマント夫人の<象形文字>化とテーマ<覗き見>の本格的始動

2022年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム
認識マシンの挫折。そういってしまえばそれだけで終わってしまいそうな箇所が続く。しかし、もしそうだとして、だから一体、挫折したのは誰か。差し当たり<私>だということはできる。だが、そういうときの<私>とは誰なのだろう。主題としては<覗き見>への意志とでも言いたい部分なのだが。<覗き見>するのは<私>。<覗き見>されるのは<ゲルマント夫人>。だが、ここではいきなり失敗したと報告する。誰に?読者に。

「私は、夫人が友人たちにつぎつぎと片手をゆだねながら投げかけた、青味をおびた輝きに包まれるにこやかなまなざしが秘密を宿しているのを痛感したが、その謎を解読することはできなかった。そのまなざしのプリズムを分解してそこに結晶しているものを分析することができたなら、そのときまなざしにあらわれた知られざる暮らしのエッセンスが明らかになったであろう」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.118」岩波文庫 二〇一三年)

「フェードル」上演の日から数日後だと思われる。<私>はゲルマント夫人をもっと知りたいという欲望に駆り立てられる。言い換えれば、<私>はゲルマント夫人をもっと知りたいという<欲望>である。とっかかりとして、<私>はフランソワーズが集めてきた情報をもとに夫人が散歩に出かける時間を特定することができた。かといってフランソワーズはスパイではないが。使用人同士の会話から該当箇所を収集してきただけのことだ。そこで<私>はゲルマント夫人を見るために夫人の散歩の時間に合わせて待ち伏せしていた。いかにも偶然出くわしたかのように装って。とはいえ、いかにも偶然出くわしたかのように装っていてもいなくても、毎日散歩に出かける時か散歩の途中に何度も繰り返し、<いかにも偶然出くわしたかのように>出くわしていると警戒されるのは当然のことで、ゲルマント夫人が不機嫌になってきているのに気づかないほどぼんやりした<私>ではない。そこで<私>はこの方法を放棄する。しかしそのあいだ、だんだん明らかになってきたことがある。「ゲルマント夫人の見せる顔はつぎからつぎへと異なる風貌を呈する」。アルベルチーヌの無限の系列と瓜二つなのだ、次の文章は。この時点でのゲルマント夫人は<私>にとってまだまだ<象形文字>でしかないというほかない。

「このようにゲルマント夫人の見せる顔はつぎからつぎへと異なる風貌を呈するが、夫人の装い全体のなかでその顔は、あるときは狭く、あるときは広くと、変化する相対的な広がりをもつにすぎず、私の恋心はそんな変幻きわまりない肌と生地の一部のあれこれに執着していたわけではない。そんな一部は日によってべつのものと入れ替わるうえ、夫人がそれに変更を加えたりほぼ完全にとり替えたりすることもあるが、だからといって私の恋心のときめきはなんら損なわれなかった。なぜなら私は、そのように一部が変化して新たな襟飾りや見たこともない頬があらわれても、それはやはりゲルマント夫人だと感じていたからである。私が愛していたのは、そんなすべてを躍動させている目に見えぬ人であり、その人の反感を買えば悲嘆に暮れ、その人が近づくと動転し、その人の暮らしをなんとか捉えてその友人たちを追い払いたいと考える、そんな対象なのだ。その人が頭に青い羽根を立てようと、火のように赤い顔色を見せようと、私にとってその人の行動がすこしでも重要性を減じることはないのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.138~138」岩波文庫 二〇一三年)

プルーストは前にこう述べていた。「なんらかの理由でその見知らぬ人に触発されて他の人なら想いも寄らぬ考えをいだく男ーーーたとえば狂人やスパイーーーだけである」と。

「見知らぬ人の前でそんなまなざしをするのは、なんらかの理由でその見知らぬ人に触発されて他の人なら想いも寄らぬ考えをいだく男ーーーたとえば狂人やスパイーーーだけである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.246」岩波文庫 二〇一二年)

シャルリュスのことだ。とすれば<私>はシャルリュスなのか。少なくとも<私>の目はシャルリュスだけではなく「狂人やスパイ」の目と置き換え可能になっているといって間違いない。そこでこの付近の主題は<監視>だったのかと読者は不意に我に帰ったかのように思う。しかし「狂人」は必ずしも「スパイ」でないし「スパイ」もまた必ずしも「狂人」だとは限らないように、「私」=「シャルリュス」=「狂人」=「スパイ」という等式はいつも必ず成り立つわけではまるでない。このようなケースはいつも瞬時に稲妻のように閃き、ほとんど誰一人気づかないうちにさっと消え失せてしまうのが常だ。

プルーストは話をフランソワーズに戻す。フランソワーズは<私>のことをよく知っている。言葉に出さなくてもよくわかってくれている理解者だ。例えば、「私が人生で屈辱を味わうたびに、フランソワーズの顔にはあらかじめご愁傷さまとでも言いたげな表情がうかぶのに気づいた」。とはいえ、ステレオタイプ(常套句)でいう「以心伝心」とは異なる次元で理解している理解者である。<私>の場合、「この時期には」次のように考えていた。「真実はことばをつうじて他人に伝わるものだ」と。また「私を愛していると言った人が私を愛していないことなどありえないと考えていた」。だからといって単純な「お人よし」というわけではない。なぜなら媒介項がニュースや雑誌あるいは新聞で活字化されている言語だったとしたらどうだろう。「たとえば郵便で依頼さえすれば、司祭なり紳士なりが、あらゆる病気に効く万能薬なり、こちらの収入を何倍にもする手立てなりを無料で送ってくれると書いてある新聞を見たフランソワーズが、そのことばに疑いを差し挟めないようなものである」。そういうことになりはしないだろうか。一方で或る言葉はただ単なる冗談であり、もう一方で別の言葉は冗談ではなく事実だと、人々はどこでどのような仕方で区別しているのだろうか。基準はあるのか。繰り返しになるがもはや絶対的基準はない。絶対的基準など失われてしまった後の世界である。そこでフランソワーズの場合、<私>の心の中を見るための参考書として用いるのは、一般的な言葉ではなく<身振り>である。なぜなら「当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ」。だから<私>に対するフランソワーズの理解は<私>が無意識のうちに演じてしまっている身体を読解した結果なのだ。そして「そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した」。

「フランソワーズに話を戻すと、私が人生で屈辱を味わうたびに、フランソワーズの顔にはあらかじめご愁傷さまとでも言いたげな表情がうかぶのに気づいた。召使いごときに同情されて腹を立てた私は、そうではなくて首尾は上々だったと言い張ろうとしたが、そんな嘘があえなく潰(つい)えるのは、フランソワーズがうやうやしく対応はするものの見るからに信用できないという顔をして自分の判断の無謬(むびゅう)を確信しているからである。フランソワーズは真実を知っていたのだ。しかしそれを口には出さず、おいしいものでまだ口がいっぱいのときにそうするように、ただ口をもごもごさせるだけだった。フランソワーズが真実を口に出さなかったと言ったのは、私が長いことそう信じていたからである。この時期の私は、真実はことばをつうじて他人に伝わるものだと、まだそう想いこんでいた。他人の発することばでさえ私の感じやすい精神に変わりようのない意味を伝えていたから、私を愛していると言った人が私を愛していないことなどありえないと考えていたのである。たとえば郵便で依頼さえすれば、司祭なり紳士なりが、あらゆる病気に効く万能薬なり、こちらの収入を何倍にもする手立てなりを無料で送ってくれると書いてある新聞を見たフランソワーズが、そのことばに疑いを差し挟めないようなものである(ところがそれとは正反対に、わが家のかかりつけの医者から鼻風邪に効くごく単純な軟膏をもらった場合は、どんなにひどい苦痛にも耐えるフランソワーズが、鼻をぐずぐずいわせて息をしなければならないのを嘆き、これでは『鼻がむしられて』どうしたらいいのかわからない、という始末である)。しかしフランソワーズがはじめて範を示して教えてくれたのは(私がそれを想い知るのはずっと後のことで、この書物の最後の数巻で見られるように、私にとってさらに大切な人物からずっと苦痛にみちた新たな範が示されるときである)、真実は公言されなくても顕在化することであり、ことばを待つまでもなく、ことばをなんら考慮しなくても、外にあらわれた無数の兆候から、いや、自然界における大気の変動に相当する人間の性格という領域における目には見えないある種の現象からでも、真実をもっと確実に入手できるかもしれないことである。これは私が自分で気づいてもよかったことかもしれない。なぜなら当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ(そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した)」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.143~144岩波文庫 二〇一三年)

一九八〇年代後半の日本では「身体言語」というフレーズが流行っていた。間違いなく現代思想の影響である。人間関係の場においてコミュニケーションするのに必ずしも言葉(発語)が必要だとは限らない。むしろ身体の動き、例えば「頬がほんのり赤くなる」とか「眉間に皺を寄せる」とか、「週末のお出かけの服装」とか、そういうふうに表層に出現する身体言語が重視された。八〇年代バブルの時期と重なる。

ところで身体言語が身体言語であるのはなぜか。身体の動作もまた語彙として使用できる限り身体言語は可能なのだ。そして一定程度の範囲内で社会的に定着している身体言語はもとより、その動きを<覗き見>する人々にとっても、身体言語が言語として流通するのはどうしてか。<身体は言語>だからである。

そうなってくると、同一人物であって通例は他愛ない単なる「おしゃべり」の次元の言葉とはまるで異なる言語活用法が求められることも時々ある。例えば大学キャンパス内での「統一教会講演会阻止闘争」のために使用する<身振り>主体のサインの確認など、シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの・内容)について、関係者一同のあいだで十分確認し合っておかなくてはならない。特に後者のような政治的リスクの高いシチュエーションではシニフィアン(意味するもの)もシニフィエ(意味されるもの・内容)も一つ間違えば重大な過失を招くおそれがある。しかしそのような時、信用されているのは或る人物の人格なのか、それともその人物が<身振り仕草>で演じるシニフィアン(意味するもの)なのか、両方とも同時になのか、考えれば考えるほどわからなくなってきたりする。従って普段ならあまり信用していない人物同士でも両者ともに手を組まなければならないような時、そんな時は普段の不審を忘れる必要がある。いつもは多少なりとも不信感を抱いている幾つかの些細な点などはすっかり忘却し去ってその人物の人格に賭けるほかない。いつもならキャンパス内ですれ違うたびにお互い「嫌なやつ」だと思い合っていても「阻止闘争」なら「阻止闘争」として結果的に一時的忘却を土台に据えてまるで始めて出会って恋愛関係を結び合った学生のように、両者とも信頼し合っていた初めの頃に戻らなくてはならない。「言葉にできない」ということを伝えるのにも「言葉にできない」という<身振り>を演じきらなければならない。この<忘却の身振り>もまた身体言語の一つである。

それを思うと今の学生たちは実に器用にスマートフォンを使いこなしているわけだが、では仮にスマートフォンを大いに活用するとして、学生生活を脅かす何かの事情に複数で対抗するような場合。画面上にCMが出るわけだが、重要な連絡が通信されている時に面白すぎるCMに見入ってしまい連絡事項を見逃してしまったりはしないのだろうか。あまりに面白すぎるCMの場合、逆に見入ってしまうことなどないと言えるだろうか。しかし<身振り>と<政治的サイン>とは違うのである。後者の場合、シニフィアンとシニフィエとの関係は原則的に一対一対応に決定してしまうので読解に迷うということはまずない。問題はむしろそうではない場合。

学生生活・社会人生活を脅かすわけではないような<身振り>が演じられる時、学生たちはもとより社会人一般、契約交渉中の営業部員などがコミュニケーションしている時、偶然にも話の内容がマニュアルにない想定外の方向へ次元を置き換えた場合、学生生活・社会人生活を脅かすような事態が生じた時、どうすればよいのか。「マニュアル通りにやりました」ではとてもではないが済まされそうにないケース。学校内での「いじめ・体罰問題」が<暴露>され、さらに「謝罪と説明だけ」では不十分であるとされ、想定通りに終わらせてしまうことが不可能な次元に立ち至ったとしたら、どうすればいいのか。想定通りに終わらされてしまってはそれこそ困るという被害者側の立場は当然として。それでもなお、このような「ねじれ」はいつどこでどのような条件のもとで出現するのかさっぱりわからない時代に入ったということは理解できるのだが。

しかしあくまで「昔はよかった」と言っているのではなく昔は昔で悲惨なことはあった。星の数ほどあった。現在はどうか。見た目ばかりが違っているだけのことで、むしろ逆に昔あった悲惨さに輪をかけた悲惨な事態が増殖しているのはなぜなのか。プルーストに戻れば、フランソワーズの話に戻って見てみたい箇所がある。基礎的な事情なのだが重要性にかんがみ次に述べようと思う。

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