白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて4

2022年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム
アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

(2)絵画。第三回。使用する文房具は主に、定規・三角定規・分度器・コンパスなど。はがきの裏面を利用していますがサイズはいずれも同じもので「越前画箋」を使っています。


「薔薇14」


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「薔薇16」


「薔薇17」


「薔薇18」


「薔薇19」


「薔薇20」


「薔薇21」


「薔薇22」


「薔薇23」


「薔薇24」


「薔薇25」


「薔薇26」

いかがでしたでしょうか。参考になれば幸いです。

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Blog21・電話が解体する祖母の身体とその声/<ホラー>としてのゴーゴリ「鼻」

2022年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム
電話がつながった。祖母の声だ。ところがその声はどこまで行っても「祖母の顔という目が重要な位置を占める開かれた譜面」ではなく、「祖母の声そのもの」というほかないものだ。

「そして私が話しはじめると、しばしの沈黙のあと、いきなりあの声が聞こえてきた。その声を私がよく知っていると思っていたのは間違いで、それまでの私は祖母から話しかけられるたびにその発言を祖母の顔という目が重要な位置を占める開かれた譜面上でたどっていたにすぎず、祖母の声そのものを聴くのは今日がはじめてだったのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.293」岩波文庫 二〇一三年)

<私>にとっての祖母はこれまでずっと「目が重要な位置を占める開かれた譜面」としての祖母の<顔貌性>だった。しかし電話がつながった瞬間、祖母は<私>に馴染み深いその顔とともにではなく、事実上、顔と切り離された祖母の「声そのもの」としてに限り出現することが許されていることを思い知らされる。では顔とは一体なんなのか。ヘンリー・ミラーはいう。

「暗闇の中で、世間からも敵からも競争者からも遠ざけられ、黒い穴に閉じこめられているうちに、目もくらむような意志の躍動もやや速度を落とし、熔解した銅のような赤熱を彼女に与えた。言葉は彼女の口から熔岩のように流れ出し、彼女の肉体は何かすがりつけるものを、何か堅固で実体のあるものを、ふたたび自己を立て直ししばしの休息をとり得る止まり木を、狂おしく求めていた。それは長距離電話による必死の通報、難破船からのSOS信号のようなものだった。はじめのうち、ぼっくはそれを劇場と取り違え、肉と肉とのこすれ合いによって生まれる喜悦と思い誤っていた。ついに活火山を、、女性のヴェスヴィアスを発見したと思いこんでいたのだ。絶望の大洋に、不能の藻海に、人間という船の沈みかけていることは思ってもみなかった。いま天井の穴から輝き出ていたあの黒い星を、ぼくらの結婚の小部屋の上にかかっていた、絶対者よりさらに不動でさらに遠く離れたあの恒星を思い起してみるーーーするとぼくにはわかるのだ、それが彼女であったこと、本質をすっかり抜き取られた彼女、顔のない死滅した黒い太陽であったことが」(ヘンリー・ミラー「南回帰線・P.358」講談社文芸文庫 二〇〇一年)

ブラック・ホールとでもいうほかない。あるいはF.ベーコンによる次の絵画のようだろうか。

「自画像の写真上のドローイング 1970年代~1980年代頃」『フランシス・ベーコン(バリー・ジュール・コレクションによる)・P.104』(求龍堂 二〇二一年)

さらに。

「Xアルバム9裏 叫ぶ教皇」『フランシス・ベーコン(バリー・ジュール・コレクションによる)・P.73』(求龍堂 二〇二一年)

プルーストはいう。「声が全体を占め、そんなふうに声だけが顔の目鼻立ちを伴わずに到着した」。

「おまけに、声が全体を占め、そんなふうに声だけが顔の目鼻立ちを伴わずに到着したとたん、その声がふだんの釣り合いを一変させたように感じられたせいか私はその声がいかにも優しいことを発見した」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.293」岩波文庫 二〇一三年)

祖母は間違いなくその身体と声とに引き裂かれている。「声の孤立」とプルーストは述べる。

「むしろこの声の孤立は、もうひとつの孤立、はじめて私とひき離された祖母の孤立の、象徴であり、想起であり、直接の結果だったからであろう」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.294」岩波文庫 二〇一三年)

さてそんなところで思い浮かぶ情景がないだろうか。ゴーゴリの短編小説「鼻」だ。コワリョーフはある日、自分の身体から鼻が消え失せていることに気づく。ペテルブルグの街路を探し歩き回る。しばらくして発見したがコワリョーフの鼻はもはやコワリョーフに所属していない。或る紳士と化している。「その紳士が他ならぬ自分自身の鼻であることに気がついた時のコワリョーフの怖れと驚きとはそもいかばかりであったろう!この奇怪な光景」、とゴーゴリはいう。幻想小説として読まれてきた経緯のある作品だが、幻想というより遥かに<ホラー>というべきが妥当に思える。

「不意に彼は或る家の入口の傍で棒立ちになって立ちすくんでしまった。じつに奇態なな現象がまのあたりに起こったのである。一台の馬車が玄関前にとまって、扉(と)があいたと思うと、中から礼服をつけた紳士が身をかがめて跳び下りるなり、階段を駆けあがっていった。その紳士が他ならぬ自分自身の鼻であることに気がついた時のコワリョーフの怖れと驚きとはそもいかばかりであったろう!この奇怪な光景を目撃すると、眼の前のものが残らず転倒してしまったように思われて、彼はじっとその場に立っているのも覚束なく感じたが、まるで熱病患者のようにプルプルふるえながらも、自分の鼻が馬車へ戻って来るまえ、どうしても待っていようと決心した。二、三分たつと、はたして鼻は出て来た。彼は立襟のついた金の縫い取りをした礼服に鞣皮(なめしかわ)のズボンをはいて、腰には剣を吊っていた。羽毛(はね)のついた帽子から察すれば、彼は五等官の位にあるものと断定することができる。前後の様子から察して、彼はどこかへ挨拶に来たものらしい。ちょっと左右を見まわしてから、馭者に、『馬車をこちらへ!』と叫んで、乗り込むなり駆け去ってしまった。哀れなコワリョーフは気も狂わんばかりであった。彼はこのような奇怪千万な出来事をどう考えてよいのか、まるで見当がつかなかった。まだ昨日までは彼の顔にちゃんとついていて、ひとりで馬車に乗ったり歩いたりすることのできなかった鼻が、まったく、どうして礼服を着ているなどということがあり得よう!」(ゴーゴリ「鼻」『外套・鼻・P.69~70』岩波文庫 一九三八年)

ネヴァ河界隈沿いにペテルブルグの中心部を探し歩くことになるコワリョーフ。次の箇所に「まるで何の理由(ことわり)もなしに消え失せてしまった」とある。帝政ロシアでは或る日突然、失踪なのか誘拐なのかわからないけれども、そういうことがしばしば発生した。「事件と事故との両面で」、ではなく、帝政ロシア中枢部の警察機構がそもそも物騒な機関として様々な活動に従事していた。革命後はスターリンがその手法をより厳密な形で相続した。その意味でゴーゴリ「鼻」は今現在のロシア情勢を<ホラー>という手法で予言していたといってもよいだろう。

「《ああ、ああ!何の因果でこんな災難にあうのだろう?手がなくても、足がなくても、まだしもその方がましだ。だが、鼻のない人間なんて、えたいの知れぬ代物(しろもの)はないーーー鳥かと思えば鳥でもなし、人間かと思えば人間でもなしーーーそんな者は摘みあげて、ひと思いに窓から抛り出してしまうがいいんだ!これが戦争でとられたとか、決闘で斬られたとか、それとも何か俺自身が原因(もと)でこうなったのなら諦めもつくが、まるで何の理由(ことわり)もなしに消え失せてしまったのだ、ただ無くなってしまやがったのだ、一文にもならずに!ーーーいや、どうもこんなことって、ある訳がない》」(ゴーゴリ「鼻」『外套・鼻・P.84』岩波文庫 一九三八年)

そして<ホラーとしてのロシア>を音楽化するとともに告発したショスタコーヴィチ。そのホラー的部分とマーラーの交響曲第六番<悲劇的>とを比較してみたいと思う。マーラー「交響曲第六番<悲劇的> 第一楽章」を聴いた後、ショスタコーヴィチ「交響曲第十番・第二楽章(スターリンの肖像)」を聴いてみよう。<悲劇>と<ホラー>との違いがよくわかるに違いない。

(1)マーラー「交響曲第六番<悲劇的> 第一楽章」←<悲劇>

(2)ショスタコーヴィチ「交響曲第十番・第二楽章(スターリンの肖像)」←<ホラー>

またプルースト自身は同時代に台頭してきたワーグナーやドビュッシーをよく聴いていたらしい。また晩年のベートーベン「弦楽四重奏曲」を好んでいた。空気感はまるで異なるが参照しておくのも悪くないだろう。

(3)ベートーベン「弦楽四重奏曲・第十五番」

プルーストに戻ろう。<私>は「『お祖母さん、お祖母さん』」と連呼する。この時<私>は祖母を<私>の口の中に出現させていることに気づいていない。プルーストはその事情についてこう書いている。そしてその祖母は<半透明>な「亡霊」のようだと。

「私は『お祖母さん、お祖母さん』と叫んで、祖母に接吻しようとした。しかし私のそばに存在するだけで、それは亡霊というべきか、祖母の死後に私のもとに戻ってくるやもしれぬ亡霊と同じように触れることはかなわなかった」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.295」岩波文庫 二〇一三年)

さて。選挙が近づいてきたからだろうか。いっときあれほど騒がれていた北海道知床半島観光船「沈没事故」。もうすでに選挙報道の側が大々的に報じられている。なぜなのか。読者・視聴者の一人として、自分で自分自身の非力さや無力さを感じるのはそういう時だ。尾崎放哉の句。

「護岸荒(ある)る波に乏しくなりし花」(「自由律俳句時代・大正五年」『放哉全集・第一巻・P.58』筑摩書房 二〇〇一年)

沈没事故が発生した時ではなく、まるでもう忘れ去られてしまいそうな空気が事故を覆い隠してしまうような時、不意に反復される句なのだ。

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