《乙女たち》を通過させる場合に限りプルーストは独自のテーマの一つ<覗き>について極めて重要な役割を与えている。視覚はただ見るためだけにのみ与えられているのだろうか。けっしてそうではない。
「社交の集いにせよ、まじめな会話にせよ、ただの友好的なおしゃべりにせよ、この娘たちとの外出にとって代わるものには、私は昼食の時間に招待されながらそれが食事ではなくアルバムを見るためだった場合と同じように落胆を覚えたにちがいない。いっしょにいて楽しいと思える紳士や青年でも、老齢や中年の婦人でも、こちらの平板で凡庸な視野の表面にあらわれるにすぎない。ただ視覚だけでその人たちを意識するからである。ところが娘たちを捉える視覚は、他のもろもろの感覚の代表として派遣されたと言っても過言ではなく、匂いや触感や味など相手のさまざまな美点をつぎつぎと探りだし、手や唇の助けがなくてもそれを味わうのだ。これらもろもろの感覚は、欲望ならではの移し替えの技(わざ)と総合の才を発揮して、頬や胸元の色合いを見ただけで手による愛撫や舌による賞味など許されない接触をつくりだし、まるでバラ園にいて甘い蜜を集めたりブドウ畑にいて眼で房にしゃぶりついたりするときと同じ、密のようなとろみを娘たちに与えるのである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.533~534」岩波文庫 二〇一二年)
この箇所についてガタリはこう述べる。
「ここに問われている唯一の問題は、プルーストの女性生成ーーー《乙女たち》を通じて表明されるーーーと、彼の創造家生成によって巻き込まれるような諸地層の脱属領化作用、諸顔面、諸人物、諸風景のリトルネロ化作用との間の関係を明らかにすることである。おそらくわれわれは一般的な説明を必要としないような事実データに直面しているのかもしれない」(ガタリ「機械状無意識・第2部・第3章・P.355」法政大学出版局 一九九〇年)
ニーチェはいう。「眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない」。
「ある事物の発生の原因と、それの終極的功用、それの実際的使用、およびそれの目的体系への編入とは、《天と地ほど》隔絶している。現に存在するもの、何らかの仕方で発生したものは、それよりも優勢な力によって幾たびとなく新しい目標を与えられ、新しい場所を指定され、新しい功用へ作り変えられ、向け変えられる。有機界におけるすべての発生は、一つの《圧服》であり、《支配》である。そしてあらゆる圧服や支配は、さらに一つの新解釈であり、一つの修整であって、そこではこれまでの『意識』や『目的』は必然に曖昧になり、もしくはまったく解消してしまわなければならない。ある生理的器官(乃至はまたある法律制度、ある社会的風習、ある政治的慣習、ある芸術上の形式または宗教的儀礼の形式)のもつ《功用》をいかによく理解していても、それはいまだその発生に関する理解をもっていることにはならない。こう言えば、旧套に馴れた人々の耳には随分と聞きづらく不快に響くかもしれない、ーーーというのは、古来人々は、ある事物、ある形式、ある制度の顕著な目的または功用は、またその発生の根拠をも含んでいる、例えば、眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない。従ってある『事物』、ある器官、ある慣習の全歴史も、同様の理由によって、絶えず改新された解釈や修整の継続的な標徴の連鎖でありうるわけであって、それの諸多の原因は相互に連関する必要がなく、むしろ時々単に偶然的に継起し交替するだけである。してみれば、ある事物、ある慣習、ある器官の『発展』とは、決して一つの目標に向かう《進歩》ではなく、まして論理的な、そして最短の、最小の力と負担とで達せられる《進歩》ではなお更ない。ーーーむしろ、事物乃至は器官の上に起こる多少とも深行的な、多少とも相互に独立的な圧服過程の連続であり、同時にこの圧服に対してその度ごとに試みられる反抗であり、弁護と反動を目的とする思考的な形式変化であり、更に旨く行った反対活動の成果でもある。形式も固定したものでないが、『意味』はなお一層固定したものでない」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十二・P.88~90」岩波文庫 一九四〇年)
要するに「意味」とか「因果関係」とかいったものはすべて多数者による支配の道具として利用されてきた<標証>に過ぎないというわけだ。にもかかわらず疑問一つ持たずただひたすら信じきっているばかりではそれこそ「意味という病気」に取り憑かれているか「意味という病的宗教」の信者でしかないというほかない。次の文章を見てみよう。《乙女たち》はそれぞれの故郷の音楽を代表するものではない。逆である。《乙女たち》を通す限りで始めてそれぞれの故郷は脱領土化され、それぞれの土地に固有の音楽を出現させる。その点で《乙女たち》は常にすでに「リトルネロ」として機能している。
「家族から譲り受けたものよりはるかに一般的なのは、故郷の土地から植えつけられた味わい深い素材で、娘たちはそこから自分の声をひき出したのであり、声の抑揚もただちにそれに飛びつくのだ。アンドレがなにか重々しい音を出そうとしても、その声の楽器に備わるペリゴール産の弦は歌うような音を出すほかなく、おまけにその音は本人の南フランス風の純粋な目鼻立ちとじつによく調和していた。ロズモンドがひっきりなしに見せる子供っぽい言動に呼応しているのは、本人がなんと言おうと北フランス風の顔と声を形成する素材と、その地方に特有のアクセントであった。このような故郷の土地と、声の抑揚を決定づける娘の気質とのあいだに、私はすばらしい対話を認める。対話であって、反目ではない。いかなる反目も、娘と故郷とを離反させることはできない。娘は、そのまま故郷でもあるのだ。おまけにこのような地方の素材がそれを活用する天分に与える反応は、天分にいっそうの若々しさを与えこそすれ、作品の個性を減じるものではない」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.570」岩波文庫 二〇一二年)
例えばデリダはヨーロッパ中心主義批判を展開した。それはそもそもを言えばフランス中心主義批判から始まったと言える。デリダはフランス植民地時代のアルジェリアに生まれたフランス人だったからだ。
「もちろん、人はいくつもの言語を話すことができる。一つならずの言語において運用能力をそなえた主体たちがいる。或る人々は、同時にいくつもの言語で書きさえする(さまざまな補綴、さまざまな接ぎ木、翻訳、転換)。しかし、彼らはそのことをつねに絶対的特有言語を目指して行っているのではなかろうか?そして、いまだ未開の一つの言語への約束の中で?昨日は聴き取れなかったたった一つの詩への?私が口を開くたびに、私が話し、あるいは書くたびに、私は《約束しているのだ》。望むと望まざるとにかかわらず。約束の宿命的な性急さーーーここではそれを、当然ながらそれに結びついている意志や意図あるいは言わんとすること=意義作用〔vouloir-dire〕の諸価値から分離する必要がある。この約束のパフォーマティヴは、他にも数ある《スピーチ・アクト》のうちの一つというわけではない。それは他のすべてのパフォーマティヴに含まれているものなのだ。そして、この約束こそが来たるべき一つの言語の単一性を告げ知らせるのである。『一つの言語があるのでなければならない』(それは必然的に『なぜなら、それは存在しないから』あるいは『というのも、それが欠けているから』ということを言外にほのめかしている)、『私は一つの言語を約束する』、すなわち、同時にあらゆる言語に先立つ『一つの言語が約束されている』ということこそが、あらゆる言葉を呼び寄せるのであり、かつ、一つひとつの言語にと同時にあらゆる言葉にすでに属しているのである。この到来への呼びかけは、言語を前もって結集させる。それは、言語を迎え入れ、言語を寄せ集めるーーーその同一性や統一性のうちにではなく、その自己性のうちにですらなく、その自己への差異の結集の単一性ないし特異性のうちに。すなわち、自己《に対する》差異のうちにというよりも、むしろ自己《とともにある》差異のうちに。《一つの》言語を、特有言語の単一性を与えるーーーだがそれも、それを与えることを約束することによってそうするーーーこの約束の外で語ることは可能ではない。この《統一性なき単一性》の外へ出ることは問題にはなり得ない。それは、他者と対立させられる必要はないし、他者から区別される必要すらない。それは、他者《の》単一言語なのだ。この《の》が意味しているのは所有権でもなければ出自でもない。言語は他者のものであり、他者からやって来たものであり、他者の到来《そのもの》なのである」(デリダ「たった一つの、私のものではない言葉(他者の単一言語使用)・8・P.128~129」岩波書店 二〇〇一年)
となるとデリダがフランス語で話すとすれば自分の故郷であるアルジェリアに対する裏切り行為になるだけでなく、フランスの植民地=アルジェリアというマイノリティへの背信以外の何ものをも表明しない。ゆえにデリダにとってフランス語は「母国語」であると同時にヨーロッパから到来した<他者の言語>であるほかない。今のウクライナ情勢でいえば、ウクライナの人々はウクライナ語を話すべきかそれともロシア語を話すべきかで区別されるかのように見えているのに近い。しかし欧米サイドもまた無責任な態度を露呈しており、ウクライナ独立支持を強く表明しウクライナからの難民を受け入れようと発言していながら、しかし今の日本人でウクライナ語を学び積極的にウクライナ支援を押し進めている人々がどれくらいいるだろうか。むしろ表向きはウクライナ語(マイノリティ)を支持しつつ実際は逆に英語(マジョリティ)を摂取するのに忙しいのではないだろうか。
この、あからさまな「ねじれ」。クラシック音楽の世界ではプルーストが述べている似たような傾向は以前から見られた。
「ワーグナーは、それぞれの呼称のもとに異なる現実を配置するので、その盾持ちが登場するたびに、複雑であると同時に簡略化された独自の音型が、さまざまな音の線の朗らかで封建的な衝突とともに、壮大な響きのなかに組みこまれるのだ。一曲の音楽が充実しているのはそれゆえで、実際にはそこに多くの音楽が満載されていて、そのひとつひとつの音楽が一個の存在なのである。一個の存在、あるいは自然の瞬時の様相がもたらす印象というべきかもしれない。自然がわれわれにいだかせる感情からどんなに無縁なものでも、明確に限定された固有の外的現実を備えているもので、小鳥のさえずりといい、狩人の角笛といい、羊飼いが手にした葦笛(あしぶえ)で奏でる調べといい、いずれもはるかかなたにおのが音のシルエットを浮かびあがらせる。たしかにワーグナーはそうしたシルエットを近くにひき寄せ、それを捕らえてオーケストラのなかに導入し、それを最も崇高な音楽理念に仕えさせようとするのであるが、それでもそのシルエットの原初の独自性を尊重する点は、中世の指物師がみずから彫刻する木材の木目、つまり木材独自の精髄を尊重するのとなんら変わらない」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.356~357」岩波文庫 二〇一六年)
ここでは「リトルネロ」という形式が様々な意味で問われている。「リトルネロ」とは何か。四種類に類別した上でドゥルーズ=ガタリはこう述べる。
「ムソルグスキーの音楽が群衆の様相を呈することができたのはどうしてなのか。バルトークの音楽が民謡や世俗の歌謡を支えに、群生自体を音楽にし、器楽的、管弦楽的にして、それが<可分性>の音階や、驚異的な半音階法を新たに提起することになったのはどうしてなのか。これらすべてが非-ワグナー的な道を示している」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・中・11・P.383~384」河出文庫 二〇一〇年)
リトルネロの可能性は測り知れない。脱コード化され脱領土化された「非-ワグナー的」な音楽は山ほどある。身近なところで言えばヒップホップもそうだ。四行の歌詞があるとしよう。二行目と四行目で韻を踏む。その反復の力によってシニフィエ(意味されるもの・内容)が不意打ち的に生成変化しているような楽曲が時折ある。ヒップホップの本家とも言えるイギリスではこうしたヒップホップがなるほど多い。本家だからというわけではない。通常のルールに従っていては食えないし家族や仲間を養っていけない若者たち、路上生活者、ストリートというどんどん変化する故郷しか持たない身軽さ。リアルな現実生活に裏打ちされた音楽だけが音楽として生成してくる。「今ここにある危機」=社会的土壌が感性豊かな若年者を中心とする音楽をますます飛躍させるのだ。
なお、日本の公教育の一環としての吹奏楽コンクールでは決まってよく選曲されるバルトーク「管弦楽のための協奏曲」。怖いもの知らずにもほどがある。中学生や高校生は生徒なのでわからない部分もあるかと思われるのだが、逆に指導者の側は、ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団演奏のこの楽曲を聴いたことがあるのだろうかと不審に思わざるを得ない。この曲を選択できるのなら逆にワーグナー「トリスタンとイゾルデ」や「神々の黄昏」などちょろいはず。なのになぜ取り上げないのか。敬遠するのか。宗教的な独特のリズムが(ナチス・ドイツに採用された点で)あまりにも危険だからというのならわかりもするのだが。
BGM1
BGM2
BGM3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e3/9b47199c5be3d5bbcd040fbb57acdb38.jpg)
「社交の集いにせよ、まじめな会話にせよ、ただの友好的なおしゃべりにせよ、この娘たちとの外出にとって代わるものには、私は昼食の時間に招待されながらそれが食事ではなくアルバムを見るためだった場合と同じように落胆を覚えたにちがいない。いっしょにいて楽しいと思える紳士や青年でも、老齢や中年の婦人でも、こちらの平板で凡庸な視野の表面にあらわれるにすぎない。ただ視覚だけでその人たちを意識するからである。ところが娘たちを捉える視覚は、他のもろもろの感覚の代表として派遣されたと言っても過言ではなく、匂いや触感や味など相手のさまざまな美点をつぎつぎと探りだし、手や唇の助けがなくてもそれを味わうのだ。これらもろもろの感覚は、欲望ならではの移し替えの技(わざ)と総合の才を発揮して、頬や胸元の色合いを見ただけで手による愛撫や舌による賞味など許されない接触をつくりだし、まるでバラ園にいて甘い蜜を集めたりブドウ畑にいて眼で房にしゃぶりついたりするときと同じ、密のようなとろみを娘たちに与えるのである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.533~534」岩波文庫 二〇一二年)
この箇所についてガタリはこう述べる。
「ここに問われている唯一の問題は、プルーストの女性生成ーーー《乙女たち》を通じて表明されるーーーと、彼の創造家生成によって巻き込まれるような諸地層の脱属領化作用、諸顔面、諸人物、諸風景のリトルネロ化作用との間の関係を明らかにすることである。おそらくわれわれは一般的な説明を必要としないような事実データに直面しているのかもしれない」(ガタリ「機械状無意識・第2部・第3章・P.355」法政大学出版局 一九九〇年)
ニーチェはいう。「眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない」。
「ある事物の発生の原因と、それの終極的功用、それの実際的使用、およびそれの目的体系への編入とは、《天と地ほど》隔絶している。現に存在するもの、何らかの仕方で発生したものは、それよりも優勢な力によって幾たびとなく新しい目標を与えられ、新しい場所を指定され、新しい功用へ作り変えられ、向け変えられる。有機界におけるすべての発生は、一つの《圧服》であり、《支配》である。そしてあらゆる圧服や支配は、さらに一つの新解釈であり、一つの修整であって、そこではこれまでの『意識』や『目的』は必然に曖昧になり、もしくはまったく解消してしまわなければならない。ある生理的器官(乃至はまたある法律制度、ある社会的風習、ある政治的慣習、ある芸術上の形式または宗教的儀礼の形式)のもつ《功用》をいかによく理解していても、それはいまだその発生に関する理解をもっていることにはならない。こう言えば、旧套に馴れた人々の耳には随分と聞きづらく不快に響くかもしれない、ーーーというのは、古来人々は、ある事物、ある形式、ある制度の顕著な目的または功用は、またその発生の根拠をも含んでいる、例えば、眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない。従ってある『事物』、ある器官、ある慣習の全歴史も、同様の理由によって、絶えず改新された解釈や修整の継続的な標徴の連鎖でありうるわけであって、それの諸多の原因は相互に連関する必要がなく、むしろ時々単に偶然的に継起し交替するだけである。してみれば、ある事物、ある慣習、ある器官の『発展』とは、決して一つの目標に向かう《進歩》ではなく、まして論理的な、そして最短の、最小の力と負担とで達せられる《進歩》ではなお更ない。ーーーむしろ、事物乃至は器官の上に起こる多少とも深行的な、多少とも相互に独立的な圧服過程の連続であり、同時にこの圧服に対してその度ごとに試みられる反抗であり、弁護と反動を目的とする思考的な形式変化であり、更に旨く行った反対活動の成果でもある。形式も固定したものでないが、『意味』はなお一層固定したものでない」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十二・P.88~90」岩波文庫 一九四〇年)
要するに「意味」とか「因果関係」とかいったものはすべて多数者による支配の道具として利用されてきた<標証>に過ぎないというわけだ。にもかかわらず疑問一つ持たずただひたすら信じきっているばかりではそれこそ「意味という病気」に取り憑かれているか「意味という病的宗教」の信者でしかないというほかない。次の文章を見てみよう。《乙女たち》はそれぞれの故郷の音楽を代表するものではない。逆である。《乙女たち》を通す限りで始めてそれぞれの故郷は脱領土化され、それぞれの土地に固有の音楽を出現させる。その点で《乙女たち》は常にすでに「リトルネロ」として機能している。
「家族から譲り受けたものよりはるかに一般的なのは、故郷の土地から植えつけられた味わい深い素材で、娘たちはそこから自分の声をひき出したのであり、声の抑揚もただちにそれに飛びつくのだ。アンドレがなにか重々しい音を出そうとしても、その声の楽器に備わるペリゴール産の弦は歌うような音を出すほかなく、おまけにその音は本人の南フランス風の純粋な目鼻立ちとじつによく調和していた。ロズモンドがひっきりなしに見せる子供っぽい言動に呼応しているのは、本人がなんと言おうと北フランス風の顔と声を形成する素材と、その地方に特有のアクセントであった。このような故郷の土地と、声の抑揚を決定づける娘の気質とのあいだに、私はすばらしい対話を認める。対話であって、反目ではない。いかなる反目も、娘と故郷とを離反させることはできない。娘は、そのまま故郷でもあるのだ。おまけにこのような地方の素材がそれを活用する天分に与える反応は、天分にいっそうの若々しさを与えこそすれ、作品の個性を減じるものではない」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.570」岩波文庫 二〇一二年)
例えばデリダはヨーロッパ中心主義批判を展開した。それはそもそもを言えばフランス中心主義批判から始まったと言える。デリダはフランス植民地時代のアルジェリアに生まれたフランス人だったからだ。
「もちろん、人はいくつもの言語を話すことができる。一つならずの言語において運用能力をそなえた主体たちがいる。或る人々は、同時にいくつもの言語で書きさえする(さまざまな補綴、さまざまな接ぎ木、翻訳、転換)。しかし、彼らはそのことをつねに絶対的特有言語を目指して行っているのではなかろうか?そして、いまだ未開の一つの言語への約束の中で?昨日は聴き取れなかったたった一つの詩への?私が口を開くたびに、私が話し、あるいは書くたびに、私は《約束しているのだ》。望むと望まざるとにかかわらず。約束の宿命的な性急さーーーここではそれを、当然ながらそれに結びついている意志や意図あるいは言わんとすること=意義作用〔vouloir-dire〕の諸価値から分離する必要がある。この約束のパフォーマティヴは、他にも数ある《スピーチ・アクト》のうちの一つというわけではない。それは他のすべてのパフォーマティヴに含まれているものなのだ。そして、この約束こそが来たるべき一つの言語の単一性を告げ知らせるのである。『一つの言語があるのでなければならない』(それは必然的に『なぜなら、それは存在しないから』あるいは『というのも、それが欠けているから』ということを言外にほのめかしている)、『私は一つの言語を約束する』、すなわち、同時にあらゆる言語に先立つ『一つの言語が約束されている』ということこそが、あらゆる言葉を呼び寄せるのであり、かつ、一つひとつの言語にと同時にあらゆる言葉にすでに属しているのである。この到来への呼びかけは、言語を前もって結集させる。それは、言語を迎え入れ、言語を寄せ集めるーーーその同一性や統一性のうちにではなく、その自己性のうちにですらなく、その自己への差異の結集の単一性ないし特異性のうちに。すなわち、自己《に対する》差異のうちにというよりも、むしろ自己《とともにある》差異のうちに。《一つの》言語を、特有言語の単一性を与えるーーーだがそれも、それを与えることを約束することによってそうするーーーこの約束の外で語ることは可能ではない。この《統一性なき単一性》の外へ出ることは問題にはなり得ない。それは、他者と対立させられる必要はないし、他者から区別される必要すらない。それは、他者《の》単一言語なのだ。この《の》が意味しているのは所有権でもなければ出自でもない。言語は他者のものであり、他者からやって来たものであり、他者の到来《そのもの》なのである」(デリダ「たった一つの、私のものではない言葉(他者の単一言語使用)・8・P.128~129」岩波書店 二〇〇一年)
となるとデリダがフランス語で話すとすれば自分の故郷であるアルジェリアに対する裏切り行為になるだけでなく、フランスの植民地=アルジェリアというマイノリティへの背信以外の何ものをも表明しない。ゆえにデリダにとってフランス語は「母国語」であると同時にヨーロッパから到来した<他者の言語>であるほかない。今のウクライナ情勢でいえば、ウクライナの人々はウクライナ語を話すべきかそれともロシア語を話すべきかで区別されるかのように見えているのに近い。しかし欧米サイドもまた無責任な態度を露呈しており、ウクライナ独立支持を強く表明しウクライナからの難民を受け入れようと発言していながら、しかし今の日本人でウクライナ語を学び積極的にウクライナ支援を押し進めている人々がどれくらいいるだろうか。むしろ表向きはウクライナ語(マイノリティ)を支持しつつ実際は逆に英語(マジョリティ)を摂取するのに忙しいのではないだろうか。
この、あからさまな「ねじれ」。クラシック音楽の世界ではプルーストが述べている似たような傾向は以前から見られた。
「ワーグナーは、それぞれの呼称のもとに異なる現実を配置するので、その盾持ちが登場するたびに、複雑であると同時に簡略化された独自の音型が、さまざまな音の線の朗らかで封建的な衝突とともに、壮大な響きのなかに組みこまれるのだ。一曲の音楽が充実しているのはそれゆえで、実際にはそこに多くの音楽が満載されていて、そのひとつひとつの音楽が一個の存在なのである。一個の存在、あるいは自然の瞬時の様相がもたらす印象というべきかもしれない。自然がわれわれにいだかせる感情からどんなに無縁なものでも、明確に限定された固有の外的現実を備えているもので、小鳥のさえずりといい、狩人の角笛といい、羊飼いが手にした葦笛(あしぶえ)で奏でる調べといい、いずれもはるかかなたにおのが音のシルエットを浮かびあがらせる。たしかにワーグナーはそうしたシルエットを近くにひき寄せ、それを捕らえてオーケストラのなかに導入し、それを最も崇高な音楽理念に仕えさせようとするのであるが、それでもそのシルエットの原初の独自性を尊重する点は、中世の指物師がみずから彫刻する木材の木目、つまり木材独自の精髄を尊重するのとなんら変わらない」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.356~357」岩波文庫 二〇一六年)
ここでは「リトルネロ」という形式が様々な意味で問われている。「リトルネロ」とは何か。四種類に類別した上でドゥルーズ=ガタリはこう述べる。
「ムソルグスキーの音楽が群衆の様相を呈することができたのはどうしてなのか。バルトークの音楽が民謡や世俗の歌謡を支えに、群生自体を音楽にし、器楽的、管弦楽的にして、それが<可分性>の音階や、驚異的な半音階法を新たに提起することになったのはどうしてなのか。これらすべてが非-ワグナー的な道を示している」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・中・11・P.383~384」河出文庫 二〇一〇年)
リトルネロの可能性は測り知れない。脱コード化され脱領土化された「非-ワグナー的」な音楽は山ほどある。身近なところで言えばヒップホップもそうだ。四行の歌詞があるとしよう。二行目と四行目で韻を踏む。その反復の力によってシニフィエ(意味されるもの・内容)が不意打ち的に生成変化しているような楽曲が時折ある。ヒップホップの本家とも言えるイギリスではこうしたヒップホップがなるほど多い。本家だからというわけではない。通常のルールに従っていては食えないし家族や仲間を養っていけない若者たち、路上生活者、ストリートというどんどん変化する故郷しか持たない身軽さ。リアルな現実生活に裏打ちされた音楽だけが音楽として生成してくる。「今ここにある危機」=社会的土壌が感性豊かな若年者を中心とする音楽をますます飛躍させるのだ。
なお、日本の公教育の一環としての吹奏楽コンクールでは決まってよく選曲されるバルトーク「管弦楽のための協奏曲」。怖いもの知らずにもほどがある。中学生や高校生は生徒なのでわからない部分もあるかと思われるのだが、逆に指導者の側は、ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団演奏のこの楽曲を聴いたことがあるのだろうかと不審に思わざるを得ない。この曲を選択できるのなら逆にワーグナー「トリスタンとイゾルデ」や「神々の黄昏」などちょろいはず。なのになぜ取り上げないのか。敬遠するのか。宗教的な独特のリズムが(ナチス・ドイツに採用された点で)あまりにも危険だからというのならわかりもするのだが。
BGM1
BGM2
BGM3
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