白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて6

2022年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム
アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

(2)絵画。第五回。使用する文房具は主に、定規・三角定規・分度器・コンパスなど。はがきの裏面を利用していますがサイズはいずれも同じもので「越前画箋」を使っています。


「薔薇44」


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「薔薇50」

いかがでしたでしょうか。参考になれば幸いです。

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Blog21・覆い隠す制度としての顔・「ドレフェス事件」/非定住民たちの錯覚・「秋刀魚の味」

2022年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム
<私>はゲルマント夫人のイメージを壊すまいと懸命に努力する。しかしその努力は何に向けられているのか。ゲルマント夫人の「顔貌性」にだ。顔はただ単に身体の一部を指し示す言葉では全然ない。顔は制度だ。ゆえに<私>は「つ神秘的なものとなり、中世のタピスリーやゴシック様式のステンドグラスのごとき異様な相貌を帯びるはずだと考えた。しかしゲルマント夫人と呼ばれる人が発することばを聞いて私が幻滅しないためには、たとえ私が夫人を愛していなくても、そのことばが繊細で美しく深遠なものであるというだけでは充分とはいえず、ゲルマントの名の最後のシラブルに含まれる赤紫色(アマラント)がそのことばに反映していなくてはならな」い。

「ヴィルパリジ夫人のサロンでは、コンブレーの教会でペルスピエ嬢の結婚式があったときと同じで、ゲルマント夫人の美しいとはあまりにも人間的な風貌にその名の秘める未知なるものを見出すのは無理であったが、せめて私は、夫人が口を聞きさえすればそのおしゃべりが深遠かつ神秘的なものとなり、中世のタピスリーやゴシック様式のステンドグラスのごとき異様な相貌を帯びるはずだと考えた。しかしゲルマント夫人と呼ばれる人が発することばを聞いて私が幻滅しないためには、たとえ私が夫人を愛していなくても、そのことばが繊細で美しく深遠なものであるというだけでは充分とはいえず、ゲルマントの名の最後のシラブルに含まれる赤紫色(アマラント)がそのことばに反映していなくてはならなかった」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.80」岩波文庫 二〇一三年)

ということはゲルマント夫人といえども、制度の崩壊とともにその顔も崩壊するほかないと、プルーストは言っているわけだ。フェリックス・ガタリから引こう。差異的な部分は整形外科的に加工=変造され、人間の顔は一般的に「こういうもの」として基準化される。制度は空気のようにどこにでも漂っているものだから、一見してもしなくても、細かな差異的部分などあっさり破壊・消去し「人間の顔とはこういうもの」ということにしてしまう、極めて大規模な暴力装置である。

「顔面性のある構成要素は、その標準偏差は大目に見て、記号内容および表現特徴の全体のコントロールを規制したり、ゆるめたりする。顔面性のゲシュタルトー記号は、あらゆる知覚およびあらゆる行動の体系的フレーミング作業をしたり、欲望の拘束ストラテジーを固定したりすることに成功したり、失敗したりする。それは顔の真ん中に第三の目として、どんなシニフィアン的表象作用にも内在する目、その走査運動と永久調節運動は指向対象の全表面に広がる目を固定する。諸表現素材の『凹凸物』は一つ一つ中和される一方、他方では、円形ホワイト・スクリーンが記号学的三角形、自我、客体の間の共鳴効果を波及させる。かくして、《顔面性化された意識》が、さまざまな記号論的諸成分を出現させうるブラックホール全体の共鳴の中心を構成し、それは発話行為の固体化された主体のまわりに記号学的蓄積作業を行い、極めてマニ教的二元論的やり方で一人の『人物』を自己同一性化する」(ガタリ「機械状無意識・第一部・第四章・P.78」法政大学出版局 一九九〇年)

ところでバルトは読書について「テクスト体験」といったが蓮實重彦は小津安二郎論で「フィルム体験」という。小津映画でも登場人物の顔は一つの、なおかつ大変大きいウエイトを占める。そして小津作品に映し出される人物の顔はどれも入念に計算された<制度的>なもの、ステレオタイプ的(紋切型的)な顔貌性としてスクリーン一杯を占拠してなかなか動こうとしない。観客の側は映画館の中で安心する。自分は世間様と乖離していないことを知ってほっとする。繰り返しほっとする。しかし小津は観客を安心させるために映画を撮ったわけではまるでない。集中的な<制度としての顔>というものは、パルマコン(医薬/毒薬)としての両義性を持った奇妙な言語なのだ。安心させること。それは同時に不安に陥れる動因として機能することを熟知している。蓮實重彦は「秋刀魚の味」についてこう述べる。

「初期のサラリーマンものにあって何とも奇妙なことは、生徒の方が東京の大学に進んで就職するばかりではなく、なぜか教師の方までが赴任地を離れ、首府で新たな職につくことが多いという点である。田舎の中学に残っていつまでも教師を続ける人間がおらず、あたかも教え子たちがたどった道を模倣するかのように、転職してまで東京に出てくるという人物設定の中に、小津的な並置=共存の主題の第一の側面が顔をのぞかせている。もちろん、時代の社会的な状況を反映して、教師も生徒たちも、自分にふさわしい職を得ることははなはだ困難である。こうした人物設定は遺作となった『秋刀魚の味』にまでうけつがれているが、ここでの地位は、両者の間で明らかに逆転しており、落ちぶれたかつての教師を、いまはそれなりの職業的な安定を得ている生徒たちが久方ぶりに慰労するというところに重点がおかれている」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・1・P.41~42」ちくま学芸文庫 二〇一六年)

ニーチェのいう債権・債務関係が生じている。

「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫 一九四〇年)

ところが両者ともにすっきりしたビジネスライクな等価性を保ったままではない。どこか異様な、腑に落ちない部分、不均衡が発生している。かつての「教え子たち」は今や社会的優位に位置しており、逆に恩師の側はもはや老残の身である。そしてその動かしようのない現実は、恩師の側に否応なく「良心の疾(やま)しさ」を感じさせるまでに立ち至っている。さらにまた社会的立場の転倒をきっかけに発生するルサンチマン(良心の疾(やま)しさ・劣等感)はいつも過剰に増殖する傾向を帯びており、なおかつ自己破壊的な言動へ加速することが少なくない。東野英治郎演じるかつての恩師は今や自分の営む場末の中華ラーメン店の店内で、見ていて死んでしまうのではと心配するほどしたたかに<泥酔>する。ニーチェはいう。

「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》ーーー私が人間の《内面化》と呼ぶところのものはこれである。後に人間の『魂』と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への放(は)け口が《堰き止められて》しまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。国家的体制が古い自由の諸本能から自己を防衛するために築いたあの恐るべき防堡ーーーわけても刑罰がこの防堡の一つだーーーは、粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを《人間自身の方へ》向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、ーーーこれらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、《これこそ》『良心の疚しさ』の起源である」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十六・P.99」岩波文庫 一九四〇年)

この<泥酔>は「東京物語」のラスト付近で笠智衆が見せた<泥酔>とはまた異なる。古い家族関係が崩壊・消滅し、新しい家族関係が出現する際に演じられるディオニュソス的祝祭ではない。そうではなく、もはや現実はまるで転倒してしまいかつての生活様式はもう廃棄されるほかないという決定事項を確認する儀式としての<泥酔>だ。東野の身体は余りの泥酔のためふにゃふにゃになる。そんな父親の姿を杉村春子はいら立ち混じりに罵りながら店から部屋の中へ連れて入る。無惨というしかない東野の姿はそれ以前だと通用してきた日本的家族の構造的文法が一度破綻し、軟体動物化したことと並走する形で映画化されている。折りしも日本で「秋刀魚の味」が公開されたのは六〇年安保の頃、日本全土が高度経済成長へ猛進する一九六二年である。さらに。

「『秋刀魚の味』で特徴的なのは、それが、恩師をおもうかつての中学生たちの心情が美しい師弟愛の物語として強調されているからではないということだ。それなりの社会的な地位におさまっている『秋刀魚の味』の初老の男たちは、『鱧』という字は知っていながらその料理を食べたことのない旧師に対して、残酷とまではいわぬまでも、ほとんどそれに近い憐れみの情を隠そうとはしないかなり冷ややかな反応を示す」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・1・P.42」ちくま学芸文庫 二〇一六年)

有名なエピソードだ。中学時代の教師が教えたのは「鱧(はも)」という言葉だけだったが今や社会的に相当の地位を担っている教え子が、今度は言葉ではない懐石料理としての「鱧(はも)」を提供する。そこで蓮實は両者の立場の奇妙な一致に着目する。料亭ではなく、かつての恩師の経営する小料理屋の側が<或る価値体型>と<別の価値体系>との<あいだ>に位置する点に、である。蓮實の言葉では「家庭料理の日常的な反復性と料亭での宴会の例外的な儀式性の中間に位置」すると。その機能だけを取り出してみると人生の通過点でしかない。だがこの種の通過点を通過することなしに当時の会社員たちはふつうの昼食や職場帰りの一杯飲み屋へ立ち寄ることはできない。なくても生きてはいけるが、本当にまったくなくなってしまうと困るのはかつての教え子たちだったサラリーマンの側である。その意味でいえば中華ラーメン屋は、カレーライス屋やトンカツ屋などとともに老いた教師たちの老後の再就職先というだけでなく、むしろ「教師たちは若者に対して同じ役割を演じている」のだ。

「いっとき通過するだけの地点であって、定着の場ではない。定着することなく通過する地点という点で、こうした小料理屋は、小津にあっての中学校ときわめて類似した環境を構成することになる。だから、かつて教師として中学生たちを東京へと送り出した者たちが、こんどは知識だけではなく手軽な料理によって、都会の若いサラリーマンたちにいっときの満足感を与える職業についているのだ。教えることと食べさせること。このまったく異質な身振りを通して、教師たちは若者に対して同じ役割を演じているのである。つまり、田舎中学の教師であったものが都会で選びとった新たな職業は、一見したところ異質なものに映りながら、ほとんど同じ役がらにほかならぬのだ」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・1・P.44~45」ちくま学芸文庫 二〇一六年)

蓮實が「ほとんど同じ役がら」というのは「ほとんど同じ機能を演じる」ということにほかならない。なるほど蓮實の理論は小津映画を論じている限り正しい。ところで「定着する/定着しない」というスタイルの区別は紛れもなく日本列島各地で回遊生活を営んでいた「サンカ」に顕著な「非定住民性」を思い出させる。ただサンカの側は自分たちが回遊するのであって、定住民の側が移動するわけではない。しかし世界地図を逆にしてみるとわかるように、あるいは道元がいうように、生活様式を逆にするとサンカの側はいささかも動いておらず、移動しているのは定住民の側だということが見えてくるに違いない。

「山中とは世界裏の花開(けかい)なり。山外人(さんげにん)は不覚不知なり、山をみる眼目あらざる人は、不覚不知、不見不聞、遮箇道理(しやこだうり)なり。もし山の運歩を疑著(ぎぢや)するは、自己の運歩をもいまだしらざるなり、自己の運歩なきにはあらず、自己の運歩いまだしられざるなり、あきらめざるなり。自己の運歩をしらんがごとき、まさに青山の運歩をもしるべきなり。青山すでに有情(うじやう)にあらず、非情にあらず。自己すでに有情にあらず、非情にあらず。いま青山の運歩を疑著(ぎぢや)せんことうべからず」(「正法眼蔵2・第二十九・山水経・P.185~186」岩波文庫 一九九〇年)

「山中とは世界のうちに花開く場である。山中の人は世界の花開と場をともにしている。山の外にいる人は山の歩みを覚らず知らずである。山を見ることのない人は、覚ることなく知ることなく、見ることなく聞くこともない、いずれにせよ存在とはこうした道理のなかにある。もし山が歩んでいることに疑いを持つならば、自分が歩んでいることを知らないのだ。自分が歩んでいないのではない、自分が歩んでいることに気がつかないのだ。自己とは歩むものだと知るならば、そのとき、青山で歩んでいることを知るはずである。自然存在としての青山はもとより有情でもない、非情でもない、眼耳鼻舌身意など六根の作用とは無縁である、自己もまたもともとの自然存在としては有情でもない、非情でもない。青山とは大自然そのものを意味するのであるから、青山が歩んでいることに疑いを持つことはできない」(〔現代文訳〕正法眼蔵2・第二十九・山水経・P.219~220」河出文庫 二〇〇四年)

そして「政治の季節」が終わりはするもののたった数年後、今度はフランス・パリで「一九六八年五月」が出現する。またたく間に全世界へ広がった学生を主体とする新しい政治運動の暴風。ブランショはいう。

「六十八年五月は、容認されたあるいは期待された社会的諸形態を根底から揺るがせる祝祭のように、不意に訪れた幸福な出会いの中で、《爆発的なコミュニケーション》が、言いかえれば各人に階級や年齢、性や文化の相違をこえて、初対面の人と彼らがまさしく見なれた-未知の人であるがゆえにすでに仲のいい友人のようにして付き合うことができるような、そんな開域が、企ても謀議もなしに発現しうる(発現の通常の諸形態をはるかにこえて発現する)のだということをはっきりと示して見せた」(ブランショ「明かしえぬ共同体・2・P.64」ちくま学芸文庫 一九九七年)

だが「民衆」とはなんなのか。「学生・労働者・市民の皆さん」とはなんなのか。世界中の至るところで彼らはそう呼びかけた。ブランショはそれら《匿名》の《力で充満する諸運動》への同意とともにその厄介な困難さを述べる。

「そこに現前ーーー瞬時に無媒介に実現されるユートピアとして理解された現前、従って未来はなく、従って現在はない、つまりは通常の時間の諸規定の彼方どこかに時間を開くためであるかのように宙吊りにされた現前ーーーというものの曖昧さがあったのであり、今もなおあるのである。《民衆》の現前?耳障りのよいこの語に訴えることはすでにして語の濫用があった。さもなければこの語は、個別の政治的諸決定にいつでも備えている社会的諸勢力の総体としてではなく、いかなる権力をも引き受けまいとする彼らの本能的な拒絶の中で、そして彼らが委託してもいるだろうある権力と混同されることに対する徹底した警戒の中で、つまりはその『無能力の宣言』の中で理解されるべきものだった。無数に発生した諸もろの『委員会』(これについてはすでに触れた)の曖昧さもそこに由来していたのであり、彼らは組織たらざることをよしとしながら非組織を組織すると主張したが、その組織は『自発的に意思表示する無数無名の民衆の群』(ジョルジュ・プレリ)と区別されるべくもなかった。行動なき行動委員会、あるいはそれまでの友情を否認して《友愛》(その場に生まれる仲間意識)ーーーそこにいる、ということの要請、それも人格としてあるいは主体としてではなく、親しみに包まれて無名、非人称の運動の参加者としてそこにいる、ということの要請が伝播する友愛ーーーに訴えるサークルであることの難しさ」(ブランショ「明かしえぬ共同体・2・P.67~68」ちくま学芸文庫 一九九七年)

ブランショはいささか興奮を交えながら不可能性と諦観とを込めていう。「爆発的なコミュニケーション」と。一方ドゥルーズは案外ふつうにいう。

「六十八年がもたらしたのは、現実界の一義性を目のあたりにするという強烈な体験だった。私はそう信じています。六十八年を憎む人や、六十八年は否認されて当然と思っている人に言わせると、あれは象徴界か想像界の問題だったということになります。しかし象徴界も想像界もまったく問題なかった。純粋な現実界が闖入してきたというのが六十八年の実像ですからね」(ドゥルーズ「記号と事件・5・P.292」河出文庫 二〇〇七年)

「現実界」はラカン特有の用語。たいへん難解な語義であるにもかかわらず簡略化することができる。例えばダンテ「神曲」は三層構造をなしていて「地獄・煉獄・天国」へ至る。ラカン用語へ変換すると「現実界・想像界・象徴界」に妥当させて考えることができる。ラカンが「現実界(リアル)」というのは「制度としての身体の不在・ばらばら・どろどろ・支離滅裂・散乱」という感じだろう。「煉獄=想像界」はごくふつうに人間たちが一般的制度に従って生きている世間・社会。「天国=象徴界」は言語だけで成立する天上世界。ところが「六十八年五月」は制度化される前の生身のままの<力への意志>が社会制度の裂け目を切開して出現し、うねうねくねくね流動した前代未聞の政治運動。その間、事実上、制度的なものは一旦「棚上げ」される。とともにアナーキーな匿名のうねりとして「現実界が闖入してきた」ということになる。しかしもっとも、個人的に見た記憶はまるでない。六十八年一月生まれなので目は開いていても記憶に残っている世代ではないのが残念といえば言えるかもしれない。

「秋刀魚の味」は六〇年安保の頃に制作された。プルースト作品で<私>がヴィルパリジ夫人のサロンを訪れた時の話題は例の「ドレフェス事件」で持ちきりだった。サロンで語られていたのは極めて慎重な言葉遣いが要求される政治的な話題だったのである。ところがいずれの作品も直接政治について語ることはない。世間の話題は話題性にあって話題の対象にはない。「ドレフェス事件」にせよ「秋刀魚の味」にせよ。しかしとりわけ「秋刀魚の味」から政治色が脱色されているのはなぜだろう。脱色すればするほど逆に目立つということを小津安二郎が知らないわけがない。そして「秋刀魚の味」に秋刀魚は一度も出てこない。そこまでくると手に負えない問題集ででもあるかのように見えてくる。ヴィルパルジ夫人のサロンでは「ドレフェス事件」はただ単なる話題として提供されているに過ぎず、それが延々つづく。少しばかり事件に触れてはいるもののそれは賛成か反対かどちらなのかと言うような言わないような曖昧なものだ。後者に該当するような場合についてバルトはいう。

「《告白》された多少の悪は、かくされた多くの悪を認めることを免除する」(バルト「神話作用・P.43」現代思潮社 一九六七年)

それにしても秋刀魚は加速的な値上げのためもはや民衆の食卓から姿を消しつつある。小津にすればまさか秋刀魚が高級魚になる日が来るとは夢にも思っていなかったに違いない。本当にそんな日が来てしまったことももう知らない。

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