サン=ルー(ロベール)がなぜラシェルと恋愛関係を持ったのか、ヴィルパリジ夫人は理解できないと公言する。その言葉の中にこうある。「ーーーともあろう人がどうしてーーー」。作品「失われた時を求めて」では何度か出てくる重要なフレーズ。「どんな人がどんなものを好きになろうと、もちろん自由」であるどころか「それこそ恋愛のすばらしいところで、だからこそ恋愛が<神秘的>になる」という。ヴィルパリジ夫人のいう「神秘的」というのはどんな意味なのかほとんどわからないのだが、夫人自身がどう思っているかはともかく、他人の恋愛について自由を尊重する立場を取る。そしてこの頃、「新しい文学が、新聞による通俗化やある種の会話などを通じていくぶん夫人のなかにも浸透していた」のは確かだ。
「『私には理解できませんの』と公爵夫人はさらに言う、『ロベールともあろう人がどうしてあんな女を愛するようになったのか。そりゃ、この手のことをとやかく言うべきではないことぐらい、私だって承知していますけど』と言い添えた夫人の口をすぼめた不満顔は、哲学者のようにも幻滅した感傷家のようにも見えた。『どんな人がどんなものを好きになろうと、もちろん自由ですわ。それにーーーそんなことをつけ加えたのは、夫人がいまだにばかにしていた新しい文学が、新聞による通俗化やある種の会話などを通じていくぶん夫人のなかにも浸透していたからであるーーー、それこそ恋愛のすばらしいところで、だからこそ恋愛が<神秘的>になるのですから』」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.124~125」岩波文庫 二〇一三年)
ヴィルパリジ夫人が恋愛について考えている「神秘的」な部分。カントのいう「物自体」を指して言われていると思われる。
「たとえ私が純粋悟性によって、《物自体について》何ごとかを総合的に言い得るとしても(だがこれは不可能である)、私はこのことを現象に関係させるわけにはいかないだろう、現象は物自体を表示するものではないからである。それだから現象に関係する場合には、私は私の概念を先験的反省において常に感性の条件のもとで互に比較せねばなるまい。すると空間および時間は、物自体の規定ではなくて、現象の規定であるということになる。また物自体がなんであろうとも、私はそれを知らないし、また知る必要もない、私にとっては、物は現象においてしか現われ得ないからである」(カント「純粋理性批判・上・1・第一部・第二篇・第三章・P.352~353」岩波文庫 一九六一年)
だがもっと重要なのは、「新しい文学」とはどんな文学を指していっているのか、という点。十九世紀半ば頃のヨーロッパに出現した<近代文学>のことだ。バルトから二箇所。
(1)「バルザックの三人称とフロベールの三人称のあいだには大きな隔たり(一八四八年の革命による隔たり)がある。バルザックには『歴史』があり、様相としては荒々しいが、矛盾がなく確実で、秩序の勝利となっている。フロベールには芸術があり、うしろめたさから逃れるために、慣習に負荷をかけたり、激昂して慣習を破壊しようとしたりする。現代性とは、不可能な『文学』の探求とともにはじまるのである」(バルト「小説のエクリチュール」『零度のエクリチュール・P.49』みすず書房 二〇〇八年)
(2)「フロベールは、パトスという技術的な規則をふくんだーーー逆説的なことだがーーー規範的なエクリチュールを作りだした」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.79』みすず書房 二〇〇八年)
それらを読破して育ってきた作家たちはプルーストが次のように書くように書く。もはやステレオタイプ(常套句)として確立されている。
「『神秘的とは!いや!それはいささか言いすぎかと思いますが』とアルジャンクール伯爵は言う。『そんなことないわ、非常に神秘的なものよ、恋愛は』と言った公爵夫人は、社交界の愛想のいい貴婦人として穏やかな笑みを浮かべていたが、その口調にはワーグナー崇拝者の女性が社交クラブの男に『ワルキューレ』のなかに存在するのは騒音だけではない、と断言するときと同様の一徹な確信がこめられていた。『もっとも、結局のところ、人がなぜある人を愛するかなんて、わかるわけがありません。私たちの考えているのとはまるで違うことが原因なのかもしれません』と夫人は笑いながら言い添えたが、そんな解釈を口にすることで今しがた述べた説を一挙に斥けたのである。『それに、結局のところ、人間にはなにひとつわからないのですね』と夫人は、懐疑的な疲れはてた顔をして結論をくだした、『ですから、まあ、ずっと<賢明>なのでしょうね、恋人たちの選択についてはあれこれ言うべきではないと考えるほうが』」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.125~126」岩波文庫 二〇一三年)
作品の中で実にしばしば繰り返される音楽家の名。ワーグナー。ゲルマント公爵の登場とほぼ同じ箇所でやや唐突に出てくる。ここでは次の部分。
ワーグナー「ワルキューレ・第三幕」『ニーベルングの指輪』
次に引用する箇所は<身振り>に関する重要な考察。一度引用しておいた。というのはシャルリュスの同性愛について述べておく必要があったからだが。ここで問題とされる<身振り>は言葉遣いである。「人は、自分の精神が属する階級の人たちと同様のしゃべりかたをするのであって、自分の出身階級の人たちと同じ話しかたをするのではない」と。大貴族・没落貴族・大資本家階級・プチ・ブルジョア階級・労働者階級・一般民衆・最下層階級、というふうに類別することがたやすくなっていた頃のことだ。プルーストはいう。というより説明する。
「想像力の法則だけではなく、ことば遣いの法則も関与している。ところで、ことば遣いにはふたつの法則があり、そのどちらもこのケースに当てはまるのだ。その第一の法則によると人は、自分の精神が属する階級の人たちと同様のしゃべりかたをするのであって、自分の出身階級の人たちと同じ話しかたをするのではない。この法則に鑑みればゲルマント氏は、たとえ貴族のことを話すときでも、そのことば遣いの点では『いやしくもゲルマント公爵と呼ばれる者なら』と言うにちがいない下層のプチ・ブルジョワの人間と見なしうる。それにたいしてスワンとかルグランダンとかの教養ある人間は、そんな言いかたはしない」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.143~144」岩波文庫 二〇一三年)
その四〇頁ほど後でようやくファッフェンハイム=ミュンスターブルク=ヴァイニゲン大公の名前が出てくる。また、偶然に過ぎないにせよ、大公の名前は「ハイム」という部分を含んでいる。そこで<私>の想像力はいきなり沸騰する。
「大公の名には、最初の数音節のーーー音楽で言うーーー出だしの大胆さといい、それら音節を区切るくぐもった音の連続といい、躍動感とともに気取った純朴さが認められ、そんなゲルマンふうの鈍重な『繊細さ』は、緑なす枝々のように、暗いブルーの七宝たる『ハイム』のうえに投影され、その『ハイム』自体は、十八世紀ドイツの、精巧な細工をほどこした、くすんだ金箔張りの背後に、ライン地方のステンドグラスの神秘をただよわせていた。この名を構成するさまざまな名称のなかには、私がほんの子供のころ祖母と滞在したドイツの小さな鉱泉町の名が含まれていた」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.189~190」岩波文庫 二〇一三年)
この「大公」という言葉で何か思い出さないだろうか。プルーストは知っている。知っていて用いている。ベートーヴェンの楽曲の一つだ。また村上春樹「海辺のカフカ」の中で登場する。村上春樹の読者なら誰でも知っているに違いない。
ベートーヴェン「ピアノ・トリオ<大公>」
プルーストがいうようにそれぞれの間には何の関係も見当たらず、本当に何一つ関係のない関係が不意に接続し合って出現する。言語はまるで手品のようだ。そしてまた小津安二郎の映画も、誤解されて始めて外国へ紹介された。どう考えても不可解でならない観念と結び付けられて紹介され、そして当然のように絶賛された。蓮実重彦はいう。
「雨や寒さを欠いた自然ほど反=日本的なものもまたとあるまい。その意味で、イギリスにおけるもっとも早い小津の紹介者でもあるトム・ミルズによる小津的『作品』と俳句の比較ほど奇妙なものもなかろうと思う。ポール・シュレイダーが『寂』や『侘』を持ち出して『幽玄』を語るときも、ドナルド・リチーが『もののあわれ』を口にするときも、われわれはきわめて居心地の悪い思いに誘われる。小津の画面を組み立てている光線は、とてもそうした日本的美意識へと人を誘うことはないものだからである」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・7・P.217~218」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
まるで関係のない「寂・侘・幽玄・もののあわれ」との接続。日本人自身がこの種の恣意性にまったく気づいていないという驚愕すべき事態として世界へ向けて、数々の誤解された形容詞を伴い彩られつつ堂々と紹介された。<小津神話>の誕生である。小津安二郎自身が意図していたこととはまるで異なるであろう映画として世界へ羽ばたくことになった。もっとも、映画監督は作品に語らせるのが仕事であって、監督自身があれこれ言うわけではない。そのほんの隙間に映画評論家や社会評論家といった人々が棲息している。それら一切の勘違いにもかかわらず、動かしようのない証拠として蓮実はいう。
「『東京物語』は途方もなく感動的な映画だといわねばならぬ。それは、東山千栄子が息を引きとる朝の澄みきった空と、やがてあたりに乾いた陽光となって降り注ぐことになるだろう暑さとが、生なましくフィルムに定着されているからである」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・7・P.219~220」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
言わずもがなのことを言う役割を担うことになったのは蓮実の側であり、映像を見る限り実際その通りだ。
「おそらく『東京物語』は、そのほとんどが快晴の空の下に展開される小津のモノクロームの作品系列の中でも、暑さの印象をとりわけみごとに定着しえた作品だろう。感動的なのは、その一貫した暑さなのだ」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・7・P.223」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
レンブラントの絵画のような大仕掛けな陰翳はどこにもない。ほとんどのシーンが陽光に釘付けされているか、さもなければただ単なる夜景であり夜の家屋なのだ。蓮実のいう「一貫した暑さ」。それは誰もが一様にうちわをせわしなく振り回していることでわかるわけだが、それにしてもなぜ登場人物たちはあれほどせっせとうちわを振り回しているのだろうか。理由?誰もしらない。
BGM1
BGM2
BGM3
「『私には理解できませんの』と公爵夫人はさらに言う、『ロベールともあろう人がどうしてあんな女を愛するようになったのか。そりゃ、この手のことをとやかく言うべきではないことぐらい、私だって承知していますけど』と言い添えた夫人の口をすぼめた不満顔は、哲学者のようにも幻滅した感傷家のようにも見えた。『どんな人がどんなものを好きになろうと、もちろん自由ですわ。それにーーーそんなことをつけ加えたのは、夫人がいまだにばかにしていた新しい文学が、新聞による通俗化やある種の会話などを通じていくぶん夫人のなかにも浸透していたからであるーーー、それこそ恋愛のすばらしいところで、だからこそ恋愛が<神秘的>になるのですから』」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.124~125」岩波文庫 二〇一三年)
ヴィルパリジ夫人が恋愛について考えている「神秘的」な部分。カントのいう「物自体」を指して言われていると思われる。
「たとえ私が純粋悟性によって、《物自体について》何ごとかを総合的に言い得るとしても(だがこれは不可能である)、私はこのことを現象に関係させるわけにはいかないだろう、現象は物自体を表示するものではないからである。それだから現象に関係する場合には、私は私の概念を先験的反省において常に感性の条件のもとで互に比較せねばなるまい。すると空間および時間は、物自体の規定ではなくて、現象の規定であるということになる。また物自体がなんであろうとも、私はそれを知らないし、また知る必要もない、私にとっては、物は現象においてしか現われ得ないからである」(カント「純粋理性批判・上・1・第一部・第二篇・第三章・P.352~353」岩波文庫 一九六一年)
だがもっと重要なのは、「新しい文学」とはどんな文学を指していっているのか、という点。十九世紀半ば頃のヨーロッパに出現した<近代文学>のことだ。バルトから二箇所。
(1)「バルザックの三人称とフロベールの三人称のあいだには大きな隔たり(一八四八年の革命による隔たり)がある。バルザックには『歴史』があり、様相としては荒々しいが、矛盾がなく確実で、秩序の勝利となっている。フロベールには芸術があり、うしろめたさから逃れるために、慣習に負荷をかけたり、激昂して慣習を破壊しようとしたりする。現代性とは、不可能な『文学』の探求とともにはじまるのである」(バルト「小説のエクリチュール」『零度のエクリチュール・P.49』みすず書房 二〇〇八年)
(2)「フロベールは、パトスという技術的な規則をふくんだーーー逆説的なことだがーーー規範的なエクリチュールを作りだした」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.79』みすず書房 二〇〇八年)
それらを読破して育ってきた作家たちはプルーストが次のように書くように書く。もはやステレオタイプ(常套句)として確立されている。
「『神秘的とは!いや!それはいささか言いすぎかと思いますが』とアルジャンクール伯爵は言う。『そんなことないわ、非常に神秘的なものよ、恋愛は』と言った公爵夫人は、社交界の愛想のいい貴婦人として穏やかな笑みを浮かべていたが、その口調にはワーグナー崇拝者の女性が社交クラブの男に『ワルキューレ』のなかに存在するのは騒音だけではない、と断言するときと同様の一徹な確信がこめられていた。『もっとも、結局のところ、人がなぜある人を愛するかなんて、わかるわけがありません。私たちの考えているのとはまるで違うことが原因なのかもしれません』と夫人は笑いながら言い添えたが、そんな解釈を口にすることで今しがた述べた説を一挙に斥けたのである。『それに、結局のところ、人間にはなにひとつわからないのですね』と夫人は、懐疑的な疲れはてた顔をして結論をくだした、『ですから、まあ、ずっと<賢明>なのでしょうね、恋人たちの選択についてはあれこれ言うべきではないと考えるほうが』」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.125~126」岩波文庫 二〇一三年)
作品の中で実にしばしば繰り返される音楽家の名。ワーグナー。ゲルマント公爵の登場とほぼ同じ箇所でやや唐突に出てくる。ここでは次の部分。
ワーグナー「ワルキューレ・第三幕」『ニーベルングの指輪』
次に引用する箇所は<身振り>に関する重要な考察。一度引用しておいた。というのはシャルリュスの同性愛について述べておく必要があったからだが。ここで問題とされる<身振り>は言葉遣いである。「人は、自分の精神が属する階級の人たちと同様のしゃべりかたをするのであって、自分の出身階級の人たちと同じ話しかたをするのではない」と。大貴族・没落貴族・大資本家階級・プチ・ブルジョア階級・労働者階級・一般民衆・最下層階級、というふうに類別することがたやすくなっていた頃のことだ。プルーストはいう。というより説明する。
「想像力の法則だけではなく、ことば遣いの法則も関与している。ところで、ことば遣いにはふたつの法則があり、そのどちらもこのケースに当てはまるのだ。その第一の法則によると人は、自分の精神が属する階級の人たちと同様のしゃべりかたをするのであって、自分の出身階級の人たちと同じ話しかたをするのではない。この法則に鑑みればゲルマント氏は、たとえ貴族のことを話すときでも、そのことば遣いの点では『いやしくもゲルマント公爵と呼ばれる者なら』と言うにちがいない下層のプチ・ブルジョワの人間と見なしうる。それにたいしてスワンとかルグランダンとかの教養ある人間は、そんな言いかたはしない」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.143~144」岩波文庫 二〇一三年)
その四〇頁ほど後でようやくファッフェンハイム=ミュンスターブルク=ヴァイニゲン大公の名前が出てくる。また、偶然に過ぎないにせよ、大公の名前は「ハイム」という部分を含んでいる。そこで<私>の想像力はいきなり沸騰する。
「大公の名には、最初の数音節のーーー音楽で言うーーー出だしの大胆さといい、それら音節を区切るくぐもった音の連続といい、躍動感とともに気取った純朴さが認められ、そんなゲルマンふうの鈍重な『繊細さ』は、緑なす枝々のように、暗いブルーの七宝たる『ハイム』のうえに投影され、その『ハイム』自体は、十八世紀ドイツの、精巧な細工をほどこした、くすんだ金箔張りの背後に、ライン地方のステンドグラスの神秘をただよわせていた。この名を構成するさまざまな名称のなかには、私がほんの子供のころ祖母と滞在したドイツの小さな鉱泉町の名が含まれていた」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.189~190」岩波文庫 二〇一三年)
この「大公」という言葉で何か思い出さないだろうか。プルーストは知っている。知っていて用いている。ベートーヴェンの楽曲の一つだ。また村上春樹「海辺のカフカ」の中で登場する。村上春樹の読者なら誰でも知っているに違いない。
ベートーヴェン「ピアノ・トリオ<大公>」
プルーストがいうようにそれぞれの間には何の関係も見当たらず、本当に何一つ関係のない関係が不意に接続し合って出現する。言語はまるで手品のようだ。そしてまた小津安二郎の映画も、誤解されて始めて外国へ紹介された。どう考えても不可解でならない観念と結び付けられて紹介され、そして当然のように絶賛された。蓮実重彦はいう。
「雨や寒さを欠いた自然ほど反=日本的なものもまたとあるまい。その意味で、イギリスにおけるもっとも早い小津の紹介者でもあるトム・ミルズによる小津的『作品』と俳句の比較ほど奇妙なものもなかろうと思う。ポール・シュレイダーが『寂』や『侘』を持ち出して『幽玄』を語るときも、ドナルド・リチーが『もののあわれ』を口にするときも、われわれはきわめて居心地の悪い思いに誘われる。小津の画面を組み立てている光線は、とてもそうした日本的美意識へと人を誘うことはないものだからである」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・7・P.217~218」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
まるで関係のない「寂・侘・幽玄・もののあわれ」との接続。日本人自身がこの種の恣意性にまったく気づいていないという驚愕すべき事態として世界へ向けて、数々の誤解された形容詞を伴い彩られつつ堂々と紹介された。<小津神話>の誕生である。小津安二郎自身が意図していたこととはまるで異なるであろう映画として世界へ羽ばたくことになった。もっとも、映画監督は作品に語らせるのが仕事であって、監督自身があれこれ言うわけではない。そのほんの隙間に映画評論家や社会評論家といった人々が棲息している。それら一切の勘違いにもかかわらず、動かしようのない証拠として蓮実はいう。
「『東京物語』は途方もなく感動的な映画だといわねばならぬ。それは、東山千栄子が息を引きとる朝の澄みきった空と、やがてあたりに乾いた陽光となって降り注ぐことになるだろう暑さとが、生なましくフィルムに定着されているからである」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・7・P.219~220」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
言わずもがなのことを言う役割を担うことになったのは蓮実の側であり、映像を見る限り実際その通りだ。
「おそらく『東京物語』は、そのほとんどが快晴の空の下に展開される小津のモノクロームの作品系列の中でも、暑さの印象をとりわけみごとに定着しえた作品だろう。感動的なのは、その一貫した暑さなのだ」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・7・P.223」ちくま学芸文庫 二〇一六年)
レンブラントの絵画のような大仕掛けな陰翳はどこにもない。ほとんどのシーンが陽光に釘付けされているか、さもなければただ単なる夜景であり夜の家屋なのだ。蓮実のいう「一貫した暑さ」。それは誰もが一様にうちわをせわしなく振り回していることでわかるわけだが、それにしてもなぜ登場人物たちはあれほどせっせとうちわを振り回しているのだろうか。理由?誰もしらない。
BGM1
BGM2
BGM3