ステレオタイプ(紋切型)だけでコミュニケーションが可能であったなら誰も(世界も)、苦痛一つ感じとることはなく、その解決に向けて動き出そうとすることもなかっただろう。最後に会ってから十年以上も後にジルベルトと再会した<私>。実は愛していたと告白する。ジルベルトは思いもよらぬ言葉に答える。ずっと昔から本当は互いに「相思相愛」の間柄だったと判明する。
「『なぜそう言ってくれなかったの?そんなこと夢にも想わなかったわ。だって、わたしのほうがあなたを愛していたんですもの。一度なんか、慌ててあなたの気を惹こうとしたくらいよ』。『それって、いつの話です?』。『最初はタンソンヴィル、あなたは家族のかたと散歩中で、わたしは家に帰ってきたところだったけれど、あんなかわいい男の子を見たことはなかったわ。いつもわたしは』と、ジルベルトは恥ずかしそうなあいまいな表情をして言い添えた、『男の子たちとルーサンヴィルの天守閣の廃墟へ遊びに行っていたの。きっとしつけの悪い娘だとおっしゃるでしょうけれど、その廃墟のなかにいろんな女の子や男の子が集まって、暗がりでいたずらをしてたの。コンブレーの教会の聖歌隊員だったテオドールなんか、正直いって、なんともすてきな子だったわ(ほんとにかっこよかったの!)。テオドールもずいぶん不恰好な男になってしまったけれど(いまはメゼグリーズで薬剤師をしているとか)、あそこで近所の農家の娘とだれかれ構わず遊んでいたわ。わたしはひとりで外出するのを許されていたので、家を抜け出せると、すぐにあそこへ駆けつけたものよ。あなたに来てもらいたいってどれほど願ったことか、とても口では言えないわ。よく憶えてるけれど、わたしの願いをあなたにわかってもらおうとしたって時間はわずかでしょ、で、あなたのご両親やうちの両親に見つかるのは覚悟のうえで、ずいぶん露骨な形であなたに合図を送ったの、いま思うと恥ずかしいくらい。でも、あなたはひどく意地悪な目でわたしを睨みつけたので、ああ、その気がないんだなって悟ったの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.27~28」岩波文庫 二〇一八年)
ジルベルトの「最初のまなざし」については以前述べた。それは<まなざし>特有のものであって常に先に見た側が見られた相手の側の内容を簒奪する構造を形作っている。だがしかし先に見た側はさきどりしているにもかかわらず、後になって一度は見られる側に立たされなくてはならない。<私>とジルベルトとの初対面の場合、ジルベルトの身振りは「私がしつけられた礼儀作法の基本からすると、無礼な軽蔑の証拠としかかんがえられ」ず、なおかつ「無礼な意図しかありえない」女の子として記憶される。
「最初のまなざしは、目の代弁者というだけでなく、不安で立ちすくむときには全感覚がまなざしという窓に動員されるように、眺める相手の肉体とともにその魂にまで触れ、それを捉えて連れてゆこうとするまなざしである。ついで第二のまなざしは、祖父と父がいまにもこの少女に気づき、自分たちのすこし前をさっさと歩くように命じて私を遠ざけるのではないかと怖れたからであろう、少女が私に注意をはらい、私と知り合いになるよう、無意識のうちに懇願するまなざしになった。少女は、前と横に瞳孔を動かして祖父と父のすがたを検分したが、そこから引き出された結論はおそらく私たちが笑止千万だということだったらしい。というのも顔をそむけ、いかにも無関心な、ばかにしたような表情でわきに身をよけ、ふたりの視野から自分の顔をそらしたからである。祖父と父は歩きつづけ、少女には気づかなかったのか、私を追い越して行った。そのあいだ少女はまなざしをずっと私のほうに向けていたが、そこにさして特別な表情はなく、私を見ているふうでもなかった。ところが穴の開くほどじっと見つめ、微笑みを隠しているまなざし自体は、私がしつけられた礼儀作法の基本からすると、無礼な軽蔑の証拠としかかんがえられなかった。そして同時に、片手ではしたない仕草をしたが、それを人前で知らない人にした場合には、わが心中のささやかな礼儀作法辞典では、その意味はただひとつ、無礼な意図しかありえないのだった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.309~310」岩波文庫 二〇一〇年)
さらにジルベルトは二度目の出会いについて述べる。<私>とばったり出会った時に「タンソンヴィルのときと同じ願望がおこった」という。タンソンヴィルは「スワン家のほう」でありまた「コンブレー」という地帯を象徴する一角。逆にゲルマントは往年の大貴族階級の象徴である。「スワン家のほう」は「スワンの恋」の章を通して性的欲望/嫉妬/家族中心主義が目立っている。ゲルマント家の側はそうではないかといえばそんなことはまるでないのだが、それらのほとんどは幾つかの身振りによって覆い隠されているだけに過ぎない。言語はしばしば身振りによって代理されることがあるというのではなく、端的にいって身振りはいつも言語なのだ。
「『二度目はね』とジルベルトはつづきを言った、『何年も経って、お宅の玄関のところで出会ったときよ、たしかオリヤーヌ叔母のところであなたに会った前の日のことで、すぐにあなたとはわからなかったの、というか、そうとは知らぬまにあなただとわかっていたようなの、だってわたしにタンソンヴィルのときと同じ願望がおこったんですもの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28~29」岩波文庫 二〇一八年)
二度目の出会いについて<私>はよく覚えている。三人の娘のうちの一人がジルベルト。そうと気づいたのは三人揃って現れた時ではなく、ジルベルトが「二度目のまなざしを投げかけた」際に「私の心は燃えあがった」からである。
「ところが数日後、私が家に帰ってきたとき、建物の玄関の丸天井の下から、ブーローニュの森であとをつけた例の三人の娘が出てくるのを見かけた。まぎれもなくそれは、三人ともすこし年上というだけで、とくに褐色の髪のふたりなどは、私がしばしば窓から眺めたり通りですれ違ったりして、私にあれこれ数えきれぬ計画を立てさせ人生を楽しくしてくれたのに知り合うことができなかった、社交界に属する娘たちだった。ブロンドの娘のほうは、いささか虚弱なのか病人のように見えて、あまり気に入らなかった。私はいっとき根が生えたように立ちどまり、その娘たちに、貼りついて逸らすこともできないような、なにか問題を解くときのように熱心な、それゆえまるで目に見えるものの向こう側にまで到達しようと意識しているようなまさざしを注いだが、しかしそのようにじっと見つめるだけでは満足できなくなった原因は、まさにブロンドの娘にあった。私はその娘たちも、ほかの多くの娘たちと同じく消え去るにまかせたにちがいなかったが、娘たちが私の前を通りすぎたとき、くだんのブロンド娘がーーーこちらがあまりにも注意ぶかく娘たちを見つめていたからだろうかーーー私にちらっと最初のまなざしを投げかけ、そしてさきまで行ってから、こちらを振り返って二度目のまなざしを投げかけたので、私の心は燃えあがった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.318~321」岩波文庫 二〇一七年)
そのような好例としてスピノザはいう。
「精神がある物体を表象するのは人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の物体の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう」(スピノザ「エチカ・上・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫 一九五一年)
またジルベルトは<私>にとって「初恋」の相手。手練手管を弄しつつ自分のものにしようと近づく。が、或る場面を見たことが決定的となり<私>によるジルベルトへの性的備給はあっけなく撤収される。
「まる一日待つことができたのは、計画を立てたおかげである。すべてを水に流してジルベルトと仲直りするからには、これからは恋する男として会うことにしよう。ジルベルトは毎日、私からこれ以上はない美しい花を受けとるだろう。スワン夫人には厳しすぎる母親を演じる権利はないはずだが、かりに花を毎日送るのを許さなければ、もっと貴重な贈りものを見つけてもっと間(ま)をおくことにしよう。私の両親は、高価なものを買うだけのお小遣いを与えてくれていなかった。ふと想いうかんだのは、古いシナの磁器の大きな壺だった。レオニ叔母が私に遺してくれた壺で、お母さんが日々、いまにフランソワーズが『あれ、こわれちゃいました』なんて言いに来て跡形もなくなってると予言していたものである。そんなことになるのなら、売り払ったほうが賢明ではないか。売れば、思いどおりにジルベルトを喜ばせることができる。私には千フランにはなる気がした。私はそれを包ませたが、これまでの習慣で一度もその壺を見たことがなかった。手放せば少なくともその値打ちがわかる利点があった。私はスワン家に出かけるときその壺をかかえて、御者にその住所を告げてシャンゼリゼを通ってゆくよう言いつけた。大通りの角に、シナの骨董品をあつかう大きな店があり、そこの店主が父親の知り合いだったのである。非常に驚いたことに、主人はその壺に即座に千フランではなく一万フランをくれた。私は大枚を嬉々として受けとった。これで一年じゅう毎日ジルベルトにふんだんにバラやリラの花を贈ることができると考えたのである。店主とわかれて馬車に戻ると、御者は、スワン夫妻がブーローニュの森のそばに住んでいたから成り行きとして、いつもの道ではなくシャンゼリゼ大通りを通ることになった。すでにベリ通りの角をすぎてスワン家のすぐ近くに来たとき、夕暮れの薄明かりのなかに私が認めたような気がしたのは、反対方向に歩いて遠ざかってゆくジルベルトのすがただった。ゆっくりと歩く足どりに迷いはない。脇にいる若い男と話しているが、その顔は見わけられなかった。私は、腰を浮かして馬車を停めさせようとして、ためらった。歩くふたりは早くもいくぶん遠ざかり、そのゆっくりした歩みは二本の穏やかな平行線となって、ますますぼやけて楽園(エリゼ)の闇に溶けていった」(プルースト「失われた時を求めて3・第二篇・一・一・P.422~424」岩波文庫 二〇一一年)
しかしジルベルトへの欲望とアルベルチーヌへの欲望とはどこでどのように異なっていたのか。(1)「制度としての顔」で述べられている区別。(2)ヴァントゥイユ作曲の「音楽形式の違い」が両者を区別する基準になる場合。(1)ジルベルトは「バラ色のカンザシの垣根の前」。アルベルチーヌは「浜辺」。(2)ジルベルトは「ソナタ」。アルベルチーヌは「合奏曲」(七重奏曲)。
(1)「突如として私は、正真正銘のジルベルトとは、正真正銘のアルベルチーヌとは、前者はバラ色のカンザシの垣根の前で、後者は浜辺で、それぞれ最初に出会った瞬間、そのまなざしのなかに心の内を明かした女がそうだったのかもしれないと想い至った」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一八年)
(2)「ヴァントゥイユのソナタを想い出してもその合奏曲を想いうかべることができなかったのと同じく、ジルベルトを手がかりにしても、アルベルチーヌを想いうかべて自分が愛する女だと想像することなどできなかったであろう」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.194」岩波文庫 二〇一七年)
これほどまで繰り返し登場するヴァントゥイユの名。ところでヴァントゥイユの住まいはどこだったか。
「ヴァントゥイユ氏が住んでいたのは、メゼグリーズのほうのモンジュヴァンで、大きな沼のほとりの、やぶに覆われた土手を背にして立つ家だった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.319」二〇一〇年)
お世辞にも明るいところだとは言いがたい。逆に薄暗い。しかし音楽に集中するにはもってこいかも知れない。「大きな沼のほとり」で「やぶに覆われた土手を背にして立つ家」。その近くに「ルーサンヴィルの天守閣」と呼ばれる廃墟があった。思春期の子どもたちがこそこそ遊びに来る溜まり場のようなところだ。<私>はこう言っている。
「残念ながら、私がいくらルーサンヴィルの天守閣に哀願しても無駄だった。私のそばに村の娘を寄こしてほしいと天守閣に頼んだのは、私の最初の性欲を打ち明けた唯一の相手だったからである」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.342」二〇一〇年)
呼べど叫べどジルベルト本人が現れるはずはない。仕方なくオナニーで済ませるだけ済ませたのだった。ところがほとんど時を同じくしてヴァントゥイユ嬢とその女友だちの二人がヴァントゥイユの肖像写真が飾ってある部屋のベッドで同性愛行為を繰り広げる。<私>にはまるで及びもつかない行為であるにもかかわらず、ヴァントゥイユの肖像写真=偶像崇拝対象に対する<最大/最低>ともいえる<冒瀆>は二人の女性によって水を得た魚のように楽々と乗り越えられていた。トランス-セックスによるトランス-顔貌性。顔という制度はこのようなトランス的(横断性的)行為によっていとも容易く解体されていたのだった。
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「『なぜそう言ってくれなかったの?そんなこと夢にも想わなかったわ。だって、わたしのほうがあなたを愛していたんですもの。一度なんか、慌ててあなたの気を惹こうとしたくらいよ』。『それって、いつの話です?』。『最初はタンソンヴィル、あなたは家族のかたと散歩中で、わたしは家に帰ってきたところだったけれど、あんなかわいい男の子を見たことはなかったわ。いつもわたしは』と、ジルベルトは恥ずかしそうなあいまいな表情をして言い添えた、『男の子たちとルーサンヴィルの天守閣の廃墟へ遊びに行っていたの。きっとしつけの悪い娘だとおっしゃるでしょうけれど、その廃墟のなかにいろんな女の子や男の子が集まって、暗がりでいたずらをしてたの。コンブレーの教会の聖歌隊員だったテオドールなんか、正直いって、なんともすてきな子だったわ(ほんとにかっこよかったの!)。テオドールもずいぶん不恰好な男になってしまったけれど(いまはメゼグリーズで薬剤師をしているとか)、あそこで近所の農家の娘とだれかれ構わず遊んでいたわ。わたしはひとりで外出するのを許されていたので、家を抜け出せると、すぐにあそこへ駆けつけたものよ。あなたに来てもらいたいってどれほど願ったことか、とても口では言えないわ。よく憶えてるけれど、わたしの願いをあなたにわかってもらおうとしたって時間はわずかでしょ、で、あなたのご両親やうちの両親に見つかるのは覚悟のうえで、ずいぶん露骨な形であなたに合図を送ったの、いま思うと恥ずかしいくらい。でも、あなたはひどく意地悪な目でわたしを睨みつけたので、ああ、その気がないんだなって悟ったの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.27~28」岩波文庫 二〇一八年)
ジルベルトの「最初のまなざし」については以前述べた。それは<まなざし>特有のものであって常に先に見た側が見られた相手の側の内容を簒奪する構造を形作っている。だがしかし先に見た側はさきどりしているにもかかわらず、後になって一度は見られる側に立たされなくてはならない。<私>とジルベルトとの初対面の場合、ジルベルトの身振りは「私がしつけられた礼儀作法の基本からすると、無礼な軽蔑の証拠としかかんがえられ」ず、なおかつ「無礼な意図しかありえない」女の子として記憶される。
「最初のまなざしは、目の代弁者というだけでなく、不安で立ちすくむときには全感覚がまなざしという窓に動員されるように、眺める相手の肉体とともにその魂にまで触れ、それを捉えて連れてゆこうとするまなざしである。ついで第二のまなざしは、祖父と父がいまにもこの少女に気づき、自分たちのすこし前をさっさと歩くように命じて私を遠ざけるのではないかと怖れたからであろう、少女が私に注意をはらい、私と知り合いになるよう、無意識のうちに懇願するまなざしになった。少女は、前と横に瞳孔を動かして祖父と父のすがたを検分したが、そこから引き出された結論はおそらく私たちが笑止千万だということだったらしい。というのも顔をそむけ、いかにも無関心な、ばかにしたような表情でわきに身をよけ、ふたりの視野から自分の顔をそらしたからである。祖父と父は歩きつづけ、少女には気づかなかったのか、私を追い越して行った。そのあいだ少女はまなざしをずっと私のほうに向けていたが、そこにさして特別な表情はなく、私を見ているふうでもなかった。ところが穴の開くほどじっと見つめ、微笑みを隠しているまなざし自体は、私がしつけられた礼儀作法の基本からすると、無礼な軽蔑の証拠としかかんがえられなかった。そして同時に、片手ではしたない仕草をしたが、それを人前で知らない人にした場合には、わが心中のささやかな礼儀作法辞典では、その意味はただひとつ、無礼な意図しかありえないのだった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.309~310」岩波文庫 二〇一〇年)
さらにジルベルトは二度目の出会いについて述べる。<私>とばったり出会った時に「タンソンヴィルのときと同じ願望がおこった」という。タンソンヴィルは「スワン家のほう」でありまた「コンブレー」という地帯を象徴する一角。逆にゲルマントは往年の大貴族階級の象徴である。「スワン家のほう」は「スワンの恋」の章を通して性的欲望/嫉妬/家族中心主義が目立っている。ゲルマント家の側はそうではないかといえばそんなことはまるでないのだが、それらのほとんどは幾つかの身振りによって覆い隠されているだけに過ぎない。言語はしばしば身振りによって代理されることがあるというのではなく、端的にいって身振りはいつも言語なのだ。
「『二度目はね』とジルベルトはつづきを言った、『何年も経って、お宅の玄関のところで出会ったときよ、たしかオリヤーヌ叔母のところであなたに会った前の日のことで、すぐにあなたとはわからなかったの、というか、そうとは知らぬまにあなただとわかっていたようなの、だってわたしにタンソンヴィルのときと同じ願望がおこったんですもの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28~29」岩波文庫 二〇一八年)
二度目の出会いについて<私>はよく覚えている。三人の娘のうちの一人がジルベルト。そうと気づいたのは三人揃って現れた時ではなく、ジルベルトが「二度目のまなざしを投げかけた」際に「私の心は燃えあがった」からである。
「ところが数日後、私が家に帰ってきたとき、建物の玄関の丸天井の下から、ブーローニュの森であとをつけた例の三人の娘が出てくるのを見かけた。まぎれもなくそれは、三人ともすこし年上というだけで、とくに褐色の髪のふたりなどは、私がしばしば窓から眺めたり通りですれ違ったりして、私にあれこれ数えきれぬ計画を立てさせ人生を楽しくしてくれたのに知り合うことができなかった、社交界に属する娘たちだった。ブロンドの娘のほうは、いささか虚弱なのか病人のように見えて、あまり気に入らなかった。私はいっとき根が生えたように立ちどまり、その娘たちに、貼りついて逸らすこともできないような、なにか問題を解くときのように熱心な、それゆえまるで目に見えるものの向こう側にまで到達しようと意識しているようなまさざしを注いだが、しかしそのようにじっと見つめるだけでは満足できなくなった原因は、まさにブロンドの娘にあった。私はその娘たちも、ほかの多くの娘たちと同じく消え去るにまかせたにちがいなかったが、娘たちが私の前を通りすぎたとき、くだんのブロンド娘がーーーこちらがあまりにも注意ぶかく娘たちを見つめていたからだろうかーーー私にちらっと最初のまなざしを投げかけ、そしてさきまで行ってから、こちらを振り返って二度目のまなざしを投げかけたので、私の心は燃えあがった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.318~321」岩波文庫 二〇一七年)
そのような好例としてスピノザはいう。
「精神がある物体を表象するのは人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の物体の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう」(スピノザ「エチカ・上・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫 一九五一年)
またジルベルトは<私>にとって「初恋」の相手。手練手管を弄しつつ自分のものにしようと近づく。が、或る場面を見たことが決定的となり<私>によるジルベルトへの性的備給はあっけなく撤収される。
「まる一日待つことができたのは、計画を立てたおかげである。すべてを水に流してジルベルトと仲直りするからには、これからは恋する男として会うことにしよう。ジルベルトは毎日、私からこれ以上はない美しい花を受けとるだろう。スワン夫人には厳しすぎる母親を演じる権利はないはずだが、かりに花を毎日送るのを許さなければ、もっと貴重な贈りものを見つけてもっと間(ま)をおくことにしよう。私の両親は、高価なものを買うだけのお小遣いを与えてくれていなかった。ふと想いうかんだのは、古いシナの磁器の大きな壺だった。レオニ叔母が私に遺してくれた壺で、お母さんが日々、いまにフランソワーズが『あれ、こわれちゃいました』なんて言いに来て跡形もなくなってると予言していたものである。そんなことになるのなら、売り払ったほうが賢明ではないか。売れば、思いどおりにジルベルトを喜ばせることができる。私には千フランにはなる気がした。私はそれを包ませたが、これまでの習慣で一度もその壺を見たことがなかった。手放せば少なくともその値打ちがわかる利点があった。私はスワン家に出かけるときその壺をかかえて、御者にその住所を告げてシャンゼリゼを通ってゆくよう言いつけた。大通りの角に、シナの骨董品をあつかう大きな店があり、そこの店主が父親の知り合いだったのである。非常に驚いたことに、主人はその壺に即座に千フランではなく一万フランをくれた。私は大枚を嬉々として受けとった。これで一年じゅう毎日ジルベルトにふんだんにバラやリラの花を贈ることができると考えたのである。店主とわかれて馬車に戻ると、御者は、スワン夫妻がブーローニュの森のそばに住んでいたから成り行きとして、いつもの道ではなくシャンゼリゼ大通りを通ることになった。すでにベリ通りの角をすぎてスワン家のすぐ近くに来たとき、夕暮れの薄明かりのなかに私が認めたような気がしたのは、反対方向に歩いて遠ざかってゆくジルベルトのすがただった。ゆっくりと歩く足どりに迷いはない。脇にいる若い男と話しているが、その顔は見わけられなかった。私は、腰を浮かして馬車を停めさせようとして、ためらった。歩くふたりは早くもいくぶん遠ざかり、そのゆっくりした歩みは二本の穏やかな平行線となって、ますますぼやけて楽園(エリゼ)の闇に溶けていった」(プルースト「失われた時を求めて3・第二篇・一・一・P.422~424」岩波文庫 二〇一一年)
しかしジルベルトへの欲望とアルベルチーヌへの欲望とはどこでどのように異なっていたのか。(1)「制度としての顔」で述べられている区別。(2)ヴァントゥイユ作曲の「音楽形式の違い」が両者を区別する基準になる場合。(1)ジルベルトは「バラ色のカンザシの垣根の前」。アルベルチーヌは「浜辺」。(2)ジルベルトは「ソナタ」。アルベルチーヌは「合奏曲」(七重奏曲)。
(1)「突如として私は、正真正銘のジルベルトとは、正真正銘のアルベルチーヌとは、前者はバラ色のカンザシの垣根の前で、後者は浜辺で、それぞれ最初に出会った瞬間、そのまなざしのなかに心の内を明かした女がそうだったのかもしれないと想い至った」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一八年)
(2)「ヴァントゥイユのソナタを想い出してもその合奏曲を想いうかべることができなかったのと同じく、ジルベルトを手がかりにしても、アルベルチーヌを想いうかべて自分が愛する女だと想像することなどできなかったであろう」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.194」岩波文庫 二〇一七年)
これほどまで繰り返し登場するヴァントゥイユの名。ところでヴァントゥイユの住まいはどこだったか。
「ヴァントゥイユ氏が住んでいたのは、メゼグリーズのほうのモンジュヴァンで、大きな沼のほとりの、やぶに覆われた土手を背にして立つ家だった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.319」二〇一〇年)
お世辞にも明るいところだとは言いがたい。逆に薄暗い。しかし音楽に集中するにはもってこいかも知れない。「大きな沼のほとり」で「やぶに覆われた土手を背にして立つ家」。その近くに「ルーサンヴィルの天守閣」と呼ばれる廃墟があった。思春期の子どもたちがこそこそ遊びに来る溜まり場のようなところだ。<私>はこう言っている。
「残念ながら、私がいくらルーサンヴィルの天守閣に哀願しても無駄だった。私のそばに村の娘を寄こしてほしいと天守閣に頼んだのは、私の最初の性欲を打ち明けた唯一の相手だったからである」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.342」二〇一〇年)
呼べど叫べどジルベルト本人が現れるはずはない。仕方なくオナニーで済ませるだけ済ませたのだった。ところがほとんど時を同じくしてヴァントゥイユ嬢とその女友だちの二人がヴァントゥイユの肖像写真が飾ってある部屋のベッドで同性愛行為を繰り広げる。<私>にはまるで及びもつかない行為であるにもかかわらず、ヴァントゥイユの肖像写真=偶像崇拝対象に対する<最大/最低>ともいえる<冒瀆>は二人の女性によって水を得た魚のように楽々と乗り越えられていた。トランス-セックスによるトランス-顔貌性。顔という制度はこのようなトランス的(横断性的)行為によっていとも容易く解体されていたのだった。
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