白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・「失われた時」と「見出された時」との<あいだ>で共振するジルベルト

2022年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ステレオタイプ(紋切型)だけでコミュニケーションが可能であったなら誰も(世界も)、苦痛一つ感じとることはなく、その解決に向けて動き出そうとすることもなかっただろう。最後に会ってから十年以上も後にジルベルトと再会した<私>。実は愛していたと告白する。ジルベルトは思いもよらぬ言葉に答える。ずっと昔から本当は互いに「相思相愛」の間柄だったと判明する。

「『なぜそう言ってくれなかったの?そんなこと夢にも想わなかったわ。だって、わたしのほうがあなたを愛していたんですもの。一度なんか、慌ててあなたの気を惹こうとしたくらいよ』。『それって、いつの話です?』。『最初はタンソンヴィル、あなたは家族のかたと散歩中で、わたしは家に帰ってきたところだったけれど、あんなかわいい男の子を見たことはなかったわ。いつもわたしは』と、ジルベルトは恥ずかしそうなあいまいな表情をして言い添えた、『男の子たちとルーサンヴィルの天守閣の廃墟へ遊びに行っていたの。きっとしつけの悪い娘だとおっしゃるでしょうけれど、その廃墟のなかにいろんな女の子や男の子が集まって、暗がりでいたずらをしてたの。コンブレーの教会の聖歌隊員だったテオドールなんか、正直いって、なんともすてきな子だったわ(ほんとにかっこよかったの!)。テオドールもずいぶん不恰好な男になってしまったけれど(いまはメゼグリーズで薬剤師をしているとか)、あそこで近所の農家の娘とだれかれ構わず遊んでいたわ。わたしはひとりで外出するのを許されていたので、家を抜け出せると、すぐにあそこへ駆けつけたものよ。あなたに来てもらいたいってどれほど願ったことか、とても口では言えないわ。よく憶えてるけれど、わたしの願いをあなたにわかってもらおうとしたって時間はわずかでしょ、で、あなたのご両親やうちの両親に見つかるのは覚悟のうえで、ずいぶん露骨な形であなたに合図を送ったの、いま思うと恥ずかしいくらい。でも、あなたはひどく意地悪な目でわたしを睨みつけたので、ああ、その気がないんだなって悟ったの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.27~28」岩波文庫 二〇一八年)

ジルベルトの「最初のまなざし」については以前述べた。それは<まなざし>特有のものであって常に先に見た側が見られた相手の側の内容を簒奪する構造を形作っている。だがしかし先に見た側はさきどりしているにもかかわらず、後になって一度は見られる側に立たされなくてはならない。<私>とジルベルトとの初対面の場合、ジルベルトの身振りは「私がしつけられた礼儀作法の基本からすると、無礼な軽蔑の証拠としかかんがえられ」ず、なおかつ「無礼な意図しかありえない」女の子として記憶される。

「最初のまなざしは、目の代弁者というだけでなく、不安で立ちすくむときには全感覚がまなざしという窓に動員されるように、眺める相手の肉体とともにその魂にまで触れ、それを捉えて連れてゆこうとするまなざしである。ついで第二のまなざしは、祖父と父がいまにもこの少女に気づき、自分たちのすこし前をさっさと歩くように命じて私を遠ざけるのではないかと怖れたからであろう、少女が私に注意をはらい、私と知り合いになるよう、無意識のうちに懇願するまなざしになった。少女は、前と横に瞳孔を動かして祖父と父のすがたを検分したが、そこから引き出された結論はおそらく私たちが笑止千万だということだったらしい。というのも顔をそむけ、いかにも無関心な、ばかにしたような表情でわきに身をよけ、ふたりの視野から自分の顔をそらしたからである。祖父と父は歩きつづけ、少女には気づかなかったのか、私を追い越して行った。そのあいだ少女はまなざしをずっと私のほうに向けていたが、そこにさして特別な表情はなく、私を見ているふうでもなかった。ところが穴の開くほどじっと見つめ、微笑みを隠しているまなざし自体は、私がしつけられた礼儀作法の基本からすると、無礼な軽蔑の証拠としかかんがえられなかった。そして同時に、片手ではしたない仕草をしたが、それを人前で知らない人にした場合には、わが心中のささやかな礼儀作法辞典では、その意味はただひとつ、無礼な意図しかありえないのだった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.309~310」岩波文庫 二〇一〇年)

さらにジルベルトは二度目の出会いについて述べる。<私>とばったり出会った時に「タンソンヴィルのときと同じ願望がおこった」という。タンソンヴィルは「スワン家のほう」でありまた「コンブレー」という地帯を象徴する一角。逆にゲルマントは往年の大貴族階級の象徴である。「スワン家のほう」は「スワンの恋」の章を通して性的欲望/嫉妬/家族中心主義が目立っている。ゲルマント家の側はそうではないかといえばそんなことはまるでないのだが、それらのほとんどは幾つかの身振りによって覆い隠されているだけに過ぎない。言語はしばしば身振りによって代理されることがあるというのではなく、端的にいって身振りはいつも言語なのだ。

「『二度目はね』とジルベルトはつづきを言った、『何年も経って、お宅の玄関のところで出会ったときよ、たしかオリヤーヌ叔母のところであなたに会った前の日のことで、すぐにあなたとはわからなかったの、というか、そうとは知らぬまにあなただとわかっていたようなの、だってわたしにタンソンヴィルのときと同じ願望がおこったんですもの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28~29」岩波文庫 二〇一八年)

二度目の出会いについて<私>はよく覚えている。三人の娘のうちの一人がジルベルト。そうと気づいたのは三人揃って現れた時ではなく、ジルベルトが「二度目のまなざしを投げかけた」際に「私の心は燃えあがった」からである。

「ところが数日後、私が家に帰ってきたとき、建物の玄関の丸天井の下から、ブーローニュの森であとをつけた例の三人の娘が出てくるのを見かけた。まぎれもなくそれは、三人ともすこし年上というだけで、とくに褐色の髪のふたりなどは、私がしばしば窓から眺めたり通りですれ違ったりして、私にあれこれ数えきれぬ計画を立てさせ人生を楽しくしてくれたのに知り合うことができなかった、社交界に属する娘たちだった。ブロンドの娘のほうは、いささか虚弱なのか病人のように見えて、あまり気に入らなかった。私はいっとき根が生えたように立ちどまり、その娘たちに、貼りついて逸らすこともできないような、なにか問題を解くときのように熱心な、それゆえまるで目に見えるものの向こう側にまで到達しようと意識しているようなまさざしを注いだが、しかしそのようにじっと見つめるだけでは満足できなくなった原因は、まさにブロンドの娘にあった。私はその娘たちも、ほかの多くの娘たちと同じく消え去るにまかせたにちがいなかったが、娘たちが私の前を通りすぎたとき、くだんのブロンド娘がーーーこちらがあまりにも注意ぶかく娘たちを見つめていたからだろうかーーー私にちらっと最初のまなざしを投げかけ、そしてさきまで行ってから、こちらを振り返って二度目のまなざしを投げかけたので、私の心は燃えあがった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.318~321」岩波文庫 二〇一七年)

そのような好例としてスピノザはいう。

「精神がある物体を表象するのは人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の物体の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう」(スピノザ「エチカ・上・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫 一九五一年)

またジルベルトは<私>にとって「初恋」の相手。手練手管を弄しつつ自分のものにしようと近づく。が、或る場面を見たことが決定的となり<私>によるジルベルトへの性的備給はあっけなく撤収される。

「まる一日待つことができたのは、計画を立てたおかげである。すべてを水に流してジルベルトと仲直りするからには、これからは恋する男として会うことにしよう。ジルベルトは毎日、私からこれ以上はない美しい花を受けとるだろう。スワン夫人には厳しすぎる母親を演じる権利はないはずだが、かりに花を毎日送るのを許さなければ、もっと貴重な贈りものを見つけてもっと間(ま)をおくことにしよう。私の両親は、高価なものを買うだけのお小遣いを与えてくれていなかった。ふと想いうかんだのは、古いシナの磁器の大きな壺だった。レオニ叔母が私に遺してくれた壺で、お母さんが日々、いまにフランソワーズが『あれ、こわれちゃいました』なんて言いに来て跡形もなくなってると予言していたものである。そんなことになるのなら、売り払ったほうが賢明ではないか。売れば、思いどおりにジルベルトを喜ばせることができる。私には千フランにはなる気がした。私はそれを包ませたが、これまでの習慣で一度もその壺を見たことがなかった。手放せば少なくともその値打ちがわかる利点があった。私はスワン家に出かけるときその壺をかかえて、御者にその住所を告げてシャンゼリゼを通ってゆくよう言いつけた。大通りの角に、シナの骨董品をあつかう大きな店があり、そこの店主が父親の知り合いだったのである。非常に驚いたことに、主人はその壺に即座に千フランではなく一万フランをくれた。私は大枚を嬉々として受けとった。これで一年じゅう毎日ジルベルトにふんだんにバラやリラの花を贈ることができると考えたのである。店主とわかれて馬車に戻ると、御者は、スワン夫妻がブーローニュの森のそばに住んでいたから成り行きとして、いつもの道ではなくシャンゼリゼ大通りを通ることになった。すでにベリ通りの角をすぎてスワン家のすぐ近くに来たとき、夕暮れの薄明かりのなかに私が認めたような気がしたのは、反対方向に歩いて遠ざかってゆくジルベルトのすがただった。ゆっくりと歩く足どりに迷いはない。脇にいる若い男と話しているが、その顔は見わけられなかった。私は、腰を浮かして馬車を停めさせようとして、ためらった。歩くふたりは早くもいくぶん遠ざかり、そのゆっくりした歩みは二本の穏やかな平行線となって、ますますぼやけて楽園(エリゼ)の闇に溶けていった」(プルースト「失われた時を求めて3・第二篇・一・一・P.422~424」岩波文庫 二〇一一年)

しかしジルベルトへの欲望とアルベルチーヌへの欲望とはどこでどのように異なっていたのか。(1)「制度としての顔」で述べられている区別。(2)ヴァントゥイユ作曲の「音楽形式の違い」が両者を区別する基準になる場合。(1)ジルベルトは「バラ色のカンザシの垣根の前」。アルベルチーヌは「浜辺」。(2)ジルベルトは「ソナタ」。アルベルチーヌは「合奏曲」(七重奏曲)。

(1)「突如として私は、正真正銘のジルベルトとは、正真正銘のアルベルチーヌとは、前者はバラ色のカンザシの垣根の前で、後者は浜辺で、それぞれ最初に出会った瞬間、そのまなざしのなかに心の内を明かした女がそうだったのかもしれないと想い至った」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一八年)

(2)「ヴァントゥイユのソナタを想い出してもその合奏曲を想いうかべることができなかったのと同じく、ジルベルトを手がかりにしても、アルベルチーヌを想いうかべて自分が愛する女だと想像することなどできなかったであろう」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.194」岩波文庫 二〇一七年)

これほどまで繰り返し登場するヴァントゥイユの名。ところでヴァントゥイユの住まいはどこだったか。

「ヴァントゥイユ氏が住んでいたのは、メゼグリーズのほうのモンジュヴァンで、大きな沼のほとりの、やぶに覆われた土手を背にして立つ家だった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.319」二〇一〇年)

お世辞にも明るいところだとは言いがたい。逆に薄暗い。しかし音楽に集中するにはもってこいかも知れない。「大きな沼のほとり」で「やぶに覆われた土手を背にして立つ家」。その近くに「ルーサンヴィルの天守閣」と呼ばれる廃墟があった。思春期の子どもたちがこそこそ遊びに来る溜まり場のようなところだ。<私>はこう言っている。

「残念ながら、私がいくらルーサンヴィルの天守閣に哀願しても無駄だった。私のそばに村の娘を寄こしてほしいと天守閣に頼んだのは、私の最初の性欲を打ち明けた唯一の相手だったからである」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.342」二〇一〇年)

呼べど叫べどジルベルト本人が現れるはずはない。仕方なくオナニーで済ませるだけ済ませたのだった。ところがほとんど時を同じくしてヴァントゥイユ嬢とその女友だちの二人がヴァントゥイユの肖像写真が飾ってある部屋のベッドで同性愛行為を繰り広げる。<私>にはまるで及びもつかない行為であるにもかかわらず、ヴァントゥイユの肖像写真=偶像崇拝対象に対する<最大/最低>ともいえる<冒瀆>は二人の女性によって水を得た魚のように楽々と乗り越えられていた。トランス-セックスによるトランス-顔貌性。顔という制度はこのようなトランス的(横断性的)行為によっていとも容易く解体されていたのだった。

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Blog21・「夕方のキス」の代補として・ベートーベン「月光」・ドビュッシー「月の光」・サティ「ジムノペディ」

2022年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム
それにしても人間の顔が「制度としての顔」になるのはなぜだろうか。顔貌性はなぜ生じるのか。顔貌性の制度化は顔をめぐる行為の儀式化の成立とともに成立する。ガタリはいう。

「この儀式を馬鹿げたものと思う父への敵対心であり、母の教育上の厳格さであり、『夕べの接吻』の儀式のまわりに、時として破局へと方向を向ける日々の実力行使を企てる、幼年期の《話者》のほとんどノイローゼ気味の横暴さである」(ガタリ「機械状無意識・第2部・第3章・P.348」法政大学出版局 一九九〇年)

プルーストは次の箇所でこう書いている。

「すべてはあのとき決定されていたのだ。あのとき私は、母の顔のうえに唇を押しあてるのを翌日まで我慢することができず、意を決してベッドから跳びおり、寝間着すがたのまま窓ぎわへ行くと、そこには月明かりが射していて、やがてスワン氏が帰っていく音を聞いた」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.295」岩波文庫 二〇一九年)

なお「月明かり」は音楽と結びついて出現している点に注意しておく必要性があるだろう。このソナタは間違いなくベートーベンのピアノ・ソナタ「月光」を指していると読者は考えるかもしれないし、おそらくそうなのだが、けれどもベートーベン「月光」として規定するためにはヴァントゥイユの「小楽節」の代補(デリダ用語)として機能するソナタでなくてはならないという条件付きで始めて可能になる。

「外では、すべてのものが、これまた貼りついたように動かず、月の光を乱すまいと、じっと息をひそめている。月の光があらゆるものの全面に、本体よりも濃密なくっきりした影を伸ばすので、本体は影のうしろに後退したかに感じられ、風景は折り畳んであった地図を広げたみたいに平らに拡大されている」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.83」岩波文庫 二〇一〇年)

この「お寝みのキス」の儀式化は、最初のうちはただ単なる習慣から生じる。

「平穏がもたらされるのは、お母さんが優しい顔を私のベッドのほうに傾け、それを平和の聖体拝領における聖体パンのように差し出すときで、そこから私の唇は母の現存と眠りこむ力をくみとる」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.45」岩波文庫 二〇一〇年)

ベートーベン:ピアノ・ソナタ「月光」

だがしかし何度も反復されることによって「お寝みのキス」の強迫神経症化は宗教的儀式化の機能を帯びるに立ち至る。フロイトはいう。

「神経症的儀式は、日常生活の一定行為のさい、つねに同じか、あるいは規則的に変更される方法で実行されている細かい仕種、付加行為、制限、規定から成り立っている。これらの行動は、われわれには単なる『形式』という印象をあたえ、いわば、まったく無意味に思われる。これは、患者自身もそう思っていないわけではないが、彼らはこれをやめることができない。というのは、この儀式に違反すればかならず耐えがたい不安という罰を受け、この不安がすぐに、中止したことの埋めあわせを強要するからである。儀式行為自体と同じように、その外見や行動もまた細かく、これらは儀式によって飾り立てられ、難しくされ、それだけにどうしても遅滞しがちになる。たとえば、衣服の着脱、就床、身体的諸欲求の充足などがこれである。ある儀式のやり方を記述するには、これをいわば一連の不文律のようなものにあてはめていけばできる、たとえば、寝床儀式ではつぎのようになる。椅子はベッドの前のこうこうきめられた位置になければならず、その椅子の上には、衣服が一定の順序でたたんでおかれていなければいけない。掛布団は足もとでさしこみ、シーツは平らに伸ばしていなければならない。クッションはかくかくに配置し、体まである正確にきめられた姿勢になっていなければいけない。こうして初めて、眠ってよいことになる。軽い症例では、儀式は、習慣上の当り前なやり方が過度になったものと同じように見える。だが、これを行なうにあたっての特殊な小心さと等閑に付したさいの不安とが、この儀式をとくに『聖なる行為』にさせている、たいていの場合、これを邪魔されることは耐えられない」(フロイト「強迫行為と宗教的礼拝」『フロイト著作集5・P.377~378』人文書院 一九六九年)

といっても近現代社会では「月光」=ベートーベンとは必ずしも限らなくなってきた。ゆえに、いずれもピアノ・ソナタで次の二作品も参照しておこう。

ドビュッシー「月の光」

サティ「ジムノペディ」

そしてまたプルーストは数限りなく反復される同一性から逃走し一回限りの「感性」へ向けて跳躍する。そのために要請され、またプルースト自身、自分で自分に向けて要請するよう行き着いた地点がある。それはプルーストという名を持つ身体を<諸断片>へ解体する作業にほかならない。

「そして自分の肉体は崩壊するに任せよう。なぜなら悲嘆のたびに肉体から新たに分離する小片は、今度は光かがやく解読可能なものとなり、もっと才能に恵まれたほかの作家なら必要としない苦痛とひき換えに作品につけ加わって作品を補い、心の動揺がこちらの生命をぼろぼろにするにつれ作品をますます堅牢にするからである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.512~513」岩波文庫 二〇一八年)

この種の解体を可能にするのはどのような方法があるだろうか。プルーストはいう。「それだけを切り離し」と。

「それは過去の一瞬、というだけのものであろうか?はるかにそれ以上のものかもしれない。むしろ過去にも現在にも共通し、この両者よりもはるかに本質的なものであろう。これまでの人生において、現実があれほど何度も私を失望させたのは、私が現実を知覚したとき、美を享受しうる唯一の器官である私の想像力が、人は不在のものしか想像できないという避けがたい法則ゆえに、現実にたいしては働かなかったからである。ところが突然、ところが突然、自然のすばらしい便法のおかげで、この厳格な法則が無効とされ、停止され、自然がある感覚ーーーフォークやハンマーの音とか、本の同一のタイトルとかーーーを過去のなかにきらめかせて想像力にその感覚を味わわせると同時に、それを現在のなかにもきらめかせ、音を聞いたり布に触れたりすることによって私の感覚を実際に震わせたことで、想像力の夢に、ふだんは欠けている存在感が付与されたのだ。そしてこの巧妙なからくりのおかげで、わが存在は、ふだんはけっして把握されることのできないもの、すなわち純粋状態にある若干の時間をーーーほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離し、不動のものにすることができたのである。私があれほど幸福に身を震わせながら、皿に当たるスプーンと車輪を叩くハンマーとに共通する音を聞いたり、ゲルマント邸の中庭とサン・マルコ洗礼堂とに共通する不揃いな敷石を踏みしめたりしたとき、私のうちによみがえった存在は、さまざまなもののエッセンスのみを糧とし、おのが実体、おのが無上の喜びをそのエッセンスのなかにのみ見出すのだ。この存在は、現在を観察するときには感覚がそのエッセンスをとりだすことができないがゆえに、また過去を考察するときには知性がその過去を干からびさせてしまうがゆえに、また未来を期待するときには、未来を築くための材料となる現在と過去のさまざまな断片から、意志が自分の指定する実用的な目的にかなう断片だけを保存し、その断片の現実性を奪ってしまうがゆえに、衰弱してしまう」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.442~443」岩波文庫 二〇一八年)

難解なように見えはする。だが日常生活の中では誰でもごく普通に行なっている。ただ自分もまたそうしているということに気づいていないに過ぎない。ドゥルーズ=ガタリはいう。

「非分節化すること、有機体であることをやめるとは、いったいどんなことか。それがどんなに単純で、われわれが毎日していることにすぎないかをどう言い表わせばよいだろう。慎重さ、処方量(ドーズ)のテクニックといったものが必要であり、オーバードーズは危険をともなう。ハンマーでめった打ちにするような仕方ではなく、繊細にやすりをかけるような仕方で進まなくてはならない。われわれは、死の欲動とはまったく異なった自己破壊を発明する。有機体を解体することは決して自殺することではなく、まさに一つのアレンジメントを想定する連結、回路、段階と閾、通路と強度の配分、領土と、測量士の仕方で測られた脱領土化というものに向けて、身体を開くことなのだ」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・上・P.327~328」河出文庫 二〇一〇年)

有機体としての社会体をやめること。それは各々の人間自身がそれぞれ社会体を構成する諸成分として立ち働くことをやめることだ。アルトーがいうように有機体としての社会体から逃走することこそ重要なのである。

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