その冬ももう終わりそうだ。「暖炉の奥からーーー海辺に行きたい」。そんな欲望が身体をくすぐるような気がしてくる頃。「閉ざされた真っ暗な私の寝室」のなかには「晴天のなま暖かさ、まぶしさ、けだるさ」が入りこんできていた。気象条件が<私>の身体を新しく刺激し始める。プルーストは述べる。「ことほどさように大気というものは、その日その日の偶然にしたがって、われわれの生体組織に深い作用をおよぼし、すっかり忘れ果てていた暗い貯蔵庫から、記憶の底に記されていながら解読されなかったメロディーをひっぱり出してくれる」と。
「その朝、私は、フィレンツェとヴェネツィアに出かけるはずであったあの年以来ずっと忘れていたカフェ・コンセールの歌のふしを自分が思わず口ずさんでいるのに気づいた。ことほどさように大気というものは、その日その日の偶然にしたがって、われわれの生体組織に深い作用をおよぼし、すっかり忘れ果てていた暗い貯蔵庫から、記憶の底に記されていながら解読されなかったメロディーをひっぱり出してくれるのだ」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.309~310」岩波文庫 二〇一三年)
身体への衝撃。それは人間の脳に働きかける。当然だと思われるかもしれない。ところがしかし、それはベルグソンが次のように述べた限りで記憶の奥底から急速に駆け上がってくるようにできている。逆円錐形で現された点Sへ向けてABの次元から瞬時に移動する。
「すなわち、点Sであらわされる感覚-運動メカニズムと、ABに配置される記憶の全体とのあいだにはーーー私たちの心理学的な生における無数の反復の余地があり、そのいずれもが、同一の円錐のA’B’、A”B”などの断面で描きだされる、ということである。私たちがABのうちに拡散する傾向をもつことになるのは、じぶんの感覚的で運動的な状態からはなれてゆき、夢の生を生きるようになる、その程度に応じている。たほう私たちがSに集中する傾向を有するのは、現在のレアリテにより緊密にむすびつけられて、運動性の反応をつうじて感覚性の刺戟に応答する、そのかぎりにおいてのことである。じっさいには正常な自我であれば、この極端な〔ふたつの〕位置のいずれかに固定されることはけっしてない。そうした自我は、両者のあいだを動きながら、中間的な断面があらわす位置をかわるがわる取ってゆくのだ。あるいは、ことばをかえれば、みずからの表象群に対して、ちょうど充分なだけのイマージュと、おなじだけの観念を与えて、それらが現在の行動に有効なかたちで協力しうるようにするのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.321図5~322」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストが「すっかり忘れ果てていた暗い貯蔵庫から、記憶の底に記されていながら解読されなかったメロディーをひっぱり出してくれる」というのはそういうことだ。
さらに<私>は眠りについてこう思う。昼間、「あまりにも長いあいだきっと眠れないだろうと考えるせいで眠りこんだ後にまでそんな思考の残滓がいくぶん存続している。それはほとんど真っ暗な闇のなかに射すかすかな光にすぎないが、まずはそれだけで私の眠りのなかに眠れないだろうという想いを反映させる」。フロイトが「夢判断」でいうように日中の記憶の残滓を素材として夢が形成されるという論理と一致している。次のように「自分は眠っていながら眠れないと考えていたという想いが眠りのなかに映し出され、さらに新たな屈折をへて、私の目覚めまでが映し出されるーーーといっても新たなひと眠りにおける目覚めで、私は部屋に入ってきた友人たちにさっきは眠りながら眠れないと想いこんでいたと語って聞かせようとする」。どこか屈折し錯綜し合い冗談としか思われないことが夢では頻繁に起こる。しかしただそれだけのことなら特に強調するまでもない。重要なのは、夢を見ている時、人間は誰しも緊張から弛緩へ移っており、弛緩している限りで、始めて人間は制度から解放されることができるということでなければならない。
「眠りこむ前に、あまりにも長いあいだきっと眠れないだろうと考えるせいで眠りこんだ後にまでそんな思考の残滓がいくぶん存続している。それはほとんど真っ暗な闇のなかに射すかすかな光にすぎないが、まずはそれだけで私の眠りのなかに眠れないだろうという想いを反映させるに充分なのだ。ついでこの反映の反映として、自分は眠っていながら眠れないと考えていたという想いが眠りのなかに映し出され、さらに新たな屈折をへて、私の目覚めまでが映し出されるーーーといっても新たなひと眠りにおける目覚めで、私は部屋に入ってきた友人たちにさっきは眠りながら眠れないと想いこんでいたと語って聞かせようとする始末である」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.315」岩波文庫 二〇一三年)
<私>はのちに「ヴェネツィアで目撃した」光景について語る。どこかで一度読んだ気がしないだろうか。エルスチールが前近代のヴェネツィアの絵画について述べた言葉とほぼ一致する。
「ずっと後にそれに似たことを私はヴェネツィアで目撃したが、日が沈んでずいぶん経って、あたりが真っ暗になったと思えても、視覚のペダルによる持続効果というべきか、目には見えない最後の光の余韻がいつまでも運河のうえに残るせいで、たそがれどきの灰色の水面に、立ち並ぶ館の影が一段と黒いビロードのごとく永遠に広がるかと思われた。私が見た夢のひとつは、とある海辺の光景とその中世における過去について私が覚醒中にしばしば想い描こうとしたものを総合していた。その夢のなかで私が見ていたのは、ステンドグラスに描かれたみたいに微動だにしない波をたたえる海に浮かぶゴシック建築の都市である。ひとつの入り海が町をふたつに分けている。私の足元にまで広がる緑色の水は、向こう岸では東方風の教会を、ついで十四世紀にはいまだ存在していた家並みを浸していて、そんな建物のほうに行くには時代の流れをさかのぼることになるだろう。このように自然のほうが芸術に学んだ結果、海までがゴシック様式になっている夢、私が不可能なものに到達したい、いや、到達していると信じている夢、そんな夢を私はすでに何度も見たような気がした。しかし自分が過去のさまざまな時点に遍在していたり新たな事物まで慣れ親しんだものに見えたりするのは、睡眠中に想い描かれたことがらに固有の特徴であるから、私はそれが自分の勘違いなのだと思っていた。ところが事実はその逆で、私は実際にそんな夢をしばしば見ていることに気づいたのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.316~317」岩波文庫 二〇一三年)
そして何度か語られてきたようにそれこそエルスチールの絵画技法と重なる。だがより一層重要なのは作品「失われた時を求めて」の構造自体がエルスチールの絵画技法と重層的関係にあるという点。エルスチールはこう言っていた。「どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかない」という<位置決定不可能性>について。
「『なにしろその画家たちが制作をした町が町だけに、描かれた祝宴も一部は海上でくり広げられましたからね。ただし当時の帆船の美しさは、多くの場合、その重々しく複雑な造りにありました。こちらで見られるような水上槍競技もありましたが、ふつうはカルパッチョが<聖女ウルスラ伝>で描いたようになんらかの使節団の歓迎行事として開催されたものでした。どの船もどっしりと巨大な御殿を想わせる建造物で、深紅のサテンとペルシャの絨毯とにおおわれた仮説橋で岸につながれていて、船のうえでは婦人たちがサクランボ色のブロケード織りや緑色のダマスク織りの衣装を身にまとい、すぐそばの極彩色の大理石を嵌めこんだバルコニーから身を乗り出して眺めているべつの婦人たちが真珠やギピュールレースを縫いつけ白のスリットを入れた黒い袖のドレスを着ているときには、船はほとんど水陸両用かと思えて、ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があります。どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかないありさまです』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.544~545」岩波文庫 二〇一二年)
ところで<私>はたまたまルグランタンと出会う。見知った間柄なのでルグランタンもあまり慎重になり過ぎずにこんな言説を述べる。現在の日本の言葉へ変換するとすれば貴族階級に対する「逆差別」と言えるだろう。
「『おや!あなたでしたか、シックなおかたがフロックコートまでお召しとは!そんなお仕着せは、私が旨(むね)とする独立不羈(ふき)にはなじまぬもの。なるほどあなたは社交人となられて、あちこち訪問なさるのでしょう!だが私のように、なかば廃墟と化した墓の前で夢みるには、わが愛用のラヴァリエール・タイとスーツでもなんら場違いではないのです。ご存じのように私は、あなたの心の美点を高く買っております。それだけにあなたが『異教徒』と交わり、その美点を捨ててしまわれるのは無念の極みというほかありません。小生には吐き気がして吸えたものではないサロンの空気のなかに、あなたが一刻でもとどまっていられること自体、あなたの将来にたいして『予言者』から断罪、劫罰を受けるに等しい所業ですぞ。私には一目瞭然ですが、あなたが交際しておられるのは『軽薄な心』の城館住まいの輩で、そんなつき合いは現代ブルジョワジーの悪習というほかありません。いやはや!『恐怖政治』が貴族どもの首をひとつ残らずはねなかったことこそ非難されて然るべきでしょう。どいつもこいつもいまいましい放蕩者で、さもなくばただのとんでもない間抜けです」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.333」岩波文庫 二〇一三年)
極めて意味慎重な発言が不意に挿入される。読者は思うだろう。プルーストの作品はただ単に上流社交界の内幕を<暴露>しているに過ぎないと言いきってしまうわけにもいかない、<諸断片複合体>として切断と接続とを何度も繰り返していく生産装置に出くわしたような<衝撃>を与えると。
BGM1
BGM2
BGM3
「その朝、私は、フィレンツェとヴェネツィアに出かけるはずであったあの年以来ずっと忘れていたカフェ・コンセールの歌のふしを自分が思わず口ずさんでいるのに気づいた。ことほどさように大気というものは、その日その日の偶然にしたがって、われわれの生体組織に深い作用をおよぼし、すっかり忘れ果てていた暗い貯蔵庫から、記憶の底に記されていながら解読されなかったメロディーをひっぱり出してくれるのだ」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.309~310」岩波文庫 二〇一三年)
身体への衝撃。それは人間の脳に働きかける。当然だと思われるかもしれない。ところがしかし、それはベルグソンが次のように述べた限りで記憶の奥底から急速に駆け上がってくるようにできている。逆円錐形で現された点Sへ向けてABの次元から瞬時に移動する。
「すなわち、点Sであらわされる感覚-運動メカニズムと、ABに配置される記憶の全体とのあいだにはーーー私たちの心理学的な生における無数の反復の余地があり、そのいずれもが、同一の円錐のA’B’、A”B”などの断面で描きだされる、ということである。私たちがABのうちに拡散する傾向をもつことになるのは、じぶんの感覚的で運動的な状態からはなれてゆき、夢の生を生きるようになる、その程度に応じている。たほう私たちがSに集中する傾向を有するのは、現在のレアリテにより緊密にむすびつけられて、運動性の反応をつうじて感覚性の刺戟に応答する、そのかぎりにおいてのことである。じっさいには正常な自我であれば、この極端な〔ふたつの〕位置のいずれかに固定されることはけっしてない。そうした自我は、両者のあいだを動きながら、中間的な断面があらわす位置をかわるがわる取ってゆくのだ。あるいは、ことばをかえれば、みずからの表象群に対して、ちょうど充分なだけのイマージュと、おなじだけの観念を与えて、それらが現在の行動に有効なかたちで協力しうるようにするのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.321図5~322」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストが「すっかり忘れ果てていた暗い貯蔵庫から、記憶の底に記されていながら解読されなかったメロディーをひっぱり出してくれる」というのはそういうことだ。
さらに<私>は眠りについてこう思う。昼間、「あまりにも長いあいだきっと眠れないだろうと考えるせいで眠りこんだ後にまでそんな思考の残滓がいくぶん存続している。それはほとんど真っ暗な闇のなかに射すかすかな光にすぎないが、まずはそれだけで私の眠りのなかに眠れないだろうという想いを反映させる」。フロイトが「夢判断」でいうように日中の記憶の残滓を素材として夢が形成されるという論理と一致している。次のように「自分は眠っていながら眠れないと考えていたという想いが眠りのなかに映し出され、さらに新たな屈折をへて、私の目覚めまでが映し出されるーーーといっても新たなひと眠りにおける目覚めで、私は部屋に入ってきた友人たちにさっきは眠りながら眠れないと想いこんでいたと語って聞かせようとする」。どこか屈折し錯綜し合い冗談としか思われないことが夢では頻繁に起こる。しかしただそれだけのことなら特に強調するまでもない。重要なのは、夢を見ている時、人間は誰しも緊張から弛緩へ移っており、弛緩している限りで、始めて人間は制度から解放されることができるということでなければならない。
「眠りこむ前に、あまりにも長いあいだきっと眠れないだろうと考えるせいで眠りこんだ後にまでそんな思考の残滓がいくぶん存続している。それはほとんど真っ暗な闇のなかに射すかすかな光にすぎないが、まずはそれだけで私の眠りのなかに眠れないだろうという想いを反映させるに充分なのだ。ついでこの反映の反映として、自分は眠っていながら眠れないと考えていたという想いが眠りのなかに映し出され、さらに新たな屈折をへて、私の目覚めまでが映し出されるーーーといっても新たなひと眠りにおける目覚めで、私は部屋に入ってきた友人たちにさっきは眠りながら眠れないと想いこんでいたと語って聞かせようとする始末である」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.315」岩波文庫 二〇一三年)
<私>はのちに「ヴェネツィアで目撃した」光景について語る。どこかで一度読んだ気がしないだろうか。エルスチールが前近代のヴェネツィアの絵画について述べた言葉とほぼ一致する。
「ずっと後にそれに似たことを私はヴェネツィアで目撃したが、日が沈んでずいぶん経って、あたりが真っ暗になったと思えても、視覚のペダルによる持続効果というべきか、目には見えない最後の光の余韻がいつまでも運河のうえに残るせいで、たそがれどきの灰色の水面に、立ち並ぶ館の影が一段と黒いビロードのごとく永遠に広がるかと思われた。私が見た夢のひとつは、とある海辺の光景とその中世における過去について私が覚醒中にしばしば想い描こうとしたものを総合していた。その夢のなかで私が見ていたのは、ステンドグラスに描かれたみたいに微動だにしない波をたたえる海に浮かぶゴシック建築の都市である。ひとつの入り海が町をふたつに分けている。私の足元にまで広がる緑色の水は、向こう岸では東方風の教会を、ついで十四世紀にはいまだ存在していた家並みを浸していて、そんな建物のほうに行くには時代の流れをさかのぼることになるだろう。このように自然のほうが芸術に学んだ結果、海までがゴシック様式になっている夢、私が不可能なものに到達したい、いや、到達していると信じている夢、そんな夢を私はすでに何度も見たような気がした。しかし自分が過去のさまざまな時点に遍在していたり新たな事物まで慣れ親しんだものに見えたりするのは、睡眠中に想い描かれたことがらに固有の特徴であるから、私はそれが自分の勘違いなのだと思っていた。ところが事実はその逆で、私は実際にそんな夢をしばしば見ていることに気づいたのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.316~317」岩波文庫 二〇一三年)
そして何度か語られてきたようにそれこそエルスチールの絵画技法と重なる。だがより一層重要なのは作品「失われた時を求めて」の構造自体がエルスチールの絵画技法と重層的関係にあるという点。エルスチールはこう言っていた。「どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかない」という<位置決定不可能性>について。
「『なにしろその画家たちが制作をした町が町だけに、描かれた祝宴も一部は海上でくり広げられましたからね。ただし当時の帆船の美しさは、多くの場合、その重々しく複雑な造りにありました。こちらで見られるような水上槍競技もありましたが、ふつうはカルパッチョが<聖女ウルスラ伝>で描いたようになんらかの使節団の歓迎行事として開催されたものでした。どの船もどっしりと巨大な御殿を想わせる建造物で、深紅のサテンとペルシャの絨毯とにおおわれた仮説橋で岸につながれていて、船のうえでは婦人たちがサクランボ色のブロケード織りや緑色のダマスク織りの衣装を身にまとい、すぐそばの極彩色の大理石を嵌めこんだバルコニーから身を乗り出して眺めているべつの婦人たちが真珠やギピュールレースを縫いつけ白のスリットを入れた黒い袖のドレスを着ているときには、船はほとんど水陸両用かと思えて、ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があります。どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかないありさまです』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.544~545」岩波文庫 二〇一二年)
ところで<私>はたまたまルグランタンと出会う。見知った間柄なのでルグランタンもあまり慎重になり過ぎずにこんな言説を述べる。現在の日本の言葉へ変換するとすれば貴族階級に対する「逆差別」と言えるだろう。
「『おや!あなたでしたか、シックなおかたがフロックコートまでお召しとは!そんなお仕着せは、私が旨(むね)とする独立不羈(ふき)にはなじまぬもの。なるほどあなたは社交人となられて、あちこち訪問なさるのでしょう!だが私のように、なかば廃墟と化した墓の前で夢みるには、わが愛用のラヴァリエール・タイとスーツでもなんら場違いではないのです。ご存じのように私は、あなたの心の美点を高く買っております。それだけにあなたが『異教徒』と交わり、その美点を捨ててしまわれるのは無念の極みというほかありません。小生には吐き気がして吸えたものではないサロンの空気のなかに、あなたが一刻でもとどまっていられること自体、あなたの将来にたいして『予言者』から断罪、劫罰を受けるに等しい所業ですぞ。私には一目瞭然ですが、あなたが交際しておられるのは『軽薄な心』の城館住まいの輩で、そんなつき合いは現代ブルジョワジーの悪習というほかありません。いやはや!『恐怖政治』が貴族どもの首をひとつ残らずはねなかったことこそ非難されて然るべきでしょう。どいつもこいつもいまいましい放蕩者で、さもなくばただのとんでもない間抜けです」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.333」岩波文庫 二〇一三年)
極めて意味慎重な発言が不意に挿入される。読者は思うだろう。プルーストの作品はただ単に上流社交界の内幕を<暴露>しているに過ぎないと言いきってしまうわけにもいかない、<諸断片複合体>として切断と接続とを何度も繰り返していく生産装置に出くわしたような<衝撃>を与えると。
BGM1
BGM2
BGM3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/2e/55a32afb1ebeed96e4bad669c5e10289.jpg)