白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて7

2022年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム
アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

(2)絵画。第六回。使用する文房具は主に、定規・三角定規・分度器・コンパスなど。はがきの裏面を利用していますがサイズはいずれも同じもので「越前画箋」を使っています。


「五重の塔と紅白梅」


「初夏」


「比叡山夕照」

いかがでしたでしょうか。参考になれば幸いです。

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Blog21・ノルポア式外交交渉の破綻/相続される<神の死>

2022年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム
幾つかの国々で代理大使を務めた経験のあるノルポア。今はヴィルパリジ夫人の愛人として夫人のサロンに顔を出している。<私>はノルポアの外交交渉術についてこう語る。また、ノルポアの方法はノルポアにだけでなく広く外交官一般に当てはまると<私>は考える。この箇所で語られているようにキャリア外交官が「平和」とか「和平」とかいった言葉を口にする時、相手の外交官の耳には「戦争」と言っているように聞こえる。そしてそんな外交取引は、いつも議場の中ではなく外で、すでに決まってしまっている。ありふれた事情だ。

「外交官は、恐るべきものであれ祝福すべでものであれ見かけは平凡なそのことばを手持ちの暗号によってただちに解読し、フランスの威厳を守るために同じく平凡なべつのことばで答えると、相手国の大臣はその背後にすぐさま『戦争』を見てとるのだ。おまけに、昔ながらの慣習にのっとり、あたかも結婚を約束されたふたりを最初に引きあわせるのにジムナーズ座での観劇でたまたま出会った形をとる慣習にも似て、運命が『戦争』や『平和』のことばを読みとらせる対談は、ふつう大臣の執務室ではなく、『鉱泉施設』のベンチで行われることが多く、大臣とノルポワ氏はふたりして鉱泉まで行き、小さなグラスで湧出口からじかに霊験新たかな水を飲む。ふたりは一種の暗黙の取り決めにより、鉱泉療法の時間に顔をあわせ、まずはいっしょに少し散歩するが、対話する双方ともにこの散歩は平穏無事なようで、そのじつ動員令と同じほどの悲劇をはらんでいることを重々承知しているのだ。ところで大公は、『学士院』への紹介という私的なことがらにも、『キャリア外交官』として培ってきたのと同様の帰納法、つまり、折り重なった符牒の背後にあるものを解読する方法を用いたのである」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.197~198」岩波文庫 二〇一三年)

とはいえ優秀な外交官としてどんどんキャリアを積み上げていこうという場合、今や小学校高学年にもなればいとも容易にわかる言葉に通じていなくてはならない。どんな<身振り>(言葉・振る舞い・役割)であってもすぐ翻訳できなくては不可能な公務だ。言語一つ取り上げてみても、少なくとも二重化されていることは誰にでもわかる。次のように。

「見かけはごく他愛のない行動やことばの背後にも利害や生活上の要請がからんでいることを直視する必要のあるときには、男にせよ女にせよ囲われ者たちの心理にまで降りてゆかなければならないことが多い。男ならだれでも知っていることだが、金を渡そうとすると女が『お金の話はやめましょう』と言う場合、そのことばは音楽でいう『休止符』と考えるべきであり、後になってその女が『あなたにはずいぶん苦しめられたわ、何度もほんとのことを隠したでしょ、もう我慢の限界』などと言えば、それは『ほかのパトロンがもっと出してくれる』という意味だと解釈しなければならない」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.198」岩波文庫 二〇一三年)

ところが万が一にも「嘘」が含まれているかもしれない。もしかしたらすべてが嘘であり、自分の部屋へ戻ってから翻訳・変換してほしいという意味を持たされているかもしれない。ともかく、「外交官必携<言語的取引>」というタイトルの書籍があるとしよう。しかしそれを自在に使いこなせる人間は世間が思っているほどたくさんいるようには全然見えない。とりわけ今の日本では。失敗ばかり連発しているからである。

そこで小津安二郎監督「東京物語」について蓮實重彦の批評を覗いてみる。笠智衆と東山千栄子の夫妻を乗せたバスが戦後復興真っ只中の東京見物に引っ張り出されて家族や親戚たちとバスに揺られるシーン。あたかもシンクロナイズド・スイミングかマス・ゲームのように家族親戚一同全員がバスの揺れとともに、皆が皆、珍妙極まりなく揺れる。いくら何でも「嘘っぽすぎる」その場面を指して蓮實重彦はいう。

「これはいかにも嘘だと思われるほどの正確さで、客達は同じようにゆるやかに上下に揺れ、同じ方向に視線を向ける。にもかかわらず、人は、このなめらかな滑走運動をいつまでも味わっていたい誘惑にかられる。これほど屈託のない動揺に身をまかせることができたらどんなにか快適なことだろう。だが、このシークェンスは、いたって呆気なく終ってしまう。間違いのない事実は、ここでわれわれが一体化したいと希求する対象が、人物やその心理ではなく、この簡潔な画面の連鎖がつくりあげる《運動》そのものであるということだ」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・5・P.200」ちくま学芸文庫 二〇一六年)

嘘であればあるほど「一体化」への欲望に駆られるというわけだ。昨今では大量動員されたマス・ゲームを観光資源化している国家さえある。しかし「このシークェンスは、いたって呆気なく終ってしまう」。極めて「小津的」な取扱方かもしれない。初めて東京へ出てきた人々に向けて首都(キャピタル=資本)が演じないわけにはいかない「ステレオタイプ(お約束)」だからだ。そうである以上、どうでもいいがどうでもよくはない東京見物をスクリーンの外部へ排除することはできない。「東京物語」は観客全員に向けてそうアナウンスしていると言える。

またどの国の外交官であっても頭の中には幾つかのシナリオが描かれ記憶されているのは当り前。どのような次元の課題・取引であれ、たった一人の大使が独断で何か一つでも決めることは固く禁じられている。その意味でそこには何一つ「驚愕」がない。蓮實はそれを「驚愕の不在」と呼び、いかにも「小津的」なシーンだと指摘している。

「小津の作品には、あからさまに何かに脅えたり驚いたりしてみせる人物は、まったくといってよいほど登場することがない。それは、彼の作品が、予想を超えた展開をみせる物語の枠組みにおさまったためしがないということを意味する。そこでは、不慮のできごとはまず起こらないので、驚きを誘発する口実など存在しようもないのである。小津的な世界とはまさしく驚愕の不在によって定義されるべきだろう」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・10・P.300~301」ちくま学芸文庫 二〇一六年)

この種の映画は見るに困難だと蓮實はいう。端から端まで表層ばかりで深層も裏側も隠された意味も何もないからである。ところが外国の有名な映画評論家たちは小津映画を見て、今やどこの先進諸国でも失われてしまった「俳句・もののあわれ・幽玄」などを読み取ってしまう。すると日本にはまだ陰影を帯びた懐かしい前近代的風景が保存されているかのようにしか見えなくなる。そしてそんなふうに絶賛された言葉の逆輸入の連打はどのように立ち働くのか。それこそ日本国民自身が、それまでは意識していなかった多少なりともエキゾティックな色合いを持つ「美」を、あちこちに残しているとても貴重な国家の構成要素ででもあるかのような錯覚を生じさせる。

「その困難さに行きあたった瞳がどんな振舞いを演ずるかは明らかである。画面を抹殺するのだ。いうまでもなく、画面の抹殺は見る機能の放棄と同時的である。そして、見ることをやめた瞳は、あたかもそれが小津安二郎の映画であるかのように、小津的なものと戯れる。しかもその戯れは、日本的なものの方へと滑りだすことによってさらに小津安二郎から遠ざかる。小津と『俳句』、小津と『もののあわれ』、小津と『幽玄』といったもっともらしい命題は、見る機能を放棄した瞳が、小津的なものから日本的なものへと、徐々に画面から遠ざかる過程ではじめて問題体系に浮上するものにすぎない。白昼の作家としての小津がフィルムの表層に定着しえた光線のまばゆさを見ることの出来る瞳は、その湿った陰影とは無縁の画面が、そうした美意識からどれほど遠いものであるかを感覚的に察知しうるはずである」(蓮実重彦「監督 小津安二郎・終章・P.319~320」ちくま学芸文庫 二〇一六年)

しかし錯覚はどこまで行っても錯覚に過ぎない。例えば日本中世史で始めて出てくる「幽玄の美」。それがなぜ今頃になって、さらに日米同盟というおぞましい契約の下の戦後日本に残っているのか。そんなはずなど、どこをどう探してみても見当たらないに決まっているにもかかわらず、である。「ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ」が出現したその瞬間、もはやそれらは一気に吹っ飛ばされたのだ。一度は決定的に「死を見た」のだ。かつてあった「俳諧の味」、「もののあわれ」、「幽玄の美」、どれも一度は死んだ。ニーチェが言っていた「神は死んだ」という予告通り。「神の殺害者は自分たち人間である」ともいう。

「狂気の人間は彼らの中にとびこみ、穴のあくほどひとりびとりを睨(にらみ)つけた。『神がどこへ行ったかって?』、と彼は叫んだ、『おれがお前たちに言ってやる!《おれたちが神を殺したのだ》ーーーお前たちとおれがだ!おれたちはみな神の殺害者なのだ!だが、どうしてそんなことをやったのか?どうしておれたちは海を飲みほすことができたんだ?地平線をのこらず拭い去る海綿を誰がおれたちに与えたのか?この地球を太陽から切り離すようなことを何かおれたちはやったのか?地球は今どっちへ動いているのだ?おれたちはどっちへ動いているのだ?あらゆる太陽から離れ去ってゆくのか?おれたちは絶えず突き進んでいるのではないか?それも後方へなのか、側方へなのか、前方へなのか、四方八方へなのか?上方と下方がまだあるのか?おれたちは無限の虚無の中を彷徨するように、さ迷ってゆくのではないか?寂寞とした虚空がおれたちに息を吹きつけてくるのではないか?いよいよ冷たくなっていくのでないか?たえず夜が、ますます深い夜がやってくるのではないか?白昼に提燈をつけなければならないのでないか?神を埋葬する墓掘人たちのざわめきがまだ何もきこえてこないか?神の腐る臭いがまだ何もしてこないか?ーーー神だって腐るのだ!神は死んだ!神は死んだままだ!それも、おれたちが神を殺したのだ!殺害者中の殺害者であるおれたちは、どうやって自分を慰めたらいいのだ?世界がこれまでに所有していた最も神聖なもの最も強力なもの、それがおれたちの刃で血まみれになって死んだのだ、ーーーおれたちが浴びたこの血を誰が拭いとってくれるのだ?どんな水でおれたちは体を洗い浄めたらいいのだ?どんな贖罪(しょくざい)の式典を、どんな聖なる奏楽を、おれたちは案出しなければならなくなるだろうか?こうした所業の偉大さは、おれたちの手にあまるものではないのか?それをやれるだけの資格があるとされるには、おれたち自身が神々とならねばならないのではないか?これよりも偉大な所業はいまだかつてなかったーーーそしておれたちのあとに生まれてくるかぎりの者たちは、この所業のおかげで、これまであったどんな歴史よりも一段と高い歴史に踏み込むのだ!』ーーーここで狂気の人間は口をつぐみ、あらためて聴衆を見やった。聴衆も押し黙り、訝(いぶか)しげに彼を眺めた。ついに彼は手にした提燈を地面に投げつけたので、提燈はばらばらに砕け、灯が消えた。『おれは早く来すぎた』、と彼は言った。『まだおれの来る時ではなかった。この怖るべき出来事はなおまだ中途にぐずついているーーーそれはまだ人間どもの耳には達していないのだ。電光と雷鳴には時が要(い)る、星の光も時を要する、所業とてそれがなされた後でさえ人に見られ聞かれるまでには時を要する。この所業は、人間どもにとって、極遠の星よりもさらに遥かに遠いものだーーー《にもかかわらず彼らはこの所業をやってしまったのだ!》』ーーーなおひとびとの話では、その同じ日に狂気の人間はあちこちの教会に押し入り、そこで彼の『神の永遠鎮魂弥撒(ミサ)曲』(Requiem aeternam deo)を歌った、ということだ。教会から連れだされて難詰されると、彼はただただこう口答えするだけだったそうだーーー『これら教会は、神の墓穴にして墓碑でないとしたら、一体なんなのだ?』」(ニーチェ「悦ばしき知識・第三書一二五・P.219~221」ちくま学芸文庫 一九九三年)

「ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ」だけではない。「アウシュビッツ」も「フクシマ」も、そしてとりわけ今の「ウクライナ」、「チェルノブイリ」もまた、人間によって成された自己破壊の系列のそれぞれとして打刻されていくほかない。

とすると「美」とは一体なんなのか。日本文化の内部にありながら日本的なもののステレオタイプ(紋切型)に陥ることなく、その外部で思考していた作家がいる。例えば坂口安吾。まるで異なる価値体系のもとで、全然違った身振りで、武装一つせず、或る<美>を見出すことに成功していた。差し当たり三箇所引こう。

(1)「簡素なるものも豪華なるものも共に俗悪であるとすれば、俗悪を否定せんとして尚俗悪たらざるを得ぬ惨めさよりも、俗悪ならんとして俗悪である闊達(かったつ)自在さがむしろ取柄だ。この精神を、僕は、秀吉に於て見る。いったい、秀吉という人は、芸術に就いて、どの程度の理解や、鑑賞力があったのだろう?そうして、彼の命じた多方面の芸術に対して、どの程度の差出口をしたのであろうか。秀吉自身は工人ではなく、各々の個性を生かした筈なのに、彼の命じた芸術には、実に一貫した性格があるのである。それは人工の極致、最大の豪奢ということであり、その軌道にある限りは清濁合せ呑むの概がある。城を築けば、途方もない大きな石を持ってくる。三十三間堂の塀ときては塀の中の巨人であるし、智積院(ちじゃくいん)の屏風(びょうぶ)ときては、あの前に坐った秀吉が花の中の小猿のように見えたであろう。芸術も糞もないようである。一つの最も俗悪なる意志による企業なのだ。けれども、否定することの出来ない落着きがある。安定感があるのである」(坂口安吾「日本文化私観」『坂口安吾全集14・P.373』ちくま文庫 一九九〇年)

(2)「この町から上野まで五十六分しかかからぬのだが、利根川、江戸川、荒川という三ツの大きな川を越え、その一つの川岸に小菅(こすげ)刑務所があった。汽車はこの大きな近代風の建築物を眺めて走るのである。非常に高いコンクリートの塀がそびえ、獄舎は堂々と翼を張って十字の形にひろがり十字の中心交叉点に大工場の煙突よりも高々とデコボコの見張の塔が突立っている。勿論、この大建築物には一ヶ所の美的装飾というものもなく、どこから見ても刑務所然としており、刑務所以外の何物でも有り得ない構えなのだが、不思議に心を惹かれる眺めである。それは刑務所の観念と結びつき、その威圧的なもので僕の心に迫るのとは様子が違う。むしろ、懐かしいような気持である。つまり、結局、どこかしら、その美しさで僕の心を惹いているのだ。利根川の風景も、手賀沼も、この刑務所ほど僕の心を惹くことがなかった。いったい、ほんとに美しいのかしら、と、僕は時々考えた」坂口安吾「日本文化私観」『坂口安吾全集14・P.379~380』ちくま文庫 一九九〇年)

(3)「それは小さな、何か謙虚な感じをさせる軍艦であったけれども一見したばかりで、その美しさは僕の魂をゆりうごかした。僕は浜辺に休み、水に浮かぶ黒い謙虚な鉄塊を飽かず眺めつづけ、そうして、小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦と、この三つのものを一にして、その美しさの正体を思いだしていたのであった。この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上がっているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。必要によって柱は遠慮なく歪(ゆが)められ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。すべては、ただ、必要ということだ。そのほかのどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成をはばむ力とは成り得なかった。そうして、ここに、何物にも似ない三つのものが出来上がったのである。僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ『必要』であり、一も二も百も、終始一貫ただ『必要』のみ。そうして、この『やむべからざる実質』がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ」(坂口安吾「日本文化私観」『坂口安吾全集14・P.381~382』ちくま文庫 一九九〇年)

名作「白痴」のように空高く明るい。

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