白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・アルベルチーヌからジルベルトへの強度の移動/ステレオタイプ(紋切型)批判

2022年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム
アルベルチーヌとオデットとの違いについてガタリはこう述べる。実に示唆的。

「スワンのもとではすべては儀式化される傾向にあったのに対し、《話者》のもとではすべては記号論化される傾向にある。その結果、アルベルチーヌは、オデットのように夫婦間のコードに刻み込まれるよりも、『失われた時』のエクリチュールの超-脱属領化されたコード化へと直接に移行する。彼女は純粋な分子的逃走となり、そのようなものである限り補充することはよりいっそう困難であり、彼女は嘘や、作り事や、裏切りそのものの存在となる。それゆえ、彼女とはどんな可能な妥協も存在せず、ジレンマは決定的である。彼女は《話者》をその破壊へと導くか、それとも彼女自身が創造的プロセスへと合体することによって自分を消し去るしかない」(ガタリ「機械状無意識・第2部・第2章・P.337」法政大学出版局 一九九〇年)

アルベルチーヌは<私>に対して他愛のない嘘をつくことがしばしばある。一方、ジルベルトもまた<私>に対して他愛のない嘘をつくことがしばしばある。

「突如として私は、正真正銘のジルベルトとは、正真正銘のアルベルチーヌとは、前者はバラ色のカンザシの垣根の前で、後者は浜辺で、それぞれ最初に出会った瞬間、そのまなざしのなかに心の内を明かした女がそうだったのかもしれないと想い至った」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一八年)

またジルベルトはアルベルチーヌについて<私>に「行儀の悪い女」だと言う。けれどもしかし、アルベルチーヌの側もジルベルトについて<私>に「行儀の悪い女」だと言う。そこでどちらが「嘘つき」なのか、といってみても何一つ始まらない。ジルベルトは「失われた時を求めて」の中で「メゼグリーズのほう」と呼ばれている地帯に属する。メゼグリーズには売春宿があり人々は「メゼグリーズのほう」という発語の仕方をする。そのような時に限り、メゼグリーズはただ単なる地名ではなく性的事象を象徴する<地帯>の名として用られる。その意味でジルベルトは、カフカ読解の際の<娼婦・女中・姉妹>の系列へ編入可能な位置を占める。

だからといってジルベルトの側がアルベルチーヌよりも「嘘つき」だとは決して言えない。証拠がないだけでなくむしろ逆にアルベルチーヌの嘘の側が<私>にとってこの上ない衝撃を与える。この箇所で重要だと思われるのはアルベルチーヌからジルベルトへ、あるいはジルベルトからアルベルチーヌへと、欲望としての<私>の強度はどちらへも容易に傾きやすいという意味で節操がなさ過ぎる点と、もう一つは今述べたようにアルベルチーヌとジルベルトとの<あいだ>を、瞬時に<私>は<移動できる>ということでなければならない。いつでも往復可能なのだ。

「それでもある日、私はジルベルトにアルベルチーヌのことを話して、アルベルチーヌは女が好きだったのではないかと訊ねてみた。『あら!とんでもない』。『でも以前、あれは行儀の悪い女だと言っていましたよね』。『わたし、そんなこと言ったかしら。きっとあなたの思い違いよ。いずれにせよ、そう言ったとしても、あなたは誤解してるわ、わたしが言おうとしたのは男の子たちとの恋の戯れのこと。それにあの年頃じゃ、そもそもそんなに深い関係にはならなかったはずよ』。アルベルチーヌが私に語ったことによれば、ジルベルトは女が好きでアルベルチーヌにも言い寄っていたというのに、そのジルベルトがこんなことを言うのは、それを私に隠すためなのか??それとも(他人はわれわれが思っている以上にしばしばこちらの人生に通じているものだから)私がアルベルチーヌを愛して嫉妬していたことを知っていて、しかも(他人はわれわれが思っている以上にこちらの真実を知っているが、同時に、われわれは他人がそこまでは想像が及ばずに間違ってくれたらありがたいと期待しているのに、他人はむしろ想像をたくましくしてその真実をあらぬ方向にまで拡大しすぎて間違えることもあるから)私がいまもなお嫉妬しているものと想いこみ、お節介にも、嫉妬する男のために人がつねに用意している目隠しを私にさせようとしたのだろうか?いずれにせよジルベルトの発言は、昔の『行儀が悪い』から今日の品行方正というお墨付きに至るまで、アルベルチーヌのさまざまな発言が最終的にはジルベルトとなかば関係があったことをほぼ告白していたのとは、まるで逆の方向をたどった」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.57~58」岩波文庫 二〇一八年)

一方からもう一方へ瞬時に<私>は<移動できる>ということ。ドゥルーズ=ガタリはいう。

「移動しないで同じ場所で強度として行われる精神の旅が語られてきたことは驚くには及ばない。このような旅は遊牧生活の一部分である」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・下・12・P.72」河出文庫 二〇一〇年)

<私>は上流社交界でさまざまな人々に出会う。だが<私>が他の出席者をどのように見ているかにについて、自分自身の方法に疑問を持っている。なぜなら<私>が「会食者たちをよく見ていなかったのは、会食者たちを見つめているつもりで、じつは会食者たちにレントゲンを照射していたからである」。

「私がいくらよその晩餐会に出席しても会食者たちをよく見ていなかったのは、会食者たちを見つめているつもりで、じつは会食者たちにレントゲンを照射していたからである。その結果、ある晩餐会における会食者たちについて私が諸法則の全体像をあらわすのが主眼となり、ある会食者が自分の発言に込めていた固有の関心などがはいり込む余地はない。しかし会食者たちをありのままに描かないことで、私の肖像画にはなんの取り柄もなくなるのだろうか?絵画の領域にたとえるなら、ある肖像画が立体感や光の具合や力動感にかんするなにがしかの真実を明らかにしていても、この肖像画は、同じ人物を描きながら作風がまるで異なり先の肖像画では省略された無数の細部をこと細かに描いている肖像画と比べて、必然的に劣ることになるのだろうか?第二の肖像画を見ればモデルは心を奪われるほど美しい人だという結論をくだせるが、第一の肖像画を見ればそれは醜い人だと思うほかない。このようなことは、資料として、歴史的観点としても重要であるかもしれないが、かならずしも芸術の真実とは言えないのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.90~91」岩波文庫 二〇一八年)

社交界に出入りする人々に何を求めていたのか。それは<私>にとって少なくとも表層にあるのではなく深層にあるに違いないと考えている。ところが実はそれこそ「紋切り型の美」というものであって、事実を伝達する方法としては余りにも拙い。しかし多くの人間は今なおこのようなステレオタイプ(紋切型)を手離すことができない。戦後七十年を過ぎてなお「紋切型離れ」ができていない大人が多過ぎる。「親離れ・子離れ」さえままならない幼稚な国家・日本という言い方もまた「紋切型」。しかし後者の場合は極めてリアルであって、先が思いやられる。

さらに絵画の分野でも、「ステレオタイプ依存症」が今なおもたらし続けている病的傾向について、こう語られる。

「現代の優雅な家庭と美しい装いが醸しだす詩情ということなら、後世の人はそれをコットやシャプランの描いたサガン大公妃やラ・ロシュフーコー伯爵夫人の肖像画のなかにではなく、むしろルノワールの描いた出版社シャルパンティエのサロンのなかに見出すのではなかろうか?エレガンスの最も華やかなイメージをわれわれに与えてくれる画家たちは、その要素を当代の最もエレガントな人たちから採取したわけではないのだ。最もエレガントな人たちは、新たな美を宿した無名の画家に肖像を描かせることはめったにないし、無名の画に美を見出すことなどできない。画を見る社交人士の目のなかに、まるで病人が目の前に実際に存在すると想いこむ主観的幻影のごとく積年の紋切り型の美がただよい、新たな美が隠されてしまうからである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.98」岩波文庫 二〇一八年)

ここで「積年の紋切り型の美がただよい、新たな美が隠されてしまうから」とある。プルーストは了解した上でわかって書いているのであって、なぜそういうことになるのかわからないまま長編小説に取りかかったわけではまるでない。ということが理解できるだろう。なお、そのような遠近法的倒錯はなぜ発生するのか。ニーチェから二箇所。

(1)「《『内的世界の現象論』》。《年代記的逆転》がなされ、そのために、原因があとになって結果として意識される。ーーー私たちが意識する一片の外界は、外部から私たちにはたらきかけた作用ののちに産みだされたものであり、あとになってその作用の『原因』として投影されているーーー『内的世界』の現象論においては私たちは原因と結果の年代を逆転している。結果がおこってしまったあとで、原因が空想されるというのが、『内的世界』の根本事実である。ーーー同じことが、順々とあらわれる思想についてもあてはまる、ーーー私たちは、まだそれを意識するにいたらぬまえに、或る思想の根拠を探しもとめ、ついで、まずその根拠が、ひきつづいてその帰結が意識されるにいたるのであるーーー私たちの夢は全部、総体的感情を可能的原因にもとづいて解釈しているのであり、しかもそれは、或る状態のために捏造された因果性の連鎖が意識されるにいたったときはじめて、その状態が意識されるというふうにである」(ニーチェ「権力への意志・下・四七九・P.23~24」ちくま学芸文庫 一九九三年)

(2)「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫 一九九四年)

さてしかし失踪したのはアルベルチーヌの側であり<私>の破滅は回避された。アルベルチーヌは自分が「逃げる女」=「逃走線」と化すことで<私>の破滅を迂回させる機能を演じた。

「ヴェルテルのきわめて高貴な事例は、残念ながら私には当てはまらなかった。私はいっときたりともアルベルチーヌの愛を信じたことはないのに、そのアルベルチーヌのために何度も自殺しようと思い、財産を使い果たし、健康を損ねた」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.519」岩波文庫 二〇一八年)

ヴェルテルは自分で自分自身を自殺へ追い込んでしまう。けれどもプルーストはゲーテの描いた直接的方向を取らない。アルベルチーヌに逃走線を与え、<私>を自殺の苦悩から解放することには成功した。だがアルベルチーヌには死を与えている。この点についてはまたいずれ触れたいと思う。

BGM1

BGM2

BGM3