車内でブリショが長々と披露する語源と地名との関係にうつつを抜かして盛り上がっていた一行。はたと気づくとシェルバトフ大公妃が乗車してくるはずの駅を通過していた。慌てたコタールを先頭にシェルバトフ大公妃を見つけるべく各車両を探索することになった。見て回っているうち<私>は或る車両で素早くシェルバトフ大公妃を見つける。なぜ見つけることができたのか。シェルバトフ大公妃がこの上なく高貴な貴婦人にふさわしい態度でその車両に座っていたからではまるでない。逆に「もう何年も前から大公妃は、ふだんの暮らしでも汽車のなかでも、けんもほろろの対応を受けるのを怖れて、出しゃばらず片隅にとどまり、相手から挨拶されてはじめて手を差しだすのが習い性(せい)となっていた」。にもかかわらず<私>にその女性がシェルバトフ大公妃だと瞬時に判明したのは或る「合言葉」に気づいたからだ。
シェルバトフ大公妃の場合、「ルヴュ・デ・ドゥー・モンド」誌の愛読者だということが「合言葉」の役割を演じた。だから次のようにシェルバトフ大公妃という名前がシェルバトフ大公妃を名指しているのではなく逆に「合言葉」(「ルヴュ・デ・ドゥー・モンド」誌の愛読)がシェルバトフ大公妃を名指しているわけだ。この逆の場合、例えば「合言葉」(「ルヴュ・デ・ドゥー・モンド」誌の愛読)を持っていない場合、実際のシェルバトフ大公妃にほかならないにもかかわらず、「この婦人は、前々日、私が同じ汽車のなかで出会って娼家の女将かもしれないと思った女であった」。
「そして空っぽの車両の片隅で『ルヴュ・デ・ドゥー・モンド』を読んでいる大公妃を見つけた。もう何年も前から大公妃は、ふだんの暮らしでも汽車のなかでも、けんもほろろの対応を受けるのを怖れて、出しゃばらず片隅にとどまり、相手から挨拶されてはじめて手を差しだすのが習い性(せい)となっていた。信者たちが車両のなかにはいってきたときも、大公妃は雑誌を読みつづけた。ただちに私はあの女だとわかった。たとえ本来の地位を失っても高貴な生まれには変わりがなく、ヴェルデュラン家のようなサロンではどのみち精華と謳われるこの婦人は、前々日、私が同じ汽車のなかで出会って娼家の女将かもしれないと思った女であった。あれほどあやふやだった女の社会的人格は、その名前を知って明瞭になった。どれほど頭を悩ませたなぞなぞでも、合言葉がわかるとそれまで不可解だった謎がすべて解けるのと同じで、人間の場合はその合言葉が名前なのだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.100~101」岩波文庫 二〇一五年)
さて一行はようやく下車して迎えの馬車に乗り、その馬車もすでにドゥーヴィルの入市税関に至る頃、<私>はそれまで見えていた景色とはまったく異なる新しい風景に接して<場所移動>の重要性を思い知らされる。「海よりはるか高みの山頂のようなこの地点から見おろすと、青味をおびた深淵の眺めは目まいを起こしそうだった。私は窓ガラスを開けた。すると砕ける波の音のひとつひとつがはっきりと聞きとれ」る。プルーストは「垂直の距離は水平の距離と同一視できることを示してくれる測定指標ではないのか」と書いている。様々な条件の重層的作用によって物理的距離の効果はいとも容易に変動する。「われわれの日常の印象」はいとも容易に「覆」される。この箇所で重要なのは物理的な場所移動でしかないことが、実をいうと、<或る価値体系>から<別の価値体系>への<場所移動>として語られていることだ。
「馬車がいっとき入市税関に停まって、海よりはるか高みの山頂のようなこの地点から見おろすと、青味をおびた深淵の眺めは目まいを起こしそうだった。私は窓ガラスを開けた。すると砕ける波の音のひとつひとつがはっきりと聞きとれ、その明瞭で穏やかな響きにはなにやら崇高なものが感じられる。この音は、われわれの日常の印象を覆し、ふだん頭のなかで想い描いているのとは違って、垂直の距離は水平の距離と同一視できることを示してくれる測定指標ではないのか。その指標は、われわれを空へと近づけはするが、その距離はさほど大きくないことを示しているのではないのか。あの小さな波の音が示唆しているように、その距離を越えてくる音にとって、距離はずっと小さくなるのではないか」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.112~113」岩波文庫 二〇一五年)
そっくりそのままといってよい事例は言語系統の違いによって実際に起こっている。
「個々の哲学的概念は何ら任意なもの、それだけで生育したものではなく、むしろ互いに関係し類縁を持ち合って伸長するものであり、それらはどんなに唐突に、勝手次第に思惟の歴史のうちに出現するように見えても、やはり或る大きな大陸の動物のすべての成員が一つの系統に属するように、一つの系統に属している。このことは結局、極めて様々の哲学者たちもいかに確実に《可能な》諸哲学の根本図式を繰り返し充(み)たすか、という事実のうちにも窺(うかが)われる。彼らは或る眼に見えない呪縛(じゅばく)のもとに、常にまたしても新しく同一の円軌道を廻(めぐ)るのである。彼らはその批判的または体系的な意志をもって、なお互いに大いに独立的であると自ら感じているであろう。彼らのうちにある何ものかが彼らを導き、何ものかが一定の秩序において次々と彼らを駆り立てる。それはまさしく概念のあの生得的な体系性と類縁性とにほかならない。彼らの思惟は実は発見ではなく、むしろ再認であり、想起であり、かつてあの諸概念が発生して来た遥遠な大昔の魂の全世帯への還帰であり帰郷である。ーーーそのかぎりにおいて、哲学することは一種の高級な先祖返りである。すべてのインドの、ギリシアの、ドイツの哲学の不思議な家族的類縁性は、申し分なく簡単に説明される。言語上の類縁性の存するところ、まさにそこでは文法の共通な哲学のおかげでーーー思うに、同様な文法的機能による支配と指導とのおかげでーーー始めから一切が哲学大系の同種の展開と順序とに対して準備されていることは、全く避けがたいところである。同様にまた、世界解釈の或る別の可能性への道が塞(ふさ)がれていることも避けがたい。ウラル・アルタイ言語圏の哲学者たち(そこにおいては、主語概念が甚だしく発達していない)が、インド・ゲルマン族や回教徒とは異なった風に『世界を』眺め、異なった道を歩んでいることは、多分にありうべきことであろう。特定の文法的機能の呪縛は究極のところ《生理学的》価値判断と種族的条件の呪縛である」(ニーチェ「善悪の彼岸・二〇・P.38~39」岩波文庫 一九七〇年)
世界を或る様式において見ている人々と別の様式において見ている人々がいるのは、それらの人々が<或る言語体系>に属しているかそれとも<別の言語体系>に属しているかによってまるで異なるし異なっていて当り前なのだとニーチェはいう。あくまで多様性が先であり、逆に同一性はただ単に一つの言語体系・一つの価値体系の中でだけ通用する独りよがりに過ぎないのだと。
のちに「海よりはるか高みの山頂のようなこの地点から見おろすと、青味をおびた深淵の眺めは目まいを起こしそうだった」という<私>の感想を耳にしたシェルバトフ大公妃が、<私>についてどう考えたかを聞かされた。それを聞いたコタールは言ったらしい。「私は非常に感じやすいタチなので鎮静剤を飲んで編み物でもする必要がある」と。
「仄聞(そくぶん)したところでは、あとで大公妃がコタールに私はなにごとにもすぐ感激する人だと打ち明けたところ、コタールは、私は非常に感じやすいタチなので鎮静剤を飲んで編み物でもする必要がある、と答えたそうだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.113~114」岩波文庫 二〇一五年)
シェルバトフ大公妃にはシェルバトフ大公妃が後生大事にしている古い貴族の<価値体系>があり、コタールには医学者としての<価値体系>がある。両者はどこまで行っても一致するということがない。この「ずれ」(差異)がさらなる「ずれ」(差異)を生んでいく。ゆえに噛み合わない話がユーモアやギャクを発生させる。また経済の世界で言えば「ずれ」(差異)は「差額」を意味するわけであって、その限りで貿易はこの「差額」をいつも利用することで始めて利子の実現を達成する。ところが今の日本経済は日米地位協定が壁になっており、それが変わらない以上、もはや「円」は風前の灯でしかないレベルまで下落している。
BGM1
BGM2
BGM3