白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・「道」のステレオタイプ(紋切型)化に伴う無数の「幻影」の反復強迫

2022年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム
<私>にとってアルベルチーヌはもはやいつでも手に入る存在になり、そこへの「道」が「アルベルチーヌのところへ戻るための手段」に過ぎなくなると、「道」そのものの価値もまるで違ったものへと変わる。かつては様々な想像力をかき立てて愛と嫉妬に満ちためまぐるしい幻影を出現させた「道」。それが今や勝手知ったただ単なるルートになるや、アルベルチーヌではなく、過去に<私>の気持ちを騒がせて止まなかった何人かの女性たちを思い出させる「道」へと化す。「昔はこの道をステルマリア嬢のことを考えながらたどったこと」。あるいは「パリでゲルマント夫人とすれ違うはずの道をくだりながら感じたこと」。プルーストは、なるほど見た目ばかりは一つの「道」でしかなくとも、それぞれの人間次第で一つの「道」の中に実は無数の多様性が存在する、と言うのである。

「その道が以前とことごとく同じで、どこまでまっすぐでどこから曲がるのかを知り尽くしてしまうと、昔はこの道をステルマリア嬢のことを考えながらたどったこと、またアルベルチーヌに会いたいとはやるこの同じ気持を、パリでゲルマント夫人とすれ違うはずの道をくだりながら感じたことを想い出した」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.365」岩波文庫 二〇一五年)

しかしそれらはどれもただ単なる「幻影」でしかないのではという反論は当然あるに違いない。ところが<私>の思い描く幾つかの「幻影」はただ単に根も葉もない「幻影」では全然なく、アルベルチーヌ、ステルマリア嬢、ゲルマント夫人、ジルベルトたちが実際にいなくては出現することができない「幻影」であり、その根拠は<私>が負っているとともにそれら対象にも負わされていると言わねばならない。

「その道は、幻影ばかりを追うのが、つまりその現実の大部分が私の想像のなかにある存在ばかりを追うのが、私の宿命だと想い出させてくれた。実際、そんな人たちがいるものでーーー若いときから私の場合がそうだったーーー、その人たちにとっては、ほかの人たちが認める定評ある価値、すなわち財産や出世や高い地位などは、ものの数にはいらない。その人たちが必要とするのは幻影なのだ。そうした幻影に出会うために他のすべてを犠牲にし、すべてを動員してあらゆる手を尽くす。ところが幻影は早くも消えてしまう。そうなるとべつの幻影を追いはじめるが、やがて最初の幻影にたち戻ることもある」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.365~366」岩波文庫 二〇一五年)

ではなぜ、その根拠は<私>が負っているとともにそれら対象にも負わされている、と言えるのか。プルーストの言葉から引くとこうだ。「もう片方はわれわれ自身のなかに伸びていて、後者こそ、われわれが知ることのできる唯一の部分である」とあるうち、この「後者こそ」がどこまでも引き延ばされていく「幻影」の役割を演じるからである。

「われわれが自然なり、社会なり、恋愛なり、いや芸術なりをも、このうえなく無私無欲に観賞するときでさえ、あらゆる印象にはふたつの方向が存在し、片方は対象のなかに収められているが、もう片方はわれわれ自身のなかに伸びていて、後者こそ、われわれが知ることのできる唯一の部分である」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.481~482」岩波文庫 二〇一八年)

さらに「ところが幻影は早くも消えてしまう。そうなるとべつの幻影を追いはじめるが、やがて最初の幻影にたち戻ることもある」。愛と嫉妬に関するプルースト固有の何度も繰り返し反復される現象を別の言葉で文章化したものだ。こうある。

「われわれは、最も愛した女にたいしても自分自身にたいするほどには忠実でなく、早暁その女を忘れて、またまたーーーこれがわれわれ自身の特徴のひとつだーーー新たな恋をはじめることができるからである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.515~516」岩波文庫 二〇一八年)

プルーストが問題にしているのは次にあるように「最初に愛したアルベルチーヌと、現在ほとんどそのそばを離れないアルベルチーヌとのあいだ」である。その「あいだ」に「ほかの女性たち」、とりわけゲルマント夫人と過ごした<時間>、あるいはジルベルトと過ごした<時間>が、もはや消せない過去のように束になって詰め込まれている。

「私が最初の年に海辺で見かけた少女という意味なら、私がそのようなアルベルチーヌを追い求めたのはなにも初めての経験ではない。最初に愛したアルベルチーヌと、現在ほとんどそのそばを離れないアルベルチーヌとのあいだには、たしかにほかの女性たちが介在した。ほかの女性たちとは、とりわけゲルマント公爵夫人がそうである。しかし以前になぜジルベルトのことであんなに想い悩んだのか、ゲルマント夫人の友人となっても結局はもうゲルマント夫人のことなど考えずアルベルチーヌのことだけを考える結果になるのなら、なぜあれほどゲルマント夫人のために苦労したのか、当然そんな疑問が出るだろう」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.366」岩波文庫 二〇一五年)

アルベルチーヌは人間であって商品ではない。わかりきったことだ。ところがアルベルチーヌは、ステルマリア嬢、ゲルマント夫人、ジルベルトたちにとって、まるで貨幣にも似た役割を演じている。最初のうち、特権的なのはアルベルチーヌばかりではない。アルベルチーヌはバルベックの浜辺を行き来する何人もの女性の一団の中から徐々に浮かび上がってきた一人の女性でしかなかった。言い換えれば、諸商品の無限の系列の中の一つの記号でしかなかった。唯一絶対的存在のない状態、中心のない脱中心化された状態における、アルベルチーヌ、ステルマリア嬢、ゲルマント夫人、ジルベルトたち、という無限の系列である。

「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)

ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・P.118~120」国民文庫 一九七二年)

しかし<私>の中でアルベルチーヌだけが唯一絶対性を獲得する。貨幣化する。

「一般的等価形態は価値一般の一つの形態である。だから、それはどの商品にでも付着することができる。他方、ある商品が一般的等価形態(形態3)にあるのは、ただ、それが他のすべての商品によって等価物として排除されるからであり、また排除されるかぎりでのことである。そして、この排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間から、はじめて商品世界の統一的な相対的価値形態は客観的な固定性と一般的な社会的妥当性とをかちえたのである。そこで、その現物形態に等価形態が社会的に合生する特殊な商品種類は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣として機能する。商品世界のなかで一般的等価物の役割を演ずるということが、その商品の独自な社会的機能となり、したがってまたその商品の社会的独占となる。このような特権的な地位を、形態2ではリンネルの特殊的等価物の役を演じ形態3では自分たちの相対的価値を共通にリンネルで表現しているいろいろな商品のなかで、ある一定の商品が歴史的にかちとった。すなわち、金である」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.130~131」国民文庫 一九七二年)

しかしこの過程は常に逆説を伴う。アルベルチーヌが貨幣の役割を演じるということは他の女性たち、ステルマリア嬢、ゲルマント夫人、ジルベルトたちを、たちまち「一つの道」の中へ覆い隠してしまうのである。

「商品世界のこの完成形態ーーー貨幣形態ーーーこそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠すのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.141」国民文庫 一九七二年)

ゆえに「或る道」がもはやただ単なるルートに過ぎなくなり、そこの行き来も習慣化してしまうと、過去の多様な思い出、ステルマリア嬢、ゲルマント夫人、ジルベルトたちと過ごしたそれぞれに違った<時間>もまた、アルベルチーヌという名において、「或る道」の中へ<幽閉される>ことになる。のちに<私>はそのアルベルチーヌをも<幽閉・監禁・監視>せざるを得なくなるわけだが。

「大いに幻影を愛したあのスワンなら、死ぬ前にこの問いに答えることができたかもしれない。追い求めては、忘れ去られ、あらたに探し求めた多くの幻影、ときには一度なりとも会ってみたい、その生活に触れてみたいと願っても、その現実ばなれした生活はたちどころに消え失せてしまう幻影、そうした多くの幻影がこのバルベックの道にはあふれていた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.366~367」岩波文庫 二〇一五年)

もはや消え失せた過去とその幻影。「そうした多くの幻影がこのバルベックの道にはあふれていた」。<私>にとって「このバルベックの道」は<私>固有の死体置場に似るがゆえに、そこを通る時、実に多様な死体とその思い出とが共に「幻影」として立ち現れてきたとしても何一つ驚くことはないのである。

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Blog21・シャルリュスとモレルとの文脈転回/風としての<私>

2022年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム
シャルリュスはモレルとの話題を音楽に戻す。ショパンの「演奏を聴くことを禁じられた」ことについて。モレルは早とちりな反応を示すがシャルリュスはその理由をこう述べる。「わが師は身をもって聡明さを証明されたんだ。私が<特殊な人間>で、きっとショパンの影響をもろに受けるだろうと見抜いておられたんだ」。

「『ショパンが演奏するのを聴いたことは一度もないが』と男爵は言った、『しかしその機会がなかったわけじゃない。私はスタマティのレッスンを受けていたが、そのスタマティから、叔母のシメーのところで<ノクターン>の巨匠の演奏を聴くのを禁じられたんだ』。『その人もなんともばかなことをしたものですね!』とモレルが大きな声を出した。『それどころか』とシャルリュス氏は甲高い声で激しく言い返した、『わが師は身をもって聡明さを証明されたんだ。私が<特殊な人間>で、きっとショパンの影響をもろに受けるだろうと見抜いておられたんだ』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.356~357」岩波文庫 二〇一五年)

そこからベートーヴェンの話題へ、さらに果物の梨の話題へと接続されていく。まるで珍妙この上ない話題の繋がり方に思えなくもない。ところがしかしそのような話題の転回を可能にしているのは他でもない、ベートーヴェンの話題の中で語られる言葉であり、その言葉が果物の梨の話題を呼び寄せるからである。本来なら或る話題と次の話題との間には何の関係もない。支離滅裂なくらい無惨に切断され散らばっている。一貫した文脈は解体されていてもはやない。だからこそ今度は逆に、或る身振り(言語)の出現が、いったん解体されて失われていた別の身振り(言語)を新しい文脈の出現と同時に到来させる。或る話題と別の話題との接続が可能なのは、あくまで、支離滅裂な最小単位にまで身振り(言語)が解体されていることを条件として始めて成立する。エルスチールが新しい絵画を見出し、ヴァントゥイユが新しい音楽を発見することができる理由もそこにある。習慣・因習に絡め取られてしまう寸前に依拠することが大事なのだ。こうある。

「ほかでもないエルスチールの努力は、ものごとを頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに提示するところにあった。画家はこのような遠近法の法則のいくつかを明るみに出したが、それが当時はるかに衝撃的なことだったのは、芸術がそれをはじめてあらわにしたからである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.424~425」岩波文庫 二〇一二年)

ところでシャルリュスから「お墨付き」を貰った形のモレル。シャルリュスは往年の大貴族ゲルマント家でも随一の芸術愛好家として知られている。モレルが舞い上がってしまうのも無理はない。かつてモレルの父親は<私>の大叔父の従僕だったため卑屈になっていたが、その件について今度一切口外しないという約束を取り付けて解き放たれたように、シャルリュスから「免状を授けられた芸術家としてのモレルという名前は、単なる『名前』以上に優れたものに思われた」という経過をたどる。プルーストは、「名前」とは何か、そして「肩書」とは何かを、それが常にどれほど激しい価値変動に見舞われて止まないかを焦点化し、たいへん上手く考えさせられる筆致を見せている。

「たしかにモレルは、シャルリュス氏を意のままにできると察知したからであろう、氏のことを知らないと言って嘲笑するほど卑劣な振る舞いにおよんでいて、それはモレルの父親が私の大叔父のところで果たしていた役柄のことを私が口外しないと約束したとたん、私を軽蔑のまなこで見るようになったのと軌を一にする。ところがその一方で、免状を授けられた芸術家としてのモレルという名前は、単なる『名前』以上に優れたものに思われたのである」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.363~364」岩波文庫 二〇一五年)

一方、アルベルチーヌはサン=ジャン=ド=ラ=エーズにおり、しばらく絵を描いていた。周辺の町の野原には「海の微風」が吹いている。そこで<私>は「風」に<なる>。そうであって始めて<私>はアルベルチーヌと二重の繋がりを持つことができる。次のように。

「私のまなざしはそこまで届かなくても、私のそばを通りすぎるこの強くて優しい海の微風は、まなざしよりも遠くまで届くことができ、なにものにも妨げられずにケットオルムまで駆けおり、サン=ジャン=ド=ラ=エーズを葉叢(はむら)で覆っている木々の枝を揺らし、わが恋人の顔を撫でることによって、ふたりの子供がときに声も届かず姿も見えないほど遠く離れていても互いに結ばれている遊戯と同じように、かぎりなく広がりはするが危険の及ばないこの隠(かく)れ処(が)において、恋人から私へと二重のきずなを張りわたしてくれる気がしたのである」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.364~365」岩波文庫 二〇一五年)

だがどうして<私>は「風」に<なる>ことができるのか。以前、二箇所引用した。

(1)「私としては、夫妻から指摘される美しいものには心を動かされず、わけのわからぬおぼろげな回想に陶然としていたのだ。ときに私は、その名から想像していたものが目の前の実物には見出せないと言って、私の幻滅を夫妻に打ち明けたこともある。ここはもっと田舎だと思っていたと言って、カンブルメール夫人を憤慨させもした。それにひきかえ戸口からはいってくるすきま風にはふと立ちどまり、その匂いを嗅いで陶然とした。『すきま風がお好きなんですね』と夫妻は私に言った」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.217~218」岩波文庫 二〇一五年)

(2)「『ヘリオトロープの繊細な馥郁(ふくいく)たる匂いが、ソラマメ畑の小さな一画から立ちのぼってきた。その匂いは、いささかも祖国の微風にてもたらされたものではなく、ニューファンドランド島の野生の風にてもたらされたものであり、国外へ追放された植物とは関係がなく、漠たる回想や感覚の悦楽と共鳴するものでもない。佳人に嗅がれるわけでもなく、その胸のなかで浄化されるわけでもなく、その人の歩んだあとに広がるわけでもなく、それらとは違った曙や畑作や世界がもたらすこの香りには、未練や不在や青春のあらゆる憂愁がこもっていた』」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.24」岩波文庫 二〇一九年)

(2)はシャトーブリヤンからプルーストが引用した部分。作品「失われた時を求めて」の中で(1)と(2)とは別々の箇所に配置されている。けれどもむしろ、別々の箇所に配置できるということと、にもかかわらず両者はいとも容易く接続できるということ自体が、生成変化として<私>は「風」に<なる>ことを可能にする条件をなしている。

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