シャルリュスが情愛の高まりを抑えきれず給仕頭のエメに宛てた手紙の一節。
「『拝啓。小生に招かれ挨拶されんと躍起になるもついぞかなわぬ多くの輩が目にすればさぞや腰を抜かすほどに、小生としては粉骨砕身したにもかかわらず、若干の説明を貴下の耳に入れるには至らず。説明と申しても、もとより貴下からさように頼まれた筋合いのものではなく、小生ならびに貴下の尊厳からしてこれを欠くべからざるものと信じたがゆえにほかならぬ』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.322」岩波文庫 二〇一五年)
日本で言えばあたかも森鷗外「舞姫」を思わせる文体であって、手紙を受け取ったエメには何のことかさっぱり理解できない。
「石炭をば早(は)や積み果てつ。中等室の卓(つくえ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたずら)なり。今宵(こよい)は夜毎(よごと)にここに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も『ホテル』に宿りて、舟に残れるは余(よ)一人のみなれば」(「舞姫」『森鷗外全集1・P.7』ちくま文庫 一九九五年)
何がシャルリュスにこのような手紙を書かせたか。プルーストはいう。
「この手紙は、そうした情念の奔流の秘める感知はできずとも強烈きわまりない力の、シャルリュス氏の愛情がいわば反社会的なものであるがゆえになおのこと際立つ恰好の一例であり、恋する男はまるで遊泳者のようにその奔流に気づかないうちに押し流され、あっという間に陸地を見失うのだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.326」岩波文庫 二〇一五年)
同性愛者があちこちに溢れていたにもかかわらず「反社会的」とされていた当時、むしろそれゆえかえって「情念の奔流の秘める感知はできずとも強烈きわまりない力」となってシャルリュスを突き動かさずにはいられない<力>。それは「稲妻」とは何かと問う時に人間が犯す錯覚に似ている。ニーチェはいう。
「あたかも一般人が稲妻をその閃きから引き離し、閃きを稲妻と呼ばれる一つの主体の《作用》と考え、活動と考えるのと同じく、民衆道徳もまた強さを強さの現われから分離して、《自由に》強さを現わしたり現わさなかったりする無記な基体が強者の背後に存在しでもするかのように考えるのだ。しかしそういう基体はどこにも存在しない。作用・活動・生成の背後には何らの『存在』もない。『作用者』とは、単に想像によって作用に附け加えられたものにすぎないーーー作用が一切なのだ。実際を言えば、一般人は稲妻をして閃めかしめるが、これは作用を重複させるのだ。それは作用=作用とも言うべきものであって、同一の事象をまず原因として立て、次にもう一度それの結果として立てるのだ。自然科学者たちは、『力は動かす、力は原因になる』などと言うが、これもより勝れた言い表わしではない。ーーーあらゆる彼らの冷静さ、感情からの自由にも拘らず、現今の科学全体はなお言語の誘惑に引きずられており、『主体』という魔の取り換え児の迷信から脱却していない」(ニーチェ「道徳の系譜・第一論文・一三・P.47~48」岩波文庫 一九四〇年)
あるいは「誰か?」という問いが突然ありもしない主体を捏造させてしまうような場合。
「快を感ずるのは《誰か》?ーーー権力を意欲するのは《誰か》?ーーー不合理きわまる問い!生物自身が権力意志であり、したがって快・不快を感ずるはたらきであるとすれば!」(ニーチェ「権力への意志・下・六九三・P.219」ちくま学芸文庫 一九九三年)
その頃<私>はアルベルチーヌとの散策を再開させていた。アルベルチーヌが女友だちと一団となって一挙に出現するような時期はもう過ぎ去り、それぞれ地方鉄道の沿線に散らばって過ごす時間が多く、<私>が警戒すべき女性たちは一時的に不在になりがちだった。しかしバルベックへの沿線各地で見かける風景を眺めながらアルベルチーヌは次のようにつぶやく。
「『困ったわ、自然って融通がきかないのね。サン=ジャン=ド=ラ=エーズをこっち側に配置して、ラ・ラスプリエールを反対のあっち側に配置するんだもの、これじゃあ、どっちか選んだほうに一日じゅう足止めされちゃうでしょ』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.330」岩波文庫 二〇一五年)
すでにアルベルチーヌがトランス(横断的)性愛者であることを知っている読者は、この「これじゃあ、どっちか選んだほうに一日じゅう足止めされちゃう」という言葉がアルベルチーヌの非難の身振りだと気づかないでいられようか。横断的でない融通の利かなさ。風習・因習で固定された頑固さ。それがアルベルチーヌには耐え難い。ところが<私>はただ単に他の女友だちからアルベルチーヌを遠ざけておけばいいとばかり考えている。間抜けといえば言える。<私>はアルベルチーヌを喜ばせようと自動車を手配してやる。すると「サン=ジャン=ド=ラ=エーズをこっち側に配置して、ラ・ラスプリエールを反対のあっち側に配置」されているため一日では横断できないという不自由さは解消され地理的困難は一気に無効化するだろう。それに伴って出現する芸術的変容についてプルーストはこう述べる。自動車を手に入れた立場とそうでない立場との違い(差異)について、「ある村とはまるで別世界に存在すると思われたべつの村も、距離が一変した風景のなかでは隣村になる」。
「私たちがそれを納得したのは、自動車が走りだして、駿馬(しゅんめ)でも二十歩はかかるところを一足飛びに踏破したときである。距離というものは、空間がつくる時間との関係にほかならず、その関係によって変化する。ある場所へ行くのがどれほど困難であるかを、われわれは何里も何キロも要すると表現しているが、そうした表現はその困難が減少したとたんに絵空ごとになる。それによって芸術も変更を余儀なくされる。というのも、ある村とはまるで別世界に存在すると思われたべつの村も、距離が一変した風景のなかでは隣村になるからだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.332~333」岩波文庫 二〇一五年)
またプルーストは、(1)旧弊に甘んじているカンブルメール家の人たちと、(2)新興ブルジョワ階級として猛然と貴族階級を追い上げ追い抜こうとしているヴェルデュラン夫妻の行動力の違いを比較して、次のように論じる。
(1)「カンブルメール家の人たちは、惰性ゆえか、想像力の欠如ゆえか、身近すぎて月並みに見える土地にたいする無頓着ゆえが、外出するとなるといつも同じ場所へ、しかも同じ道を通って行くのだった。カンブルメール家の人たちは、自分たちの土地のことを教えてやると言わんばかりのヴェルデュラン夫妻の思いあがりをたしかに一笑に付していた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.336」岩波文庫 二〇一五年)
(2)「それにひきかえヴェルデュラン氏は、ほかの人ならおそらく二の足を踏むような場所にまで私たちを案内して、たとえ私有地であっても放置されていれば柵をはずしたり、馬車が通れない小径であれば車を降りて歩いたりして、それだけの手間をかけた代償としてかならず絶景を見せてくれた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.336~337」岩波文庫 二〇一五年)
だからといってヴェルデュラン家の財力が問題なのではない。財力でいえばむしろカンブルメール家の側がまだまだ上位にあっただろう。重要なのは両者の間に横たわる習慣・因習の違いだ。そして両者の価値体系がもはや相容れないところまで来ていたがゆえに、見ている対象が同じであっても一方には見えていないに等しい風景、互いにまるで別々の「風景」を見出さざるを得ない諸条件が次々と出現していたということでなくてはならない。
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「『拝啓。小生に招かれ挨拶されんと躍起になるもついぞかなわぬ多くの輩が目にすればさぞや腰を抜かすほどに、小生としては粉骨砕身したにもかかわらず、若干の説明を貴下の耳に入れるには至らず。説明と申しても、もとより貴下からさように頼まれた筋合いのものではなく、小生ならびに貴下の尊厳からしてこれを欠くべからざるものと信じたがゆえにほかならぬ』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.322」岩波文庫 二〇一五年)
日本で言えばあたかも森鷗外「舞姫」を思わせる文体であって、手紙を受け取ったエメには何のことかさっぱり理解できない。
「石炭をば早(は)や積み果てつ。中等室の卓(つくえ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたずら)なり。今宵(こよい)は夜毎(よごと)にここに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も『ホテル』に宿りて、舟に残れるは余(よ)一人のみなれば」(「舞姫」『森鷗外全集1・P.7』ちくま文庫 一九九五年)
何がシャルリュスにこのような手紙を書かせたか。プルーストはいう。
「この手紙は、そうした情念の奔流の秘める感知はできずとも強烈きわまりない力の、シャルリュス氏の愛情がいわば反社会的なものであるがゆえになおのこと際立つ恰好の一例であり、恋する男はまるで遊泳者のようにその奔流に気づかないうちに押し流され、あっという間に陸地を見失うのだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.326」岩波文庫 二〇一五年)
同性愛者があちこちに溢れていたにもかかわらず「反社会的」とされていた当時、むしろそれゆえかえって「情念の奔流の秘める感知はできずとも強烈きわまりない力」となってシャルリュスを突き動かさずにはいられない<力>。それは「稲妻」とは何かと問う時に人間が犯す錯覚に似ている。ニーチェはいう。
「あたかも一般人が稲妻をその閃きから引き離し、閃きを稲妻と呼ばれる一つの主体の《作用》と考え、活動と考えるのと同じく、民衆道徳もまた強さを強さの現われから分離して、《自由に》強さを現わしたり現わさなかったりする無記な基体が強者の背後に存在しでもするかのように考えるのだ。しかしそういう基体はどこにも存在しない。作用・活動・生成の背後には何らの『存在』もない。『作用者』とは、単に想像によって作用に附け加えられたものにすぎないーーー作用が一切なのだ。実際を言えば、一般人は稲妻をして閃めかしめるが、これは作用を重複させるのだ。それは作用=作用とも言うべきものであって、同一の事象をまず原因として立て、次にもう一度それの結果として立てるのだ。自然科学者たちは、『力は動かす、力は原因になる』などと言うが、これもより勝れた言い表わしではない。ーーーあらゆる彼らの冷静さ、感情からの自由にも拘らず、現今の科学全体はなお言語の誘惑に引きずられており、『主体』という魔の取り換え児の迷信から脱却していない」(ニーチェ「道徳の系譜・第一論文・一三・P.47~48」岩波文庫 一九四〇年)
あるいは「誰か?」という問いが突然ありもしない主体を捏造させてしまうような場合。
「快を感ずるのは《誰か》?ーーー権力を意欲するのは《誰か》?ーーー不合理きわまる問い!生物自身が権力意志であり、したがって快・不快を感ずるはたらきであるとすれば!」(ニーチェ「権力への意志・下・六九三・P.219」ちくま学芸文庫 一九九三年)
その頃<私>はアルベルチーヌとの散策を再開させていた。アルベルチーヌが女友だちと一団となって一挙に出現するような時期はもう過ぎ去り、それぞれ地方鉄道の沿線に散らばって過ごす時間が多く、<私>が警戒すべき女性たちは一時的に不在になりがちだった。しかしバルベックへの沿線各地で見かける風景を眺めながらアルベルチーヌは次のようにつぶやく。
「『困ったわ、自然って融通がきかないのね。サン=ジャン=ド=ラ=エーズをこっち側に配置して、ラ・ラスプリエールを反対のあっち側に配置するんだもの、これじゃあ、どっちか選んだほうに一日じゅう足止めされちゃうでしょ』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.330」岩波文庫 二〇一五年)
すでにアルベルチーヌがトランス(横断的)性愛者であることを知っている読者は、この「これじゃあ、どっちか選んだほうに一日じゅう足止めされちゃう」という言葉がアルベルチーヌの非難の身振りだと気づかないでいられようか。横断的でない融通の利かなさ。風習・因習で固定された頑固さ。それがアルベルチーヌには耐え難い。ところが<私>はただ単に他の女友だちからアルベルチーヌを遠ざけておけばいいとばかり考えている。間抜けといえば言える。<私>はアルベルチーヌを喜ばせようと自動車を手配してやる。すると「サン=ジャン=ド=ラ=エーズをこっち側に配置して、ラ・ラスプリエールを反対のあっち側に配置」されているため一日では横断できないという不自由さは解消され地理的困難は一気に無効化するだろう。それに伴って出現する芸術的変容についてプルーストはこう述べる。自動車を手に入れた立場とそうでない立場との違い(差異)について、「ある村とはまるで別世界に存在すると思われたべつの村も、距離が一変した風景のなかでは隣村になる」。
「私たちがそれを納得したのは、自動車が走りだして、駿馬(しゅんめ)でも二十歩はかかるところを一足飛びに踏破したときである。距離というものは、空間がつくる時間との関係にほかならず、その関係によって変化する。ある場所へ行くのがどれほど困難であるかを、われわれは何里も何キロも要すると表現しているが、そうした表現はその困難が減少したとたんに絵空ごとになる。それによって芸術も変更を余儀なくされる。というのも、ある村とはまるで別世界に存在すると思われたべつの村も、距離が一変した風景のなかでは隣村になるからだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.332~333」岩波文庫 二〇一五年)
またプルーストは、(1)旧弊に甘んじているカンブルメール家の人たちと、(2)新興ブルジョワ階級として猛然と貴族階級を追い上げ追い抜こうとしているヴェルデュラン夫妻の行動力の違いを比較して、次のように論じる。
(1)「カンブルメール家の人たちは、惰性ゆえか、想像力の欠如ゆえか、身近すぎて月並みに見える土地にたいする無頓着ゆえが、外出するとなるといつも同じ場所へ、しかも同じ道を通って行くのだった。カンブルメール家の人たちは、自分たちの土地のことを教えてやると言わんばかりのヴェルデュラン夫妻の思いあがりをたしかに一笑に付していた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.336」岩波文庫 二〇一五年)
(2)「それにひきかえヴェルデュラン氏は、ほかの人ならおそらく二の足を踏むような場所にまで私たちを案内して、たとえ私有地であっても放置されていれば柵をはずしたり、馬車が通れない小径であれば車を降りて歩いたりして、それだけの手間をかけた代償としてかならず絶景を見せてくれた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.336~337」岩波文庫 二〇一五年)
だからといってヴェルデュラン家の財力が問題なのではない。財力でいえばむしろカンブルメール家の側がまだまだ上位にあっただろう。重要なのは両者の間に横たわる習慣・因習の違いだ。そして両者の価値体系がもはや相容れないところまで来ていたがゆえに、見ている対象が同じであっても一方には見えていないに等しい風景、互いにまるで別々の「風景」を見出さざるを得ない諸条件が次々と出現していたということでなくてはならない。
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