白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・ドビュッシーとマイヤベーアとを横断するモレル/シャルリュスの「かわり」にモレル/モレルの「かわり」にシャルリュス

2022年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム
シャルリュスの同性愛についての記述は作中あちこちで頻出する。例えば妻の喪中、それも「葬儀のあいだに聖歌隊の少年に名前と住所を訊ねる手立てを見つけたとほのめかす始末だった」。プルーストがそう書くのは社交界で飛び交う数知れぬ身振り(言語)とその内容とが織りなすトランス記号論的アナーキー性(横断性)について、明確に<暴露>しておかなければ何一つ事実を描いたことにはならないからである。

「シャルリュス氏は、妻の死後、悲嘆に暮れている最中でも、嘘をつくのが習い性(せい)となっていたために、喪中にふさわしからぬ生活を排除することはなかった。ずっと後には、浅ましいことに、葬儀のあいだに聖歌隊の少年に名前と住所を訊ねる手立てを見つけたとほのめかす始末だった」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.240」岩波文庫 二〇一五年)

フォーレ「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」を演奏し終えたモレル。次にカンブルメール夫人がモレルにリクエストしたのはドビュッシー「祭」。演奏が始まり「最初の音が弾かれたとたん、夫人は『ああ!これは崇高!』と大声をあげた」。そこで注目すべきは次の一節。「ところがモレルは、最初の数小節しか憶えていないことに気づき、だますつもりは微塵もなく、ただのいたずら心から、つづけてマイヤベーアの行進曲を弾きはじめた。あいにくモレルはこの転換にほとんど間(ま)を置かず、予告もしなかったので、だれもがいまだにドビュッシーが演奏されているものと想いこみ、『崇高!』の声もつづいていた」。

「そのかわりに夫人が頼んだのはドビュッシーの『祭』で、最初の音が弾かれたとたん、夫人は『ああ!これは崇高!』と大声をあげた。ところがモレルは、最初の数小節しか憶えていないことに気づき、だますつもりは微塵もなく、ただのいたずら心から、つづけてマイヤベーアの行進曲を弾きはじめた。あいにくモレルはこの転換にほとんど間(ま)を置かず、予告もしなかったので、だれもがいまだにドビュッシーが演奏されているものと想いこみ、『崇高!』の声もつづいていた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.240~241」岩波文庫 二〇一五年)

モレルはドビュッシーからマイヤベーアの楽曲へ瞬時に移動したためヴェルデュラン夫人のサロンでは依然としてドビュッシーの楽曲が続いているものとばかり信じて誰一人疑っていない。しかしもしその場に音楽大学の教授がいたとすればすぐさま気づいたに違いない。だとしてもプルーストが言っているのは専門家なら気づくことであって逆にヴェルデュラン夫人のサロンの常連客だったから気づかなかったとか、そういうことでは全然ない。モレルがやって見せたのはドビュッシーの楽曲とマイヤベーアの楽曲とを接続することは可能だということであり、<或る価値体系>と<別の価値体系>との間を切断・再接続するのはいとも容易だという無数の横断性の実例である。次のように。

「私があれほど何度も散歩したり夢見たりしたふたつの大きな『方向』ーーー父親のロベール・ド・サン=ルーを通じてゲルマントのほうと、母親のジルベルトを通じてメゼグリーズのほうとも呼ばれる『スワン家のほう』ーーーである。一方の道は、娘の母親とシャンゼリゼを通して、私をスワンへ、コンブレーですごした夜へ、メゼグリーズのほうへと導いてくれる。もう一方の道は、娘の父親を通じて、陽光のふりそそぐ海辺で私がその父親に会ったことが想いうかぶバルベックの午後へと導いてくれる。このふたつの道と交差する横道も、すでに何本も想いうかぶ」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.260~261」岩波文庫 二〇一九年)

ところでヴェルデュラン夫人はもう少しサロンに残っていかないかと招待客たちに声をかける。なかでも実質的実力者シャルリュスに賛同を得たいのだがそこまで勇気の出ない夫人はシャルリュスの「かわり」にモレルにいう。「わたくしのかわいいモーツァルトさん」、「あなたはお残りになりません?」。シャルリュスの「かわり」にモレル。ゆえにモレルの「かわり」にシャルリュスが答える。「夜中の十二時までの外出許可しかもらっていませんので。帰って寝なくちゃならんのです、聞き分けのいい、おとなしい子供のようにね」。

「『あなた、みなさんにはゆっくりしていただかなくては、まだ時間はたっぷりあるんですから。一時間も早く駅に着いたってなんの得にもならないでしょう。ここにいらしていただくほうが快適ですからね。で、あなた、わたくしのかわいいモーツァルトさん』と、あえて直接シャルリュス氏に話しかける勇気の出ない夫人は、モレルに言った、『あなたはお残りになりません?海に面したすてきな部屋がございましてよ』。『それができないんです』とシャルリュス氏は、トランプに没頭して聞こえなかったモレルに代わって答えた、『夜中の十二時までの外出許可しかもらっていませんので。帰って寝なくちゃならんのです、聞き分けのいい、おとなしい子供のようにね』と氏が、甘すぎる父親のような、気取った、しつこい声を出したのは、相手をこうして清純な子供になぞらえたり、たまたまモレルの話題になると自分の声に力をこめたり、手で触るかわりにことばで相手に触れている気になったりすることに、どうやら加虐的な快楽を覚えていたらしい」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.266」岩波文庫 二〇一五年)

ここでさらにシャルリュスの身振り(言語)にプルーストの言及が見える。「手で触るかわりにことばで相手に触れている」点。「手で触る」<かわりに>「ことばで相手に触れている」というのは「手で触る」ことと「ことばで相手に触れている」こととはいつでも置き換え可能だというプルーストの観点と矛盾しない。もっとも、シャルリュスとモレルとの場合は同性愛的次元の行為だが、それより遥かに多く見られる陰湿なケースは身体的接触がなくても言葉による暴力が可能なこと、言葉による暴力の被害(いじめ、過労死、自殺など)が可能なのは一九〇〇年当時すでに常識に属していた。

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