シャルリュス独特の言い回しへ進もう。「名所旧跡としての《人物》」。といっても言葉の暴力を投げ売りしている雇われ<猿-人間>による三文芝居をいうのではない。
「『私がなんとも腑に落ちないのは』とシャルリュス氏は私に言った、『あなたがしょっちゅうシャルルの家を訪ねておられたのに、さきほどナポリ王妃に紹介してほしいとおっしゃらなかったことですよ。要するにあなたは名所旧跡としての《人物》には関心をお持ちじゃないとお見受けしますが、これはスワンの知り合いだったかたにしてはなんとも不思議なことですな。スワンはこの手の関心がきわめて強い男で、この点じゃ、私がスワンの手ほどきをしたのかスワンが私の手ほどきをしてくれたのか判然としない。これは私にとって、ホイッスラーの知り合いだったのに趣味のなんたるかを心得ない人に出会ったように驚くほかありません』」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.254~255」岩波文庫 二〇一七年)
まだまだ序の口。こうもある。「私がスワンの手ほどきをしたのかスワンが私の手ほどきをしてくれたのか判然としない」。位置決定不可能性に言及している。差し当たり世界の植民地化とその終わりのない争奪戦とだけを見るとして、<境界線を引くこと>による世界分割に注目する。分割という作業は、やってみると案外簡単にできたようだ。だが問題はその後にやってきた。この種の操作が行われて百年経たないにもかかわらず<境界線の消滅>はもう始まっていたということがわかる。位置決定不可能性は第一次世界大戦の前すでに発生していた。
言語としてのシャルリュスは、ずいぶん混み入ってきたヨーロッパの諸事情を言語化=表層化することで始めて成立する。またそのことが長々と打ち続いたフランス心理小説の伝統から作者プルーストを切り離すことに成功している。<作品の力>を見ないわけにはいかない。
ホイッスラーは実在の有名画家だが、スワンよりもやや<ずれ>た場所、スワンのすぐ近く、オデットを掠めている。オデットは粋筋の女(ココット)。当時の画壇は粋筋の女(ココット)をモデルにした絵画の大量製造所でもあった。そこでプルーストは注目する。絵画が不可避的に映し上げる時間の作用。
「天才的な肖像画というものは、独自の気取り(コケットリー)や美にかんする利己的な考えかたによって固定されていた女性の典型を解体するだけではなく、その肖像画が昔のものの場合、古い写真と同じで、流行遅れの衣装で描かれた本人の歳を感じさせるだけではすまない。肖像画のなかで時代遅れになるのは、女性が身にまとう衣装のスタイルだけではなく、むしろ画家のスタイルなのだ。このスタイル、エルスチールの初期の描きかたが、オデットにはとうてい耐えがたい出生証明書となったのは、当時の自分の写真のようにその画が自分を有名な粋筋の女(ココット)の後輩にしているからにとどまらず、それが自分の肖像画を、すでに忘却や歴史のかなたに消え去った多くのモデルをもとにマネやホイッスラーが描いた数多くの肖像画のひとつと同時代のものにしているからであった」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.477」岩波文庫 二〇一二年)
なるほどプルーストに「言われてみれば」というのは余りに遅い。「失われた時を求めて」発表当時、作家の中にさえ「言われてみれば」そういうことだったのかと、ふと気づいたプロの書き手が少なからずいたらしい。遠近法的錯覚に陥っていたプロの書き手たち。目を醒まさせたプルーストのユーモラスな風貌が横切ってはまたすぐ消える。
「実際、すぎ去った時の長さを計るうえで、困難が伴うのは最初だけである。最初はそれほど膨大な時がすぎ去ったことを想い描くのにずいぶん苦労するが、つぎにはそれほど時がすぎ去ったわけではないことを想い描くのに相当の困難を覚える。最初は十三世紀がそれほど遠い昔だとはとうてい考えられなかったのに、つぎには十三世紀の教会がなおも残存しうること、現にフランスにそれが数えきれないほど存在することが容易に信じられなくなる」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.53~54」岩波文庫 二〇一九年)
現在と過去との<共鳴・共振>はいつも不意打ちとして読者を鞭打つ。そのとき始めて価値-内容は生じる。
なお話はぜんぜん違うのだが先日のこと。チェーン展開する大手ドラッグストアの最寄店で眼鏡のレンズクリーナーを買い求めた。使おうとしてレンズを拭き眼鏡をかけてみた。酷い酒臭さの余り思わず戻しそうになってすぐ止めた。しかし不可解なほど清潔広大なフロアの中にノンアルコールのレンズクリーナーは一つもないーーー。Jホラー?
