記号学者的でとても小慣れたプルーストの手の動き。その反復運動は注意深く横へ横へと波打ち寄せる。とともに波は必ず寄せては<返す>。大変快適なリズムに乗って手際よく切断・接続を反復する。
「バルベックで、アルベルチーヌからヴァントゥイユ家の人たちと親しいことを打ち明けられた直後の夜と同じように、私の深い悲しみを説明できそうなもっともらしい理由、と同時に、アルベルチーヌに深刻な影響をおよぼして私が決心するまで数日の猶予を与えてくれそうな理由を、即刻でっちあげなければならない」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.341~342」岩波文庫 二〇一七年)
<私>は慌てる。「即刻でっちあげなければならない」。何を。「もっともらしい理由」を。プルーストが言っていること。「もっともらしい理由」というものはいついかなる時でも「即刻でっちあげ」ることができるような何ものかではないだろうか、という言語への問いであり、そもそも言語というものはてんでばらばらに解体されるだけでなく、いかようにも組み換え組み合わせ可能な諸断片からなるパッチワークに過ぎないのではないか、というわけだ。そうでなければ新しい作品を開始することなどはじめからできるわけがない。ありふれた事情ではあるにせよ。
さて「エゴン・シーレ特集」。つい先日起きたトルコ大地震。世紀末ウィーンと同様、戦争とパンデミックとのもとで、という共通項が再びあんぐり口を開けた。自然災害としてだけでなく人災面での構造要因、政治的重層的複合災害とでもいうべき諸問題が幾重にも打ち重なって立ち現れてきたようだ。日本の東日本大震災の場合、時間の経過とともに忘れ去られようとしている諸問題について、不意打ち的に叩き起こし引っ張り出してくる契機になった。といっても、差し当たり日本列島が地震大国だということだけではない。はたと思いついたことがある。トルコという国の名に関してだ。中上健次から。
「四方を海に取り囲まれ、遊郭は、自然に出来た塀の中にある。人工的な塀なら、外は見えないかもしれないが、自然の海の塀なら、そこから串本が見え、潮岬(しおのみさき)のある岬の町が見え、すこし行けば古座が見える。すぐ後ろは、隠国の山々が、日を浴びて白く光っている。海に取り囲まれている事が物狂おしい。いや、違うと思った。親たちの借銭のために売られ、性を知った女郎らは、その自然を呼吸し、その自然に同化し、性という自然と反自然の溶け合うもので、男らを籠絡(ろうらく)しようとしたはずだった。島は女陰のようにある、と思った。そして、気づいた。串本節ならぬ大島節は、籠絡された男らの歌である。女郎、遊女という陰の女らへの恋歌である。この陰をふまえて、大島はある。大島には、いまひとつハヤシ言葉がある。
おおしま オバハギ 樫野(かしの) カイクイ 須江(すえ)の スエメシクイ
オバハギとは、気を許し合った間柄の女性からもはぎとるあざとさ。クイカイとは、貝やかゆばかり食っている半農半漁のくらし。スエメシクイは、すえためしを食う貧しさ。女は海にもぐって、めしを思案する暇もない。ハヤシ言葉は、島の生活を集約している。その樫野の燈台(とうだい)は、白く小さく、さながら女と、身投げでもしようか、と海を見て立っている姿に見える。そこから紀伊半島の東南部がみえ、女郎が、借銭に困って売られてきた新宮の方、尾鷲の方を、見ている気がした。常緑の椿の葉に柔らかい日が当たり、何度みてもエロチックに見える。メジロが燈台の崖(がけ)の木に遊んでいた。その樫野の燈台そばにトルコ軍艦遭難記念碑があった」(中上健次「紀州~木の国・根の国物語・紀伊半島・P.60~61」角川文庫 一九八〇年)
さらに少しずつではあるものの、暇をみては文庫本をひろげるくらいしか出来ない不自由な身にとって、今の日本の首相の言葉、日本の家族観についてのそれは、ただちにこう接続されるほかない。「日本の伝統」において中心的なもの。「詞(ことのは)の国」。「日本的」とはどういうことなのだろう。中上はいう。
「被差別部落という日本的な共同体」。
中上健次が「詞(ことのは)の国」という言葉に立ち入るとき、なんの留保も一切なしに一気に滑り込んでくる思考がある。
「この伊勢で居た間中、私が考えつづけ、自分がまるで写真機のフィルムでもあるかのように感光しようと思ったのは、日本的自然の粋でもある神道と天皇の事だった。いや、ここでは、乱暴に言葉を使って、右翼と言ってみる。伊勢市にはいり、模造花をたくさんつけて走り廻るバスやタレ幕のことごとくが神社に関する事ばかりだったのを見て、私は突飛な発想かも知れぬが、この日本の小説家のすべての根は、右翼の感情にもとづいていると思ったのだった。現実政治や団体としての『右翼』ではなく、そのまま何の手も加えないなら文化の統(すめ)らぎであるという天皇に収斂(しゅうれん)されてしまう感性の事である。唯心とでも言い直そうか。車で走り廻り、市役所横の喫茶店に入って、その右翼(唯心)を考えた。三島由紀夫と言えばわかり易すぎる。武田泰淳、生きている敬愛する作家を思いつくと、深沢七郎。『風流夢潭』を書く深沢氏に一種幻視としての右翼を見るというのは、私が偏向しすぎているかもしれないが、たとえばここで検証するいとまもなしに言うと、屁(へ)のように生まれ屁のように死ぬ人物らは、この天皇というものがある故に『屁のように』という形容が成り立つのではないだろうか。そしていまひとつ、ここに、差別、被差別という回路をつないでみる。あるいは被差別は差別者を差別する、というテーゼをつなげてみる。ということは私が言う右翼の感性は、日本的自然の粋である天皇こそが差別者であり同時に被差別者だということを知った者の言葉の働きである。いやここでは、私は自分を右翼的感性の持ち主である、と思ったと言えば済む事かもしれない。私と三島由紀夫との違いは、言葉にして『天皇』と言わぬことである。あるいは深沢七郎との違いは、『風流夢潭』を書かぬことである。『天皇』と一言言えば、この詞(ことのは)の国の小説家である私の矛盾の一切もまた消えるはずである。私の使う言葉は出所来歴が定かになる」(中上健次「紀州~木の国・根の国物語・伊勢・P.187~188」角川文庫 一九八〇年)
中上健次の大きな影響下にあった日本文学とその周辺。あの時期、その暴風と向き合わずにいられた作家はただの一人もいない。「詞(ことのは)の国」で<日本語を用いるとはどういうことか>。この問いと向き合った作家の一人、赤坂真理はいう。
「<明治維新>だって言われればたしかに<レストレーション>であって、<王政復古の大号令>というのがあったけれど、そのことと明治維新はうまくつながっていなかった。言われてみれば明らかにそれは<復古>なのだけれど、私はなんとなく<革命>だというふうに思ってきていて、<レストレーション>と言われるとびっくりしてしまう。英語のほうが本質を掴んでいる。<維新>と呼んだことでわからなくしていたことだって、私たちには多かったのだ。漢字は日本人にとって一種のブラックボックスになっている。わかった気になるだけで、本当はわかっていない」(赤坂真理「東京プリズン・最終章・P.441」河出文庫 二〇一四年)
<維新>という漢字を用いた政治的手品。天皇をかつぎ出してきて誰よりもまず、かつぎ出してきた人間たちがその前で恐れ慄き、うやうやしくひざまづいて見せる。天皇はこの時まさしく「機械装置」として取り扱われたのであり「天皇システム論」はその点で正しい。坂口安吾はいう。
「藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。見給え。この戦争がそうではないか。ーーー藤原氏の昔から、最も天皇を冒瀆する者が天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒瀆の限りをつくしていた」(坂口安吾「続堕落論」『坂口安吾全集14・P.586~588』ちくま文庫 一九九〇年)
だからといって赤坂は、英語が優れていると言いたいわけではまるでない。あくまで、「詞(ことのは)の国」で<日本語を用いるとはどういうことか>という問いと向き合う、途方もなく困難な作業への取り組みを通して小説の可能性を拡張することに成功した。<神>とは何か。作品の中でイエス・キリストについて逆に問われた人々はいっせいに大ブーイングで応じ、議論を煙に巻こうと必死になる。主人公は思う。
「世界一合理的な人たちが、そろって奥底では究極の不合理を信じているようにしか見えなかった」(赤坂真理「東京プリズン・最終章・P.441」河出文庫 二〇一四年)
こうして時間は巻き戻されるほかない。一度でも躓きの石に躓いた痕跡を消し去ることはできないし、なおさら痕跡の側から率先して消え失せてくれるはずがない。