報告者<私>はふと思う。<私>がアルベルチーヌを隷属状態に置いているのか、それともアルベルチーヌを監視・管理する欲望に囚われて逆に<私>がアルベルチーヌの隷属状態に置かれているのか。未決定のままにしておこうとする。宙吊り状態のさらなる引き延ばしへ、プラン変更へ、方向転換する。
「アルベルチーヌが自分の隷属状態をさほど重荷とは思わず、この状態をみずから断ち切ろうなどという了簡をおこさないためにいちばん巧妙な策は、この状態は決定的なものではなく私自身がこの状態を終わりにしたいと願っているという印象をアルベルチーヌに与えておくことだと思われた」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.359」岩波文庫 二〇一七年)
この方向はかつてスワン自ら歩みを進めた戦略だったことは、ずっと前にプルーストが述べている。二箇所。
(1)「ところが恋心に寄りそう影ともいうべき嫉妬心は、ただちにこの想い出と表裏一体をなす分身をつくりだす。その夜、オデットが投げかけてくれた新たな微笑みには、いまや反対の、スワンを嘲笑しつつべつの男への恋心を秘めた微笑みがつけ加わり、あの傾けた顔には、べつの唇へと傾けられた顔が加わり、スワンに示してくれたあらゆる愛情のしるしには、べつの男に献げられた愛情のしるしが加わる。かくしてオデットの家からもち帰る官能的な想い出のひとつひとつは、室内装飾家の提案する下絵や『設計図』と同じような役割を演じることになり、そのおかげでスワンは、女がほかの男といるときにどんな熱烈な姿態やどんな恍惚の仕草をするのかが想像できるようになった。あげくにスワンは、オデットのそばで味わった快楽のひとつひとつ、ふたりで編み出したとはいえ不用意にもその快さを女に教えてしまった愛撫のひとつひとつ、女のうちに発見した魅惑のひとつひとつを後悔するにいたった。いっときするとそうしたものが新たな道具となって、拷問にも等しい責め苦を増大させることになるのを承知していたからである」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.209」岩波文庫 二〇一一年)
(2)「スワンは郵便局から家に戻ったが、この一通だけは出さずに持ち帰った。ロウソクに火をつけ、封筒を近づけた。開けてみる勇気はなかったのである。最初はなにも読めなかったが、なかの固いカード状用箋を封筒の薄い紙に押しつけると、最後の数語が透けて読めた。きわめて冷淡な結びのことばである。今のようにフォルシュヴィル宛ての手紙を自分が見るのではなく、かりに自分宛ての手紙をやつが読んだら、はるかに愛情あふれる言葉がやつの目に入ったことだろう!スワンは、大きすぎる封筒のなかで揺れる用箋を動かないように押さえ、それからなかの用箋を親指でずらして、書いてある行を順ぐりに封筒の二重になっていない部分にもってきた。そこなら透けて読めたのである。それでも、はっきりとは判読できなかった。もっともきちんと読めなくても差しつかえなかった。書いてあるのは重要でない些末なことで、ふたりの恋愛関係をうかがわせることは一切ないのがわかったからである。オデットの叔父のことが書いてあるようだ。行のはじめに『あたしは、そうしてよかったのです』と書いてあるのが読めたが、どうしたのがよかったのかスワンは理解できなかった。が、突然、当初は判読できなかった一語があらわれ、文全体の意味が明らかになった。『あたしは、そうしてよかったのです、ドアを開けた相手は叔父でしたから』というのだ。開けた、だって。すると今日の午後、俺が呼び鈴を鳴らしたとき、フォルシュヴィルが来ていたのだ。あわてたオデットがやつを帰らせたために、あんな物音がしたのだ。そこでスワンは、手紙を端から端まで読んだ。オデットは最後に、あのように失礼な対応になったことをフォルシュヴィルに詫びたうえで、タバコを忘れてお帰りになった、と書いている。スワンが最初にオデットの家に寄ったときに書いて寄こしたのと同じ文面である。だが俺には『この中にあなたのお心もお忘れでしたら、お返ししませんでしたのに』と書きそえていた。フォルシュヴィルには、そんなことはいっさい書いていない。ふたりの関係は暗示する文言はなにひとつ出てこない。それにどうやらこの内容からすると、オデットはやつに手紙を書いて訪ねてきたのは叔父だと信じこませようとしているのだから、そもそもフォルシュヴィルは俺以上に騙されていることになる。要するにオデットが重視していたのは俺のほうで、その俺のために相手を追い払ったのだ。それにしてもオデットとフォルシュヴィルのあいだに何もないのなら、なぜすぐにドアを開けなかったのだろう。なぜ『あたしは、そうしてもよかったのです、ドアを開けたのは叔父でしたから』などと書いたのだろう。そのときオデットになんらやましいところがなかったのなら、ドアを開けなくてもよかったのにと、どうしてフォルシュヴィルが考えるだろうか。オデットがなんの危惧もいだかず託してくれたこの封筒を前にしたとき、スワンは申し訳ないと恐縮したが、それでも幸せな気分だった。自分のデリカシーに全幅の信頼を置いてくれたと感じられたからである。ところがその手紙の透明な窓を通して、けっして窺えないと思っていた事件の秘密とともに、未知の人の生身に小さく明るい切り口が開いたかのようにオデットの生活の一部があらわになったのだ。おまけにスワンの嫉妬も、この事態を歓迎した。嫉妬には、たとえスワン本人を犠牲にしてでも、おのが養分になるものを貪欲にむさぼり食らう利己的な独立した生命があると言わんばかりである。いまや嫉妬が糧(かて)を得たからには、かならずスワンは毎日、オデットが五時ごろだれの訪問を受けたかが心配になり、その時刻にフォルシュヴィルがどこにいたかを知ろうとするにちがいない。というのもスワンの愛情は、オデットの日課に無知であると同時に、怠惰な頭脳ゆえに無知を想像力で補うことができないという当初に規定された同じ性格をあいかわらず保持していたからである。スワンが最初に嫉妬を感じた対象は、オデットのすべての生活ではなく、間違って解釈された可能性のある状況にもとづきオデットがほかの男と通じていると想定される瞬間だけだった。その嫉妬心は、執念深い人がタコの足のように最初のもやい網を投げいれると、ついで第二の、さらに第三のもやい網を投じるのと同じで、まずは夕方の五時という瞬間に食らいつき、ついでべつの瞬間に、さらにもうひとつべつの瞬間にとり憑くのである。とはいえスワンは、つぎからつぎへと自分の苦痛を編み出したわけではない。それら一連の苦痛は、スワンの外から到来したひとつの苦痛を想い出したうえで、それを永続化したものにほかならなかったのである」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.220~223」岩波文庫 二〇一一年)
時間の利得が生じる。事態が変わるのを待っているわけではない。別の価値体系の出現への<転化>が待たれている。例えばそれはマゾッホの態度に顕著なものだ。
「マゾヒストの服従のうちにひそむ嘲弄、このうわべの従順さのかげにひそむ挑発や批判力が、ときに指摘されてきた。マゾヒストはたんに別の方面から法を攻撃しているだけなのだ。私たちがユーモアと呼ぶのは、法からより高次の原理へと遡行する運動ではなく、法から帰結へと下降する運動のことである。私たちはだれしも、過剰な熱心さによって法の裏をかく手段を知っている。すなわち、きまじめな適用によって法の不条理を示し、法が禁止し祓い除けるとされる秩序壊乱を、法そのものに期待するのだ。人々は法を言葉どおりに、文字どおりに受け取る。それによって、法の究極的で一次的な性格に異議申し立てを行うわけではない。そうではなく、この一次的な性格のおかげで、法がわれわれに禁じた快を、まるで法がおのれ自身のためにとっておいたかのように、人々は行動するのだ。それゆえ法を遵守し、法を受け容れることによって、人々はその快のいくらかを味わうことになるだろう。もはや法は、原理への遡行によって、アイロニーに満ちたしかたで転倒されるのではなく、帰結を深化させることによって、ユーモアに満ちたしかたで斜めから裏をかかれるのである。ところで、マゾヒズムの幻想や儀式が考察されると、そのたびに以下の事実に突きあたることになろう。すなわち、法のもっとも厳格な適用が、通常期待されるものと逆の効果をもたらすのである(たとえば、鞭打ちは、勃起を罰したり予防したりするどころか、勃起を誘発し確実なものとする)。これは背理法による証明である。法を処罰の過程とみなすとき、マゾヒストはじぶんに処罰を適用させることからはじめる。そして受けた処罰のなかに、じぶん自身を正当化してくれる理由、さらには法が禁止するとみなされていた快を味わうよう命ずる理由を、逆説的なしかたで発見する」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.134~136」河出文庫 二〇一八年)
別れ話はもつれていく、というより、思わず知らずのうちにあちこちへ接続され、<転移>していく。
「ゴモラの女たちは、どんな人混みにいようと互いにそれと気づかずに通りすぎることがないほど、その数は少ないとも多いとも言えるのだ。それゆえ結託するのは造作もないことだ」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.363」岩波文庫 二〇一七年)
再び「ゴモラ」。「結託するのは造作もない」。なぜ可能なのか。可能なら、一体、どんな条件が必要になるのか。ずいぶん前にプルーストは述べている。
「カジノのホールなどでふたりの娘がたがいに欲望をいだくと、しばしば一種の光学現象が生じて、ひと筋の燐光のようなものが一方から他方へ流れるものだ。ついでに言っておくと、たとえ計測不可能なものとはいえこのような物質化した光に助けられ、大気の一部を燃えあがらせるこうした幽体の合図によって、散りぢりになったゴモラの住民は、それぞれの町や村で、離ればなれになったメンバーと合流して聖書の都市を再建しようとしているのである。その一方、これまた世のいたるところで、たとえ目指す再建が断続的なものとはいえ、ソドムから追放され、望郷の念に駆られた、偽善的でときには勇敢な者たちによって同様の努力がつづけられているのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.558~559」岩波文庫 二〇一五年)
記号論的コノテーションの速度は大変早い。そこで人々はメタ目線に立って総合的にまとめようとする。すると何が起こるか。たった一つのメタ目線であったとしてもなお、その位置が今度は幾つものメタ目線を生じさせる。メタ目線のコノテーションが起こってくる。結局のところ、メタのメタのメタのーーー、という終わりのない計算問題を生じさせる。
ウクライナ戦争関連報道。主にテレビがその映像を映し出しているのはなぜか。メタ目線に立って冷静沈着に分析できてでもいるかのような身振り(言葉・振る舞い)を演じているのか。ウクライナ戦争報道はなぜ報道戦争と一緒くたになってそのように振る舞って見せているのか。
一方、日本では統一地方選が近い。選挙事務所の設営が進んでいる。地方都市へ行ってみる。すると長い間統一教会と大変深い関係を保ってきた候補者を支援する立て看板が一つ二つと蘇ってきているのがよくわかる。ところがなんと、全国に数多くの情報網を張り巡らせているNHKは、その事実を一つも伝えていない。
ウクライナ戦争報道が統一教会復活の動きを覆い隠す隠れ蓑と化していることをNHKは報じない。他のテレビ局にはそれぞれ私立でいう「建学の理念」があるため、どんな<猿芝居>でもやりたい放題やって見せるのだろうが、逆にNHKは公共放送局であって、民放の役割とは比較にならない、まるで違う権限が与えられている。にもかかわらず、なぜなのか、という問題。それだけではないのだが、差し当たり、統一地方選とウクライナ戦争報道と報道戦争との不穏な関係には注意深くありたい。
だからといって、民放も含め、テレビ離れに歯止めがかかるわけではなく、ますます加速するばかりなのだが。