白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・プルースト作品と<諸断片>としての日記/八月十五日の日本の三人の女性の日記に見るそれぞれの差異/ウクライナ戦争で両陣営の板挟みになっている当事者の生のうめき

2023年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

プルーストは自分で自分自身を実験台の上に置く。<私>が<私>の感情の側を「隠しておき、それゆえ読者が私の発言だけを知ることになれば」、どうなるだろうかと。「その発言とはまるで辻褄の合わぬ私の行為は、読者にしばしば異様な豹変との印象を与えかねず、読者は私をほとんど気が狂ったかと思うだろう」

 

「しかし私がかりに読者に私の感情を隠しておき、それゆえ読者が私の発言だけを知ることになれば、その発言とはまるで辻褄の合わぬ私の行為は、読者にしばしば異様な豹変との印象を与えかねず、読者は私をほとんど気が狂ったかと思うだろう」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.355~356」岩波文庫 二〇一七年)

 

どこか仰々しい文章。その仰々しさが、こっそりとだが、考えられうるもう一つの試みを覆い隠すのに役立つことはプルーストがほかの誰よりもよく知っている。もう一つの試みとは何か。

 

例えばそれだけを独立させて作品化することはない。それは差し当たり<作品の外>のことであって、後になって作品の部分として組み込まれることもあれば組み込まれないこともある。それはいつも<諸断片>としてのみ存在するもので、この機会に発表するしかないと思うことがもしあれば、いつどのようにでも利用可能だ。それは何か。日記である。

 

先日新聞の新刊広告を見たら、キム・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジヨン」(ちくま文庫)が紹介されていた。文庫化。もうそんな時間が経ったのだろうか。忘れていたわけではないが文庫化にはまだ早い気がした。もっとも、底辺生活者層にとってはうれしいわけだが。

 

とはいえ今回新聞広告を見て改めて目に入ったのは作家キム・ナムジュ、ではなく、翻訳に当たった斎藤真理子の名だ。去年の梅雨頃、一九四五年八月十五日について、三人の文筆家(吉沢久子、野上弥生子、田辺聖子)の日記を取り上げこう書いている。

 

「八月十五日。吉沢久子は『陛下の放送を、街中できき』たいと思い、神田駅近くの電気屋の前に立ったという。そして『放送が終わってまわりの人を見たら、やはり泣いている人はいたが、あげた顔に、戦争は終わったのだという明るさが見えたと思った』と書いた。野上弥生子は、『いづれにしても、これで五年間の大バクチはすつからかんの負けで終つたわけである』と記した」(斎藤真理子「三人の女性の『敗戦日記』」『図書・2022・7・P.63』岩波書店 二〇二三年)

 

八月十五日の受け止め方について、吉沢久子や野上弥生子が記した日記の場合、言葉の側から逆に、ずいぶん落ち着きのある態度をすでに身につけていたことがよくわかる。その二人の言葉と、当時、樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)に在学中で十八歳だった田辺聖子が日記に残した言葉との間には、明白な質的開きが認められる。田辺文学の是非は別として、八月十五日の当事者として、余りにも多感過ぎたのか嫌でも露呈してくる心の揺れを大きく感じる。斎藤真理子も前者の二人と田辺聖子との間にひと呼吸置いてみて、こう述べる。

 

「田辺聖子の八月十五日以後の日記は、一ページごとに『がんばって!』と声をかけたくなるような、『多感』そのものの毎日だ。敗戦の二日後には校長から『これからは、男子は戦争から帰ってくるから、女子は元のように家庭へ帰るべきである』という訓示がある。それについては何の感想も書かれていないが、かえってそこに田辺聖子の失望や虚脱が見えるような気がする。

 

『かつての日の感激と、大言壮語を私はさびしく思いかえし』という自己省察、『理由なき支那蔑視は排すべきであった』という覚醒、亡くなった父への思い、学びたい意欲、文学への夢。そして一九四七年三月四日、卒業式を目前にした日記には『さあこれから、経験を積み、人生観を高め、深く考えて、勇ましく人生の海へ乗り出してゆこう』と書かれていた」(斎藤真理子「三人の女性の『敗戦日記』」『図書・2022・7・P.63』岩波書店 二〇二三年)

 

キム・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジヨン」文庫化に際して翻訳家としての斎藤真理子が気になったのはこの短文に目を通していたからである。としても、どんな女性も吉沢久子、野上弥生子、田辺聖子のようになれるわけではまるでない。上野千鶴子はいう。二箇所。

 

(1)「女性の職場進出がこんな暗いハナシばかりでいろどられていたら、そこまで犠牲を払って得られる自立なんてまっぴら、と女たちが思っても無理はない。けれど戦後三〇年余、女たちは強くなりつづけて、『仕事も家庭も』らくらくこなす女たちが現われた。

 

今では、バリバリのキャリアウーマンが、結婚して子どもを持っていても誰も驚かないし、女っぽい粧いであらわれたら、かえってセンスの良さをほめるくらいだ。たとえば『仕事か家庭か』の時代の私たちのヒーロー──ヒロインと言うべきだろうか?──は、結婚もせず、子どもも持たず、この道一筋に歩んだ大先輩、市川房枝さんのような人だが、今日、『仕事も家庭も』の時代のモデルは、主婦としての役割をこなした上で、なおかつ、男顔負けの仕事をこなすスーパーウーマンである。

 

もちろん、こんな生活は、誰にもまねできるものではない。家庭と仕事と、いずれの領域においても一人前の仕事をこなす女たちは、つまり二人前以上の能力のあるスーパーウーマンたちで、彼女らは、能力と、何より体力と、そしてそれに劣らず運に恵まれている。こういう女性の周囲には、たいがい姑か実家の母がいて子育てを助けてくれているものだし、本人自身が何より肉体的にタフである。自分も、そして夫も子どもも、健康でなくては、こんな生活はもつものではない。

 

いつの時代にも、こういうずば抜けたスーパーウーマンは、人口の何パーセントかはいて、彼女たちの姿は女たちの希望の星になってきた。だが能力も体力もないふつうの女がこのまねをしようと思ったら、まずただちにカラダをこわすのがオチだ。無理をしてへこたれる女たちを、責めるのは酷である。無理をしてもへこたれない方が、とくべつなのである。

 

なるほど、仕事も家庭もさっそうとこなすわれらがスーパーウーマンの姿はきらきらしい。もちろん能力に劣らず努力もしていることだろうが、女だってがんばれば、あんなふうに自立と解放をかちとることができる、というモデルを提供してくれそうに見える。仕事も家庭も、と欲ばって、それを全部実現してしまう、女の自己実現のお手本のように思える。

 

だが、概してこういう女性たちは、自分の能力と努力のレベルを標準にものを考えるから、自分なみに力もがんばりもないふつうの女たちに対して厳しい。彼女たちは、ダメな女の甘えを批判するが、その裏には、できる女のおごりがある。アメリカの社会学者は、これをうまく名づけて『女王蜂症候群』と呼んだ。

 

スーパーウーマンは、万人のモデルにはならない。彼女らのかがやかしい姿を見れば見るほど、できる女はやればいい、わたしは足を引っ張るようなことはしたくない、でも自分にはとても無理だわ、とただの女は思ってしまう。それを見たできる女は、『だから女は』とくやしがる。女同士のちがいは開く一方だ」(上野千鶴子「女という快楽・P.218~220」勁草書房 一九八六年)

 

(2)「女の集りで話をするたびに、真剣で熱気を帯びた彼女たちに向かって、口がさけても言いたくないことばがある。それは『がんばって』という一言だ。私は『がんばって』と他人に言うのもイヤだし、他人から言われるのもイヤだ。がんばりたくなんか、ないのだから。それでなくても、女はすでに十分にがんばってきた。がんばって、はじめて解放がえられるとすれば、当然すぎる。今、女たちがのぞんでいるのは、ただの女が、がんばらずに仕事も家庭も子どもも手に入れられる、あたりまえの女と男の解放なのである」(上野千鶴子「女という快楽・P.226」勁草書房 一九八六年)

 

なお、一九四五年八月十五日を思い出すことは、同時に、今現在進行中のウクライナ戦争について触れないわけにいかなくさせる。主に「自称テレビ-マス-メディア」を通してだが、何十年もロシア研究者としてロシアを愛すればこそ、今のロシアにはもう絶望しか見出せないと本音を言い出した専門家による告発が相次いできた。読者としてはもっと暴露して欲しい気はする。

 

と同時に常に混み入った戦争報道/報道戦争の中で、ロシアかさもなくばアメリカかという極めて狭い二者択一の罠へ動員する同調圧力によって、途轍もない精神的苦痛に喘いでいる当事者がいることを知っておくことも、「専門家」の発言と同じか、あるいはそれ以上に重要なのであって、ややもすればそんなことまるでないかのように無視されてしまいがちな日本の「空気感」への慎重かつ批判的態度を忘れず怠らない必要がある。一九七〇年ユーゴスラヴィア生まれの作家・写真家・舞台女優でもある高橋ブランカはいう。

 

「あの時と同じです。NATOが一九九九年にユーゴスラビアを空爆した時です。あり得ないと思ったことが、七八日間続きました。軍人のみならず、子供を含む一般人も数多く死亡しました。国際社会(弱々しい!)反対を意に介さず自分とは何の関係もない国を空爆しました。その結果、圧倒的に弱いユーゴスラビアは負けて、領土の一部(コソヴォ)をあきらめなければいなけくなったのです。

 

そのアメリカの行為を強く非難したロシアは、何と、同じことをしています!今度はアメリカがウクライナへの侵攻を避難しています。ロシアは非難に対して悪びれもせずアメリカがやってよい事をロシアはダメだと言うんですか』と反論してします。

 

常に東と西の間にいる私はと言うと、開いた口が塞がらないまま《幼稚園児》が武器で遊んでいる様子を眺めるしかありませんーーー」(高橋ブランカ「婆さんと蛙の足し算」『図書・2022・7・P.21』岩波書店 二〇二二年)

 

常に切実な小文字の言葉あるいは言葉にならない複雑な心境。にもかかわらずヤルタ-ポツダム体制という桎梏(しっこく)から自由になる方法を自分自身の手でほとんど絶ちきった日本政府とその「自称テレビ-マス-メディア」は、こぞって自国の国民だけでなくせっかく日本へ移住してきてくれた外国人をも、議論抜きの圧殺主義的政治暴力によってばんばん戦時体制へ加速的に巻き込んでいく。危機の時代の生贄として国際社会の中から(ロシアも中国も望んでいるように)まんまと選抜された日本。公式に「死の欲動」まる出しの意志を承認され背中を押されて名誉だと喜んでいるふしさえ見受けられる日本とその「世論」。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて264

2023年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。雪が降っています。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

日の入時刻を回りました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

二〇二三年二月二十一日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

 


Blog21・プルーストが問う「見せつけ」/シーレのはずが、どこかフィッシャー

2023年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

さらに続く身振りの問題。「見せつけたかったから」だと。たわけた<私>だ、とはいえ、そう感じる読者の側が決してたわけていない、たわけたことなど一度もない、と言えるだろうか。

 

「自分が感じていることとはまるで正反対のことを言って反駁するというつねに変わらぬ私のやりかたに基づき分析してみると、確かなことは、私がその夜アルベルチーヌに別れるつもりだと言ったのはーーーそのことに私自身が気づかなくてもーーーアルベルチーヌが自由を求めるのを怖れていたからであり(その自由とはどんなものかと訊かれても私は答えに窮しただろうが、要するに、アルベルチーヌが私をだましおおせるような自由、すくなくとも私がアルベルチーヌにだまされていないとは確信できなくなるような自由である)、また以前バルベックでアルベルチーヌの目に私自身を立派に見せようとしたり、後には私といっしょにいるアルベルチーヌに退屈する暇を与えたくないと願ったりしたときと同じで、自尊心ゆえに、そつのなさゆえに、私はそんなことを怖れる人間ではないとアルベルチーヌに見せつけたかったからである」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.354」岩波文庫 二〇一七年)

 

プルーストが指摘する「見せつけ」という身振りの後ろ暗さ。「エゴン・シーレ特集」の中で丸山美佳が言っている。

 

「クリムトとシーレがナチス時代の美術関係者にも受け入れられていた状況を分析する美術史家のローラ・モノヴィッツは、彼らのような芸術家の戦後の再評価とその再利用は、ナチス・ウィーンで繰り広げられた、より大きな文化的政治の一部として理解されるべきだと主張する。今日のオーストリアの美術館と観光産業によるシーレのような『スーパースター』の誇張された宣伝は、ウィーン分離派たちと国家社会主義者の過去によって浮かび上がる不穏な関係とユダヤ人や女性芸術家の排除を曖昧にし、その忘却に加担してきた過程と表裏一体なのである」(丸山美佳「ウィーンの亡霊」『ユリイカ・2023・02・P.159』青土社 二〇二三年)

 

こうして<被害者としてのオーストリア>という<神話>が出来上がった。構造的にはナチスドイツの「被害者」どころか逆に「加担者」の側であるにもかかわらず。

 

しかしそれをいうなら「排除されたユダヤ人」はその後何をどうしたか。戦後すぐイスラエル建国、真っ先にアメリカが、次いで日本がそれに承認を与えた。たちまちイスラエルは世界でも稀に見る全体主義的軍国主義の最先端へ躍り出た。中東紛争は今なお続いていて収まる気配一つない。武器商品たちは笑いをこらえることができない。「被害者」を名乗りつつ演じられる「見せつけ」という身振り。ニーチェはいう。

 

「《同情をそそりたがる》。ーーー病人や精神的にふさいでいる人と交わってくらし、その雄弁な哀訴や哀泣、不幸のみせびらかしが、結局は居合わせる者を《辛がらせる》という目標を追求しているのではないかどうか、と自問してみるがよい、居合わせる者のそのときに現わす同情が弱き者・悩める者にとって一つの慰めとなるのは、彼らがそれで自分たちのあらゆる弱さにもかかわらず、すくなくともまだ《一つの権力を、辛がらせるという権力をもっている》と認識できるからである。不幸な人は同情の証言が彼に意識させるこうした優越感において一種の快感を得る、彼の己惚れが頭をもたげる、自分にはまだまだ世間に苦痛を与えるだけの重要性があるのだ。そんなわけで同情されたいという渇望は、自己満足への、しかも隣人の出費による自己満足への渇望である、それは人間を、当人のもっとも固有ないとしい自我のまったくの無遠慮さにおいて、さらけだしている」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・五〇・P.85~86」ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

その上で河南瑠莉はいう。

 

「弱いことが悪いのではない。けれど、弱いことを正義とすることによって、具体的に行動に移す能力を自ら手放していきながら、道徳的に『復讐』することにのみ専念するようになるのが、危険なのだ」(河南瑠莉「空っぽの『正義』の彼方で、どのような『連帯』が可能なのか」『群像・2023・03・P.328』講談社 二〇二三年)

 

道徳的な「復讐」は人間の頭の中でだけの動きに過ぎない。政治化されることがない。「連帯」へと繋がらない。しようとしても常に、あらぬ方向へ逸れてしまう。

 

「問題を履き違えてはいけない。『能力主義』(メリトクラシー)や『嫉妬』そのものが問題なのではない。そうではなく、個人が持ちうる『機会』や『選択肢』の集合である《潜在能力》(ケイパビリティ)が平等に分配されていない社会において、それが政治化されないことの方が問題なのだ」(河南瑠莉「空っぽの『正義』の彼方で、どのような『連帯』が可能なのか」『群像・2023・03・P.328』講談社 二〇二三年)

 

この点は日本でも繰り返し問題にされてきた。ところが問題として浮上するたびに何か大事件ででも起こしてしまったかのように「自称テレビ-マス-メディア」がこぞって、なおかつ大慌て大音声でかき消し、問いかけた側が逆にかき消されてしまうという悲惨を繰り返してきた。一方に「評論家」という<砂漠の芸人>がいる。もう一方に<芸人の砂漠>が用意されている。

 

としてもなお。

 

「マルクーゼは、フロイトの現実原則に応答しながら、問いを設定しなおす。快の『抑圧』は、歴史的には資源の希少性によって合理化されてきたかもしれない。よって抑圧は文明への手段であり、目的ではないはずだ。しかし『抑圧』がいちど制度化されると、こんどは、本当は豊富であるところにも、人工的に希少性を作り出し、抑圧を正当化するメカニズムが起動するのではないだろうか。

 

たとえば、労働の機械化と合理化は、本来生活に必要な労働に注ぎ込まれる時間とエネルギーを減らしてくれるものだった。そしてその結果、個人が自由に使える時間は増え、単調な労働や、疎外化する労働ではなく、その人にとって価値のあるものに時間とエネルギーが使われるようになるはずだった。けれど実際にそうはならないのは、『抑圧』が制度化され、新たな欠乏によって合理化されているからに他ならない」(河南瑠莉「空っぽの『正義』の彼方で、どのような『連帯』が可能なのか」『群像・2023・03・P.329~330』講談社 二〇二三年)

 

なるほどフランクフルト学派はそういうだろう。間違っていない。ところが日本の現状はそこへ行こうとしても行くに行けない、見通しの暗さは遥かに絶望的だ。加速主義という言葉とその実験とは、世界中の人間を惰眠から叩き起こした点で大変有効だったし、フィッシャーの問いかけは「暗黒啓蒙」よりずっと広大な射程を今なお維持している、というより、今だ「読み尽くされていない」と言っても構わないくらいだ。

 

河南瑠莉が身を置く今のドイツ。今のドイツが抱える政治的困難も文面からは伝わってくる。河南瑠莉はマルクスの名を出しているが、ドイツによるドイツの勘違い、取り違え、置き換え、転倒、について、それらに取り組もうとするといつもこの種の困難に直面せざるをえない。どうすれば脱却できるのか。河南瑠莉ではなくマルクスの言葉へ変換してみる。

 

「フランスでは、人は一切たらんとするためには、何ものかであれば足りる。ドイツでは、人は一切を放棄すべきではないとしたら、何ものかであることも許されない。フランスでは、部分的解放が全般的解放の基礎である。ドイツでは、全般的解放があらゆる部分的解放の《不可欠な条件》である」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説・P.93』岩波文庫 一九七四年)

 

河南瑠莉はまた、ネオリベラリズムという「中途半端」な立場を取る限り避けられない問題、にも言及している。と同時に、ベルリンで起こった、ちょっとした事件の中で浮上した言葉を紹介する。

 

「女性やクィアのための書店を開くほど意識の高い書店のオーナーも、それを賞賛する左派的な文化人たちも、あらゆるかたちの抑圧に敏感であるのに、資本の非対称性が及ぼす抑圧にだけ興味がないのは、なぜなのか」(河南瑠莉「空っぽの『正義』の彼方で、どのような『連帯』が可能なのか」『群像・2023・03・P.328』講談社 二〇二三年)

 

ニーチェの言葉へ変換してみる。

 

「自己観察に対する不信。或る思想が或る別の思想の原因であるということは、確定されえない。私たちの意識という机の上では、あたかも或る思想がそれに後続する思想の原因であるかのように、諸思想が次々と現われる。事実私たちは、この机の下で演じられている闘争を見ないのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・二四七・P.147」ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

そこにドイツだけでなく日本の弱さがある。日本人のメンタルの弱さに見えないこともないが、とはいえ、問題の焦点を「見ない」ことにかけては世界で一番強いメンタルを持っているかもしれない。マルクスの初期の言葉へ変換するとしたらこういう問いかけだ。

 

「ラディカルであるとは、事柄を根本において把握することである。だが、人間にとっての根本は、人間自身である」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説・P.85』岩波文庫 一九七四年)

 

書店に赴くとしよう。うず高く積み上げられた各種資格取得に関する参考書。問いと答えとが掲載されている。とりわけ問いから答えを導き出すための<考える方法>に多くが割かれ重点が置かれている。各種資格取得を目指す人々はその<考える方法>を何度も繰り返し身につけようと欲望する。そうでないといつまで経っても資格取得できない仕組みになっている。

 

ところがこの種の<考える方法>こそ実は途方もない政治的装置なのだ。それは資格取得を目指す、やる気のある人々を、あらかじめ設定された「問い」から「答え」という<謎めいた正解>へ導くとともに体ごと叩き込ませてしまうための<誘導・洗脳>装置として機能する。

 

ひるがえって河南瑠莉がマーク・フィッシャー作品とともに提出している問い。それがよりいっそう有効性を発揮するためには、原発再稼働問題をかき消すことなく、バルトのいう<エロティック>なものの破壊力をーーー「シーレ特集」だけでもいろいろ出されているけれどーーー問題含み不穏だらけで政治的に「脱色」された後だという問題を、再起動させないわけにはいかないだろう。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて263

2023年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。今日の大津市の日の出前と日の出後の気象予報は曇り。湿度は6時で71パーセントの予想。湖東方面も曇り。鈴鹿峠は晴れのようです。

 

午前六時十分頃に湖畔へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.2.21)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

日の出時刻を回りました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

日が出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.21)

 

二〇二三年二月二十一日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。