話はどんどん<ずれ>ていくほかない。<ずれ>の発生と次の言葉の到来とはいつも同時だ。ということをプルーストは読者へのプレゼントとして分かち与える。ブリショはスワンへ言及する。
「『いずれにしても美男子じゃなかったですからね!』とブリショは言った。見るに堪えない顔をしているくせに自分では男前だと想いこんでいて、すぐ他人を醜男と決めつけるのだ」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.250」岩波文庫 二〇一七年)
シャルリュス自身、こんなはずでは、というような会話へ接続される。<接続・解体>の反復が不可避的にもたらす出たらめこの上ない<記号作用としての>笑い。常にユーモアを忘れないプルーストの面影が掠める。だがそんな面影はすぐ消え失せる。
それにしても「男前」か「醜男」かどちらなのかという問いはもうとっくの昔に無効化している。夢まぼろしのような境界線の消滅とともに問いそのものが席を失った。しかし社会問題としての美醜競争はまだなお続いている。その間、様々な社会の中へ、摂食障害という名の完治不可能な病気が育まれ浸潤し植え込み根付いた。
購入以前、信田さよ子論文は「エゴン・シーレ特集」とは別なのかと思っていた。しかし違っていた。ではなぜシーレ論の中に入っているのだろう。
「まるで案山子がパジャマを着たような姿で、こちらを向いた。肉の落ちた頬なのに、あごは不自然に張り出し、挑むように見つめる目だけが黒く獰猛だった。そのときのわたしに湧きあがったものと、エゴン・シーレの絵を見た瞬間に感じたものは重なる」(信田さよ子『未完の家族』と摂食障害」『ユリイカ・2023・02・P.193』青土社 二〇二三年)
信田が置かれていた当時の臨床病棟の位置から見ればそう見えるのはもっともだろう。とともに、或る画家の絵画が与える諸印象の数はそれを見た総人口の数を遥かに上回ると言える。他の批評家はもう少し後に置いておくとして、今回は信田論文の要所から引いてみる。
「二〇〇〇年に子どもの虐待等の防止法が、翌二〇〇一年にはいわゆるDV防止法が制定されたのである。言い換えると、それまで法的には家族の暴力などなかったことになる。親のしつけや体罰はあっても、夫が生意気な妻に手を上げることはあっても、それは家族ゆえの愛情によるものであり、暴力とは呼ばれなかったからだ」(信田さよ子『未完の家族』と摂食障害」『ユリイカ・2023・02・P.197』青土社 二〇二三年)
ここで再び「カルト」問題と並走するほかなくなる。信田は「カルト」についてもよく知りうる立場だ。念頭にあるのはほぼ間違いない。信仰の名において大量に生産され続けている被害者とその訴訟のことだが。
さらに信田論文でシーレ「未完の家族」というタイトルがそのまま使われているのもまた注目すべき点であるだろう。<病としての家族>。取り組んだ専門医はもっと前からちらほらいた。けれども専門家として取り組み続けているだけでなく、ポイントを絞り込み、書籍という形で取り上げてきた著者はほとんどまったくに近いほどいない。家族という形態に<たった一つの鋳型>などまるでない。どこにもない。あればそれこそ<神話>だというのである。
「家庭は欲望の生産の中に導入されて、最も幼いころから欲望のおきかえを⦅つまり信じられないような欲望の抑圧を⦆操作することになる。家庭は、社会的生産によって、抑圧に派遣されるのである。ところで、家庭がこうして欲望の登録の中にすべりこむことができるのは、先にみたように、この登録が行われる器官なき身体が既に自分自身において欲望する生産に対する《根源的な抑圧》を行使しているからである。この根源的な抑圧を利用してこれに《いわゆる二次的な抑圧》を重ねることが、家庭の仕事なのである。この二次的な抑圧は、家庭に委托されているのだとも、あるいは家庭がこの抑圧に派遣されているのだともいってもいい。(精神分析は、この一次、二次の二つの抑圧の間の相違をいみじくも指摘したが、しかしこの相違の有効範囲とこの両抑圧の体制の区別を示すには至っていない)。したがって、いわゆる抑圧は、実在する欲望する生産を抑圧することに満足せず、この抑圧されたものに、みかけのおきかえられたイマージュを与えて、家庭的登録をもって欲望の登録の代りとしてしまうことになる。欲望する生産の集合が、周知のオイディプス的形象をとることになるのは、この欲望する生産が家庭的に翻訳されている場合でしかないのだ。つまり、<背信の翻訳>の場合でしかない」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.151~152」河出書房新社 一九八六年)
シーレ論執筆に当たり他の批評家も多かれ少なかれドゥルーズを参照していて面白そうだ。
なおヘーゲル弁証法的対立は至るところにある。そうであって始めて解消に近づきうる問題がある。と同時にヘーゲルだけではとても及びがつきそうにない問題が次々出現してきた。そんな際は次に引くような思考の転換が必要だろうし実際たくさんの人々が二〇〇〇年代以前からそうしてきた。
「《さまざまな対立を見る習慣》。ーーーふつうの不精確な観察は、対立が存在するのではなくて程度の差があるにすぎない自然の至るところに対立(例えば『温暖と寒冷』といった)を見る。この悪習は更にわれわれを誘いこんで、こんどは内的自然、つまり精神的、道徳的世界をもこうした対立にしたがって理解し、分析させるに至った。こうして、段階的推移のかわりに対立を見ると思いこむことによって、言い知れぬ多くの苦悩、傲慢、苛酷、疎隔、冷却が人間の感情のなかに入りこんできたのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・六七・P.325」ちくま学芸文庫 一九九四年)
信田さよ子が書いていること。短期間で見積もっても「二〇〇一年」すでに取り組まれていた点について、驚いた読者もいるかも知れないが「日大<暴力タックル>問題」発覚の遠く前からだということは、今後かなり重要性を帯びてくる。次の次の五輪が、あるとすれば、時間の問題だからである。
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