白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて256

2023年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。寒暖差の大きい一日でした。

 

「名称:“町屋”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

日の入時刻に近づきました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.17)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.17)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.17)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.17)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.17)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.17)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.17)

 

何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

二〇二三年二月十七日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

 


Blog21・ほとんど見えない「現実界」ゆえ、「していないふりをし」、「というふりをすることだというふりをする」/新旧の問いの重層性

2023年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

問題としての<身振り>についてプルーストは次のように<暴露>する。「たがいに現実とはかけ離れたうわべを見せ合っていた」。それができるということは実に驚くべきことだ。現実は見えない。知ることもできない。人間の認識機能はもっと遥かに粗雑にできている。ゆえにその試みはいつも挫折するし挫折してきた。プルーストはさらにいう。「していないふりをし」、「というふりをすることだというふりをする」と。

 

「そんなふうに私たちは、たがいに現実とはかけ離れたうわべを見せ合っていたのである。ふたりの人間が向き合うと、つねにそうならざるをえない。なぜなら一方は、他方のなかに存在するものの一部を知らないし、知っている部分でさえその一部しか理解できず、ふたりとも自分のいちばん個性的ではない面を表に出しているからである。そんな面を表に出すのは、自分ではそんな面を見分けることができず、それは無視できるものと考えているからなのか、あるいは、そんな自分の個性的ではない取るに足りぬ利点のほうがずっと重要で、はるかに自尊心を満足させてくれるからなのか、またべつの観点からすれば、ほんとうは執着していることでありながら、軽蔑されないために、自分が持っていないがゆえに執着していないふりをし、それこそ自分がなによりも見向きもせず憎悪さえすることだというふりをすることだというふりをするからかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.348~349」岩波文庫 二〇一七年)

 

古い問題としての認識装置(支配=所有のための)について前回述べた。認識マシンという機械装置はその不可能性とともにでなければ語ることができないという一つの帰結に立ち至りもした。脱中心的可変性としての世界の出現がすべての認識マシンを反故化したということだ。認識マシンは博物館入りを宣告された。にもかかわらず、なるほど過去化しつつあるとはいえ、認識マシン(支配=所有のための)は今なお顕著な特徴を点灯させている。二点。

 

(1)<支配=所有への意志>は作動するや常にその痕跡を残さないではいられないということ。(2)<支配=所有への意志>の作動は常に剰余を生み出さずにはいられず、剰余は常に注意深く計測されることを要求し、今やすでに計測済みだということ。

 

身近な事例の一つが東アジア諸国一円に多数存在する「無人島問題」。無人だからといって「手付かず」ということではまるでない。戦後になって不動産取引の主戦場と化したのはつい最近のことでしかない。もう少し前、日本でいえば明治大正までさかのぼるまでもなく、昭和になって「マレー半島」とか「トラック諸島」とか「パプアニューギニア」とかまで進軍し、一つ一つの島々をきっちり占領した大日本帝国軍。その後は逆に一つ一つの島々をきっちり占領し返した連合国軍。

 

複雑に混み入ったマングローブ林は軍事的な意味合いから都合のいい弾除けとして使われた。近代の到来とともに踏み荒らされた先住民たちとその遺産とはすっかり二度も犠牲になった。にもかかわらず何のどこが「手付かず」なのだろう。

 

「シーレ特集」から。

 

「ユリア・ヴィーガーとニナ・ホフテルによるアーティストデュオ『亡霊、アーカイブの政治と空白のための書記局』による映像作品《HAUNTINGS IN THE ARCHIVE!(アーカイブの幽霊たち)》(二〇一七年)は、<オーストリア女性芸術協会>のアーカイブ資料を扱った映像作品であるが、それはそのまま戦後オーストリアの文化状況をも反映している。二人が注目するのはアーカイブや歴史が持つ空白や裂け目であり、とくにその空白として現れる、見えない、忘れさられた存在ーーー幽霊たちーーーと、その空白がいかにナチス時代のイデオロギーに結びつき、またそのイデオロギーがそのまま戦後ヨーロッパにおける人種差別と新たな植民地構造と結びついていたのかを明るみに出す」(丸山美佳「ウィーンの亡霊」『ユリイカ・2023・02・P.159~160』青土社 二〇二三年)

 

アーカイブに残されていない空白がぽっかり開いている。その掘り起こしが行われつつあり、掘り起こせば実際次々明るみに出されてくる現在になって、そんなことまるで知らないかのような、とぼけた顔を作りながら「手付かずの自然」などと発言するのは歴史改竄にも等しい戦争犯罪の相続行為ではないとでも言いたいのだろうか。

 

古い問題は消滅したかといえばそうではなく、残存していて、新しい問題としての<置き換え可能性=切断分割可能性>の下に重層的に組み込まれている。歴史的断層を見て、えっ、と気づかないとしたら、せっかくの義務教育課程に大いなる疑問符を付さなくてはならなくなる。

 

「この《新しい要求》、それをわれわれは次のように言い表わそうーーーわれわれは道徳的諸価値の《批判》を必要とする、《これらの諸価値の価値こそそれ自身まずもって問題とされるべきである》、と」(ニーチェ「道徳の系譜・序言・P.15」岩波文庫 一九四〇年)

 

残念なことかもしれないが、それ以上に実り多い作業に違いない。近代へ立ち戻り、それこそありとあらゆる歴史教科書を洗い出す作業が必要になってくるのだろう。いまだ報われていない「空白として現れる、見えない、忘れさられた存在ーーー幽霊たちーーー」へ、思いを至らせるために。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて255

2023年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。今日の大津市の日の出前と日の出後の気象予報は晴れ。湿度は6時で67パーセントの予想。湖東方面は晴れ。鈴鹿峠も晴れのようです。

 

午前六時十分頃に湖畔へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.2.17)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

最低気温氷点下の予想が出ていました。見るとほんの僅かばかりですが手前の河口付近表面のごく一部が凍てついていた程度です。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

そろそろのようです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

日が出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.17)

 

「名称:“通勤通学路”」(2023.2.17)

 

二〇二三年二月十七日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。