夜会の後、ヴェルデュラン夫妻は二人だけで言葉を交わし合う。報告者<私>はその様子を読者へ向けて語る。だが次のように伝えることしかできない。
「ヴェルデュラン氏はそこへひとことつけ加えた。もちろんそのことばは、夫妻が避けたいと願うお涙頂戴や美辞麗句のたぐいの場面を意味することばであったが、私には正確に伝わってこなかった。というのもそれはフランス語のことばではなく、家族のあいだである種のことがら、とりわけ腹立たしいことがらを指し示すときに、おそらくその語ならば相手にはわからないという理由で口にされることばのひとつだったからである。この種の表現は、一般的にいって、家族の昔の状態が現在に残された遺物といえよう。たとえばユダヤ人の家族では、それは祭式の用語が原義からずれて使われたことばで、いまやフランスに同化した家族がなおも忘れずにいるただひとつのヘブライ語かもしれない。地方色をきわめて色濃く残す家族では、たとえ家族がもうその方言を話すことも理解することさえなくても、それはその地方の方言のひとつになるだろう」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.309」岩波文庫 二〇一七年)
言語はいつでも置き換え組み換え組み合わせ可能である。「祭式の用語が原義からずれて使われたことば」。と何げなく述べられているわけだが、驚くべきは「原義からずれて使われ」る言葉があるというばかりか、事態は何もユダヤ人に限ったことではまるでなく、逆にフランス語こそ、その傾向を最も強力に見せつける言語の一つだからだ。プルーストはいう。
「というのも、われわれが正確な発音をこれほど誇りにしているフランス語の単語はどれも、ラテン語やザクセン語を訛って発音したガリア人の口が犯した『言い間違い』にほかならず、われわれの言語はいくつかの他の言語を誤って発音したものだからである。生きた状態の言語の真髄、フランス語の過去と未来、これこそフランソワーズの間違いのなかで私の興味を惹いて然るべき問題であった。『かけはぎ屋』のことを『<い>かけはぎ屋』と言うのは、大昔から生き残って動物の生命がたどった諸段階を示してくれるクジラやキリンのような動物と同じほど、興味ぶかいことではないか?」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.306」岩波文庫 二〇一五年)
ヴェルデュラン夫妻の行使した権利。「おそらくその語ならば相手にはわからないという理由で口にされることば」の使用である。隠語の役割を果たす。もっとも、今でもよく見かけるありふれた光景の一つであることは確かだ。その種の言葉遣いは暗黙裡の共犯関係を瞬時に作り上げる。そして「それを用いる者同士のあいだに利己的な感情を醸し出し、その感情にある種の満足感を添えずにはいない」。
「ヴェルデュラン夫妻の親族をだれひとり知らない私には、そのことばを正確に再現することはできなかった。とはいえこのことばがヴェルデュラン夫人を微笑ませたことは確かである。なぜなら、ふだん使っている言語と比べて一般的ではなく、ずっと個人的で、はるかに秘密めいたこの手の言語は、それを用いる者同士のあいだに利己的な感情を醸し出し、その感情にある種の満足感を添えずにはいないからである」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.310」岩波文庫 二〇一七年)
ヴェルデュラン夫妻がここで演じている隠語使用は、別の場面で<私>の女中フランソワーズが女中仲間たちと演じる隠語使用とを比較した場合、まるで同質的共通性を持つ。次のように。
「私はそのことを発見したとき、同時にそのことに悩まされた。というのも、あるときフランソワーズがこの地方の出身でそこの方言を話すわが家の小間使いと無我夢中で話しているのに出くわしたことがあるからで、ふたりにはほぼ相手の言うことが通じるのに、私にはふたりの話がさっぱり理解できず、ふたりはそれがわかっていながら、遠く離れた土地で生まれたにもかかわらず同郷の人であるという喜びゆえに許されるとでも思うのか、まるで他人に知られたくない話をするときのように私の前でその外国語を話すのをやめなかった。この言語地理学と女中の仲間意識をめぐる風変わりな学習は、毎週、台所でつづけられたのだが、私はそれになんの喜びも感じなかった」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.290」岩波文庫 二〇一五年)
ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」と一致する。
「次のようなことはどうだろう。第二節の例にあった『石板!』という叫びは文章なのだろうか、それとも単語なのだろうか。ーーー単語であるとするなら、それはわれわれの日常言語の中で同じように発音される語と同じ意味をもっているのではない。なぜなら、第二節ではそれはまさに叫び声なのであるから。しかし、文章であるとしても、それはわれわれの言語における『石版!』という省略文ではない。ーーー最初の問いに関するかぎり、『石板!』は単語だとも言えるし、また文章だとも言える。おそらく『くずれた文章』というのがあたっている(ひとがくずれた修辞的誇張について語るように)。しかも、それはわれわれの<省略>文ですらある。ーーーだが、それは『石板をもってこい!』という文章を短縮した形にすぎないのであって、このような文章は第二節の例の中にはないのである。ーーーしかし、逆に、『石板をもってこい!』という文章が『石版!』という文の《ひきのばし》であると言っては、なぜいけないのだろうか。ーーーそれは、『石板!』と叫ぶひとが、実は『石板をもってこい!』ということをいみしているからだ。ーーーそれでは、『石板!』と《言い》ながら《そのようなこと》〔『石版をもってこい!』ということ〕《をいみしている》というのは、いったいどういうことなのか。心の中では短縮されていない文章を自分に言いきかせているということなのか。それに、なぜわたくしは、誰かが『石板!』という叫びでいみしていたことを言いあらわすのに、当の表現を別の表現へ翻訳しなくてはいけないのか。また、双方が同じことを意味しているとするなら、ーーーなぜわたくしは『かれが<石版!>と言っているなら<石板!>ということをいみしているのだ』と言ってはいけないのか。あるいはまた、あなたが『石板をもってこい』といいうことをいみすることができるのなら、なぜあなたは『石板!』ということをいみすることができてはいけないのだろうか。ーーーでも、『石板!』と叫ぶときには、《かれがわたくしに石板をもってくる》ことをわたくしは欲しているのだ。ーーーたしかにその通り。しかし、<そうしたことを欲する>ということは、自分の言う文章とはちがう文章を何らかの形で考えている、ということなのだろうか。
ーーーしかし、いま、あるひとが『石板 を もってこい!』と言うとすると、いまや、このひとは、この表現を、《一つの》長い単語、すなわち『石板!』という一語に対応する長い単語によって、いみしえたかのようにみえる。ーーーすると、ひとは、この表現を、あるときには一語で、またあるときは四語でいみすることができるのか。通常、ひとはこうした表現をどのように考えているのか。ーーー思うに、われわれは、たとえば『石板 を 《渡して》 くれ』『石板 を 《かれ》 の ところ へ もって いけ』『石板 を 《二枚》 もって こい』等々、別の文章との対比において、つまり、われわれの命令語をちがったしかたで結合させている文章との対比において、右の表現を用いるときに、これを《四》語から成る一つの文章だと考える、と言いたいくなるのではあるまいか。ーーーしかし、一つの文章を他の文章との対比において用いるということは、どういうことなのか。その際、何かそうした別の文章が念頭に浮んでくるということなのか。では、それらすべてが念頭に浮かぶのか。その一つの文章をいっている《あいだに》そうなるのか、それともその前にか、あるいは後にか。ーーーどれもちがう!たとえそのような説明にわれわれがいくばくかの魅力を感ずるとしても、実際に何が起っているのかをちょっと考えてみさえすれば、そのような説明が誤っていることが見てとれる。われわれは、自分たちが右のような命令文を他の文章との対比において用いるのは、《自分たちの言語》がそのような他の文章の可能性を含んでいるからだ、と言う。われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人は、誰かが『石板をもってこい!』という命令を下すのをたびたび聞いたとしても、この音声系列全体が一語であって、自分の言語では何か『建材』といった語に相当するらしい、と考えるかもしれない。そのとき、かれ自身がこの命令を下したとすると、かれはそれをたぶん違ったふうに発音するだろうし、また、われわれは、あの人の発音は変だ、あれが一語だと思っている、などと言うであろう。ーーーしかし、このことゆえに、かれがこの命令を発するときには、何かまた別のことがかれの心の中で起っているのではないか、ーーーかれがその文章を《一つの》単語として把握していることに対応する何かが。ーーーこれと似たこと、あるいはまた何かちがったことが、かれの心の中で起っているのかもしれない。では、きみがそのような命令を下すとき、きみの心の中では何が起っているのか。それを発音している《あいだに》、これが四語から成っていることが意識されているのだろうか。もちろん、きみはこの言語ーーーその中には、すでに述べたような別の文章も含まれているーーーに《熟達》しているのだが、しかし、この熟達ということが、その文章を発音しているあいだに《起こっている》ことなのだろうか。ーーーむろんわたくしは、別様に把握した文章を外国人がおそらく別様に発音するであろうこと、を認めている。しかし、われわれが誤った把握と呼ぶものは、《必ずしも》、命令の発音に付随した〔それとは別の〕何ごとかのうちに生ずるわけではない。
ーーー文章が『省略形』であるのは、それを発音するときに、何かわれわれの考えていることが除外されるからではなくて、それがーーーわれわれの文法の一定の範例に比べてーーー短縮されているからである。ーーーここでひとは、もちろん、『おまえは、短縮された文章と短縮されていない文章とが、同じ意義をもっていることを認めているではないか。それなら、それらはどのような意義をもっているのか。いったい、そうした意義に対して、一つの言語表現がないのか』といった異議がありえよう。ーーーしかし、文章の同じ意義とは、それらの同じ《適用》にあるのではないか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・十九・二〇」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.26~29』大修館書店 一九七六年)
そのとき何が意味されているのか理解できる人々のネットワーク。それがウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」であり、別の「言語ゲーム」と言語的交換関係を結び合おうとすれば、一度は必ずどちらか一方が教える側へ、もう一方が教えられる側へ回り、次にはその逆が行われなければならないという不可避的事情が発生する。
さて、「シーレ特集」について。宮崎郁子論文はこう始まる。
「阪神淡路大震災から始まり、三月には地下鉄サリン事件が世の中を震撼させた一九九五年の秋、私は岡山市の書店で手にとった画集によりエゴン・シーレを初めて知った」(宮崎郁子「エゴン・シーレと人形と私」『ユリイカ・2023・02・P.115』青土社 二〇二三年)
こう終わる。
「四半世紀以上、私はエゴン・シーレを追いかけ続けているが、まったく色褪せることはない」(宮崎郁子「エゴン・シーレと人形と私」『ユリイカ・2023・02・P.119』青土社 二〇二三年)
それはそれで構わないのだ。誰も彼もが同一内容を連呼するというおぞましい全体主義に陥っていない限り。だが「阪神淡路大震災」<から>今もなおと語る際、その中間で起こった「東日本大震災」を契機に生じた極めて重大な、とりわけ「自称テレビ-マス-メディア」による或る種の瞬間的かつ言語的<報道犯罪>を見逃してしまってはならないだろう。
「阪神淡路大震災」発生とほぼ同時に一つのキャッチ・コピーのような掛け声が上がった。「がんばろう神戸」。実に的を得た、とても印象的で意義深い言葉だった。反響も大きかった。そして「東日本大震災」発生の際も、ほぼ同時に一つのキャッチ・コピーのような掛け声が上がった。「がんばろう日本」。ほくそ笑んだ人々がいる。二つのキャッチ・コピーを比べてみるとなるほど似てはいるものの、後者の意味内容をよく見てみると、前者とは似ても似つかぬ不穏で後ろ暗いもくろみがもう全国津々浦々で開始されたその合図として考えることができる。事情はこうだ。
「がんばろう神戸」の場合、市民というものは諸地域それぞれ異なる生存条件を抱え持って生きているということを共有するいい機会になり得た。だが「がんばろう日本」の場合、<全体主義的ナショナリズム>の動きがすかさず滑り込んできた。その時、それ特有のきな臭さに気づいた人々は少なからずいた。主に批評、社会問題、哲学/思想の専門家たち。あちこちで疑義が呈され注意喚起されるに立ち至りもした。
ところがどこをどう漂流していくのか、貴重な時間を見失っていくうちに、あれよあれよと言う間もなく「日本」という言葉ばかりがどこからどう見ても立派な、どこの誰にも邪魔一つさせない、あたかも米中のような超大国ででもあるかのような倒錯したイメージが植え付けられ養われ培い続けられるようになった。言葉ばかりの「超大国」と化した。だが実際は逆方向。戦争、パンデミック、カルト、ジェンダー、貧困ーーー、に喘ぐ一方の日本の光景、この光景はどうなのだろう。
昨日の東京周辺。二月によくある大雪に見舞われた。道路には大量の融雪剤がまかれた。大量の融雪剤なしに関東地方の道路はどこも立ち行かなくなった。塩化ナトリウム。塩。塩害というのは、例えばサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの錆とか砂漠緑化計画を無に帰してしまう塩害、あるいは日本なら「東日本大震災」の際に津波に飲み込まれた後の東北地方農村部を思い出すことだろう。さらに鉄筋コンクリート製の建築物の鉄筋部分に錆を生じさせる原因として作用することは有名。たとえ表面をコーティングしたとしても今度はそのコーティング剤から生じる公害を無視することはできない。
道路なしにやって行けなくなっている日本ゆえ、差し当たり融雪剤(塩化ナトリウム)だけを見てみる。どこから来たのか。三割強が中国製。次に二割ほどがメキシコ製。半分を輸入に依存している。輸入品なしに立ち行かない日本の「大動脈」。いつからこんなになったのか。
世界的規模で行われている中国政府の監視体制について「実録 中国海外警察」と題して「Newsweek 日本版 CCCメディアハウス 2023.1.31 」が特集を組んでいる。興味深い内容だ。といってもさして驚かない人々がアメリカの黒人層の中にいる。中国近代化より何百年もずうっと昔から、過酷な監視体制下に置かれ、今なお置かれ続けているアメリカの黒人層。貧困しているかしていないかを問わず、民主党政権下であろうと共和党政権下であろうと、今の中国並みの監視網から逃れられないと訴える若い黒人たちが出てきた。
中国は酷い。酷いが中国の酷さを告発するアメリカ政府を見るともう苦笑一つ出てこない。そう歌う若い人々がそれぞれ様々な楽器を手に取り動き始めている。そしてその歌はネットを通して瞬く間に世界中へ広がった。といっても売れ行きはメジャーなアーティストと比べればごく僅か、雀の涙ほどもないのだが。ともかく、アメリカの中では早くも大きな変化の兆しが芽を出し加速している光景が音楽を通してよく見える。音楽の流通-交換を通して中国の若い人々も遅れを取り戻しつつ追いつく日がくるに違いない。日本は?