白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・ヴェルデュラン夫妻と女中たちとの「言語ゲーム」という共通性/「シーレ論」を掠める融雪剤(塩化ナトリウム)と日本の破滅的「大動脈」

2023年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

夜会の後、ヴェルデュラン夫妻は二人だけで言葉を交わし合う。報告者<私>はその様子を読者へ向けて語る。だが次のように伝えることしかできない。

 

「ヴェルデュラン氏はそこへひとことつけ加えた。もちろんそのことばは、夫妻が避けたいと願うお涙頂戴や美辞麗句のたぐいの場面を意味することばであったが、私には正確に伝わってこなかった。というのもそれはフランス語のことばではなく、家族のあいだである種のことがら、とりわけ腹立たしいことがらを指し示すときに、おそらくその語ならば相手にはわからないという理由で口にされることばのひとつだったからである。この種の表現は、一般的にいって、家族の昔の状態が現在に残された遺物といえよう。たとえばユダヤ人の家族では、それは祭式の用語が原義からずれて使われたことばで、いまやフランスに同化した家族がなおも忘れずにいるただひとつのヘブライ語かもしれない。地方色をきわめて色濃く残す家族では、たとえ家族がもうその方言を話すことも理解することさえなくても、それはその地方の方言のひとつになるだろう」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.309」岩波文庫 二〇一七年)

 

言語はいつでも置き換え組み換え組み合わせ可能である。「祭式の用語が原義からずれて使われたことば」。と何げなく述べられているわけだが、驚くべきは「原義からずれて使われ」る言葉があるというばかりか、事態は何もユダヤ人に限ったことではまるでなく、逆にフランス語こそ、その傾向を最も強力に見せつける言語の一つだからだ。プルーストはいう。

 

「というのも、われわれが正確な発音をこれほど誇りにしているフランス語の単語はどれも、ラテン語やザクセン語を訛って発音したガリア人の口が犯した『言い間違い』にほかならず、われわれの言語はいくつかの他の言語を誤って発音したものだからである。生きた状態の言語の真髄、フランス語の過去と未来、これこそフランソワーズの間違いのなかで私の興味を惹いて然るべき問題であった。『かけはぎ屋』のことを『<い>かけはぎ屋』と言うのは、大昔から生き残って動物の生命がたどった諸段階を示してくれるクジラやキリンのような動物と同じほど、興味ぶかいことではないか?」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.306」岩波文庫 二〇一五年)

 

ヴェルデュラン夫妻の行使した権利。「おそらくその語ならば相手にはわからないという理由で口にされることば」の使用である。隠語の役割を果たす。もっとも、今でもよく見かけるありふれた光景の一つであることは確かだ。その種の言葉遣いは暗黙裡の共犯関係を瞬時に作り上げる。そして「それを用いる者同士のあいだに利己的な感情を醸し出し、その感情にある種の満足感を添えずにはいない」。

 

「ヴェルデュラン夫妻の親族をだれひとり知らない私には、そのことばを正確に再現することはできなかった。とはいえこのことばがヴェルデュラン夫人を微笑ませたことは確かである。なぜなら、ふだん使っている言語と比べて一般的ではなく、ずっと個人的で、はるかに秘密めいたこの手の言語は、それを用いる者同士のあいだに利己的な感情を醸し出し、その感情にある種の満足感を添えずにはいないからである」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.310」岩波文庫 二〇一七年)

 

ヴェルデュラン夫妻がここで演じている隠語使用は、別の場面で<私>の女中フランソワーズが女中仲間たちと演じる隠語使用とを比較した場合、まるで同質的共通性を持つ。次のように。

 

「私はそのことを発見したとき、同時にそのことに悩まされた。というのも、あるときフランソワーズがこの地方の出身でそこの方言を話すわが家の小間使いと無我夢中で話しているのに出くわしたことがあるからで、ふたりにはほぼ相手の言うことが通じるのに、私にはふたりの話がさっぱり理解できず、ふたりはそれがわかっていながら、遠く離れた土地で生まれたにもかかわらず同郷の人であるという喜びゆえに許されるとでも思うのか、まるで他人に知られたくない話をするときのように私の前でその外国語を話すのをやめなかった。この言語地理学と女中の仲間意識をめぐる風変わりな学習は、毎週、台所でつづけられたのだが、私はそれになんの喜びも感じなかった」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.290」岩波文庫 二〇一五年)

 

ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」と一致する。

 

「次のようなことはどうだろう。第二節の例にあった『石板!』という叫びは文章なのだろうか、それとも単語なのだろうか。ーーー単語であるとするなら、それはわれわれの日常言語の中で同じように発音される語と同じ意味をもっているのではない。なぜなら、第二節ではそれはまさに叫び声なのであるから。しかし、文章であるとしても、それはわれわれの言語における『石版!』という省略文ではない。ーーー最初の問いに関するかぎり、『石板!』は単語だとも言えるし、また文章だとも言える。おそらく『くずれた文章』というのがあたっている(ひとがくずれた修辞的誇張について語るように)。しかも、それはわれわれの<省略>文ですらある。ーーーだが、それは『石板をもってこい!』という文章を短縮した形にすぎないのであって、このような文章は第二節の例の中にはないのである。ーーーしかし、逆に、『石板をもってこい!』という文章が『石版!』という文の《ひきのばし》であると言っては、なぜいけないのだろうか。ーーーそれは、『石板!』と叫ぶひとが、実は『石板をもってこい!』ということをいみしているからだ。ーーーそれでは、『石板!』と《言い》ながら《そのようなこと》〔『石版をもってこい!』ということ〕《をいみしている》というのは、いったいどういうことなのか。心の中では短縮されていない文章を自分に言いきかせているということなのか。それに、なぜわたくしは、誰かが『石板!』という叫びでいみしていたことを言いあらわすのに、当の表現を別の表現へ翻訳しなくてはいけないのか。また、双方が同じことを意味しているとするなら、ーーーなぜわたくしは『かれが<石版!>と言っているなら<石板!>ということをいみしているのだ』と言ってはいけないのか。あるいはまた、あなたが『石板をもってこい』といいうことをいみすることができるのなら、なぜあなたは『石板!』ということをいみすることができてはいけないのだろうか。ーーーでも、『石板!』と叫ぶときには、《かれがわたくしに石板をもってくる》ことをわたくしは欲しているのだ。ーーーたしかにその通り。しかし、<そうしたことを欲する>ということは、自分の言う文章とはちがう文章を何らかの形で考えている、ということなのだろうか。

 

ーーーしかし、いま、あるひとが『石板 を もってこい!』と言うとすると、いまや、このひとは、この表現を、《一つの》長い単語、すなわち『石板!』という一語に対応する長い単語によって、いみしえたかのようにみえる。ーーーすると、ひとは、この表現を、あるときには一語で、またあるときは四語でいみすることができるのか。通常、ひとはこうした表現をどのように考えているのか。ーーー思うに、われわれは、たとえば『石板 を 《渡して》 くれ』『石板 を 《かれ》 の ところ へ もって いけ』『石板 を 《二枚》 もって こい』等々、別の文章との対比において、つまり、われわれの命令語をちがったしかたで結合させている文章との対比において、右の表現を用いるときに、これを《四》語から成る一つの文章だと考える、と言いたいくなるのではあるまいか。ーーーしかし、一つの文章を他の文章との対比において用いるということは、どういうことなのか。その際、何かそうした別の文章が念頭に浮んでくるということなのか。では、それらすべてが念頭に浮かぶのか。その一つの文章をいっている《あいだに》そうなるのか、それともその前にか、あるいは後にか。ーーーどれもちがう!たとえそのような説明にわれわれがいくばくかの魅力を感ずるとしても、実際に何が起っているのかをちょっと考えてみさえすれば、そのような説明が誤っていることが見てとれる。われわれは、自分たちが右のような命令文を他の文章との対比において用いるのは、《自分たちの言語》がそのような他の文章の可能性を含んでいるからだ、と言う。われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人は、誰かが『石板をもってこい!』という命令を下すのをたびたび聞いたとしても、この音声系列全体が一語であって、自分の言語では何か『建材』といった語に相当するらしい、と考えるかもしれない。そのとき、かれ自身がこの命令を下したとすると、かれはそれをたぶん違ったふうに発音するだろうし、また、われわれは、あの人の発音は変だ、あれが一語だと思っている、などと言うであろう。ーーーしかし、このことゆえに、かれがこの命令を発するときには、何かまた別のことがかれの心の中で起っているのではないか、ーーーかれがその文章を《一つの》単語として把握していることに対応する何かが。ーーーこれと似たこと、あるいはまた何かちがったことが、かれの心の中で起っているのかもしれない。では、きみがそのような命令を下すとき、きみの心の中では何が起っているのか。それを発音している《あいだに》、これが四語から成っていることが意識されているのだろうか。もちろん、きみはこの言語ーーーその中には、すでに述べたような別の文章も含まれているーーーに《熟達》しているのだが、しかし、この熟達ということが、その文章を発音しているあいだに《起こっている》ことなのだろうか。ーーーむろんわたくしは、別様に把握した文章を外国人がおそらく別様に発音するであろうこと、を認めている。しかし、われわれが誤った把握と呼ぶものは、《必ずしも》、命令の発音に付随した〔それとは別の〕何ごとかのうちに生ずるわけではない。

 

ーーー文章が『省略形』であるのは、それを発音するときに、何かわれわれの考えていることが除外されるからではなくて、それがーーーわれわれの文法の一定の範例に比べてーーー短縮されているからである。ーーーここでひとは、もちろん、『おまえは、短縮された文章と短縮されていない文章とが、同じ意義をもっていることを認めているではないか。それなら、それらはどのような意義をもっているのか。いったい、そうした意義に対して、一つの言語表現がないのか』といった異議がありえよう。ーーーしかし、文章の同じ意義とは、それらの同じ《適用》にあるのではないか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・十九・二〇」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.26~29』大修館書店 一九七六年)

 

そのとき何が意味されているのか理解できる人々のネットワーク。それがウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」であり、別の「言語ゲーム」と言語的交換関係を結び合おうとすれば、一度は必ずどちらか一方が教える側へ、もう一方が教えられる側へ回り、次にはその逆が行われなければならないという不可避的事情が発生する。

 

さて、「シーレ特集」について。宮崎郁子論文はこう始まる。

 

「阪神淡路大震災から始まり、三月には地下鉄サリン事件が世の中を震撼させた一九九五年の秋、私は岡山市の書店で手にとった画集によりエゴン・シーレを初めて知った」(宮崎郁子「エゴン・シーレと人形と私」『ユリイカ・2023・02・P.115』青土社 二〇二三年)

 

こう終わる。

 

「四半世紀以上、私はエゴン・シーレを追いかけ続けているが、まったく色褪せることはない」(宮崎郁子「エゴン・シーレと人形と私」『ユリイカ・2023・02・P.119』青土社 二〇二三年)

 

それはそれで構わないのだ。誰も彼もが同一内容を連呼するというおぞましい全体主義に陥っていない限り。だが「阪神淡路大震災」<から>今もなおと語る際、その中間で起こった「東日本大震災」を契機に生じた極めて重大な、とりわけ「自称テレビ-マス-メディア」による或る種の瞬間的かつ言語的<報道犯罪>を見逃してしまってはならないだろう。

 

「阪神淡路大震災」発生とほぼ同時に一つのキャッチ・コピーのような掛け声が上がった。「がんばろう神戸」。実に的を得た、とても印象的で意義深い言葉だった。反響も大きかった。そして「東日本大震災」発生の際も、ほぼ同時に一つのキャッチ・コピーのような掛け声が上がった。「がんばろう日本」。ほくそ笑んだ人々がいる。二つのキャッチ・コピーを比べてみるとなるほど似てはいるものの、後者の意味内容をよく見てみると、前者とは似ても似つかぬ不穏で後ろ暗いもくろみがもう全国津々浦々で開始されたその合図として考えることができる。事情はこうだ。

 

「がんばろう神戸」の場合、市民というものは諸地域それぞれ異なる生存条件を抱え持って生きているということを共有するいい機会になり得た。だが「がんばろう日本」の場合、<全体主義的ナショナリズム>の動きがすかさず滑り込んできた。その時、それ特有のきな臭さに気づいた人々は少なからずいた。主に批評、社会問題、哲学/思想の専門家たち。あちこちで疑義が呈され注意喚起されるに立ち至りもした。

 

ところがどこをどう漂流していくのか、貴重な時間を見失っていくうちに、あれよあれよと言う間もなく「日本」という言葉ばかりがどこからどう見ても立派な、どこの誰にも邪魔一つさせない、あたかも米中のような超大国ででもあるかのような倒錯したイメージが植え付けられ養われ培い続けられるようになった。言葉ばかりの「超大国」と化した。だが実際は逆方向。戦争、パンデミック、カルト、ジェンダー、貧困ーーー、に喘ぐ一方の日本の光景、この光景はどうなのだろう。

 

昨日の東京周辺。二月によくある大雪に見舞われた。道路には大量の融雪剤がまかれた。大量の融雪剤なしに関東地方の道路はどこも立ち行かなくなった。塩化ナトリウム。塩。塩害というのは、例えばサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの錆とか砂漠緑化計画を無に帰してしまう塩害、あるいは日本なら「東日本大震災」の際に津波に飲み込まれた後の東北地方農村部を思い出すことだろう。さらに鉄筋コンクリート製の建築物の鉄筋部分に錆を生じさせる原因として作用することは有名。たとえ表面をコーティングしたとしても今度はそのコーティング剤から生じる公害を無視することはできない。

 

道路なしにやって行けなくなっている日本ゆえ、差し当たり融雪剤(塩化ナトリウム)だけを見てみる。どこから来たのか。三割強が中国製。次に二割ほどがメキシコ製。半分を輸入に依存している。輸入品なしに立ち行かない日本の「大動脈」。いつからこんなになったのか。

 

世界的規模で行われている中国政府の監視体制について「実録 中国海外警察」と題して「Newsweek 日本版 CCCメディアハウス 2023.1.31 」が特集を組んでいる。興味深い内容だ。といってもさして驚かない人々がアメリカの黒人層の中にいる。中国近代化より何百年もずうっと昔から、過酷な監視体制下に置かれ、今なお置かれ続けているアメリカの黒人層。貧困しているかしていないかを問わず、民主党政権下であろうと共和党政権下であろうと、今の中国並みの監視網から逃れられないと訴える若い黒人たちが出てきた。

 

中国は酷い。酷いが中国の酷さを告発するアメリカ政府を見るともう苦笑一つ出てこない。そう歌う若い人々がそれぞれ様々な楽器を手に取り動き始めている。そしてその歌はネットを通して瞬く間に世界中へ広がった。といっても売れ行きはメジャーなアーティストと比べればごく僅か、雀の涙ほどもないのだが。ともかく、アメリカの中では早くも大きな変化の兆しが芽を出し加速している光景が音楽を通してよく見える。音楽の流通-交換を通して中国の若い人々も遅れを取り戻しつつ追いつく日がくるに違いない。日本は?

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて244

2023年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。だんだん曇ってきました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

午後四時三十分頃です。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“比良山”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

日の入時刻を回りました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“湖西道路高架下”」(2023.2.11)

 

二〇二三年二月十一日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

 


Blog21・「この人を見よ」のべたな反復としてのシャルリュス/エゴン・シーレと戦後政治-産業構造問題

2023年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

ナポリ王妃の単純素朴さに救われたシャルリュス。夜会の後すぐ反撃に出るかといえばそういうわけでもない。夜会後シャルリュスは「感染性の肺炎」に罹患し「何ヶ月も生死の境をさまよっていた」からである。プルーストは<力>の強さ-弱さの反復が出現させる表層を焦点化する。「シャルリュス氏は、ことに命が助かったと思う日にはよくしゃべった。病気がぶり返すと、また黙りこんだ」というふうに。

 

「シャルリュス氏は、いっときヴェルデュラン夫妻のことを考えたあと、ぐったり疲れ果て、壁のほうを向いてもはやなにも考えなかった。氏が持ち前の雄弁を失ったからではなく、雄弁が以前ほどの努力を氏に求めなくなったからである。雄弁はなおもこんこんと湧いていたが、その質が変わってしまったのだ。あれほど頻繁に暴言を飾り立てていた雄弁は、いまや暴言から切り離され、こんどは優しいことばや、福音書のたとえ話や、死への明らかな忍従などに飾られた、神秘的な雄弁にすぎなくなった。シャルリュス氏は、ことに命が助かったと思う日にはよくしゃべった。病気がぶり返すと、また黙りこんだ」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.304」岩波文庫 二〇一七年)

 

<症例としてのニーチェ>というに近い。もっとも、ニーチェの場合は<目>にかかわる。ただ単なる反復に過ぎないと言ってしまっては到底語りきれない<ルサンチマン>(復讐感情・劣等感)について、それはどのように振る舞うものなのか。ニーチェによるニーチェ解説として書かれた「この人を見よ」に詳しい。三箇所。

 

(1)「私の場合、病気の回復とは、長い長い、あまりに長い年月を意味するのであるーーーそのうえ、残念ながら、それは一種のデカダンスの再発、悪化、周期的反復をも意味する。これだけ言えば、いまさら、私がデカダンスの諸問題にかけては《くろうと》だということを言い足す必要もなかろうと思うが、どんなものだろうか?デカダンスという語を、私は頭の方からしっぽの方からも、一字一字丹念にたどった。なんでも手でさわってみて弁別するあの金銀線細工の技術にしても、ニュアンスを感得するあの指にしても、『見えていないところを見抜く』あの心理学にしても、その他私の特技とするところはすべてあの時期に初めて習得したものだ。これは、私の観察そのものも観察の器官も、要するに私におけるすべてが精妙になったあの時期においてでなければ到底得られようもない賜物である。病人の光学からして、自分のよりは《もっと健康な》概念と価値とを見渡し、今度は逆に、《豊かな》生の充実と自信とからデカダンス本能のひそかな営みを見下ろすことーーーこの修業に私は一番長く年季をかけたし、私に何か本当の意味の経験があったと言えるとすれば、このことこそまさにそれであり、何かの道で私が達人になったと言えるとすれば、まさにこの道においてだ。今では私はこの技術をすっかりものにしている。《物の見方を換える》ということはお手のものだ。おそらく私にだけ『価値の価値転換』などということが可能なのはそもそもなぜなのか、その第一の理由はここにある」(ニーチェ「この人を見よ」『この人を見よ/自伝集・P.23~24』ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

(2)「この経験の《二重》系列、一見全く別な世界のように見える二つの世界のどっちへでも出入りできるというこのことが、万事につけて私の性質の中に繰り返し現われるーーー私は一種の二重人格者なのだ。私は第一の顔のほかに『第二の』顔を持っている。《さらに》ひょっとしたら第三の顔まで持っているかもしれぬーーー」(ニーチェ「この人を見よ」『この人を見よ/自伝集・P.27』ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

(3)「私が怨恨感情(ルサンテイマン)を清算してしまっているということ、私は怨恨感情(ルサンテイマン)については何から何まで知り尽くしているということーーーこのことについて私は、結局、どんなに私の長わずらいに感謝せねばならぬかわからない!この問題は必ずしも簡単ではない。これを力の方からも弱さの方からもすっかり体験してしまっている人でなければこれを語る資格がないからだ」(ニーチェ「この人を見よ」『この人を見よ/自伝集・P.27』ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

さらに<目>は熟眠状態を除けば、いつも認識しようと欲望して止まない器官の一つだ。その「アポロン的陶酔」について。

 

「アポロン的陶酔はなかんずく眼を興奮させておくので、眼が幻想の力をうる。画家、彫刻家、叙事詩人はすぐれて幻想家である」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏/反キリスト者・P.96』ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

ニーチェはディオニュソスの側に立つ。ゆえに<舞踏・リズム・転変>あるいは<生成変化>が重要になる。

 

「恍惚(こうこつ)として溢れ出る上出来の精神の典型!生存の矛盾と疑惑をわが身のうちへと摂取して『救済』する精神の典型!ここから私はギリシャ人の神《ディオニュソス》を立てる。ーーーディオニュソス対『十字架にかけられた者』、そこに君たちは対立をもつ。殉教という点では相違は《ない》、ーーーただ殉教というこのものが異なった意味をもっているにすぎない。生自身が、生の永遠の豊穣さや回帰が、苦悶の、破壊の、絶滅への意志の条件となっている。いま一つの場合には、苦悩が、『罪なき者として十字架にかけられた者』が、この生に対する異議であると、この生の断罪の定式であるとみなされる。ーーーおわかりであろう、問題は苦悩のいかんであるということが。すなわち、はたしてキリスト教的意味なのか、はたして悲劇的意味なのかということである。前者の場合には、苦悩は或る神聖な存在にいたる道たるべきである。後者の場合には、《存在そのもの》が、巨大な苦悩をもなお是認するほど《十分神聖であると》みなされる。悲劇的人間は最も苛烈な苦悩をもなお肯定する。彼は、そうしうるほど十分強く、豊満であり、神化されているからである。キリスト教的人間は地上の最も幸福な運命をもなお否定する。彼は、どのような形式においてであれ生に苦悩せざるをえないほど、弱く、貧しく、落ちぶれているからである。十字架にかけられた神は、生の呪詛(じゅそ)であり、おのれをこの生から救済しようとする指示である。ーーー寸断されたディオニュソスは生の《約束》である。それは永遠に再生し、破壊から立ち帰ってくるであろう」(ニーチェ「権力への意志・下・一〇五二・P528」ちくま学芸文庫 一九九三年)

 

ところで、<目>への差し向けによって<目>を含むその周辺の問題までが焦点化されるとは必ずしも限らない。ドゥルーズは<目>についてこうも言う。

 

「眼は光を拘束するのであり、眼それ自身が拘束された光なのである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第二章・P.264」河出文庫 二〇〇七年)

 

<目>は何かを捕獲しようと欲望することをますます意志する。その意味で<手>もまた重要だと言わねばならない。<手>の出現と消滅と。蓮實重彦はいう。

 

(1)「ジョン・ウェインは、そのとき自分にふさわしい身振りが何であるかを不意に思い出す。拳銃を握る凶暴な片手のイーサンから、腕で何かをかかえ込む両手のイーサンへの変化が生きられるのである」(蓮実重彦「ジョン・フォード論・第四章・P.244」文藝春秋 二〇二二年)

 

(2)「ここまでのジョン・ウェインは、『片手の』イーサンとして、もっぱら凶暴な孤独さに徹している。だが、洞窟の前で逃げ切れずに倒れた姪を前にして、彼はいきなり『両腕の』イーサンへの変貌を嘘のように実現してみせる」(蓮実重彦「ジョン・フォード論・第四章・P.244」文藝春秋 二〇二二年)

 

とともに言えば<胃>もまたそうだ。としてもなぜ<胃>はあの場所にあるのだろう。<胃>の場所はあの場所でなくてはならないのだろうか。バロウズはいう。

 

「人間の身体はまったく腹立たしいくらい非能率的だ。どうして調子の狂う口と肛門のかわりに、物を食べる《とともに》排出するようなすべての目的にかなう万能の穴があってはいけないのだ?鼻や口は密閉し、胃は詰め物をしてふさぎ、どこよりも第一にそれはそうあるべきはずの肺臓にじかに空気孔を作ることができるはずだ」(バロウズ「裸のランチ・P.183~184」河出書房新社 一九八七年)

 

そこで昨今、もう余計なくらい騒がしい「クィア」ということについて。「エゴン・シーレ特集」から。丸山美佳は批評する側に身を置く専門家(とりわけ男性)に向けてこう問いかける。

 

「シーレの性愛や死への執着を描いた絵画は、低年齢層を含む女性たちとの問題含みな関係のスキャンダル性と相まって、当時の保守的な性的役割を超えるラディカルなものとして扱われてしまう危険性を孕む。彼の性や死に対する表現が現在においても潜在的に私たちに多くを訴えかける一方で、そのラディカル性を彼の異質で孤高の天才の物語のなかで完結させる神話への違和感を抱く」(丸山美佳「ウィーンの亡霊」『ユリイカ・2023・02・P.155』青土社 二〇二三年)

 

よく知られていることなのだが丸山美佳は繰り返す。

 

「クリムトとシーレがナチス時代の美術関係者にも受け入れられていた状況を分析する美術史家のローラ・モノヴィッツは、彼らのような芸術家の戦後の再評価とその再利用は、ナチス・ウィーンで繰り広げられた、より大きな文化的政治の一部として理解されるべきだと主張する。今日のオーストリアの美術館と観光産業によるシーレのような『スーパースター』の誇張された宣伝は、ウィーン分離派たちと国家社会主義者の過去によって浮かび上がる不穏な関係とユダヤ人や女性芸術家の排除を曖昧にし、その忘却に加担してきた過程と表裏一体なのである」(丸山美佳「ウィーンの亡霊」『ユリイカ・2023・02・P.159』青土社 二〇二三年)

 

ナチスドイツによる侵略の「<被害者>としてのオーストリア」という世界的宣伝。戦後すぐ起動した情報宣伝の一つがオーストリアという名の「アイデンティティ神話」樹立に役立った。「世紀末ウィーンの政治的かつ狡猾な再利用」という問題。この種の再利用の過程で「忘れ去られ排除された」アーティストたち(特に女性アーティストとユダヤ系アーティストと)がいる。丸山美佳が焦点化しているのはそこだ。

 

次の文章を引きたい。だが使用中のパソコンはドイツ語もフランス語も出ない。七、八年も前から随時アップ・デートしてはきた。ところがアップ・デートすればするほど逆に不便になるばかり。十五年前には打ち込めたドイツ語とかフランス語とかそのほか多種多様な外国語がなぜか今は選択肢に入っていない。日本語でも古い漢字はもう出ない。ただ単なるアルファベットのみ。

 

なのに特に平日の「自称テレビ-マス-メディア」は防犯防災のために是非と、盛んに新型への買い換えと小まめなアップ・デートとの推奨を惜しまない。そんな余裕があるのならもっと身近なグッズを買い整えつつ、その後で、OA機器とその周辺とに気配りするほかない。生憎だが余裕一つない。それでもし視聴者の側が何らかの犯罪に巻き込まれた場合、「自称テレビ-マス-メディア」(特に平日の)が率先して、保証の一つもしてくれるのだろうか。「自称テレビ-マス-メディア」(特に平日の)が言うのはそういうことだろうか。ドゥルーズの言葉を思い出そう。

 

「メディアに<事件>をとらえるためのじゅうぶんな手段があるとも、メディアがその使命をになっているとも思いません。まず、一般にメディアが最初と最後を見せるのにたいして、<事件>のほうは、たとえ短時間のものでも、あるいは瞬間的なものでも、かならず持続を示すという違いがあります。そしてメディアが派手なスペクタクルをもとめるのにたいして、<事件>のほうは動きのない時間と不可分の関係にある。しかもそれは<事件>の前後に動きのない時間があるということではなくて、動きのない時間は<事件>そのものに含まれているのです。たとえば不意の事故がおこる瞬間は、いまだ現実には存在しない何かを見る目撃者の目に、あまりにも長い宙づりの状態でその事故がせまってくるときの、がらんとした無辺の時間と一体になっているのです。どんなありふれた<事件>でも、それが<事件>であるかぎり、かならず私たちを見者にしてくれるのにたいして、メディアのほうは私たちを受動的なただの見物人に、そして、最悪の場合は覗き魔に変えてしまいます。グレイトゥイゼンも、あらゆる<事件>は、いわば何もおこらない時間のなかにある、と述べているではありませんか。待ち望む者が誰もいなかった予想外の<事件>にも狂おしいまでの期待が宿っているということは一般に見落とされているのです。<事件>をとらえることができるのは芸術であってメディアではない。たとえば映画は<事件>をとらえています。小津がそうだし、アントニオーニがそうです。しかし、ほかでもない、動きのない時間は小津やアントニオーニの場合、ふたつの<事件>のあいだではなく、<事件>そのものに宿って、<事件>の密度を高めているのです」(ドゥルーズ「記号と事件・4・政治・P.323~324」河出文庫 二〇〇七年)

 

丸山美佳はこう続ける。

 

「ユリア・ヴィーガーとニナ・ホフテルによるアーティストデュオ『亡霊、アーカイブの政治と空白のための書記局』による映像作品《HAUNTINGS IN THE ARCHIVE!(アーカイブの幽霊たち)》(二〇一七年)は、<オーストリア女性芸術協会>のアーカイブ資料を扱った映像作品であるが、それはそのまま戦後オーストリアの文化状況をも反映している。二人が注目するのはアーカイブや歴史が持つ空白や裂け目であり、とくにその空白として現れる、見えない、忘れさられた存在ーーー幽霊たちーーーと、その空白がいかにナチス時代のイデオロギーに結びつき、またそのイデオロギーがそのまま戦後ヨーロッパにおける人種差別と新たな植民地構造と結びついていたのかを明るみに出す」(丸山美佳「ウィーンの亡霊」『ユリイカ・2023・02・P.159~160』青土社 二〇二三年)

 

言われている「幽霊たち」。複数形だ。「保守的な性観念と社会に対してラディカルさを持って接したシーレの表現」。なるほどそうかもしれない。けれどもそれは「決して彼個人のみに帰着するものではない」。

 

「レオポルド美術館で、シーレが描く身体にまとわりつく、何層にも重ねられた死や闇を見る度に、忘れさられ、しかしそこに息づく無数の亡霊たちにも私は思いを馳せる。シーレが探求した身体に宿る性愛や情動は、当時を生きた多くの人々との関係性のなかで生まれたものであり、決して彼個人のみに帰着するものではない。保守的な性観念と社会に対してラディカルさを持って接したシーレの表現は、同時代にあったフェミニズム運動や芸術家たちの欲望とその忘却とともに存在している」(丸山美佳「ウィーンの亡霊」『ユリイカ・2023・02・P.159~160』青土社 二〇二三年)

 

忘れられ排除された「アーティストたち」の発掘発見<とともに>、その重層的断層(一九〇〇年から一九三八年を経て戦後数十年にわたるウィーン)の諸系列は、今なお詳細な調査の余地を大いに残しているという。この種の問題は何もウィーンにのみ限った話ではまるでない。日本にも思い当たる節があるだろう。かつて「都」が置かれていた諸都市。そしてとりわけ今の首都。なお、ユダヤ系や女性ばかり持ち上げてしまってはいたずらに混乱させることになるのもまた一方で事実なのだ。戦後樹立された「イスラエル」と中東紛争。世界中が一度に抱え込んだ重大問題。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて243

2023年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。今日の大津市の日の出前と日の出後の気象予報は晴れ。湿度は6時で78パーセントの予想。湖東方面も晴れ。鈴鹿峠は曇りのようです。

 

午前六時二十分頃に湖畔へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.2.11)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

そろそろのようです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

日が出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.11)

 

「名称:“通勤通学路”」(2023.2.11)

 

二〇二三年二月十一日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。