プルーストは言語と貨幣との等価性について書く。それは次の箇所で、一方をもう一方へ「紹介する」という身振り(言葉・振る舞い)によって演じられ、機能し、機能を果たせばもう二度となかったことにできない、大変わかりやすい事例だ。シャルリュスが引き受ける準備をしていたところ、慌てたヴェルデュラン夫人が割り込もうとする形を取るのだがーーー。
「『お待ちなさい、わたくしが紹介してあげます』ヴェルデュラン夫人は言うと、預けたコートなどを急いで取って帰ろうとした私とブリショはべつにして、何人かの信者をしたがえ、シャルリュス氏と話をしている王妃のほうへ進み出た。シャルリュス氏は、モレルをナポリ王妃に紹介するという大願の成就が妨げられるのは、王妃の死というありそうもない場合にかぎられると想いこんでいた。われわれはなにもない空間に投影された現在の反映として未来を想い描いているが、しかし未来とは、われわれには捉えきれない諸要因からしばしば直截に生まれるものである。あれから一時間も経っていないのに、いまやシャルリュス氏は、モレルがナポリ王妃に紹介されるのを妨げるためならばすべてを投げ出したことだろう」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.298~299」岩波文庫 二〇一七年)
そう書かれた中に、ただ単なる<物語文学>であれば余計な箇所として削除されていても一向に構わない一節が、割り込み許可を得て接続されている。「われわれはなにもない空間に投影された現在の反映として未来を想い描いているが、しかし未来とは、われわれには捉えきれない諸要因からしばしば直截に生まれるものである」と。
未来を「想い描」くことは簡単にできる。だがプルーストは、「諸要因」はなぜ「われわれには捉えきれない」と言うのだろう。事情はこうだ。ニーチェから二箇所。
(1)「《いわゆる動機の戦い》。ーーー『動機の戦い』ということが言われる。しかしそれは動機の戦いでは《ない》戦いを特徴づけている。すなわち、行為の前、われわれが熟慮するとき、意識の中には、われわれがそのすべてをなしうると思う様々な行為の《結果》が順番にあらわれ、われわれはこの結果を比較する。ある行為の結果が圧倒的に一層有利なものになるであろうと確認したとき、われわれはその行為の決心がついたと思う。われわれの考慮がこの結論に至る以前は、結果を推測し、それをその全体的な強度という点で見ぬき、しかもすべて脱漏の欠点がないようにし、この際計算はさらにその上に偶然で割り算されねばならない、という大きな困難のために、われわれはしばしば非常に苦悩する。そればかりか、最も困難なことをいうと、ひとつひとつとしては極めて確かめがたいすべての結果が、今や一緒に《ひとつの》秤の上でお互いに重さを計られなければならない。しかもあらゆるこれらの可能的な結果や《質》の相違のために、利益のこの決議論に対して、われわれは分銅のほかに秤も欠いているということが、全くしばしばなのである。しかしわれわれがこれにも話をつけ、われわれがお互いに重さを計りうる結果を、偶然が秤の上にのせたものとしよう。そうするとわれわれは今や実際に、ひとつの特定の行為の《結果の像》の中に、ほかならぬこの行為をする《動機》を、ーーーそうだ!《ひとつの》動機を持つことになる!しかしわれわれが結局行為する瞬間には、ここで論じられた種類、『結果の像』の種類とは違った種類の動機によって、われわれはしばしば十分に規定されるのである。そのときに影響を与えるのは、われわれの力の働きの習慣や、われわれがおそれたり、尊敬したり、愛したりする人による小さな刺激や、さしあたりのことをすることを好む怠惰や、決定的な瞬間に、手あたり次第の極めて些細な出来事によって引き起こされる想像力の興奮である。全く計り知れないまま登場する肉体的なものが影響を与える。機嫌が影響を与える。まさしく偶然にほとばしり出ようと準備していた何らかのわずかの感動の噴出が影響を与える。手短にいうと、われわれが一部は全然知らず、一部はほんのわずかしか知らない動機、またわれわれが《以前には》お互いに全く計算でき《なかった》動機が、影響を与える。これらの動機の間にも、戦いが、追いやりと駆逐が、分銅の量の均衡と低下があることは、《ありそうなことである》ーーーそしてこれが本来の『動機の戦い』であるであろう。ーーーそれは、われわれには全く見えもしないし、意識されもしないものである。私は結果と成果を計算し、こうして《ひとつの》非常に重要な動機を動機の戦列に編入した。ーーーしかし私はこの戦列自体を見ないと同様に、編成もしない。戦いそれ自身が私には隠されている。勝利そのものも同様である。なぜなら、私が最後に何を《なす》かは、私のよく知るところであるが、ーーーいかなる動機がそれによって本来勝利を収めることになったかということは、私のよく知るところではないからである。あらゆるこれらの無意識的な過程を勘定に入れないこと、そして行為の準備を、それが意識されるかぎりにおいてのみ考えることが、《まさしくわれわれの習慣である》。そこでわれわれは、動機の戦いを、様々な行為の可能的な結果の比較と《取り違える》。ーーー最も効果があり、そして道徳の発達にとって最も宿命的な、取り違えのひとつである!」(ニーチェ「曙光・一二九・P.151~153」ちくま学芸文庫 一九九三年)
(2)「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ!ーーーあらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の衝動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動《一切の》、ーーーそれゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である」(ニーチェ「生成の無垢・下・二五〇・P.148~149」ちくま学芸文庫 一九九四年)
また(2)の注目点。「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる」。ニーチェの予言にもかかわらず、とりわけ世界の<戦争報道>は、横柄不遜にもニーチェの言葉を無視しつつ、実にしばしば濫用してきた歴史がある。総力戦とか後方支援とかいう「掛け声」として盛大かつあからさまに流通させ、目にも見えれば手に取って確かめもできる事実に対し、ほとんど関係のない別の報道をどんどん割り込ませることで次々と隠蔽してきた歴史が。
総力戦の場合、特に映像で報道される戦闘行為の先端というのは実に小さい。ごく微量でしかない。「最前線」というのはそういうものだ。ところが逆にその後方支援部分は途方もなく膨大で予想不可能なのが近現代の戦争の特徴をなす。そしてこの後方支援部分の途方もない膨大さについての報道はほとんどまるでなされないか、むしろ全然違うストーリーばかりで埋め尽くされていくのが常套手段である。第二次世界大戦がそうだった。「起こったことを、なかったことにできるのか?」という問いはそこから出てくる。
それとも「見ない」のか「見えない」のか「見たくない」のか、いずれかでしかない。最も考えられる事情について。
「自己観察に対する不信。或る思想が或る別の思想の原因であるということは、確定されえない。私たちの意識という机の上では、あたかも或る思想がそれに後続する思想の原因であるかのように、諸思想が次々と現われる。事実私たちは、この机の下で演じられている闘争を見ないのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下・二四七・P.147」ちくま学芸文庫 一九九四年)
仲介すること。言葉による貨幣機能の取り合い奪い合いを始めたシャルリュスとヴェルデュラン夫人。商品売買でいえば、どちらの商品を買うか買わないか、それを決めるのはナポリ王妃だ。
「ヴェルデュラン夫人は片足を引いて王妃にお辞儀をした。王妃が自分を憶えていないようなのを見て、夫人は言った、『ヴェルデュランの家内でございます。陛下はお忘れかもしれませんが』。『それは結構』と王妃は、相変わらずごく自然に、シャルリュス氏に話しかけながらうわの空のように言ったので、ヴェルデュラン夫人は、いかにもうわの空といった抑揚で発せられたこの『それは結構』がはたして自分に向けられたものかといぶかったが、こと無礼にかけては専門家であり愛好家でもあるシャルリュス氏は、恋する男として苦痛のさなかにありながら、この『それは結構』に感謝の薄ら笑いをうかべた。モレルは、遠くから紹介の準備が整えられていると見て、そばに寄ってきていた。しかし王妃が腕をのばしたのはシャルリュス氏にであった。王妃はシャルリュス氏にも腹を立てていたが、それは卑劣な侮辱をした者どもに氏がもっと毅然と立ち向かわなかったからにほかならない」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.299」岩波文庫 二〇一七年)
シャルリュスが勝った。ヴェルデュラン夫人が全力で画策して回ったにもかかわらず。だがなぜナポリ王妃はシャルリュスの側を選んだのか。ヴェルデュラン夫人が全力で反シャルリュス運動を画策し伝染させて回ったから。薄汚い成り上がりものの卑劣さに激怒したという単純素朴な理由である。ヴェルデュラン夫人の卑劣ぶりはすでに述べられているようなことと酷似している。「卑怯なところだけはすでに大人だった私は、苦痛や不正を目の当たりにした大人がだれしもするようにした。つまり、それを見ないふりをした」。
「このような大叔母の祖母への仕打ちといい、祖母が祖父の手から蒸留酒のグラスをとりあげようとして懇願しても甲斐がなく、のっけから諦める無力な対応といい、それらは大人になれば見慣れた光景で、ふつうなら笑ってすませたり、迷うことなく喜んでいじめる側についたりして、これはいじめではないと自分を納得させるだけのことである。だがそのときの私は、とても恐ろしくなり、大叔母をひっぱたいてやりたい気持だった。とはいえその後は『バチルド!早く止めに来ないと、旦那さんがコニャックを召し上がっちゃいますよ!』という声が聞こえると、卑怯なところだけはすでに大人だった私は、苦痛や不正を目の当たりにした大人がだれしもするようにした。つまり、それを見ないふりをしたのである」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.42~43」岩波文庫 二〇一〇年)
その真逆へ進んだ音楽家がシェーンベルクだったとすれば、画家エゴン・シーレはヴェーベルンに近い。「シーレ特集」。やや総括的な論文仕立てなのだが「パントマイム」から入った香川檀はいう。
「『表現主義』と呼ばれるこれら一連のモダン・ダンスは、定型的な振り付けから身体を解放し、内面の感情の発露としての身振りを重んじた。結果、それまでの絵画が『表象の外』に置いてきた美的でない、常軌を逸した、下品な、あるいは病的ですらあるような姿態の数々が、描かれる人物像のポーズに採用されたのである。ただし、これらは踊り手も画中の人物もほとんどすべて女性身体が前景にあって、男性のそれは背景に退いている。であるからこそ、シーレとオーゼンとの関係は、男同士の身体観の共有という点で注目に値する」(香川檀「<ネイキッド・ポートレイト>の黎明期」『ユリイカ・2023・02・P.165』青土社 二〇二三年)
その前に、当時のウィーン「退廃芸術」とはどのようなものだったのだろうか。
「裸体像の分析概念としていまや定番となったケネス・クラークの『ヌード nude』と『ネイキッド naked』の区別に従えば、芸術におけるヌードとは『均整のとれた、すこやかな、自信に満ちた肉体、再構成された肉体のイメージ』である。それに対して、後者は『着物が剥ぎ取られ』た《はだか》の意であり、『丸くちぢこまった無防備な身体』をさしている」(香川檀「<ネイキッド・ポートレイト>の黎明期」『ユリイカ・2023・02・P.166』青土社 二〇二三年)
そう押さえた上で今なお根深い偏見だらけのジェンダー系列問題提起へ接続させつつ<系譜学的>な観点からこう繰り返す。
「像主の社会性を担保する衣服も、すこやかで自信に満ちたヌードのヴェイルもかなぐり捨て、鏡の前でポーズをとる」(香川檀「<ネイキッド・ポートレイト>の黎明期」『ユリイカ・2023・02・P.168』青土社 二〇二三年)
思うわけだが、年齢とか性別とかLGBTとか、いずれにせよ、問題は、もう金輪際マッチョを止めることと<止めること>の意義深さとを感じさせる。いささか形式的な、どこかヘーゲルの匂いがしなくもない香川論文は、にもかかわらず改めて<ネイキッド naked>への問いを架けつつ一旦筆が置かれる。
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