白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・孤独のピアノ

2025年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

玉川裕子「『ピアノを弾く少女』の誕生」(青土社)を参照しつつ酒井順子はいう。二箇所。

 

(1)「持ち運びができるヴァイオリンではなく、家に置かれるピアノを弾く少女は、未来の良妻賢母的なムードを醸し出しもした。『あわよくばワンランク上の結婚相手を期待する中流以上の親たちが、娘に楽器を習わせようとするならば、理想の楽器は、ヴァイオリンではなく、ピアノ』という状況になってきたのだ」(酒井順子「習い事だけしていたい(8)」『群像・2・P.314』講談社 二〇二五年)

 

(2)「高度経済成長期、女児達がこぞってピアノを習った背景には、戦争などのせいで自身は習うことができなかった母親達のルサンチマンが存在したのだろう。『女の子は、ピアノ』という感覚は明治の頃から続いていたが、私の母親世代の女性達の多くは、『本当なら私が習いたかったピアノを、娘に』と思ったのではないか」(酒井順子「習い事だけしていたい(8)」『群像・2・P.314』講談社 二〇二五年)

 

いずれももっともな話だろうとおもう。ところが亡くなった母のことを思うとちょっと違っていたというほかない。母は二人の子どもをもうけたが子どものためにではなく母自身が弾くためにピアノを買って練習していた。母が生まれたのはまだ戦時中であって戦後になり周囲からピアノの音が加速的に普及してきた時期に十代を過ごした。阻まれた夢を子どもに賭けて押し付けるというにはまだ早く、母自身の手でマスターしたいしある程度までならできそうだと思えるような年代だった。

 

ピアノを家に置くことと母の結婚とは直接関係がない。「ピアノに込めた親の思い」を「子ども」へ引き継がせようとしたわけではまるでない。母自身が実現したい欲望の対象として家の一番奥の部屋の隅にぽつんとピアノは置かれていた。

 

子どもは中学時代からギターを始めていて難度の高いフレーズが出てきたらどうこなすのがいいかを知っている。一方母はいつも不得手としておりまるで暗記でもしたかのように必ず間違うピアノのパッセージがあったのだがその箇所は息子が大学在学中になってもまだ克服できずにいた。そこで最も簡単な克服方法を息子の側から教えようと声を掛けるのだが母は聞く耳を持たなかった。それではいつまで経っても同じ箇所で指がもつれて間違うよと指摘してもなお頑固にピアノに向かっていた。

 

そうこうするうちに空前のバブルは予想通り崩壊。日本から中流階級は消滅・一掃された。けれども中流階級が消滅したからピアノに向かう女児たちが減少したわけでは全然ない。母たちはその労働者としての形態を一変させた。母たちの欲望は社会進出へ向けられた。母たちに限らず「親たちの欲望」は今やほぼ全面的に社会進出へと向けられている。

 

高度成長期というほんの十年くらいのあいだに限りよく見られた「ピアノを弾く少女」は激減しつつも「親たちの欲望」は欲望の多様化にともなってスイミング・スクールへ、サッカー・スクールへ、スノー・ボードへ、ラグビー名門校へ、プログラミング学科へ、世界的規模で拡散した。そうなると少子化は必然性を帯びてこざるを得ない。それが頭で理解できていてもなお新自由主義は少子化への機能を取り外そうとはしない。

 

こうなるとイデオロギー的左右対立はことごとくないがしろにされていくように見える一方、世界規模の経済的階層秩序型社会が舞い戻ってきて再び階級的左右対立が地上に舞い降りるほかないという逆説に陥るのである。


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