前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
妖怪〔鬼・ものの怪〕に取り憑かれたと思われる病人が出た。当時の風習通り霊媒師を呼んでその妖怪〔鬼・ものの怪〕を病人から霊媒師に乗り移らせたところ、霊媒師は語った。自分は狐であると。とはいえ、何も祟りに出てきたわけではない。この辺りにはごく普通に食物が散らばっているだろうと思って家の中を覗き込んでいたら、病気平癒のための加持祈祷が行われていて、たまたまその病人の中へ閉じ込められてしまったというわけ。
「己(おのれ)ハ狐也。祟(たたり)ヲ成シテ来(きた)レルニハ非(あら)ズ。只、此(かか)ル所ニハ自然(おのづか)ラ食物(くひもの)散(ちり)ボフ物ゾカシト思(おもひ)テ、指臨(さしのぞき)テ侍ルヲ、此ク被召籠(めしこめられ)テ侍ル也」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.166」岩波書店)
そういうと、狐が乗り移った状態の霊媒師は懐(ふところ)から小さな蜜柑ほどの大きさの白い玉を取り出し、ぽんと投げ上げてまた手玉に取って見せた。「白キ玉」は狐の妖怪〔鬼・ものの怪〕が身に持つとされる魔法の宝のこと。
「懐(ふところ)ヨリ、白キ玉ノ小柑子(こかんじ)ナドノ程ナルヲ取出(とりいで)テ、打上(うちあげ)テ玉ニ取ル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.166」岩波書店)
不可解なことだが、もしかしたら霊媒師がもともと懐の中に入れていたただ単なる玉を取り出して芸の一つなりと披露してみただけのことかもしれない。試しに取り上げてみようと、また「白キ玉」が投げ上げられた瞬間、若い侍が横からひょいと手を出してその玉を奪い取った。すると霊媒師に憑依した狐の態度がたちまち豹変した。そしていう。なんて酷いことをする人だ、返してほしいと。侍が無視して見せていると遂に狐は泣き出して懇願し出した。その白い玉はあなたが持っていても何の良いこともない。でもわたしがそれを失くしてしまえばわたしにとっては大打撃です。もし返してくれなかったらわたしはあなたにとって未来永劫に渡る怨敵となりましょう。けれども返してくれたら、逆に未来永劫に渡っていつもあなたに付き添ってあなたに襲いかかってくるだろう苦難から守り抜いてみせましょうと。
「其ノ玉返シ不令得(えしめ)ズハ、我レ、和主ノ為に永ク讎(あた)ト成(な)ラム。若(も)シ返シ令得(えしめ)タラバ、我レ、神ノ如クニシテ和主ニ副(そひ)テ守(まも)ラム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.166」岩波書店)
周囲の人々はそう言われても本当かどうかわからない。重ね重ね尋ねてみたところ狐はいう。「努々(ゆめゆめ)虚言(そらごと)不為(せ)ズ」と。「嘘偽りなし。さらにわたしのような動物は恩義をけっして忘れない」。そして今言ったことは神懸けてきっと誓うと約束した。若い侍は自分が白い玉を持っていてもただ単なる意地悪でしかないとも思い、狐に返してやった。狐はたいそう喜んだ。そこで霊媒師に憑依した狐は加持祈祷の者に追い出されてたちまち去っていった。見ていた人々は霊媒師の衣服を改めてみたところ、白い玉は始めから持っていたわけではなく、どういう方法でかわからないけれども明らかに狐が自然に取り出したものだと判明した。
それからしばらく経った或る日のこと。その時の若い侍が何かの用向きで太秦(うづまさ)の広隆寺(こうりゅうじ)まで行ってきた。太秦広隆寺は現・京都市右京区蜂岡町にある寺院。例えば「太秦(うづまさ)の広隆寺(こうりゅうじ)」へ参詣に出かける場合、省略して「太秦に参る」と書かれていれば意味は通じる。辺りが暗くなり出した頃、境内を出た侍は大内裏まで戻ってきた。すっかり夜になった。大内裏の中を通り抜けて帰宅しようと一人で歩いていた。応天門〔大内裏の正庁にあたる八省院(はっしょういん)=朝堂院(ちょうどういん)の正門〕の前を通り過ぎようとした時、何やらぞっとする殺気が漂っているのを感じた。身の危険を察した侍は思い出した。そう言えばこの前、白い玉を返してやったら、おれのことをずっと守ってくれると誓った狐がいたっけな。どれ、と考え「狐、狐」と声を出して呼んでみた。すると「こんこん」と鳴き声が返り狐が出現してすっかりその姿を現わした。
「夜ニ入(いり)テゾ内野(うちの)ヲ通(とほり)ケルニ、応天門(おうてんもん)ノ程ヲ過(すぎ)ムト為(す)ルニ、極(いみじ)ク物怖(ものおそろ)シク思(おぼ)エケレバ、何(いか)ナルニカト怪(あやし)ク思フ程ニ、『実(まこと)ヤ、我レヲ守ラムト云(いひ)シ狐有(あり)キカシ』ト思ヒ出(いで)テ、暗キニ只独(ひと)リ立(たち)テ、『狐、々』ト呼(よび)ケレバ、『コウコウ』ト鳴(なき)テ出来(いできた)リニケリ。見レバ、現(あらは)ニ有リ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.167」岩波書店)
若い侍はいう。おお、そなたか。嘘偽りではなかったのだな。ありがたいことだ。そこで相談だが、いつも通りに応天門の前を過ぎようとしていたのだが、何かただならぬ空気が漂っているようだ。ちょっと一緒に送ってくれないかと。すると狐はわけ知り顔で侍を振り返り振り返りしながら先に立って歩いていく。付いていけばいいのだろうと後ろを歩いていくことにした。いつも通る道なのだが狐は一旦立ち止まり背を低くかがめて音を立てないよう気を付けながら振り返ってみせる。侍も狐を真似て背を低くかがめ音を立てないよう慎重に歩く。するとまだ他に人間がいる様子だ。
「狐、聞知顔(ききしりがほ)ニテ見返々々(みかへるみかへる)行(ゆき)ケレバ、男、其ノ後(しり)ニ立(たち)テ行(ゆ)クニ、例ノ道ニハ非(あら)デ異道(ことみち)を経テ行々(ゆきゆき)テ、狐立留(たちと)マリテ、背ヲ曲(かがめ)テ抜足(ぬきあし)ニ歩(あゆみ)テ見返ル所有リ。其ノママニ、男モ抜足に歩(あゆみ)テ行ケバ、人ノ気色(けしき)有リ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.167~168」岩波書店)
狭い垣根越しにそっと覗いてみると、ものものしく武装した数名の盗人が襲撃計画を練って押し入ろうと密談している最中。そこは侍が大内裏を横切る時にいつも通っている所であり、狐が通ったのもその道。ただすぐそばの狭い垣根越しに背を低くかがめ音を立てずに案内しながら通ったわけで、武装した盗人に気づかれないだけのこと。今で言えば、国会議事堂の正門と議事堂本体の建物との間はだだっ広い敷地が広場になっているため横切ろうと思えば横切れるように出来ている。平安時代も中後半になると、そこら辺は設置された垣根がさらに荒れた庭のように放置されたままになっている箇所が増えてきていた。後半になると「八省院(はっしょういん)=朝堂院(ちょうどういん)」自体が荒れてきて重要な行事がまともに開けず、議場を内裏の紫辰殿(ししんでん)に移して行うようになっていた。その逆に平穏無事な時期には熊楠が「《摩羅考》について」の中で取り上げている「今昔物語・巻第二十八・弾正弼源顕定、出摩羅被咲語 第二十五」のような笑話もあった。以前その笑話を取り上げた際、狐の恋情についても述べた。下をクリック↓
弾正弼源顕定、出摩羅被咲語
狐は侍にも背を低くかがめて音を消し隠れながらいつもの通路をそっと行き過ぎることで、垣根ごしにわざと事情がわかるよう案内したに違いない。そして武装した盗人らのすぐそばを通り抜けたところで不意に狐の姿は消え失せた。侍は無事に家に帰ることができた。
「其ノ道ヲバ経テ迫(はさま)ヨリ将(ゐて)通ル也ケリ。『狐、其レヲ知(しり)テ、其ノ盗人ノ立テル道ヲバ経タル』ト知(しり)ヌ。其ノ道出畢(いではて)ニケレバ、狐ハ失(うせ)ニケリ。男ハ平(たひら)カニ家ニ返(かへり)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.168」岩波書店)
そもそも白い玉は狐自身の所持品である。それはそれとして或る時この狐は誤って無関係な人間に取り憑いてしまった。さらに僧侶の加持祈祷が始まってしまい、誤解を解こうにも解けない状態のまま無関係な人間の中に監禁された状態に立ち至って困ってしまっていた。霊媒師がやって来たのでその姿を借りて十八番の「お手玉」を披露して見せ、本当に狐だと証明したはずがこれまた疑われてしまい大切な玉を取り上げられた。誤解に誤解が重なりどうしようもなくなったため、若い侍に向けて神懸けた誓いの約束で結んだ。事情が混み入ってこんがらがった結果なので狐ばかり一方的に悪いとは決していえないわけだが、そのような場合でも普段なら狐の妖怪〔鬼・ものの怪〕として追い払われるか殺されるところを救ってくれたので狐は恩義を忘れず若い侍の守護神として見えないところからいつも見守ってくれるようになった。狐はまかり間違っても政治家では決してないしそもそも政治など知らない。獣である。獣の中でも古くから霊力を持つ動物の一つと称されてきた狐ゆえ、恩返しもまた確実なのだ。
「此レヲ思フニ、此様(かやう)ノ者ハ、此(か)ク者ノ恩ヲ知リ虚言(そらごと)ヲ不為(せ)ヌ也ケリ。然レバ、自然(おのづか)ラ便宜(べんぎ)有テ可助(たすくべ)カラム事有ラム時ハ、此様(かやう)ノ獣(けもの)ヲバ必ズ可助(たすくべ)キ也」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.168」岩波書店)
小蛇が童女姿で現われて、小蛇を助けてくれた貧乏男性を竜宮城へ案内し、特別製の土産を持たせて帰してくれたように。
「年十二、三許(ばかり)の女の形(かた)ち美麗なる、微妙(みみょう)の衣(きぬ)・袴を着たる、来(きた)り会へり。男此れを見て、山深く此れ値(あ)へれば、奇異也と思ふに、女の云(いわ)く、『我れは、君の心の哀れに喜(うれし)ければ、其の喜(よろこ)び申さむが為(ため)に来(きたれ)る也』と。男の云く、『何事に依(より)て喜びは宣(のたま)はむぞ』と。女の云く、『己(おの)れが命を生(い)け給へるに依(より)て、我れ父母(ぶも)に此の事を語(かたり)つれば、〈速(すみやか)に迎へ申せ。其の喜び申さむ〉と有(あり)つれば、迎(むかえ)に来(きた)れる也』と。男、『此(こ)は有(あり)つる蛇(へみ)か』と思ふ」(「今昔物語集・本朝部(上)・巻第十六・第十五・P.351」岩波文庫)
ただ、動植物による恩返しの場合、先に竜宮城を見せたり金銀の入った謎の箱を手渡したりはしない。要するに気持ちの問題であって、あらかじめ見返りを求めて恩義を押し付けるような野暮なことはしない。人間のように無数の語彙を持っているわけでは全然ないにもかかわらず、むしろそれゆえに、動植物による恩返しは存続してきたのである。今もしている。牛馬犬猫魚介類なしに人間社会はもとより資本主義そのものでさえ存続することはできないし、また資本主義社会は彼らと共にという条件のもとで始めて出現し存続することも可能なのだ。どれほど高度なテクノロジーが開発されたとしても人間の労働力商品なしに剰余価値の生産は不可能であるように。剰余価値の生産が不可能になればその瞬間、資本主義は死滅する。
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妖怪〔鬼・ものの怪〕に取り憑かれたと思われる病人が出た。当時の風習通り霊媒師を呼んでその妖怪〔鬼・ものの怪〕を病人から霊媒師に乗り移らせたところ、霊媒師は語った。自分は狐であると。とはいえ、何も祟りに出てきたわけではない。この辺りにはごく普通に食物が散らばっているだろうと思って家の中を覗き込んでいたら、病気平癒のための加持祈祷が行われていて、たまたまその病人の中へ閉じ込められてしまったというわけ。
「己(おのれ)ハ狐也。祟(たたり)ヲ成シテ来(きた)レルニハ非(あら)ズ。只、此(かか)ル所ニハ自然(おのづか)ラ食物(くひもの)散(ちり)ボフ物ゾカシト思(おもひ)テ、指臨(さしのぞき)テ侍ルヲ、此ク被召籠(めしこめられ)テ侍ル也」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.166」岩波書店)
そういうと、狐が乗り移った状態の霊媒師は懐(ふところ)から小さな蜜柑ほどの大きさの白い玉を取り出し、ぽんと投げ上げてまた手玉に取って見せた。「白キ玉」は狐の妖怪〔鬼・ものの怪〕が身に持つとされる魔法の宝のこと。
「懐(ふところ)ヨリ、白キ玉ノ小柑子(こかんじ)ナドノ程ナルヲ取出(とりいで)テ、打上(うちあげ)テ玉ニ取ル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.166」岩波書店)
不可解なことだが、もしかしたら霊媒師がもともと懐の中に入れていたただ単なる玉を取り出して芸の一つなりと披露してみただけのことかもしれない。試しに取り上げてみようと、また「白キ玉」が投げ上げられた瞬間、若い侍が横からひょいと手を出してその玉を奪い取った。すると霊媒師に憑依した狐の態度がたちまち豹変した。そしていう。なんて酷いことをする人だ、返してほしいと。侍が無視して見せていると遂に狐は泣き出して懇願し出した。その白い玉はあなたが持っていても何の良いこともない。でもわたしがそれを失くしてしまえばわたしにとっては大打撃です。もし返してくれなかったらわたしはあなたにとって未来永劫に渡る怨敵となりましょう。けれども返してくれたら、逆に未来永劫に渡っていつもあなたに付き添ってあなたに襲いかかってくるだろう苦難から守り抜いてみせましょうと。
「其ノ玉返シ不令得(えしめ)ズハ、我レ、和主ノ為に永ク讎(あた)ト成(な)ラム。若(も)シ返シ令得(えしめ)タラバ、我レ、神ノ如クニシテ和主ニ副(そひ)テ守(まも)ラム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.166」岩波書店)
周囲の人々はそう言われても本当かどうかわからない。重ね重ね尋ねてみたところ狐はいう。「努々(ゆめゆめ)虚言(そらごと)不為(せ)ズ」と。「嘘偽りなし。さらにわたしのような動物は恩義をけっして忘れない」。そして今言ったことは神懸けてきっと誓うと約束した。若い侍は自分が白い玉を持っていてもただ単なる意地悪でしかないとも思い、狐に返してやった。狐はたいそう喜んだ。そこで霊媒師に憑依した狐は加持祈祷の者に追い出されてたちまち去っていった。見ていた人々は霊媒師の衣服を改めてみたところ、白い玉は始めから持っていたわけではなく、どういう方法でかわからないけれども明らかに狐が自然に取り出したものだと判明した。
それからしばらく経った或る日のこと。その時の若い侍が何かの用向きで太秦(うづまさ)の広隆寺(こうりゅうじ)まで行ってきた。太秦広隆寺は現・京都市右京区蜂岡町にある寺院。例えば「太秦(うづまさ)の広隆寺(こうりゅうじ)」へ参詣に出かける場合、省略して「太秦に参る」と書かれていれば意味は通じる。辺りが暗くなり出した頃、境内を出た侍は大内裏まで戻ってきた。すっかり夜になった。大内裏の中を通り抜けて帰宅しようと一人で歩いていた。応天門〔大内裏の正庁にあたる八省院(はっしょういん)=朝堂院(ちょうどういん)の正門〕の前を通り過ぎようとした時、何やらぞっとする殺気が漂っているのを感じた。身の危険を察した侍は思い出した。そう言えばこの前、白い玉を返してやったら、おれのことをずっと守ってくれると誓った狐がいたっけな。どれ、と考え「狐、狐」と声を出して呼んでみた。すると「こんこん」と鳴き声が返り狐が出現してすっかりその姿を現わした。
「夜ニ入(いり)テゾ内野(うちの)ヲ通(とほり)ケルニ、応天門(おうてんもん)ノ程ヲ過(すぎ)ムト為(す)ルニ、極(いみじ)ク物怖(ものおそろ)シク思(おぼ)エケレバ、何(いか)ナルニカト怪(あやし)ク思フ程ニ、『実(まこと)ヤ、我レヲ守ラムト云(いひ)シ狐有(あり)キカシ』ト思ヒ出(いで)テ、暗キニ只独(ひと)リ立(たち)テ、『狐、々』ト呼(よび)ケレバ、『コウコウ』ト鳴(なき)テ出来(いできた)リニケリ。見レバ、現(あらは)ニ有リ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.167」岩波書店)
若い侍はいう。おお、そなたか。嘘偽りではなかったのだな。ありがたいことだ。そこで相談だが、いつも通りに応天門の前を過ぎようとしていたのだが、何かただならぬ空気が漂っているようだ。ちょっと一緒に送ってくれないかと。すると狐はわけ知り顔で侍を振り返り振り返りしながら先に立って歩いていく。付いていけばいいのだろうと後ろを歩いていくことにした。いつも通る道なのだが狐は一旦立ち止まり背を低くかがめて音を立てないよう気を付けながら振り返ってみせる。侍も狐を真似て背を低くかがめ音を立てないよう慎重に歩く。するとまだ他に人間がいる様子だ。
「狐、聞知顔(ききしりがほ)ニテ見返々々(みかへるみかへる)行(ゆき)ケレバ、男、其ノ後(しり)ニ立(たち)テ行(ゆ)クニ、例ノ道ニハ非(あら)デ異道(ことみち)を経テ行々(ゆきゆき)テ、狐立留(たちと)マリテ、背ヲ曲(かがめ)テ抜足(ぬきあし)ニ歩(あゆみ)テ見返ル所有リ。其ノママニ、男モ抜足に歩(あゆみ)テ行ケバ、人ノ気色(けしき)有リ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.167~168」岩波書店)
狭い垣根越しにそっと覗いてみると、ものものしく武装した数名の盗人が襲撃計画を練って押し入ろうと密談している最中。そこは侍が大内裏を横切る時にいつも通っている所であり、狐が通ったのもその道。ただすぐそばの狭い垣根越しに背を低くかがめ音を立てずに案内しながら通ったわけで、武装した盗人に気づかれないだけのこと。今で言えば、国会議事堂の正門と議事堂本体の建物との間はだだっ広い敷地が広場になっているため横切ろうと思えば横切れるように出来ている。平安時代も中後半になると、そこら辺は設置された垣根がさらに荒れた庭のように放置されたままになっている箇所が増えてきていた。後半になると「八省院(はっしょういん)=朝堂院(ちょうどういん)」自体が荒れてきて重要な行事がまともに開けず、議場を内裏の紫辰殿(ししんでん)に移して行うようになっていた。その逆に平穏無事な時期には熊楠が「《摩羅考》について」の中で取り上げている「今昔物語・巻第二十八・弾正弼源顕定、出摩羅被咲語 第二十五」のような笑話もあった。以前その笑話を取り上げた際、狐の恋情についても述べた。下をクリック↓
弾正弼源顕定、出摩羅被咲語
狐は侍にも背を低くかがめて音を消し隠れながらいつもの通路をそっと行き過ぎることで、垣根ごしにわざと事情がわかるよう案内したに違いない。そして武装した盗人らのすぐそばを通り抜けたところで不意に狐の姿は消え失せた。侍は無事に家に帰ることができた。
「其ノ道ヲバ経テ迫(はさま)ヨリ将(ゐて)通ル也ケリ。『狐、其レヲ知(しり)テ、其ノ盗人ノ立テル道ヲバ経タル』ト知(しり)ヌ。其ノ道出畢(いではて)ニケレバ、狐ハ失(うせ)ニケリ。男ハ平(たひら)カニ家ニ返(かへり)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.168」岩波書店)
そもそも白い玉は狐自身の所持品である。それはそれとして或る時この狐は誤って無関係な人間に取り憑いてしまった。さらに僧侶の加持祈祷が始まってしまい、誤解を解こうにも解けない状態のまま無関係な人間の中に監禁された状態に立ち至って困ってしまっていた。霊媒師がやって来たのでその姿を借りて十八番の「お手玉」を披露して見せ、本当に狐だと証明したはずがこれまた疑われてしまい大切な玉を取り上げられた。誤解に誤解が重なりどうしようもなくなったため、若い侍に向けて神懸けた誓いの約束で結んだ。事情が混み入ってこんがらがった結果なので狐ばかり一方的に悪いとは決していえないわけだが、そのような場合でも普段なら狐の妖怪〔鬼・ものの怪〕として追い払われるか殺されるところを救ってくれたので狐は恩義を忘れず若い侍の守護神として見えないところからいつも見守ってくれるようになった。狐はまかり間違っても政治家では決してないしそもそも政治など知らない。獣である。獣の中でも古くから霊力を持つ動物の一つと称されてきた狐ゆえ、恩返しもまた確実なのだ。
「此レヲ思フニ、此様(かやう)ノ者ハ、此(か)ク者ノ恩ヲ知リ虚言(そらごと)ヲ不為(せ)ヌ也ケリ。然レバ、自然(おのづか)ラ便宜(べんぎ)有テ可助(たすくべ)カラム事有ラム時ハ、此様(かやう)ノ獣(けもの)ヲバ必ズ可助(たすくべ)キ也」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四十・P.168」岩波書店)
小蛇が童女姿で現われて、小蛇を助けてくれた貧乏男性を竜宮城へ案内し、特別製の土産を持たせて帰してくれたように。
「年十二、三許(ばかり)の女の形(かた)ち美麗なる、微妙(みみょう)の衣(きぬ)・袴を着たる、来(きた)り会へり。男此れを見て、山深く此れ値(あ)へれば、奇異也と思ふに、女の云(いわ)く、『我れは、君の心の哀れに喜(うれし)ければ、其の喜(よろこ)び申さむが為(ため)に来(きたれ)る也』と。男の云く、『何事に依(より)て喜びは宣(のたま)はむぞ』と。女の云く、『己(おの)れが命を生(い)け給へるに依(より)て、我れ父母(ぶも)に此の事を語(かたり)つれば、〈速(すみやか)に迎へ申せ。其の喜び申さむ〉と有(あり)つれば、迎(むかえ)に来(きた)れる也』と。男、『此(こ)は有(あり)つる蛇(へみ)か』と思ふ」(「今昔物語集・本朝部(上)・巻第十六・第十五・P.351」岩波文庫)
ただ、動植物による恩返しの場合、先に竜宮城を見せたり金銀の入った謎の箱を手渡したりはしない。要するに気持ちの問題であって、あらかじめ見返りを求めて恩義を押し付けるような野暮なことはしない。人間のように無数の語彙を持っているわけでは全然ないにもかかわらず、むしろそれゆえに、動植物による恩返しは存続してきたのである。今もしている。牛馬犬猫魚介類なしに人間社会はもとより資本主義そのものでさえ存続することはできないし、また資本主義社会は彼らと共にという条件のもとで始めて出現し存続することも可能なのだ。どれほど高度なテクノロジーが開発されたとしても人間の労働力商品なしに剰余価値の生産は不可能であるように。剰余価値の生産が不可能になればその瞬間、資本主義は死滅する。
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