白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・特権的「時」としての《乙女たち》あるいは<未知の女>

2022年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム
プルーストはア・プリオリに《乙女たち》を特権化しているわけではまるでない。まったくの幼児でもなく世俗的凡庸性に妥協することで大人の領域へ参入することを許された女性でもまたないという数年間に限られた「時」が、《乙女たち》を《乙女たち》として特権化しているのであって人為的にそうなるのではないのだ。そんな《乙女たち》はほとんどいつも見られる側であるにもかかわらず、むしろそれゆえに、あたかも貨幣にも似た無限の諸商品の系列を次々通過していく。貨幣はなぜ貨幣なのか。マルクスはいう。

「金は価値をもつから流通するのであるが、紙幣は流通するから価値をもつのである」(マルクス「経済学批判・第一部・第一篇・第二章・P.156」岩波文庫 一九五六年)

そのような極めて限られた貴重な「時」を与えられている《乙女たち》。プルーストはさらにその特徴を列挙していく。なかでも特筆すべきは「通過してゆくときにははっきり聴きわけられてもやがて忘れ去るさまざまな楽節を明確に区別して認識できない音楽の場合のように、混沌とした」流動する<力>の「うねり」としてしか捉えなれない点。

「いまだ私は、こうした目鼻立ちのどのひとつにも、不可分な特徴としてだれか特定の少女に結びつけるには至っていない。私の目の前に(まるで異なる多様な容姿が隣りあい、ありとあらゆる色調が寄り集まって、それが目を瞠(みは)る調和を形づくってはいたが、さりとて通過してゆくときにははっきり聴きわけられてもやがて忘れ去るさまざまな楽節を明確に区別して認識できない音楽の場合のように、混沌としたこの集団が通りすぎてゆくその順序にしたがい)、つぎからつぎへと白い卵形の顔、黒い目、緑の目があらわれ出ても、私にはそれが今しがた魅惑されたのと同じものかどうか判然とせず、それをほかの少女と区別して識別できる娘のものとみなしていいのかどうかもわからなかった。やがて私もその少女たちを区別できるようになるが、私の視界にはいまだその区別が存在しないため、少女のグループから伝わってきたのは調和のとれたうねりにすぎず、流れるように動いてゆく美しい集団の絶えまない移動にすぎなかった」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.329」岩波文庫 二〇一二年)

この流動する一団の中にアルベルチーヌが含まれていた。最初は誰なのかさっぱりわからない。ただ「ずいぶん目深にかぶったポロ帽の下の目から発する陰険な光を私とぶつからせたとき、この私を見たのだろうか?」という疑問符付きの<未知の女>として出現する。

「いっとき、自転車を押す褐色の髪にふっくらした頬の娘のそばを通りかかった私は娘のからかうような横目に出くわした。そのまなざしは、この小さな部族の生活を覆う非人間的世界の奥底から放たれたかに思え、その奥底は私に関する想念など到達もできなければ入りこむこともできない近寄りがたい未知の世界だった。仲間の少女たちのことばにすっかり気をとられているこの娘は、ずいぶん目深にかぶったポロ帽の下の目から発する陰険な光を私とぶつからせたとき、この私を見たのだろうか?もしそうなら、私はどう思われたのだろう?娘はどんな世界の内から私を見ているのだろう?それに答えることは私には無理だった。望遠鏡の力で隣の天体になにかこまごましたものが見えたからといって、その星に住んでいる人間がわれわれを見ていると断定したり、その人間がわれわれを見てどんなことを考えたかを言い当てたりするのが無理なのと同様である」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.336」岩波文庫 二〇一二年)

単純素朴な形容詞を持ってくると「目と目があう」ということになるだろう。しかし「目と目があう」というフレーズがすでにステレオタイプ(紋切型)として定着していることには十分注意しなくてはならない。マリグリット・デュラス「アガタ」にこうある。

「欲しいわ、あなたの目、欲しい」(デュラス/コクトー「アガタ/声・P.18」光文社古典新訳文庫 二〇一〇年)

ただ単に「好きです」と言っているわけではまるでない。というのもこの作品の主題は「近親相姦」だけにあるのではなく「真っ赤な鮮血」を伴う「フェティシズム」(えぐり抜かれ採集される眼球)でもあるからだ。

アルベルチーヌの顔についてようやく区別することができるようになってきた頃、それでもなお、というより事態はむしろ遡行するかのように、アルベルチーヌは無数に分裂しつつ出現する。

「私はアルベルチーヌをどれだけ知っているのだろう?海を背景にした一、二の横顔だけである。その横顔は、もちろんヴォロネーゼの描いた女性たちの横顔ほどに美しくはない。もし私が純粋に審美上の動機に従っていたなら、アルベルチーヌよりもヴェロネーゼの女性のほうを好んでいただろう。激しい不安が治まると、見出せるのはあのもの言わぬ横顔だけで、ほかになにひとつ所有できなかったのだから、どうして美的動機以外のものに従えたであろうか?アルベルチーヌを見かけて以来、毎日そのことで数えきれないほどの考えをめぐらし、私があの娘(こ)と呼んでいるものと心のなかでくり返し対話をつづけ、その娘に質問させたり、答えさせたり、考えさせたり、行動させたりしてきたのだ。私の心に刻一刻と相ついで浮かんだ数えきれない一連の想像上のアルベルチーヌのなかで、浜辺で見かけた現実のアルベルチーヌは、その先頭に姿をあらわしているにすぎない。芝居の長期間の講演中、ある役の『初演女優』である花形は、最初の数日にしか出ないのと同じようなものである。この現実のアルベルチーヌはほんのシルエットにすぎず、そのうえに積み重ねられたいっさいは私のつくりだしたものである。それほど恋愛においては、われわれのもたらす寄与がーーーたとえ量的観点だけから見てもーーー愛する相手がわれわれにもたらしてくれる寄与をはるかに凌駕する」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.465~466」岩波文庫 二〇一二年)

おそらく<未知の女>でありつづけるだろう。そう言ったのはバタイユである。

「おそらくアルベールだったにちがいないあのアルベルチーヌについて、プルーストは『偉大な<時>の女神』とまでいいきっている(『囚われの女2』)。プルーストのいいたかったのは、アルベルチーヌがどう力をつくしてみても近接不能の女であり、未知の女のままだったということであり、今にもこの女は自分から逃げていってしまうそうだということだったように思われる。しかもプルーストはアルベルチーヌかを是が非でも閉じこめ、所有し、『認識』しようと希った、いや、希ったと書いたのではあまりにもいい足りない、その欲望はきわめて強くまた過度のものだったので、ついには喪失の保証者となってしまったのだ。充足してしまえば欲望は死ぬはずだった。彼女が未知の女であることをやめれば、プルーストは認識しようと渇望することをやめたはず、愛することをやめたはずだ。愛は、アルベルチーヌが、認識から逃れ所有への意志から逃れようとして用いた嘘への疑いからこそ再生した」(バタイユ「内的体験・第四部・P.307~308」現代思潮社 一九九四年)

そしてまたブランショもこう述べている。

「しかしアルベルチーヌとは反対に、とはいえ明るみに出されていないプルーストの運命を考えるならおそらくは彼女と同じように、この若い女は、彼女が身をさし出すその疑わしい間近さによって、別の種、別の類の差異、あるいは絶対的に別のもののもつ差異にほかならない彼女自信の差異によって、決定的に隔てられている」(ブランショ「明かしえぬ共同体・2・P.81」ちくま学芸文庫 一九九七年)

ブランショの文章の中で「この若い女」とあるのはデュラス「死の病い」の主人公のこと。だが「主人公」とは一体誰なのか。ニーチェはいう。「誰か」と問うのは無意味だと。ニーチェにとって「自然」は一つも「目的」というものを持たないからである。

「おお、諸君、高貴なストア派の人々よ、諸君は『自然に従って』《生き》ようと欲するのであるか。それは何という言葉の欺瞞であろう!自然というものの本性を考えてみたまえ。節度もなく浪費し、節度もなく無頓着で、意図もなければ顧慮もなく、憐情もなければ正義もなく、豊饒(ほうじょう)で、不毛で、かつ同時に不確かなものだ。諸君はその無関心そのものが力としてであることを考えてみるがよい。ーーー諸君はこの無関心に従って生きることがどうして《できようか》。生きること、それはまさしくこの自然とは別様に存在しようと欲することではないのか。生きるとは評価すること、選び取ること、不正であり、制限されてあり、差別的(関心的)であろうと欲することではないのか。そして、『自然に従って生きる』という諸君の命法が根本において『生に従って生きる』というのと同じほどの意味であるとしたら、ーーー諸君は一体どうしてそうで《なく》ありうるというのか。諸君みずからがそれであり、かつあらざるをえないものから、何のために一つの原理を作るのであるか。ーーー実を言えば、事情はまったく別なのだ。というのは、諸君は我を忘れて自分たちの掟(おきて)の基準から自然を読み取ると称しているが、実は或る逆のことを欲しているのだ。つまり、諸君は奇妙な役者で、自己欺瞞者なのだ!諸君の誇負は自然に対して、自然に対してすらも、諸君の道徳、諸君の理想を指定し、呑み込ませようと欲している。諸君は自然が『ストアに従って』自然であるように求め、そして一切の現存をただ諸君自身の姿に準じて現存させようと望んでいる」(ニーチェ「善悪の彼岸・九・P.21~22」岩波文庫 一九七〇年)

ただ「力への意志」のせめぎ合いがあるだけだと。

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Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて17

2022年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム
アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

(2)絵画。第十四回。


「婆娑羅シリーズ8・老松に観世クリムゾン」

いかがでしたでしょうか。参考になれば幸いです。

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Blog21・《乙女たち》による脱領土化/脱コード化される音楽

2022年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム
《乙女たち》を通過させる場合に限りプルーストは独自のテーマの一つ<覗き>について極めて重要な役割を与えている。視覚はただ見るためだけにのみ与えられているのだろうか。けっしてそうではない。

「社交の集いにせよ、まじめな会話にせよ、ただの友好的なおしゃべりにせよ、この娘たちとの外出にとって代わるものには、私は昼食の時間に招待されながらそれが食事ではなくアルバムを見るためだった場合と同じように落胆を覚えたにちがいない。いっしょにいて楽しいと思える紳士や青年でも、老齢や中年の婦人でも、こちらの平板で凡庸な視野の表面にあらわれるにすぎない。ただ視覚だけでその人たちを意識するからである。ところが娘たちを捉える視覚は、他のもろもろの感覚の代表として派遣されたと言っても過言ではなく、匂いや触感や味など相手のさまざまな美点をつぎつぎと探りだし、手や唇の助けがなくてもそれを味わうのだ。これらもろもろの感覚は、欲望ならではの移し替えの技(わざ)と総合の才を発揮して、頬や胸元の色合いを見ただけで手による愛撫や舌による賞味など許されない接触をつくりだし、まるでバラ園にいて甘い蜜を集めたりブドウ畑にいて眼で房にしゃぶりついたりするときと同じ、密のようなとろみを娘たちに与えるのである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.533~534」岩波文庫 二〇一二年)

この箇所についてガタリはこう述べる。

「ここに問われている唯一の問題は、プルーストの女性生成ーーー《乙女たち》を通じて表明されるーーーと、彼の創造家生成によって巻き込まれるような諸地層の脱属領化作用、諸顔面、諸人物、諸風景のリトルネロ化作用との間の関係を明らかにすることである。おそらくわれわれは一般的な説明を必要としないような事実データに直面しているのかもしれない」(ガタリ「機械状無意識・第2部・第3章・P.355」法政大学出版局 一九九〇年)

ニーチェはいう。「眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない」。

「ある事物の発生の原因と、それの終極的功用、それの実際的使用、およびそれの目的体系への編入とは、《天と地ほど》隔絶している。現に存在するもの、何らかの仕方で発生したものは、それよりも優勢な力によって幾たびとなく新しい目標を与えられ、新しい場所を指定され、新しい功用へ作り変えられ、向け変えられる。有機界におけるすべての発生は、一つの《圧服》であり、《支配》である。そしてあらゆる圧服や支配は、さらに一つの新解釈であり、一つの修整であって、そこではこれまでの『意識』や『目的』は必然に曖昧になり、もしくはまったく解消してしまわなければならない。ある生理的器官(乃至はまたある法律制度、ある社会的風習、ある政治的慣習、ある芸術上の形式または宗教的儀礼の形式)のもつ《功用》をいかによく理解していても、それはいまだその発生に関する理解をもっていることにはならない。こう言えば、旧套に馴れた人々の耳には随分と聞きづらく不快に響くかもしれない、ーーーというのは、古来人々は、ある事物、ある形式、ある制度の顕著な目的または功用は、またその発生の根拠をも含んでいる、例えば、眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない。従ってある『事物』、ある器官、ある慣習の全歴史も、同様の理由によって、絶えず改新された解釈や修整の継続的な標徴の連鎖でありうるわけであって、それの諸多の原因は相互に連関する必要がなく、むしろ時々単に偶然的に継起し交替するだけである。してみれば、ある事物、ある慣習、ある器官の『発展』とは、決して一つの目標に向かう《進歩》ではなく、まして論理的な、そして最短の、最小の力と負担とで達せられる《進歩》ではなお更ない。ーーーむしろ、事物乃至は器官の上に起こる多少とも深行的な、多少とも相互に独立的な圧服過程の連続であり、同時にこの圧服に対してその度ごとに試みられる反抗であり、弁護と反動を目的とする思考的な形式変化であり、更に旨く行った反対活動の成果でもある。形式も固定したものでないが、『意味』はなお一層固定したものでない」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十二・P.88~90」岩波文庫 一九四〇年)

要するに「意味」とか「因果関係」とかいったものはすべて多数者による支配の道具として利用されてきた<標証>に過ぎないというわけだ。にもかかわらず疑問一つ持たずただひたすら信じきっているばかりではそれこそ「意味という病気」に取り憑かれているか「意味という病的宗教」の信者でしかないというほかない。次の文章を見てみよう。《乙女たち》はそれぞれの故郷の音楽を代表するものではない。逆である。《乙女たち》を通す限りで始めてそれぞれの故郷は脱領土化され、それぞれの土地に固有の音楽を出現させる。その点で《乙女たち》は常にすでに「リトルネロ」として機能している。

「家族から譲り受けたものよりはるかに一般的なのは、故郷の土地から植えつけられた味わい深い素材で、娘たちはそこから自分の声をひき出したのであり、声の抑揚もただちにそれに飛びつくのだ。アンドレがなにか重々しい音を出そうとしても、その声の楽器に備わるペリゴール産の弦は歌うような音を出すほかなく、おまけにその音は本人の南フランス風の純粋な目鼻立ちとじつによく調和していた。ロズモンドがひっきりなしに見せる子供っぽい言動に呼応しているのは、本人がなんと言おうと北フランス風の顔と声を形成する素材と、その地方に特有のアクセントであった。このような故郷の土地と、声の抑揚を決定づける娘の気質とのあいだに、私はすばらしい対話を認める。対話であって、反目ではない。いかなる反目も、娘と故郷とを離反させることはできない。娘は、そのまま故郷でもあるのだ。おまけにこのような地方の素材がそれを活用する天分に与える反応は、天分にいっそうの若々しさを与えこそすれ、作品の個性を減じるものではない」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.570」岩波文庫 二〇一二年)

例えばデリダはヨーロッパ中心主義批判を展開した。それはそもそもを言えばフランス中心主義批判から始まったと言える。デリダはフランス植民地時代のアルジェリアに生まれたフランス人だったからだ。

「もちろん、人はいくつもの言語を話すことができる。一つならずの言語において運用能力をそなえた主体たちがいる。或る人々は、同時にいくつもの言語で書きさえする(さまざまな補綴、さまざまな接ぎ木、翻訳、転換)。しかし、彼らはそのことをつねに絶対的特有言語を目指して行っているのではなかろうか?そして、いまだ未開の一つの言語への約束の中で?昨日は聴き取れなかったたった一つの詩への?私が口を開くたびに、私が話し、あるいは書くたびに、私は《約束しているのだ》。望むと望まざるとにかかわらず。約束の宿命的な性急さーーーここではそれを、当然ながらそれに結びついている意志や意図あるいは言わんとすること=意義作用〔vouloir-dire〕の諸価値から分離する必要がある。この約束のパフォーマティヴは、他にも数ある《スピーチ・アクト》のうちの一つというわけではない。それは他のすべてのパフォーマティヴに含まれているものなのだ。そして、この約束こそが来たるべき一つの言語の単一性を告げ知らせるのである。『一つの言語があるのでなければならない』(それは必然的に『なぜなら、それは存在しないから』あるいは『というのも、それが欠けているから』ということを言外にほのめかしている)、『私は一つの言語を約束する』、すなわち、同時にあらゆる言語に先立つ『一つの言語が約束されている』ということこそが、あらゆる言葉を呼び寄せるのであり、かつ、一つひとつの言語にと同時にあらゆる言葉にすでに属しているのである。この到来への呼びかけは、言語を前もって結集させる。それは、言語を迎え入れ、言語を寄せ集めるーーーその同一性や統一性のうちにではなく、その自己性のうちにですらなく、その自己への差異の結集の単一性ないし特異性のうちに。すなわち、自己《に対する》差異のうちにというよりも、むしろ自己《とともにある》差異のうちに。《一つの》言語を、特有言語の単一性を与えるーーーだがそれも、それを与えることを約束することによってそうするーーーこの約束の外で語ることは可能ではない。この《統一性なき単一性》の外へ出ることは問題にはなり得ない。それは、他者と対立させられる必要はないし、他者から区別される必要すらない。それは、他者《の》単一言語なのだ。この《の》が意味しているのは所有権でもなければ出自でもない。言語は他者のものであり、他者からやって来たものであり、他者の到来《そのもの》なのである」(デリダ「たった一つの、私のものではない言葉(他者の単一言語使用)・8・P.128~129」岩波書店 二〇〇一年)

となるとデリダがフランス語で話すとすれば自分の故郷であるアルジェリアに対する裏切り行為になるだけでなく、フランスの植民地=アルジェリアというマイノリティへの背信以外の何ものをも表明しない。ゆえにデリダにとってフランス語は「母国語」であると同時にヨーロッパから到来した<他者の言語>であるほかない。今のウクライナ情勢でいえば、ウクライナの人々はウクライナ語を話すべきかそれともロシア語を話すべきかで区別されるかのように見えているのに近い。しかし欧米サイドもまた無責任な態度を露呈しており、ウクライナ独立支持を強く表明しウクライナからの難民を受け入れようと発言していながら、しかし今の日本人でウクライナ語を学び積極的にウクライナ支援を押し進めている人々がどれくらいいるだろうか。むしろ表向きはウクライナ語(マイノリティ)を支持しつつ実際は逆に英語(マジョリティ)を摂取するのに忙しいのではないだろうか。

この、あからさまな「ねじれ」。クラシック音楽の世界ではプルーストが述べている似たような傾向は以前から見られた。

「ワーグナーは、それぞれの呼称のもとに異なる現実を配置するので、その盾持ちが登場するたびに、複雑であると同時に簡略化された独自の音型が、さまざまな音の線の朗らかで封建的な衝突とともに、壮大な響きのなかに組みこまれるのだ。一曲の音楽が充実しているのはそれゆえで、実際にはそこに多くの音楽が満載されていて、そのひとつひとつの音楽が一個の存在なのである。一個の存在、あるいは自然の瞬時の様相がもたらす印象というべきかもしれない。自然がわれわれにいだかせる感情からどんなに無縁なものでも、明確に限定された固有の外的現実を備えているもので、小鳥のさえずりといい、狩人の角笛といい、羊飼いが手にした葦笛(あしぶえ)で奏でる調べといい、いずれもはるかかなたにおのが音のシルエットを浮かびあがらせる。たしかにワーグナーはそうしたシルエットを近くにひき寄せ、それを捕らえてオーケストラのなかに導入し、それを最も崇高な音楽理念に仕えさせようとするのであるが、それでもそのシルエットの原初の独自性を尊重する点は、中世の指物師がみずから彫刻する木材の木目、つまり木材独自の精髄を尊重するのとなんら変わらない」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.356~357」岩波文庫 二〇一六年)

ここでは「リトルネロ」という形式が様々な意味で問われている。「リトルネロ」とは何か。四種類に類別した上でドゥルーズ=ガタリはこう述べる。

「ムソルグスキーの音楽が群衆の様相を呈することができたのはどうしてなのか。バルトークの音楽が民謡や世俗の歌謡を支えに、群生自体を音楽にし、器楽的、管弦楽的にして、それが<可分性>の音階や、驚異的な半音階法を新たに提起することになったのはどうしてなのか。これらすべてが非-ワグナー的な道を示している」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・中・11・P.383~384」河出文庫 二〇一〇年)

リトルネロの可能性は測り知れない。脱コード化され脱領土化された「非-ワグナー的」な音楽は山ほどある。身近なところで言えばヒップホップもそうだ。四行の歌詞があるとしよう。二行目と四行目で韻を踏む。その反復の力によってシニフィエ(意味されるもの・内容)が不意打ち的に生成変化しているような楽曲が時折ある。ヒップホップの本家とも言えるイギリスではこうしたヒップホップがなるほど多い。本家だからというわけではない。通常のルールに従っていては食えないし家族や仲間を養っていけない若者たち、路上生活者、ストリートというどんどん変化する故郷しか持たない身軽さ。リアルな現実生活に裏打ちされた音楽だけが音楽として生成してくる。「今ここにある危機」=社会的土壌が感性豊かな若年者を中心とする音楽をますます飛躍させるのだ。

なお、日本の公教育の一環としての吹奏楽コンクールでは決まってよく選曲されるバルトーク「管弦楽のための協奏曲」。怖いもの知らずにもほどがある。中学生や高校生は生徒なのでわからない部分もあるかと思われるのだが、逆に指導者の側は、ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団演奏のこの楽曲を聴いたことがあるのだろうかと不審に思わざるを得ない。この曲を選択できるのなら逆にワーグナー「トリスタンとイゾルデ」や「神々の黄昏」などちょろいはず。なのになぜ取り上げないのか。敬遠するのか。宗教的な独特のリズムが(ナチス・ドイツに採用された点で)あまりにも危険だからというのならわかりもするのだが。

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Blog21・「失われた時」と「見出された時」との<あいだ>で共振するジルベルト

2022年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ステレオタイプ(紋切型)だけでコミュニケーションが可能であったなら誰も(世界も)、苦痛一つ感じとることはなく、その解決に向けて動き出そうとすることもなかっただろう。最後に会ってから十年以上も後にジルベルトと再会した<私>。実は愛していたと告白する。ジルベルトは思いもよらぬ言葉に答える。ずっと昔から本当は互いに「相思相愛」の間柄だったと判明する。

「『なぜそう言ってくれなかったの?そんなこと夢にも想わなかったわ。だって、わたしのほうがあなたを愛していたんですもの。一度なんか、慌ててあなたの気を惹こうとしたくらいよ』。『それって、いつの話です?』。『最初はタンソンヴィル、あなたは家族のかたと散歩中で、わたしは家に帰ってきたところだったけれど、あんなかわいい男の子を見たことはなかったわ。いつもわたしは』と、ジルベルトは恥ずかしそうなあいまいな表情をして言い添えた、『男の子たちとルーサンヴィルの天守閣の廃墟へ遊びに行っていたの。きっとしつけの悪い娘だとおっしゃるでしょうけれど、その廃墟のなかにいろんな女の子や男の子が集まって、暗がりでいたずらをしてたの。コンブレーの教会の聖歌隊員だったテオドールなんか、正直いって、なんともすてきな子だったわ(ほんとにかっこよかったの!)。テオドールもずいぶん不恰好な男になってしまったけれど(いまはメゼグリーズで薬剤師をしているとか)、あそこで近所の農家の娘とだれかれ構わず遊んでいたわ。わたしはひとりで外出するのを許されていたので、家を抜け出せると、すぐにあそこへ駆けつけたものよ。あなたに来てもらいたいってどれほど願ったことか、とても口では言えないわ。よく憶えてるけれど、わたしの願いをあなたにわかってもらおうとしたって時間はわずかでしょ、で、あなたのご両親やうちの両親に見つかるのは覚悟のうえで、ずいぶん露骨な形であなたに合図を送ったの、いま思うと恥ずかしいくらい。でも、あなたはひどく意地悪な目でわたしを睨みつけたので、ああ、その気がないんだなって悟ったの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.27~28」岩波文庫 二〇一八年)

ジルベルトの「最初のまなざし」については以前述べた。それは<まなざし>特有のものであって常に先に見た側が見られた相手の側の内容を簒奪する構造を形作っている。だがしかし先に見た側はさきどりしているにもかかわらず、後になって一度は見られる側に立たされなくてはならない。<私>とジルベルトとの初対面の場合、ジルベルトの身振りは「私がしつけられた礼儀作法の基本からすると、無礼な軽蔑の証拠としかかんがえられ」ず、なおかつ「無礼な意図しかありえない」女の子として記憶される。

「最初のまなざしは、目の代弁者というだけでなく、不安で立ちすくむときには全感覚がまなざしという窓に動員されるように、眺める相手の肉体とともにその魂にまで触れ、それを捉えて連れてゆこうとするまなざしである。ついで第二のまなざしは、祖父と父がいまにもこの少女に気づき、自分たちのすこし前をさっさと歩くように命じて私を遠ざけるのではないかと怖れたからであろう、少女が私に注意をはらい、私と知り合いになるよう、無意識のうちに懇願するまなざしになった。少女は、前と横に瞳孔を動かして祖父と父のすがたを検分したが、そこから引き出された結論はおそらく私たちが笑止千万だということだったらしい。というのも顔をそむけ、いかにも無関心な、ばかにしたような表情でわきに身をよけ、ふたりの視野から自分の顔をそらしたからである。祖父と父は歩きつづけ、少女には気づかなかったのか、私を追い越して行った。そのあいだ少女はまなざしをずっと私のほうに向けていたが、そこにさして特別な表情はなく、私を見ているふうでもなかった。ところが穴の開くほどじっと見つめ、微笑みを隠しているまなざし自体は、私がしつけられた礼儀作法の基本からすると、無礼な軽蔑の証拠としかかんがえられなかった。そして同時に、片手ではしたない仕草をしたが、それを人前で知らない人にした場合には、わが心中のささやかな礼儀作法辞典では、その意味はただひとつ、無礼な意図しかありえないのだった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.309~310」岩波文庫 二〇一〇年)

さらにジルベルトは二度目の出会いについて述べる。<私>とばったり出会った時に「タンソンヴィルのときと同じ願望がおこった」という。タンソンヴィルは「スワン家のほう」でありまた「コンブレー」という地帯を象徴する一角。逆にゲルマントは往年の大貴族階級の象徴である。「スワン家のほう」は「スワンの恋」の章を通して性的欲望/嫉妬/家族中心主義が目立っている。ゲルマント家の側はそうではないかといえばそんなことはまるでないのだが、それらのほとんどは幾つかの身振りによって覆い隠されているだけに過ぎない。言語はしばしば身振りによって代理されることがあるというのではなく、端的にいって身振りはいつも言語なのだ。

「『二度目はね』とジルベルトはつづきを言った、『何年も経って、お宅の玄関のところで出会ったときよ、たしかオリヤーヌ叔母のところであなたに会った前の日のことで、すぐにあなたとはわからなかったの、というか、そうとは知らぬまにあなただとわかっていたようなの、だってわたしにタンソンヴィルのときと同じ願望がおこったんですもの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28~29」岩波文庫 二〇一八年)

二度目の出会いについて<私>はよく覚えている。三人の娘のうちの一人がジルベルト。そうと気づいたのは三人揃って現れた時ではなく、ジルベルトが「二度目のまなざしを投げかけた」際に「私の心は燃えあがった」からである。

「ところが数日後、私が家に帰ってきたとき、建物の玄関の丸天井の下から、ブーローニュの森であとをつけた例の三人の娘が出てくるのを見かけた。まぎれもなくそれは、三人ともすこし年上というだけで、とくに褐色の髪のふたりなどは、私がしばしば窓から眺めたり通りですれ違ったりして、私にあれこれ数えきれぬ計画を立てさせ人生を楽しくしてくれたのに知り合うことができなかった、社交界に属する娘たちだった。ブロンドの娘のほうは、いささか虚弱なのか病人のように見えて、あまり気に入らなかった。私はいっとき根が生えたように立ちどまり、その娘たちに、貼りついて逸らすこともできないような、なにか問題を解くときのように熱心な、それゆえまるで目に見えるものの向こう側にまで到達しようと意識しているようなまさざしを注いだが、しかしそのようにじっと見つめるだけでは満足できなくなった原因は、まさにブロンドの娘にあった。私はその娘たちも、ほかの多くの娘たちと同じく消え去るにまかせたにちがいなかったが、娘たちが私の前を通りすぎたとき、くだんのブロンド娘がーーーこちらがあまりにも注意ぶかく娘たちを見つめていたからだろうかーーー私にちらっと最初のまなざしを投げかけ、そしてさきまで行ってから、こちらを振り返って二度目のまなざしを投げかけたので、私の心は燃えあがった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.318~321」岩波文庫 二〇一七年)

そのような好例としてスピノザはいう。

「精神がある物体を表象するのは人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の物体の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう」(スピノザ「エチカ・上・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫 一九五一年)

またジルベルトは<私>にとって「初恋」の相手。手練手管を弄しつつ自分のものにしようと近づく。が、或る場面を見たことが決定的となり<私>によるジルベルトへの性的備給はあっけなく撤収される。

「まる一日待つことができたのは、計画を立てたおかげである。すべてを水に流してジルベルトと仲直りするからには、これからは恋する男として会うことにしよう。ジルベルトは毎日、私からこれ以上はない美しい花を受けとるだろう。スワン夫人には厳しすぎる母親を演じる権利はないはずだが、かりに花を毎日送るのを許さなければ、もっと貴重な贈りものを見つけてもっと間(ま)をおくことにしよう。私の両親は、高価なものを買うだけのお小遣いを与えてくれていなかった。ふと想いうかんだのは、古いシナの磁器の大きな壺だった。レオニ叔母が私に遺してくれた壺で、お母さんが日々、いまにフランソワーズが『あれ、こわれちゃいました』なんて言いに来て跡形もなくなってると予言していたものである。そんなことになるのなら、売り払ったほうが賢明ではないか。売れば、思いどおりにジルベルトを喜ばせることができる。私には千フランにはなる気がした。私はそれを包ませたが、これまでの習慣で一度もその壺を見たことがなかった。手放せば少なくともその値打ちがわかる利点があった。私はスワン家に出かけるときその壺をかかえて、御者にその住所を告げてシャンゼリゼを通ってゆくよう言いつけた。大通りの角に、シナの骨董品をあつかう大きな店があり、そこの店主が父親の知り合いだったのである。非常に驚いたことに、主人はその壺に即座に千フランではなく一万フランをくれた。私は大枚を嬉々として受けとった。これで一年じゅう毎日ジルベルトにふんだんにバラやリラの花を贈ることができると考えたのである。店主とわかれて馬車に戻ると、御者は、スワン夫妻がブーローニュの森のそばに住んでいたから成り行きとして、いつもの道ではなくシャンゼリゼ大通りを通ることになった。すでにベリ通りの角をすぎてスワン家のすぐ近くに来たとき、夕暮れの薄明かりのなかに私が認めたような気がしたのは、反対方向に歩いて遠ざかってゆくジルベルトのすがただった。ゆっくりと歩く足どりに迷いはない。脇にいる若い男と話しているが、その顔は見わけられなかった。私は、腰を浮かして馬車を停めさせようとして、ためらった。歩くふたりは早くもいくぶん遠ざかり、そのゆっくりした歩みは二本の穏やかな平行線となって、ますますぼやけて楽園(エリゼ)の闇に溶けていった」(プルースト「失われた時を求めて3・第二篇・一・一・P.422~424」岩波文庫 二〇一一年)

しかしジルベルトへの欲望とアルベルチーヌへの欲望とはどこでどのように異なっていたのか。(1)「制度としての顔」で述べられている区別。(2)ヴァントゥイユ作曲の「音楽形式の違い」が両者を区別する基準になる場合。(1)ジルベルトは「バラ色のカンザシの垣根の前」。アルベルチーヌは「浜辺」。(2)ジルベルトは「ソナタ」。アルベルチーヌは「合奏曲」(七重奏曲)。

(1)「突如として私は、正真正銘のジルベルトとは、正真正銘のアルベルチーヌとは、前者はバラ色のカンザシの垣根の前で、後者は浜辺で、それぞれ最初に出会った瞬間、そのまなざしのなかに心の内を明かした女がそうだったのかもしれないと想い至った」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一八年)

(2)「ヴァントゥイユのソナタを想い出してもその合奏曲を想いうかべることができなかったのと同じく、ジルベルトを手がかりにしても、アルベルチーヌを想いうかべて自分が愛する女だと想像することなどできなかったであろう」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.194」岩波文庫 二〇一七年)

これほどまで繰り返し登場するヴァントゥイユの名。ところでヴァントゥイユの住まいはどこだったか。

「ヴァントゥイユ氏が住んでいたのは、メゼグリーズのほうのモンジュヴァンで、大きな沼のほとりの、やぶに覆われた土手を背にして立つ家だった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.319」二〇一〇年)

お世辞にも明るいところだとは言いがたい。逆に薄暗い。しかし音楽に集中するにはもってこいかも知れない。「大きな沼のほとり」で「やぶに覆われた土手を背にして立つ家」。その近くに「ルーサンヴィルの天守閣」と呼ばれる廃墟があった。思春期の子どもたちがこそこそ遊びに来る溜まり場のようなところだ。<私>はこう言っている。

「残念ながら、私がいくらルーサンヴィルの天守閣に哀願しても無駄だった。私のそばに村の娘を寄こしてほしいと天守閣に頼んだのは、私の最初の性欲を打ち明けた唯一の相手だったからである」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.342」二〇一〇年)

呼べど叫べどジルベルト本人が現れるはずはない。仕方なくオナニーで済ませるだけ済ませたのだった。ところがほとんど時を同じくしてヴァントゥイユ嬢とその女友だちの二人がヴァントゥイユの肖像写真が飾ってある部屋のベッドで同性愛行為を繰り広げる。<私>にはまるで及びもつかない行為であるにもかかわらず、ヴァントゥイユの肖像写真=偶像崇拝対象に対する<最大/最低>ともいえる<冒瀆>は二人の女性によって水を得た魚のように楽々と乗り越えられていた。トランス-セックスによるトランス-顔貌性。顔という制度はこのようなトランス的(横断性的)行為によっていとも容易く解体されていたのだった。

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Blog21・「夕方のキス」の代補として・ベートーベン「月光」・ドビュッシー「月の光」・サティ「ジムノペディ」

2022年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム
それにしても人間の顔が「制度としての顔」になるのはなぜだろうか。顔貌性はなぜ生じるのか。顔貌性の制度化は顔をめぐる行為の儀式化の成立とともに成立する。ガタリはいう。

「この儀式を馬鹿げたものと思う父への敵対心であり、母の教育上の厳格さであり、『夕べの接吻』の儀式のまわりに、時として破局へと方向を向ける日々の実力行使を企てる、幼年期の《話者》のほとんどノイローゼ気味の横暴さである」(ガタリ「機械状無意識・第2部・第3章・P.348」法政大学出版局 一九九〇年)

プルーストは次の箇所でこう書いている。

「すべてはあのとき決定されていたのだ。あのとき私は、母の顔のうえに唇を押しあてるのを翌日まで我慢することができず、意を決してベッドから跳びおり、寝間着すがたのまま窓ぎわへ行くと、そこには月明かりが射していて、やがてスワン氏が帰っていく音を聞いた」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.295」岩波文庫 二〇一九年)

なお「月明かり」は音楽と結びついて出現している点に注意しておく必要性があるだろう。このソナタは間違いなくベートーベンのピアノ・ソナタ「月光」を指していると読者は考えるかもしれないし、おそらくそうなのだが、けれどもベートーベン「月光」として規定するためにはヴァントゥイユの「小楽節」の代補(デリダ用語)として機能するソナタでなくてはならないという条件付きで始めて可能になる。

「外では、すべてのものが、これまた貼りついたように動かず、月の光を乱すまいと、じっと息をひそめている。月の光があらゆるものの全面に、本体よりも濃密なくっきりした影を伸ばすので、本体は影のうしろに後退したかに感じられ、風景は折り畳んであった地図を広げたみたいに平らに拡大されている」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.83」岩波文庫 二〇一〇年)

この「お寝みのキス」の儀式化は、最初のうちはただ単なる習慣から生じる。

「平穏がもたらされるのは、お母さんが優しい顔を私のベッドのほうに傾け、それを平和の聖体拝領における聖体パンのように差し出すときで、そこから私の唇は母の現存と眠りこむ力をくみとる」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.45」岩波文庫 二〇一〇年)

ベートーベン:ピアノ・ソナタ「月光」

だがしかし何度も反復されることによって「お寝みのキス」の強迫神経症化は宗教的儀式化の機能を帯びるに立ち至る。フロイトはいう。

「神経症的儀式は、日常生活の一定行為のさい、つねに同じか、あるいは規則的に変更される方法で実行されている細かい仕種、付加行為、制限、規定から成り立っている。これらの行動は、われわれには単なる『形式』という印象をあたえ、いわば、まったく無意味に思われる。これは、患者自身もそう思っていないわけではないが、彼らはこれをやめることができない。というのは、この儀式に違反すればかならず耐えがたい不安という罰を受け、この不安がすぐに、中止したことの埋めあわせを強要するからである。儀式行為自体と同じように、その外見や行動もまた細かく、これらは儀式によって飾り立てられ、難しくされ、それだけにどうしても遅滞しがちになる。たとえば、衣服の着脱、就床、身体的諸欲求の充足などがこれである。ある儀式のやり方を記述するには、これをいわば一連の不文律のようなものにあてはめていけばできる、たとえば、寝床儀式ではつぎのようになる。椅子はベッドの前のこうこうきめられた位置になければならず、その椅子の上には、衣服が一定の順序でたたんでおかれていなければいけない。掛布団は足もとでさしこみ、シーツは平らに伸ばしていなければならない。クッションはかくかくに配置し、体まである正確にきめられた姿勢になっていなければいけない。こうして初めて、眠ってよいことになる。軽い症例では、儀式は、習慣上の当り前なやり方が過度になったものと同じように見える。だが、これを行なうにあたっての特殊な小心さと等閑に付したさいの不安とが、この儀式をとくに『聖なる行為』にさせている、たいていの場合、これを邪魔されることは耐えられない」(フロイト「強迫行為と宗教的礼拝」『フロイト著作集5・P.377~378』人文書院 一九六九年)

といっても近現代社会では「月光」=ベートーベンとは必ずしも限らなくなってきた。ゆえに、いずれもピアノ・ソナタで次の二作品も参照しておこう。

ドビュッシー「月の光」

サティ「ジムノペディ」

そしてまたプルーストは数限りなく反復される同一性から逃走し一回限りの「感性」へ向けて跳躍する。そのために要請され、またプルースト自身、自分で自分に向けて要請するよう行き着いた地点がある。それはプルーストという名を持つ身体を<諸断片>へ解体する作業にほかならない。

「そして自分の肉体は崩壊するに任せよう。なぜなら悲嘆のたびに肉体から新たに分離する小片は、今度は光かがやく解読可能なものとなり、もっと才能に恵まれたほかの作家なら必要としない苦痛とひき換えに作品につけ加わって作品を補い、心の動揺がこちらの生命をぼろぼろにするにつれ作品をますます堅牢にするからである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.512~513」岩波文庫 二〇一八年)

この種の解体を可能にするのはどのような方法があるだろうか。プルーストはいう。「それだけを切り離し」と。

「それは過去の一瞬、というだけのものであろうか?はるかにそれ以上のものかもしれない。むしろ過去にも現在にも共通し、この両者よりもはるかに本質的なものであろう。これまでの人生において、現実があれほど何度も私を失望させたのは、私が現実を知覚したとき、美を享受しうる唯一の器官である私の想像力が、人は不在のものしか想像できないという避けがたい法則ゆえに、現実にたいしては働かなかったからである。ところが突然、ところが突然、自然のすばらしい便法のおかげで、この厳格な法則が無効とされ、停止され、自然がある感覚ーーーフォークやハンマーの音とか、本の同一のタイトルとかーーーを過去のなかにきらめかせて想像力にその感覚を味わわせると同時に、それを現在のなかにもきらめかせ、音を聞いたり布に触れたりすることによって私の感覚を実際に震わせたことで、想像力の夢に、ふだんは欠けている存在感が付与されたのだ。そしてこの巧妙なからくりのおかげで、わが存在は、ふだんはけっして把握されることのできないもの、すなわち純粋状態にある若干の時間をーーーほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離し、不動のものにすることができたのである。私があれほど幸福に身を震わせながら、皿に当たるスプーンと車輪を叩くハンマーとに共通する音を聞いたり、ゲルマント邸の中庭とサン・マルコ洗礼堂とに共通する不揃いな敷石を踏みしめたりしたとき、私のうちによみがえった存在は、さまざまなもののエッセンスのみを糧とし、おのが実体、おのが無上の喜びをそのエッセンスのなかにのみ見出すのだ。この存在は、現在を観察するときには感覚がそのエッセンスをとりだすことができないがゆえに、また過去を考察するときには知性がその過去を干からびさせてしまうがゆえに、また未来を期待するときには、未来を築くための材料となる現在と過去のさまざまな断片から、意志が自分の指定する実用的な目的にかなう断片だけを保存し、その断片の現実性を奪ってしまうがゆえに、衰弱してしまう」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.442~443」岩波文庫 二〇一八年)

難解なように見えはする。だが日常生活の中では誰でもごく普通に行なっている。ただ自分もまたそうしているということに気づいていないに過ぎない。ドゥルーズ=ガタリはいう。

「非分節化すること、有機体であることをやめるとは、いったいどんなことか。それがどんなに単純で、われわれが毎日していることにすぎないかをどう言い表わせばよいだろう。慎重さ、処方量(ドーズ)のテクニックといったものが必要であり、オーバードーズは危険をともなう。ハンマーでめった打ちにするような仕方ではなく、繊細にやすりをかけるような仕方で進まなくてはならない。われわれは、死の欲動とはまったく異なった自己破壊を発明する。有機体を解体することは決して自殺することではなく、まさに一つのアレンジメントを想定する連結、回路、段階と閾、通路と強度の配分、領土と、測量士の仕方で測られた脱領土化というものに向けて、身体を開くことなのだ」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・上・P.327~328」河出文庫 二〇一〇年)

有機体としての社会体をやめること。それは各々の人間自身がそれぞれ社会体を構成する諸成分として立ち働くことをやめることだ。アルトーがいうように有機体としての社会体から逃走することこそ重要なのである。

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