新潟ロシア村は、どうして誕生したのか・・・ 私の記憶では、敷地付近?の土地(開墾地・畑)を持っていた人が、高く売るために(お金の為?)新潟の不動産屋へ売却。土地を有効利用する為に、付近の土地も買収(又は、賃貸借)してケイマンゴルフを開業。来客を増やすために温泉を掘り、もっと有効利用する為に、あの銀行を巻き込んで「新潟ロシア村」を開業。 リピーターが少なく閉園しましたが、残念なのが2つ。 一つは地元と友好関係を作るのが遅かったこと。 もう一つは、開園当時の新潟県知事が失脚し新潟県を去ったこと。 新潟ロシア村が出来たころ、近隣の勝屋集落から新潟市へ直行の新設(一部拡幅)道路ができるはずだったこと。新潟市から簡単に観光客を寄せるための道路でしたが、県知事失脚により計画は消滅。現在、計画変更し一部拡幅しましたが、当初の計画どおりになっていません。もし、その道路が完成していたら旧笹神村は、今より発展しているでしょう。 計画した人・乗せられた人・夢見た人・夢破れた人・お金が無くなった人・仕事を失敗した人・・・・人生いろいろ・・というけれど、現在のロシア村の建物をみると「人生」を考えてしまいます。 2015年の投稿は今回で終了します。 ロシア村の開園当時の写真が見つかれば、後日 投稿したいとは考えていますが・・・ 管理人