昭和43年(1968年)の「国鉄詰問委答申」(全国83線区、2600キロ廃止)は、猛烈な反対運動に遭い、なにも効果があがらないまま葬り去られた。 しかし、昭和39年(1964年)に赤字転落した国鉄は、その後も雪だるま式に赤字額を増してゆく。
数回にわたる再建案の中で国鉄は、都市間・大都市圏旅客輸送及び大量貨物輸送分野以外から撤退する方針を明確にしていく。 そのたびに反対運動でつぶされたが、国鉄経営は赤字の泥沼に首までつかってしまった。
昭和55年(1980年)11月、臨時国会で地元と調整がつかなくても廃止できる「見切り発車」条項を盛り込んだ国鉄再建法案が可決される。 赤谷線の廃止は、決定的になった。 (この新聞の誌名記録無し)
※新発田市図書館を検索すると赤谷線に関しての本は、赤谷線廃止の年、1984年の写真集と1965年の新発田市役所作成の本、その他数冊あるようですが新聞社作成の本は無いようです「※私の検索が下手で、実際はあるかもしれませんが」。 この新聞記事を書いた社からの本があったら素晴らしい・・と思うのですが。