2月28日まで、水原公民館の旧図書室で開催。大人9名と小中学生などの作品が展示されています。 墨泉会の代表は、大野悦子さん。
大野露風さんの作品
「書」を読めない私でも、読める文字で書いている書があり、いいと思います。 管理人
2月28日まで、水原公民館の旧図書室で開催。大人9名と小中学生などの作品が展示されています。 墨泉会の代表は、大野悦子さん。
大野露風さんの作品
「書」を読めない私でも、読める文字で書いている書があり、いいと思います。 管理人
佐渡汽船ターミナルから撮影
佐渡、両津港。青空が出ました。
帰りの船の中。 「船に酔うなら酒に酔え」という言葉があるそうです。私は船の自動販売機で「北雪」のワンカップを買い、泊まったホテルで貰った「佐渡ジャーナル」という新聞を読みました。船の揺れと昨日の疲れで酒を飲み終えてから床にゴロリと寝ました。目覚めると新潟市に着く30分前。船のデッキに出て景色を眺めました。 ※「佐渡ジャーナル」は、東京都港区西麻布にある佐渡ジャーナル社が発行し、発行日は、1月・4月・7月・10月
船から見た新潟市。海の上から新潟市を見たのは30数年ぶり。 新潟市、けっこう都会に見えました。佐渡に住んでいる方がこの景色を見たら、どんなふうに感じるんでしょうか。日本酒を船の中で飲んだので、電車で阿賀野市にある自宅に帰りました。 次回、もう1回投稿して この件を終了します。 管理人
当講座、受講者の皆さん
記念撮影の絶好ポイントです
坑道入口(国重文)。ここを通ると売店です。
売店を出てバスへ。皆さん、土産物を買いました。
バスからの風景。高波が少し落ち着いてきました。帰りの船、出航できそうです。
有名な「佐渡はんが甲子園」、予選応募作品の作品展が佐渡汽船ターミナル1階で展示されていました。高校生たちの、どれも素晴らしい力作です。
上の写真の通路反対側にあるラーメン店。なにげなく入店しましたが、食べた塩ラーメン、美味でした。あっさりとした塩味でなく、こってりとした塩味でした。もう一度食べたい味です。 そろそろ帰りの船に乗る時間です。2階の数多い売店の中から土産に「イカの塩辛」を買いました。もちろん、佐渡で製造したものです。美味でした。次回に続きます。 管理人
道遊の割戸から旧機械工場へ移動
旧機械工場(国重文)
機械工場内には、鉱石の積込機やトロッコの牽引に使用された蓄電池式機関車、採掘機などの修理保全に活躍した工作機械類など操業当時の設備が残っています。戦前に製造されたものが多いそうです。
← 工場のガラス窓。この時代、ガラス(手作り)は貴重だったそうです。ガラスが盗まれないよう右側の写真のように所々に三菱のマークが掘られています。工場は三菱の会社でした。
話は変わりますが、2月14日(土)テレビUX 午前9時30分からの「まるどり! 旅してちょうない」で似顔絵氏・やまだみつるさんとアシスタントの玉木佑貴子さんが、佐渡市赤泊の赤泊小学校3年生の民話の授業に参加しました。子供たちが言う、赤泊の自慢は「ワニ清水」と「北雪(酒造の日本酒)」でした。「どちらも、この講座で行った場所です」 小学3年生の自慢が「北雪」とは、すごいですね。北雪酒造さんの社長さんがこのテレビを観ていたら喜んだでしょうね。 次回に続きます。管理人
2013年12月1日撮影
2014年に取り壊した旧水原中学校の教室。 この教室に、中学生たちの淡い恋もあったのでしょう。 この写真、歴史の写真になってしまいました。管理人
1月18日(日)
道遊の割戸と高任(たかとう)神社。割戸の下部に神社があるのを初めて知りました。1605年に建立した官営社です。詳しくは下の写真の説明文を読んでください。明治時代の初代佐渡鉱山局長・大島高任(おおしま たかとう)の偉業を称え、「高任神社」と命名されたそうです。
↑ 国指定史跡「道遊の割戸 (どうゆうのわれと)」。 慶長6年(1601)、佐渡金山発見の端緒となった大鉱脈の露頭掘跡が「道遊の割戸」です。 江戸時代には主に地表部の採掘、明治時代も割戸の下部で大規模な開発が行われました。 金の生産量は、徳川時代に41トン。明治時代に8トン。大正時代に7トン。昭和時代に22トン。合計78トンの金が採掘されました。78トンの金です。欲は言いませんが、せめて1トンの金が私の所有物なら私の人生、どんなだったでしょう。毎日遊び、おいしい物を食べ、旅行し・・・最後は飽きて、現在のようにコツコツと仕事をし、つつましく生活している気がします(貧乏性ですね)。
次回に続きます。 管理人
2015年2月11日(祝) 建国記念の日。この日、用事で新発田市へ。家から新発田市中心部までの道中、写真のような国旗が家の前に飾っていたのは5軒のみ。内、2軒は商店でした。祝日でも、あまり国旗は掲揚しないんですね。そういう我が家も、国旗掲揚は年数回だけ。忙しいと「国旗掲揚」することさえ忘れています。人のことを言える立場ではありません。せめて、元旦と建国記念日くらいは国旗を飾るようにしようと思います。 管理人
佐渡金山の坑道です。この道遊坑は、明治32年(1899)佐渡金山の主要鉱脈「道遊脈」の開発を目的に開削された主要運搬坑道で、平成元年(1989)の創業停止まで使用されました。
いよいよ佐渡金山へ入場です。この門をくぐると写真のような坑道になります。私たちは、あの人型ロボット坑夫が働いている(観光用に動いている)観光コースでなく、ガイドさん付の「産業遺産散策コース」を見学しました。
採堀跡(国重文)です。この場所は、「道遊の割戸」の真下にある大規模採堀跡です。
← 佐渡金山といえば、この「道遊の割戸」が思い出されます。上の写真の「採堀跡」は、この「道遊の割戸」の直下にあります。 次回に続きます。 管理人
去年暮れに開催した阿賀野市水原地区、本町商店街「イルミネーションフェスタ2014」のイルミネーションコンテスト入賞店が決まりました。最優秀賞は、いからし酒店(下町) 優良賞は、御菓子処 渡計(中町) 特別賞は、男子専科ワクイ(中町)。中央町1丁目の「おんこ茶屋」で、入賞店の写真を展示しています。 管理人