エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #ありのままの私

2020-02-20 07:22:13 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #見通し

 #聖書の言葉 #1人豊か #お話し下さい インターメッツォ: エリクソンの叡智 :  礼拝は,自分と人をイキイキと生かす「人生の習慣」    多くのトラウマ治療が......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 

生きているのに
死んでいるあなたへ

 

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 

 

単独者の恵み

 

 

ありのままの私

 

 

耳を傾ける場です

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#荒れ果てた気持ち

2020-02-20 06:52:36 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#発達トラウマ障害 #育ちからくる #脳が正常な発達軌道に乗れてないから

 #薬の開発 ニッポンにも必要な長期の家族調査,どんなに人が蔑ろにされている社会かが,解るから    PTSDは、バラバラ   香りの思い出 レイチェルさんの願い ......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.115の第2パラグラフから。

 今朝は,p.117の,2パラグラフの1行目から。

 

心響かせることに身を入れる

 

… 

 安心して赤ちゃんがお母さんにくっ付いていられることは,同時に,できたという気持ちを育てますが,「安心して自分のことは自分で出来て清々しい心の場」を創造します。この「安心して自分のことは自分で出来て清々しい心の場」は,生涯を通して,挫けずに生きる秘訣です。安心してくっ付いていられる子ども等は,自分が心地よいと感じるようになります。というのも,安心してお母さんにくっ付いていられる赤ちゃんは,自分(や人)が気分が悪くなるものを見付けて,善くする心の習慣を身に着けているからです。善くする心の習慣って,自分の方から関われば,自分の気持ちや人の反応が変えられると分かっています。安心できるアタッチメントがうまくできた子ども等は,自分で解決できる状況と助けが必要な状況の分別がつくようになります。安心してくっ付いていられる子ども等は,困難に直面しても,自分から困難に向き合っていくことができるようになります。反対に,粗末に育てられた子ども等や,相手にされずに育った子ども等が身に着けることと言ったら,怖がっても,お願いしても,泣いても,親が相手をしてくれない,ということです。何をしたって,何を言ったって,親は打つことを止めてくれませんし,眼も助けもくれません。粗末に育てられたり,親から相手にされずに育った子ども等は,後年試練に出会うと,諦め人生を生きること決まってしまいます

 

 生きている実感を感じるようになる

 

 ボールビーの同時代の人,小児科で精神分析家のドナルド・ウィニコットこそ,心響かせる関わりを研究する今の研究の父です。ウィニコットの精緻な母子観察は,お母さんが自分の赤ちゃんを抱っこするやり方を観察することから始まりました。ウィニコットが提示したのは,赤ちゃんの身体とお母さんの身体に触れ合うことが,赤ちゃんが生かされている実感を実感する元ですよ,それに伴い,本当の自分と生涯一心同体に成るということの元ですよ,ということです。お母さんが我が子を抱く抱き方が,「その子の身体がその子の魂が生きた場と感じる元」ですよ、ということです。私どもの身体が腑に落ち実感していることが,「生きている実感」の大元です

 

 ウィニコットが考えたのは,大部分のお母さんは赤ちゃんに上手に心響かれていた,ということでした。「いいお母さん」とウィニコットが呼ぶ母親になるのは,特別な才能などいりません。しかしながら,ことが本当に悪くなるのは,お母さんが赤ちゃんの実感に心響かせることができない場合です。もし,お母さんが赤ちゃんの体感やニーズにピッタリと息を合わせることができない場合,赤ちゃんはお母さんが「この子はこうなってほしい」という思いを忖度し合わせるようになってしまいます。赤ちゃんが実感している体感を軽く見たり,母親自身がしてほしいことに赤ちゃんを合わせようとしたりすると,赤ちゃんは,自分の生き方は「なんかおかしい」と感じるようになってしまいます。お母さんが息を合わせてくれない子ども等は,傷つきやすく,自分の身体から直接貰える実感,すなわち,心からの歓び,生きる目的,生きる指針の3つの大元を実感できません。

 ボールビーやウィニコット等のアイデアが紹介されて数年後,世界中でアタッチメント理論のおかげで,大部分の子ども等は,安心してお母さんにくっ付いていられるアタッチメントがあると分かりました。安心してお母さんにくっ付いていられるアタッチメントがある子ども等が大人になりますと,頼りになり心響く関わりをしてもらえたことから、恐れや心配はご無用になります。押しつぶされるような出来事,すなわち,トラウマに晒されることがなければ,生涯を通して安心できる状態がいつもの生き方になります。トラウマがありますと,自分で自分の気持ちを治めることができなくなります安心して赤ちゃんがお母さんにくっつくことは,その子らの対人関係の雛形になります。安心して赤ちゃんの頃にお母さんにくっ付いた子ども等は、人の気持ちに気付きますし,現実とお遊びの区別が幼い時分から分かります安心して赤ちゃんの頃にお母さんにくっ付いた子ども等は、ウソと危ない人に鼻が利きます。安心してお母さんにくっ付けた子ども等は,いつも陽気な仲間になりますし,仲間と認め合う経験をたくさんします。他の人達に心響かせることができるようになると,声や顔色の微妙な変化にすぐに気付いて,その人に心響くように合わせることができます。安心して赤ちゃんの頃にお母さんにくっ付いた子ども等は、世の中に対する理解を人と分かち合う中で生きるようになりますし,その社会の重要なメンバーになります。

 ところが,このような好循環も,子どもを粗末に育てたり,子どもの気持ちに気付かぬふりをしていると,簡単に悪循環します粗末に育てられた子ども等は,声色と表情の変化に敏感なのに,声色や表情を,心響かせたままでいることのサインでなく,脅しと受け取ります。ウィスコンシン大学のセス・ポラックによれば,普通の子と粗末に育てられた子に,一連の顔を見せて,その反応を比較しました。怒りから悲しみまでの顔写真を見せますと,粗末に育てられた子は,怒りの微かな特徴に過剰に反応しました。

 これには1つ理由があります。すなわち,粗末に育てられた子等は,とても被害者意識が高く,怖がりだ,ということです。学校の廊下の,顔の海の中を,襲ってくる人を見付けながら,通ることをイメージしてみてください。他の子の攻撃性に過剰に反応する子等は,他の子等のニーズは分かりませんし,落ち込みやすく,自分の気持ちを治めることもできませんから,人を避けがちですし,お泊りやお友達との遊ぶ約束をしたがりません。結局,粗末に育てられた子ども等は,強がりや偉ぶることで恐れを隠すようになるもんです。あるいは,粗末に育てられた子ども等は,1人でテレビを見たりも,1人でコンピューター・ゲームをしたり,する時間がだんだん増えますから,人と関わる様々な術や自分の気持ちを治めることが,ますます遅れます。

 赤ちゃんがお母さんにピッタリとくっついて一心同体に成る体験を求める人のニーズは,決して目減りしません。人は長いこと他者とバラバラでいることに耐えられないものです。作品作り,友達,家族を通して絆を得られない人は,他の繋がり,すなわち,病気,法的争い,内輪もめという形で,繋がを探すのが普通です。関係が切れていたり,冷たい関係だったりして荒れ果てた気持ちになるよりかは,何でもましだからです。

 

 

 バラバラな家族は,実際に,荒れ果てた気持ちです。

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#恥の投影

2020-02-20 06:28:59 | エリクソンの発達臨床心理
 
#今ここを最高に生きる #聖書の神様と一心同体 #なんて素晴らしいんでしょう

 #子どもは大人の対等なパートナー #日常生活を礼拝にする #対等なパートナーになるスピリット インターメッツォ: エリクソンの叡智 :  礼拝は,自分と人をイキイ......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 p.341のⅢから。

 今朝は,p.343の第3パラグラフ,4行目から。

 

 

 Ⅲ 子どもの頃の初めと賢いこと

 

 本当の自分を創造することを理解することが困難なのは,初めに行動指針を並べ立てるところから始めなくてはならない事実があるからです。本当の自分を創造することが発達して,その人ならでは,が育つ全体像の一番善い説明は,隠されている本当の自分が発達し,その人ならではが育つと,ひとりびとりが,キリストを介して聖書の神様と一心同体に成り,その結果,お互いにも一心同体に成ることです。それまで毎日礼拝が無言で「とてもいいぞ」と認めてくれていたことが,本当の自分が育つと,山のような人から,いまここで繰り返し,ハッキリと「とてもいいぞ」と認めて貰えるようになるはずです。子どもと,身体面でも,心理面でも,対人面でも関わる大人の数が増えますからね。つまり,毎日礼拝で,新しく出会った人たちと互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるんです。互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるのは,いつでも,敵が新しい友になる驚きの中にあります。それから,互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるのは,いつでも,新しい形が生まれます。

 人間の毎日礼拝の第2の形は,一番相応しい言葉は,「judicial,分別の言葉」です。それは,ラテン語の「jus 立法」と「 dicere  話し言葉にする」という言葉の組み合わせだからです。とにかく,judicalという言葉は,正しいことと悪いことを「区別する」方法を含む言葉ですから,自分を創造する時には,確実になります。結局,善悪を峻別する「律法の話し言葉」は,人間の毎日礼拝の大切な見方になります。と申しますのも,毎日礼拝も,善しとされ仲間となる者と,それ以外のよそ者を区別しない毎日礼拝は,1つもないからです。選ばれる者と排除される者があるのは,最後の審判まで続きます。

 

 この第2の形が自分を生み出す源は,第2の聖書の神様のいのちの舞台です。それは,子どもの頃の初めで,魂が生きている実感に従うのを習慣にすることが育つことと,発達が急にすすむこととが,特色です。「ある場所から別の場所に動けること」が,生きている実感を心の習慣にするのに役立つように,移動が許される限界にも出くわすことになります。「分別」が鋭くなるにつれて,「分別」は,「正しく見える」ことと「正しくは見えない」ことを他者の眼で見る忖度を受け容れることにもなります。しかも,「言葉が育つこと」(言葉は,「人間を上下2つに分けるウソ」による繋がりの一番強力な絆であることは明らかです)が,言葉になる世界の中で概念的に纏まるものを強調しますから,言葉にならないことは,名前もなく,奇妙で「悪い」ママになります。こういったこと全てに強烈な意味を与えるものは,フロイトさんが「お尻の穴」と呼んだものです。「お尻の穴」って,腑に落ちない新しい心の習慣にもなります。生きている実感を真っ直ぐに生きると,面目をなくして,恥ずかしいことになるんだと,子どもは気が付きます。真っ赤な顔をして正体がバレますし、一人ぼっちの孤独をひどく感じるのに,自分が悪いのか,自分を裁く親が悪いのか,が分かりません。大人たちは,いのちを削り合う関係の中で,子どもを出汁に使わなきゃ損だと感じますし,子どもは恥をかき,悪いのは自分なのか親なのかに迷う心の習慣をますます酷なものにします。しかし,本物の大人が,人間様を超える聖書の神様の正義を代弁するのは,善悪を分別する毎日礼拝じゃないんですからね。つまり,悪い行いは裁いても,悪いことをした当人を裁く必要などないんじゃないの?

 決して忘れまいと思う経験が1つありまして,それは,全ての人類学者(プロでもアマでも)と分かり合えると確信します。つまり,それは,「現場で」「天から間違いなく善しとされる,善い生き方を直感することによって,自分の生業をとっても善いものですよ」と語った古老と初めて出会った,あの驚きです。善い実例をお示ししましょう。それは、北カリフォルニアに住むユーロック・インディアンの人たちから聞いた話です。そのユーロック・インディアンの人たちは,鮭と,増えて移動する(長い間,ハッキリとは分からなかった)鮭の謎の生き方に頼って暮らしてきました。

「昔はね,ユーロック人の食事は,自分が繰り返しユーロックの神様と一心同体に成る本物の礼拝でした。厳格な置き方があり,子どもは決まった食べ方を教えられました。たとえば,食べ物を少しスプーンに乗せること,そのスプーンをゆっくりと口に運ぶこと,食べ物を噛んでいる間はスプーンを下げておくこと,そして特に,その間,自分は豊かになっていると想像すること。食事の間は沈黙でしたが,それは,皆がお金と鮭に三昧になるためです。この食事の毎日礼拝は,おっぱいが恋しい思いを,心から優しい夢を大切にする物差しにしてくれます。このおっぱいが恋しい思いは,(アメリカ・インディアンの中では極めて例外的に)離乳がとても速く行われることから生じていました。後年(訳注:大人になる毎日礼拝を行う)「汗の家」の中で,お金のことに意識を集中させて,女性のことは一顧だにしないという,2つを1つにするキリストを学ぶことになるんです。ユーロック人は,大人になれば,シーズンオフでも、木々にはお金がなり,川には鮭が泳ぐのが見えるようになります。というのも,ユーロックの大人は,内的促しの中で「夢のような」思いは神々が実現してくれるものだ,と信頼しているからです。」

 この礼拝の仕方は,幼子の心にも記しを残しましたし,日々のあたりまえの暮らしの中でモデルになる人が居ましたから,聖書の神様のいのちが一巡する道の全てで,(訳注:感動によつて生かされる人生をプレゼントしてくれる)似たような毎日礼拝を礼拝にすることになりました。というのも、子どもを心から大切にすることは,時に適った毎日礼拝の流れ全てに,「2人がピッタリと一心同体に成ること」と「切っても切れない絆」のギフトをプレゼントしようとします

 毎日礼拝の第2の元は,「その子が自由に歓んで関わる意志」を強調することが,毎日礼拝の第一の元と主に違います。赤ちゃんの時期の第1礼拝では,危機回避は,お母さんの責任でしたが,第2礼拝では,子ども自身が「自分に注意する」ように訓練されなくてはなりません。この目的のために,両親や目上の人たちは,その子(その子の顔)と,注意していないとこうなりますよと言う場合に「なるかもそれない」失敗したダメな私とを比較します。ですから,これこそが,「ダメな一心同体」の大元になりま,この「ダメな一心同体」こそが、「人間を上下2つに分けるウソ」が続く大元になります。なぜならば,「ダメな一心同体」は,自分がそうなるはずはないけれども,万が一そうなるかもそれない全てを具体的に示すからです。「ダメな一心同体」は,人間を上下2つに分けるウソのよそ者のイメージに必要なものを全て整えます。「人間を上下2つに分けるウソ」は、自分の仲間を受け容れてもらうために,似てはいけないものです。空恐ろしい絵の後ろには,両親そのものがそうはならないようにしているイメージで,子どもがそうなることを疑い深く恐れているイメージがある場合がよくありますから,「歓び溢れる主キリスト」が打ち込まれる弾丸は,子どもがそういう者にならないようにイメージできるようにならなければならない人になります。自分が2つにバラバラになり,隠れた恥じが,自分の一部を「外に出す」必要と激しい怒りを押さえつける必要と結びついて,人間の中にかなり「●●ねばならないと感じる激しい怒り」を作り出したんです。この「●●ねばならないと感じる激しい怒り」がありますと,親同士が喧嘩したり,親が子どもと喧嘩したりする喧嘩の元です。それに,この「●●ねばならないと感じる激しい怒り」がありますと,バラバラに2人の自分が喧嘩します。事の次第を暗く申し上げるのは,子どもが1歳か2歳の時にこそ,「人間を上下2つに分けるウソ」の元があるからなんです。●●ねばならないことのせいで自分が2つの分裂することは、悪い他者に敵対する態度が吹き込まれることで先鋭化します。悪い他者に敵対する態度が吹き込まれることは,小さな子どもが嫌いな自分を相手のせいにして見る影になります。またこの悪い他者に敵対する態度は,後々,「正しいこと」を残酷に人に押し付ける差別になります。そして,「正しいこと」を残酷に人に押し付ける差別は,ウソを生きる、2つに自分が分裂したご当人にとって最大の危機になります。しかし,ご当人の「自分のことをダメと信じる身勝手な判断」は,強迫性障害,ねばならないと思う病、うつ病の元です。他方,他者をダメだと信じる理屈に合わない判断は,沢山の人のダメな判断と近代兵器が揃えば,1つになるはずの水辺で、大人になれないままで人類滅亡になります(エリクソン,1965)。これらのこと全てから,本物の毎日礼拝が,言葉と音色で,振舞い方のルールを伝える,個人や組織を超えた祈りとして大切なことが分かります個人や組織を超えた祈りとなる言葉と音色をその子どもは体得底で身に着けていますし,その子が手にする様々な立ち位置の中でも,本物の毎日礼拝は,振舞い方のルールを伝える,個人や組織を超えた祈りとして大切なことが分かります。

 ところが,「賢い判断をする言葉を伝える日常生活の礼拝」の中で心豊かに働く中で,賢い判断をすることが大掛かりに繰り返し肯定されますから,ひとりびとりの心の中で起きていること全てが,白日の下に晒されて,出来事になります。「ねばならない決まり」は,あらまぁ、私どもの良心同様,疑り深いんです。「ねばならない決まり」は,ピッタリなスケープゴートをでっち上げて,「見せしめ」とします。その見せしめには,みんなが心の中に持っている恥を投影します。

 

 

 悪い良心

 バラバラになった私を恥じる恥じを,ぶつけるのが見せしめです。

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#笑顔の魔法

2020-02-20 06:04:47 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #見通し

 #聖書の言葉 #1人豊か #お話し下さい インターメッツォ: エリクソンの叡智 :  礼拝は,自分と人をイキイキと生かす「人生の習慣」    多くのトラウマ治療が......
 

 

 「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。

    Toys and Reasons. 『おもちゃ と 賢慮』から。

  p.46のブランクから。

 今朝は,p.48の,第3パラグラフ,最後から。

 

 シカゴのシンポジウムで,ルネ・スピッツは,自分とデンバーの仲間たちの最近の観察と考察について報告してくれました。それは赤ちゃんの中で,実感が体得底で最初に生まれる時の,視覚の役割に関する報告でした。視覚のギフトは,他の五感,味覚・聴覚・嗅覚・触覚から得るお知らせを味わう時に最初の役立つことにある,とスピッツは教えてくれました。「視覚は,赤ちゃんが育つ世界,そこはもともと,聖書の神様と共に見る見方が支配的でしたのに,その赤ちゃんが育ちの世界の中に,新しくて,人生を左右する,聖書の神様に背く見方をもたらします。聖書の神様に背く見方のおかげで,その子どもは時間も空間も永遠に続くと思うようになります」。スピッツが言うのには,3か月までの間に,赤ちゃんは見てわかることが育って,一纏まりの景色を覚えていられるまでになる,ということでした。つまり,その赤ちゃんが見た景色が,いまここで,口が満足したことや五感が満足した,生かされている歓びと一体となって,いつまでも続きます,ということでした。つまり,赤ちゃんが目で掴み取った様々な景色は,口周りや五感が満足して,赤ちゃんが実感した生かされている歓びと一体となり,いつまでも続く,という理に適っていますし,聖書の神様の生き方にも適って,不動にされた,その判断には,聖書の神様からの力があるのです。赤ちゃんが実感した生かされている歓びは,おっぱいをもらうこと,抱っこしてもらうこと,肌と肌が触れ合っていること,お尻をサッパリにしてもらうこと,「聖書の神様のいのちが一巡する結界にピッタリとはまり込むこと」からくるんです。このように,様々な場面でお母さんが赤ちゃんよりも下に立ってくれるお陰で,お母さんの顔は,赤ちゃんの探している2つの眼に「光をプレゼントする」ことになります。そのようにして,その母親も,私は私の赤ちゃんの「聖書の神様のいのちが一巡する結界」にピッタリな最初の相手になれた,と腑に落ちることができます。それに,赤ちゃんが2つの眼を見開いておっぱいを飲むと,オッパイをしゃぶりながら,お母さんの顔をじっと見つめるものでしょ。このようにして,赤ちゃんが眼にしたものが,感覚とアタッチメントの場を纏めるために、出す時だけでなく受け容れる時に道しるべになる最大の物差しになります。その最大の物差しは,赤ちゃんが「1人のお母さん」と触れ合うことによってメモリがつけられてるんですから。これがなるほど本当だと信頼するには,視覚によって確かになるものを数えあげるだけで足りるでしょう。時間が同じである物事と,同じ空間が続いていること,ずっと残るのは聖書の神様に心から歓んで従うことですし,共に居ることが溢れるほどの恵みであると心底分かること,身近に見える姿と背後にある違いを超えた一体感,パートナーが不動にされ自由にされる結界の中で,ピッタリの人が,パートナーの息に自分の息を合わせると,一心同体に成れることにこの世を超えて感動すること,これら全てが一体になるのは,聖書の神様みたいに「とっても善いよ」と認める人が,願った時にはいつでも共に居てくれることで、初めて実現します。これは,のちのち,単なる事実を包み込む「なるほど本当だね」と実感する実感の大元になります。まもなく,聴く力が不可欠で役立つ力になるのは,自然の成り行きです。それは,眼には見えいな世界のことを教えてくれるからですし,聴く力は,「曲がり角の先」からあの嬉しい声が聴こえてきますし,馴染んだお母さんを確かめることができますよ,という希望を強めてくれます赤ちゃんの時期に,お母さんの姿が見えるし,お母さんのの声が聴こえるという,母親を二重に徹底的に心いっぱいに味わうことが,いつも大事だと分かるのは,お母さんが赤ちゃんを唯一の名となる呼び名で声を出して何度でも「繰り返し善しと認める」ことになるのと同時に,名付けたお母さんが,赤ちゃんを認めてくれる人として赤ちゃんから繰り返し善しと認められることを心から歓ぶからです。(訳注:エリクソンの奥様)ジョアン・エリクソンが言うように,「人生は,眼差しによって,繰り返し,始まります。…触れ合いが心から大切にすることになるのも,バラバラでいると激しい怒りになるのも,眼差しと関係します。大人になっても,このように眼差しが物を言うことに変わりはありません。と申しますのも,生涯にわたって,私ども人間が仲間内で他者といろいろとやり取りするのは,眼差しに温もりがあるからでしょ。お母さんから見られることに始まる眼差しは,恵みですし,同時に,呪いです」。

 知ることと実感が一体で育つこの場では,眼差しの力は,申し上げて来た2つの意味でハッキリと現れます。つまり,事実だと分かったことを完熟した五感を用いて,あらかじめ善く理解すること,しかし,そればかりではなくて,十分に繰り返してもらったと分かったことは,もう一度手に入ると信頼することです。

 それにしても,こういうこと全ての遊びに何の関係があるんでしょうか? ヘインツ・ワーナー・レクチャ―で,ブルーナーが述べたことは「赤ちゃんは,感覚器官を通じて,感覚器官を使って,感覚器官を使って動かす力をはるかに超えた心の習慣を生み出します」ということでした。その結果「最初に関わってくれた人と一緒にならなくても,赤ちゃんは長い間その人を良く見ていますから,その場になれば,おのずと,最初に関わってくれた人の関わり方に身を入れることになります」って。眼差しが一番大切なことをスピッツが強烈に主張してくれたおかげで、私は,ブルーナーが魂に火を点ける苦心の実験を描いてみましょう。すなわち,生後半年の赤ちゃんは,おっぱいを吸う力と結びついていますから,おっぱいを吸う力は,聖書の神様のいのちが一巡する場になるか否かで,寝ぼけた絵か,ありがとうと言いたくなる絵を,母親の顔に書くことになります。ブルーナーは「人間は赤ちゃんの時から,善い相手を見ると,見ることに集中して,ハッキリと見えますから,おっぱいを吸うのを忘れるほどですから,新生児が心底求めるニーズは,パンや慰めを求めるニーズだけじゃないことが分かります」と話を纏めます。

 自明の理として申し上げるのは,赤ちゃんが五感,特に眼差しを使ってめぐり探している,ということですし,繰り返し見失って繰り返し見つけた相手を繰り返し大切に思うことが,「2人が夢中になる」最初の大切な関わりになる,ということです(この「2人が夢中になる」最初の大切な関わりは,いないいないばあっ みたいな遊びになります)。この「2人が夢中になる」最初の大切な関わりは,笑顔の王冠で輝いています。それは,生後12週で,お母さんの顔という「天国の印が顕現する場」に立たされてハッとするからこその,輝く笑顔の王冠です。もちろん,赤ちゃんの輝く笑顔の王冠そのものが,お母さんが子どもに気付き,心から大切にしたいと思う(recognitionのあらゆる意味で)点で,唯一無二の誘い水になります。自由な大人になった者が子どもに気付き,心から大切にしたいと思うのは,新生した者だけがもたらしうる思いです。なぜならば,輝く笑顔の子は,その笑顔に接した大人が,自分が聖書の神様のいのちが一巡する中にあり,新生した、と実感することに役立つ力がありますから。

 

 

 これこそが,笑顔の魔術です。

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#現世考 #ダイアモンドプリンセスコヴィト19製造機  #最低の治療体制

2020-02-20 03:56:00 | 間奏曲
 
 


 
#務め と #毎日礼拝 #よそ者にも心響かせるのが大人

 #自由 #賢慮 と #心の習慣 #賢慮のカケラもないニッポンの学校が道徳を教えられるはずもなし 現世考: 南相馬市の原発避難解除 と 憲法    正しい問いが出発......
 

 

 ダイアモンドプリンセスでコヴィト19というコロナウィルスが蔓延しています。

 神戸大の岩田健太郎氏によれば,ダイアモンドプリンセスは,感染の専門家の居ない状況で,「感染対策としてとんでもない状況」で、「アフリカや中国以下」であるとのことです「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機」(https://www.youtube.com/watch?v=W3X3RSmf7ds&feature=youtu.be)(https://twitter.com/georgebest1969/status/1230038066812702722)。

 これは,発達トラウマ障害の子どもたちに対する治療体制がとんでもない状況であることと,パラレルであると感じられました。

 また,福島原発爆発後の東北や首都圏の市民が見捨てられていることとも,パラレルです。

 政治が,行政が,日本の市民を非常に粗末にしていることが,様々な領域で現在進行形で進んでいることが如実に表れています。

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