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インターメッツォ: 仲良しお父ちゃん!繋ぎの段落 毎日礼拝 毎日礼拝。聴きなれない言葉ですよね。「日曜礼拝」なら、聞いたことがあるでしょう。でも、「日曜礼拝」だと、本当の「礼拝」......
今宵は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.263の、3行目,第2パラグラフ全体。1年半前に訳しましたが,訳し直しです。
人間にとって重大な問いは,赤ちゃんを躾けるときに,自分は「悪い子」・「ダメな子」という根深い感性が抜きがたくなるほど,子どもの無力さと道徳的な敏感さを、付け込んでも良いのか、あるいは、付け入ってはならないのか、という問いです。なぜなら、この、自分は「悪い子」・「ダメな子」という根深い感性こそ、終いには、「正しいこと」をやってます,いうと錦の御旗の下で、(訳注:周りの人にはもちろん,自分にも)コッソリと悪だくみをする結果になるのに,相場が決まっているからです。悪と戦っている時でさえ、自分は「悪い子」という感性に支配されていますから、悪は,人間の「本性」の属すものであるばかりか、神様のご計画にも属すものですし、そればかりか,神様から人間にプレゼントされた恵みでさえある、と宗教家たちは考えます。この,私どもが当たり前と思っていることに対する問いに対する答えは、子どものいろんな躾け方も、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込む点で,いろいろ違う,ということですが,それは,宗教も,根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込む点で,いろいろ違うのと同じだ、ということです。困ったことが生じるのは、第1に、本能のいろんな力は,悪い良心が牛耳らないと、手に負えなくなってしまう,という道徳的な恐れからですし、第2に,人間にとって「正しいこと」は,悪い良心で牛耳ることだ,と決めつける悪い道徳が、融通の利かない習慣によって,がんじがらめになって仕舞うことからくる訳です。こういった決めつけの悪い道徳では,すべての人が、自然のいろんな力と悪霊に対して抱く,昔ながらの恐れが,心の中のいろんな力(訳注:内なる子ども)と、目の前にいる子どもとに,繰り返し投影されます。その(訳注:心の中と,目の前の)子どもの眠れるエネルギーは、悪さをするかもしれないと貶されたり、天使みたいにロマンチックに盛られたり,の間をあっちに行ったりこっちに来たりします。人は,おおくの試練を乗り越えた品性のある良い良心が必要ですから、自分は悪い良心の持ち主に違いないと思い込んだり、時にお手軽に良心が手に入れば、良い良心の持ち主だと根拠もないのに思う訳ですね。こういったことすべてに対する答えは、子ども等が全て,悪い良心の持ち主になったり,安易な良い良心の持ち主になったりする,悪の感性を否定することにあるのではありません。避けられない悪の感性を否定すれば,手に負えない悪をコッソリしでかそうとする感性を深める結果になるだけですよ。その答えは,秩序を作り出す人間力にこそあります。この秩序は,自分の子ども等に,品性があり,なおかつ,寛容な,良い良心を1つ と 自分も人も肯定する仕方で関わりを始める世界を1つ,プレゼントしてくれます。
エリクソンは,
1) 良い良心を育むことは,とても難しいもの,
2) 人間は,すぐに悪に染まりやすいもの,
3) 人間は,悪い良心で,厳罰で,悪を牛耳ろうとしがちなこと,
4) だから,ますます,良い良心をはぐくむことが,難しくなること,
を明確に示しています。
そして,わずかに,秩序を作り出す人間力だけを,その良い良心をはぐくむ可能性として明示しています。
じゃぁ,その秩序って,なんでしょうか?
それが,エリクソンの神髄です。
この秩序こそ,豊かな根源的信頼感であり,
自分も人も肯定する仕方で関わりを始める世界とは,日常生活を礼拝にすることです。
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