エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

赤ちゃんも上下2つに分裂する 自殺の温床

2013-07-24 04:07:45 | エリクソンの発達臨床心理

 

 日常生活の儀式化日常生活の儀式化された習慣が、いかに人間にとって必要不可欠なものであるかが、すでにお分かりだろうと思います。しかし、残念なことに、日本では、儀式化がほとんど顧みられることがないのです。むしろ、儀式主義が広く深く、日本人の心と日本の社会を蝕んでいると言えるでしょう会社や役所など、組織の意見を、まるで神のごとくに「表向き絶対視」するような「偶像崇拝」という名の赤ちゃんの時期に始まる儀式主義、 「皆さんご一緒に」というような「群れる心理」村八分と、[ウソとゴマカシ[役所やあの電力会社の隠ぺい体質]に傾く心理)、そして、真実や現実よりも、中身のない言葉にしがみつき、周りの人の心を踏みにじる「お役所仕事」という儀式主義、挙げればきりがありません。

 そういう状況だからこそ、ハッキリ意識して、わざと日常生活の儀式化された習慣を、日々、陽気で楽しく、実践していくことが大事になるわけです

 

 

 

 

 新たに生まれた人間は、原則として、多分、ある遺伝的な限界の範囲内で、「『人間を上下2つに分けるウソ』に支配された、自らを『上』だと誤解している集団」とそれに伴う習慣に馴染むかもしれないですけれども、まさにその理由の故に、引き伸ばされた子どもの時期の間に、ある型をもった家族によって、「独自化」するように促され、導かれなければなりません。つまり、その赤ちゃんは、特定の型の人としての居住まい(特定の生き方)に「儀式化されることに慣れ(家族化され  familiarize)」なければなりません。このようにして、この赤ちゃんは、1つの独特な感じがする、自分たちを一緒に確かにする道(集団[家族、地域社会、企業、民族など]のアイデンティティ)を発達させるのです。それは後になって、別の「『人間を上下2つに分けるウソ』に支配された、自らを『上』だと誤解している集団」に侵略されることに対抗して、偏見によって、防備を固めるのです。この偏見は、それによって、儀式化における、ほんの些細な違いが、余計に強調されますから、実際には、唯一の「本物の」人を確かにする道にとって、非常に有害なのです

 

 

 

 

 全ての赤ちゃんは、その家族が持つ特定の生き方に馴染むようになります。しかし、残念なことですが、その生き方は、顧みられることも意識されることもないのが普通、であるために、 「『人間を上下2つに分けるウソ』に支配され、自らを『上』だと誤解している」ことが普通です。この「『人間を上下2つに分けるウソ』に支配され、自らを『上』だと誤解している」ことこそが、ここでエリクソンが言う偏見そのものです。

 しかも、“この「『人間を上下2つに分けるウソ』に支配され、自らを『上』だとする誤解」(家族の雰囲気)には、猛烈な慣性(inertia)がある”と言ったのが、ユングという、エリクソンよりも少し先輩の臨床家・思想家です(ユングの教育に関する論考も、大変参考になりますから、著作集の"Development of Personality"を、是非お読み下さい)。相当ハッキリ意識しない限り、この誤解は変更不可能なものなのです

 ですから、私どもは、相当ハッキリ意識して、唯一の「本物の」人を確かにする道、すなわち、人間を一つ(対等)と信じて、自分を確かにする道を歩んでいくことが大事になるのです。

 人間を上下2つに分けるから、そこに「支配」が生じ、虐め・自殺~ジェノサイド、戦争までが生じます

 人間を一つで対等と見なすからこそ、そこに対話とやり取りが生じて、お互いを価値あるものと認めることもできるのです

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 配慮が行き届いていて、陽気... | トップ | 「日常生活の礼拝」=日常生... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿