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Chilhood and Socirty から。p.61の第3パラグラフから。
勉強の都合で,4年ぶりに翻訳し直します。
たとえば,依存症の人たちは,赤ちゃんだったころの自分がしたみたいに,身体も満たされ,気持ちも元気になる様々な物を、口と肌で,取り入れて,その物と一体になることに依存しています。ところが,依存症の人たちは、喉から手が出る程,赤ちゃん返りを願っている、なんてことにはひとつも気付きません。依存症の人たちが,駄々をこね、鼻持ちならないことを自慢し、文句を付けるほど、それとは裏腹に,赤ん坊じみた魂が、ハッキリと表に出るだけなんですけどね。
人が一体になりたいのは,お母さんと,聖書の神様でしょう。お母さん(聖書の神様)という人格と一心同体に成れれは,依存症になることはありません。
依存症の人は,口と肌で,お母さん(聖書の神様)という人格と一心同体に成れなかったために,その埋め合わせを,人格ではなしに,様々な物を相手に,無意識に口と肌で,一体になろうとしているのです。
物などは,下に立ってくれる心優しい人格【お母さん(聖書の神様)】ではありませんが,その代わりに,
① 下に立っている様々な物質や
②,自分が思い通りにできるからこそ,下に位置付けることができる自分の行為や,
➂ 自分よりも立場が弱く,下に立たせやすい子ども等や部下等や利用者
に依存することになる訳です。
これが依存症のからくりです。
もちろん,これが聖書で言う「的外れ」であることは,火を見るよりも明らかでしょう。
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