今日の応用問題 バラバラになった人間 選挙に行きましょう!フロムが、The Art of Loving 『人を大事にする術』を出版したのが1956年、今から58年前のこと。フロムは当時のアメリカ社会をベースにして、も...
昨晩は、無着成恭さんの「魂の教師」でしたでしょ。備忘録的にメモを書きましたけれども、肝心なところが抜けてたみたい。それで、今晩こそ、その肝心要をメモしときましょう、ってなわけですね。
それは、「仏性」です。無着成恭さんは曹洞宗の僧侶でしょ。道元禅師の流れです。宮崎奕保禅師(宮崎奕保禅師)と一緒ですね。無着成恭さん、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」ということを言ってました。インタヴュウアーの三宅アナにその意味を解説してましたね。生きとし生けるものには、悉く仏性がある、ということです。「仏性」。「自己」のこと、≪本当の自分≫のことだといっていいと私は考えます(仏道は自己なり)。
無着成恭さんは、子どもひとりびとりに、≪本当の自分≫があることを認めて、≪本当の自分≫を生きることを、身をもって伝えていたことになります。それが、やまびこ学校の目的であり、生活綴り方の目的でもあったし、その後仏門に入ってからの目的も、≪本当の自分≫を生きることだったはずですね。
この≪本当の自分≫の特色は、その、ご当人も、その人が属する組織も、その人がメンバーである社会も≪超越≫している点にあります。≪超越≫する点で、神様と全く同じです。ですから、無着成恭さんは、今の学校でしばしばやるように、子どもを操作の対象にしなかった、コントロールしようとしなかった。むしろ、無着成恭さんの方が、その子どもの≪本当の自分≫に対して、どこまでも、謙虚な気持ちになって、大事にする、という関わりをしたところに、この人の教育の特色があると確信しますね。
今の日本の学校教育で、最も欠けているのが、子どもをどこまでも、謙虚な気持ちになって、大事にする、と言う点です。無着成恭さんによれば、敗戦後の民主主義教育が変質したのは、池田内閣の所得倍増計画以降だ、と言います。それ以来、日本人は、悪魔に魂を売ってるんですね! しかし、よく考えたら、「教育基本法」の「人格の完成」という教育の目的の中にある「人格」も、本来は≪本当の自分≫と同じ、教員がコントロールできるはずもない≪超越≫でしょう。
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