安心とゆとりが基本線になりますから、ティク・ナット・ハーンさんがやるような、呼吸や散歩をしながらのマインドフルネスも、ピーター・レビンさんがやってるような、感覚運動的なセラピーも、セラピストが注目しているのは、身体ではなくて、心の動きの方なんですね。そこが一流のセラピストなのか? 三流以下でしかないセラピストなのか? の分かれ道です。大学院の教員でも、三流以下がヘッチャラでいますからね。しかも、その心の動きと言っても、それも狭い認知などではなくて、感情、気持ち、感じ、エリクソンが言う感じsenseの動きですね。この場合、何よりも大事なのは、感じsenseなんですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.220の、第2パラグラフから。
クライアントの皆さんは、発達トラウマが元のなっている身体経験に気付いても、我慢できるようになりますと、強烈な身体の衝動を見つけやすくなんですね。この強烈な身体的衝動とは、打つたり、押したり、走ったりというようなものでして、トラウマがある間に湧き上がる衝動なのに、生きるために押し殺している衝動でもあるんですね。こういった衝動が表に現れるのは、ねじったり、振り返ったり、後ずさりしたりする、微妙な体の動きです。こういったいろんな動きを増幅して、その動きを修正する方法を実験することは、不完全な、発達トラウマに関する「行動傾向」を、全うし、最終的にはトラウマを癒すことの始まりなんですね。心身的なセラピーをすれば、クライアントたちは、いまここに自分を生かせようになります。それは、動いても大丈夫だと分かるからです。上手く出来たという悦びを感じれば、自分は「わが人生の主人公であるという感じ」が回復しますし、自分自身を上手に守ることが出来る感じも回復しますよ。
セラピーの目的はハッキリしてますね。自分が人生の主人公だと、クライアントに感じてもらうことです。わが人生の主人公であるという感じの回復です。
みなさん、発達トラウマとは、私関係ございません、と言う顔をしていても、果たして、「わが人生の主人公であるという感じ」を日々感じて生きているか? 一度手を胸に当てて考えていてはいかがでしょうか?
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