大いなる福音 : ≪いまここ≫におられる神「放蕩息子」の譬え、長い譬えです。しかし、許しがはじめから予定されていることが何よりの福音であることが、ハッキリ示されます。 p355第2パラグラフ。...
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.206のブランクから。
発見に新たに注目
トラウマのことを話題にする時、私どもは1つの物語、1つの問いから始める場合が多いでしょ。「戦争の間に、何があったんだい?」だとか、「誰かが性的ないたずらをされたのかい?」だとか。あるいは、「事故のこと、レイプされたことを話してね」だとか、「あなたの家族に、アルコール依存症の人がいたの?」だとか。しかしながら、トラウマって、ずっと昔にあったことの話どころじゃぁ、ないんですね。トラウマにあった時に刻み込まれた、いろんな気持ち、いろんな体感は、単なる記憶として残るんじゃぁなくて、いまここで、自分が混乱してしまう身体反応として残っちゃうんですよ。
トラウマには、震災や戦争のトラウマもあります。でも、アメリカでも日本でも問題になっているのは、その手の、万が一の時のトラウマではありません。毎日の生活の中で、発達の中で体験する、発達トラウマなんですね。発達トラウマがある場合、その多くは愛着障害ですが、それは、知的な発達の遅れ、自己肯定感(根源的信頼感)の弱さ、対人関係の困難、課題に対する消極性(あるいは、評価される場合は積極性になる場合もある)になって現れます。なぜなら、いつでもオッカナビックリ、あるいは、何とか自分に振り向いてくれる人を見つけようとするので、自分を生きられませんから。
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