いま日本は民主主義の危機です。民主主義を進める人、民主化の担い手はどんな人物なのかを確認したくなりますね。そう考えると、政治学の人、たとえば、丸山眞男教授や、福田歓一教授、あるいは、その先生の南原繁先生や、あるいは、宮田光雄先生から学ぼう、あるいは、早稲田であれば、藤原保信先生や鴨武彦先生から学ぼうという感じになるのかもしれません。しかし、今回は、経済学がご専門の矢内原忠雄先生から学んでみたいと思います。
矢内原忠雄先生は、内村鑑三、新渡戸稲造2人の弟子です。ICUの武田清子先生の言葉を借りれば、内村・新渡戸2人の弟子に優れた人が多いということです。それは、2人の弟子の中に、戦後民主主義を支え、民主化を進めた人が多い、ということになります。南原繁先生(白雨会)も、矢内原忠雄先生(柏会)も、2人のお弟子であり、敗戦後の東大総長を務めた方でしたね。
今日は特に、矢内原忠雄先生の最晩年の文書「新しい人間像の形成」(1960)(武田清子, 1963『日本プロテスタント人間形成論』明治図書)から、「民主主義的人間」を考えます。この文書は、1960年5月19日のいわゆる「深夜国会」で、岸内閣が新安保条約を強行採決して間もなくの頃のものでしたから、矢内原忠雄先生もそのことに触れ「だまし討ち的」だと、この文書でおっしゃっています。矢内原忠雄先生がご存命ならば、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの、議事録もない、戦争法案の強硬採決は、何とおっしゃるだろうと思います。
矢内原忠雄先生は、「民主主義的人間像」として、8点を明示しています。必ずしも系統的なものではありません。矢内原忠雄先生も「断片的な人間像のスケッチ」と記しています。でも、矢内原忠雄先生自身、民主化を担い、矢内原忠雄先生の弟子たちも、民主化を担った人物を数多く出していることを考える時、民主化にとって大事な指摘である点は、揺るがないだろうと私は考えます。
その8つの指摘のいつくかを見て見ましょう。矢内原忠雄先生が第一に挙げるもの、何だと思いますか? 「民主的な人間は、のびのびと手足を伸ばした自由な人間である」。実に愉快でしょ。「のびのびと手足を伸ばした自由」ですからね。「自由」と言えば、なんか小難しい抽象論を想像するのではないですか? でも、「のびのびと手足を伸ばした自由」となれば、自宅の居間でくつろぐ姿とか、心を許し合った者同士のくつろいだ感じが、具体的にイメージできますもんね。なんか晴れやかで、爽やかで、温かい感じです。コソコソ、コセコセ、ペコペコの東電や東芝や東洋ゴムや三井不動産、マイナンバー制度に熱心な厚生労働省の人らとは対照的。
もう1つは、「民主的人間は自己の信念にもとづいて真理を愛し、正義のために戦う戦士である」。矢内原忠雄先生が、中国侵略を進める軍部の横暴と、それを止めることができない弱腰の政治を目の当たりにして、それを厳しくは批判し、それと闘い、東大を辞めされられたことにも思い至ります。民主化は、自分の損も覚悟で戦わなければ、実現しない正義です。それは今も同じ。信念をもって、真理を大事にする、その忠誠、その正直さが大事です。民主化は、真理に対する、そういった忠誠、そういった正直さを帯びた人々によって、進められてきたことは、民主化の歴史を少し学んだだけでも、分かります。民主化はいつでも、マルティン・ルーサー・キングのような戦いによって、進められてきたわけですね。今も民主化を進めようと思えば、真理を大事にしつつ、民主化のための、非暴力的な戦いを戦わなくてはなりません。その点、今の日本の腰抜けだらけのジャーナリズムやジャーナリズム学者、御用学者とは対照的。
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