エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自分の良心を創り出せれば、ゆとりと悦びが必ずある

2014-07-28 12:24:14 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

       自分を大事にすることが、光の道の第一段階。

 自分を大事にすること、それは自己中心とは真逆です。一言申し上げれば、自分を大事にする、ということは、自分の頭で考えることを基本とすることです。ですから、自分を大事にする人は、自分の意見を持ち、必要ならば、それをハッキリ述べる勇気を持っているということになります。ただし、自分の意見を押し通すことには何の関心もありません。大事なのは、話し合いだ、ということを肝に銘じて知っているからです。ですから、丸山眞男教授が教えてくださる「他者感覚」、それも、弱い立場の人に対する「他者感覚」を日々磨いているのです。

 丸山眞男教授について、先日のテレビで、ロナルド・ドーア教授が「偽善を見抜く力が、非常に優れていました」、「政治家の繕い、政治家が言っている言葉の裏にある本音を明かすのが、非常に上手だったし、それを明かす勇気もあった」、と述べていましたね。あれです。

 p41の6行目から。

 

 

 

 

 

 結局、成熟した人は、自分自身の母親になり、父親になるところまでやってきます。成熟した人には、いわば、母なる良心と父なる良心があるんですね。その母なる良心は囁きます。「どんな悪事、どんな犯罪をしたって、私はあなたを大事にする気持ちには変わりないよ。いつでも、あなたの人生に幸あれと願っているよ」と。父なる良心は囁くでしょう。「お前たちが悪を為したから、お前たちは自分の悪事の報いを受けなくちゃならない。もし、私に気に入られたければ、お前たちは自分の生き方を変えなくっちゃぁ、ならない」と。成熟した人ならば、眼に見える父親と母親から自由になり、心の中に父親と母親を創り出すんですね。しかし、フロイトの超自我の概念とは対照的に、人は成熟すれば、取り込んだ母親と取り込んだ父親によって、良心を作るんじゃぁ、ありません。人は成熟すれば、≪真の関係≫を結べるゆとりに基づいて、母なる良心を作り上げることによって、良心を創り出すんですね。同時に、自分の理性と判断力に基づいて、父なる良心を創り出すんです。さらには、人が成熟すれば、その良心に二律背反があっても、母なる良心と父なる良心によって、人を大事にするんです。人が成熟しても、父なる良心のままでしたら、その人は厳格で冷酷でしょう。人が成熟しても、母なる良心のままでしたら、その人は判断力を失い、自分も他者も成長するのを邪魔することになっちゃいますよ。

 

 

 

 

 ここを読んで思い出すのが、エリック・ハンブルガー・エリクソンですね。エリックは、エリックの息子(son サン)になったのです。まさに今日のフロムが述べているところですね。成熟すれば、自ずから父母から離れて、自分の良心を創り出すんですね。そういう人は、自ずから、寛容で、慈しみに満ちた判断力を備え、日々を陽気で楽しく、悦んで生きることでしょうね。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ガリラヤこそ、我がふるさと... | トップ | 他者感覚=自己中心+他者中心 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿