長血の病のために、全財産をだまし取られたのに、治らなかった女性、どんなにか悔しかったことでしょう、どんなにか悲しかったことでしょう、どんなにか腹立たしかったことでしょう。それでもヤケクソニならなかった。信頼を失わなかった。心のふるさと、ガリラヤがあったからなんですね。
p328の3行目から。
しかし、もう、私どもはガリラヤを離れなくちゃぁ、いけません。なぜなら、イエスの伝道のある時点で、3つの共観福音書においては、決定的な宣言が出されます。その宣言によれば、イエスは、この地域を離れた後、ユダヤとトランスヨルダンにやってきたからです(「マルコによる福音書」第10章1節)。あるいは、「この物語をおしまいにして」、イエスは「ガリラヤから離れた」からです(「マタイによる福音書」第19章1節)。さらにまたは、イエスが天に帰るときが近づいた時に、イエスは決然としてエルサレムに顔を向けたからでした(「ルカによる福音書」第9章51節)。イエスの犠牲を払ったガリラヤでの伝道スタイルは(当時イエスは、33才でした)、当時、キッパリとした決断に基づいていました。その決断とは、イエスがエルサレムで、「≪いまここ≫に生きるということの力」を非暴力によって実践しなくちゃならないなぁ、ということでした。それに続くのが、十字架です。その十字架によって、イエスはキリストと呼ばれるようになり、十字架が、信頼する者たちの集会が歓呼して来ることの象徴となるのでした。この物語のこの部分になると、3つの共観福音書の中では、いろんな形で工夫されていますが、ここでは扱わずに置きましょう。しかしながら、私どもは、私どもが十字架の物語の最後に語られた言葉に着目して、伝道のカリラャの部分に集中してもいい根拠を指摘しておきます。「マルコによる福音書」(第14章28節)によれば、イエスと弟子たちは、最後の晩餐の直後に、オリーヴ山に行ったのだそうです。そこでイエスは、弟子たちがすぐに裏切ることを、非常に感動的なほど親しみを込めた話し言葉で、その悲しい見通しを、弟子たち全てに語って聞かせます。すなわち、「しかしながら、私が天に上げられた後、あなた方よりも先に、ガリラヤに行っています(そして、あなたたちが来るのを待ってます)。」と。イエスが復活について述べた、ここのところは、本物でないのかもわかりません。それでも、この言葉が示すことは、物語のイエスの部分や証言の部分には、イエスが弟子たちと分かち合った気持ちが一つあってもいい、ということです。それは、ガリラヤこそ、わが故郷、ということです。
≪いまここ≫を生きる力、と申し上げても、分かりにくい。申し訳ありません。これは経験しないと分からない。自転車が乗れるようになることと近い。「自転車に乗る」ということを、いくら言葉で説明しても分からない(?)けれども、実際自転車の乗る練習をしてみたことのある方は、「分かる」。それと同じなんですね。ですから、≪いまここ≫を生きる、ということを実際に生きてみなければわからない。
もう少し待ってください。エリクソンのこの文書は、そのことを、敢えて言葉で伝えたくて書いているのですから。
≪いまここ≫を生きる。そのためには、だーれもが、心のふるさと、ガリラヤを持つことが大事になります。謎でもいい。
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