エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

神様は現在進行形、改訂版

2015-04-13 02:31:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ティク・ナット・ハン禅師は、≪いまここ≫の自分、ありのままの自分に気付くことを薦めていましたね。今日はその≪いまここ≫を考えてみたいと思います。

 ≪いまここ≫は現在のことですね。≪いまここ≫の自分、現在の自分に気付く、知るってそんなに難しいのはなぜでしょうか?

 それはね、大体、人を見る時に、まっさらな気持ちで見るということができないからです。多くは「投影」が生じてしまう。とくに、幼い時からの繰り返しの中で、「良心」ができると言う話は、このブログでも、何度も取り上げてますでしょ。悲しみやに怒りなどの感情がベッタリとくっついた過去の経験が、他罰的な「悪い良心」となって、≪いまここ≫を歪めていることが非常に多い。あるいは、結局は大勢順応主義でしかない、底の浅い「道徳観」や希望的観測で≪いまここ≫を歪めていることも非常に多い。

 ≪いまここ≫について、マザーテレサが大事なことを言っています。「過去は過ぎ去り、未来は未だ来たらずです。私どもには今しかありません」と。

 そして、神様の名前「ヤーウェ」も≪いまここ≫。神様は、現在進行形。ユダヤ・キリストの神の名は「ヤーウェ」と言いますでしょ。これは、新約聖書のギリシャ語では「ホー・ウォン ο ων」(気息記号などは割愛)。「≪いまここ≫に生きているもの」という意味なんですね。ユダヤ・キリスト教では、文字通り「名は体を表す」もの、本質を示すものと考えられます。「ホー・ウォン」も実際にギリシャ語のbe動詞、エイミーの現在進行形です。

 ≪いまここ≫というのは、自分の中にある否定的なフィルム(悪い良心)を相手に投影することなしに、底の浅い道徳で現在を歪めることもなく、神様と共に居る自分を見出すこと。

 あなたも、あなた自身を大切にね。

 

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