エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

馴れ合いでは、個が死んじゃう

2014-05-12 07:10:17 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 ≪真≫と馴れ合いは、似ても似つかない。事情を知らない方は、「一つになる」と言ったら、馴れ合いしか想像できないかもしれませんけど。p.17最終行から。

 

 

 

 

 

 「馴れ合い」には、お腹の大きなお母さんとお腹の中の子どもとの関係にある、生き物としてのパターンがあります。この時、お母さんとお腹の中の子どもは、2人だけれども1人です。2人は「一緒に」(馴れ合いで)生きてる。2人は互いに相手が必要です。お腹の中の子どもは、その母親の一部ですから、必要なものはなんだって、お母さんからもらいます。かたや、そのお母さんは、お腹の中の子どもの、いわば、全世界です。そのお母さんはお腹の中の子どもに対して栄養も与えれば、その子を守るけれども、同時に、その母親自身の人生は、お腹に子どもを授かって、元気をもらっています。心根が馴れ合いの場合、2人は、体は別々なのに、お腹の大きなお母さんとお腹の中の子どもとおんなじ癒着が心理的にあります。

 

 

 

 

 

 最後に「癒着」と訳した言葉は、アタッチメントattachment、通常「愛着」と訳される言葉です。でも、この場面で愛着と訳したのでは、分からなくなっちゃいます。ここで問題になっているのは、タッチしていること、くっ付きあって、独立していない点です。アタッチメントの定訳「愛着」で訳したのでは、誤訳です。ですから、法政大学の先生の訳は、間違ってま~す。

 お腹の大きなお母さんと、お腹の中の赤ちゃんは、一心同体。見方によっては理想形です。しかし、フロムは、人格の独立、個の独立、「みんな違って、みんないい」と確信していますから、馴れ合い、癒着は、芳しいものではありません。互いに独立を侵すからです。

 フロムはこの後、何と言いますか楽しみですね。

 

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