最初の意味あるやりとり こころの元型
見て知ることは、人間にとって、非常に強い意味があることを教えられました。今日は、何もしなければ、人の心の奥底にずっと残る、心の元型、やり取りの元型についてです。それでは翻訳です。...
今日のタイトル、「どっかで聞いたことあるな~」と思われたあなた! さすが読書家ですね(聞いたことなくっても、「大丈夫!」)。これは、自然に対する畏敬の人、レイチェル・カーソンの名著 The Sense of Wonder の一説の意訳だからです(p.56)。上遠恵子さんが、誠実な翻訳をしているので、日本語でも読めます(新潮社)。
このところを、わたくしなりに翻訳しますと、次にようになります。
「私が本気で信じているのは、子どもにとっても、子どもの手を取ってあげたいと願う親にとっても、知ることは、感じることよりも、半分も大事じゃないってことです。もしも、いろんな事実が、後から知識や知恵を生み出すもろもろの種だとしても、自分で感じたことに対する、いろんな気持ちやいろんな印象は、このいろんな種が育つ豊かな土壌となるでしょう。幼い子どもの時期の数年間は、この豊かな土壌を作る時期なんです。いったんそういったいろんな気持ち、たとえば、美しいものに感動する心、新しいものや知らないことに興奮する気持ち、同情したり、かわいそうに感じたり、「すご~い!」と思って見たり、「大事だな」と感じる気持ちがいったん生まれたら、私どもは、自分の気持ちが響いた対象のことを「知りたい」って思うものなんです。この「知りたい」ことに出合えたなら、そこには限りない意味があります。ですから、その子がまだよく分かんないことを教え込むよりかは、子どもが「知りたい」って思う、いろんなことを感じる道を整えた方が、よっぽど大事です。」
このレイチェルのこの文章を何度読んでも、今日のエリクソンが言っていることと共通するものを感じます。子どもが何となく感じること(a sense of…)を「いいぞ」って感じながら、一緒に味わうってことです。それこそ、子どもがなんとなく感じていること(a sense of…)を肯定し、確証をプレゼントして、明確にするだけではなくって、子どもの存在そのものをキッパリと肯定することになりますからね。
ですから、感じることは、あらゆる叡智の源なんです。
しかし、それだけではありません。エリクソンも言っていますが、子どもがなんとなく感じていることを肯定し、確証をプレゼントして、明確にすることは、そうする大人の感じが肯定され、確証をいただけるものであるだけではなくて、自分自身が生かされている意味をキッパリと実感する恵みの時なのです。「お互い様」の “不思議の恵み“ です。
ですから、「今は恵みの時、今こそ救いの日」なんです。
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