ルターの声には、現世を≪超越≫する働くがありました。
Young Man Luther 『青年ルター』p.230は第4パラグラフから。
ルターは、ローマ皇帝が発行する旅券を持っていたけれども、「(ウォルムスには)来るな」と言われていました。ルターは、悪徳商人らの護衛に守られて、ウォルムスの町に入りました。しかし、友人たちと夕食時にビールを飲み、また、一晩寝れば、ルターは元気になるし、朝になれば、ルターは声がハッキリしました。ルターは生まれながらのドイツ語で、良心から出た言葉を語りました。この良心から出た言葉が、心の葛藤から得た真新しい気付きだったんですね。ウォルムスでルターは追放と死に直面したものの、それは、出来合いの信条のためでも、ご先祖様のためでも伝統のためでもありませんでした。ルターが村八分と死に直面したのは、まさに、個人の確信ゆえのことであり、心の葛藤から引き出し、これからも心の葛藤を引き開けたからに他なりませんでした。ルターが語った良心とは、形ばかりの道徳が心の残した澱ではありませんでした。この良心は、天国と地獄とこの世の間にある単独者が知り得る最高のものでした。
ルターが語る言葉は両親から出たものでした。この世的な、さまざまな利害や気遣いを超越する言葉です。いわば、神の前に1人立つものが、神との誠実な関わりの中から生まれた言葉でした。それは、村八分と死を脅かされても、怯むことなく、語らなくてはならないと感じることでした。ルターが単独者になって、初めていただけた言葉でした。しかし、そのルターの声は、時代も国も超えて、どなたの心にも響く言葉になりました。
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