エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

遊び相手にならない大人は、自分を「上」にして、子どもを非難するはず

2014-09-30 10:32:05 | アイデンティティの根源

 

 それでp350第3パラグラフ。マタイによる福音書です。

 

 

 

 

 

 「しかし、この世代を何にたとえましょうか? それは、市場に座っていた子ども方が、遊び相手を呼んでいます。『私たちが声を出して、あなたを呼んだのに、あなたたちは踊ってくれなかった。私たちが声に出して、嘆き悲しんでいるのに、あなたたちは悲しんでくれなかった』。ヨハネが飲まず食わずでいると、あの人たちは「奴は悪魔だ」と言い、人の子が食べたり飲んだりしていると、あの人たちは『ほら見てみなさい、食いしん坊と呑兵衛だよ、だいいちあの税金泥棒と人でなしの仲間さ』 しかし、叡智はその人の行いによって義とされます」(マタイによる福音書第11章16節~19節)。

 

 

 

 

 

 子どもの遊び相手にならない人は、たいてい子どもを非難ばかりしている大人。自分は「人間を上下2つに分けるウソ」を信じて、「上」と勘違いしているからです。それで「下」に向かって非難するんです。ひどい言葉を使って言いますから、これこそ「言葉による虐待」そのものですね。イエスはこれを≪信頼≫に、最も敵対的な態度だというわけですね。

 イエスは逆に、人から非難されるような人、たとえば、売春婦や「税金泥棒」と言われる人たちの仲間に、あえてなりましたでしょ。「上下のない、1つの人間」を信頼しているからなんですね。

 みなさん、この辺の事情が体験的に分かると、良いでしょ。おもしろいでしょ。

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