ヴァン・デ・コーク教授は、患者から学ぶ人だから、頼りになります。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.229のブランクの後の、第2パラグラフから。
ビルは衛生兵として、ベトナムでは1967-71年従軍しました。そして、帰国後、軍隊で身に着けた記述を使って、地元の病院の火傷治療室に勤務していました。看護をすれば、ビルはクタクタになり、癇癪を起し、イライラするのですが、それが、ベトナムで経験したことと関係があるなどとも、思っても見ないことでした。結局、PTSDの診断がまだなくて、アイルランド系の労働者階級の人はボストンでは、分析医に相談することもありませんでした。ビルの悪夢と不眠は、ビルが看護業務から離れて、牧師になる口座に登録した後では、軽くなりました。ビルは最初の息子が1978年に誕生するまで、助けを探したりしませんでした。
不眠と悪夢と言ったら、いまではPTSDの典型的症状ですが、当時はまだよくわからなかったみたいですね。衛生兵として働いたビルが、その経験に近い看護業務をすると、その症状が出たのですが、その業務から離れると、症状も緩和したとも言います。こういったことからも、PTSDの性質をりかいしていったのでしょう
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